第七話 真実
「……ご令嬢方は皆、ご帰宅なさいましたわ」
気まずい空気が漂う応接間にアレクシアがやって来てそう告げると、自然とその場にいた者の目は王弟へと向いた。
あのまま令嬢たちの前で話を続けては色々障りもあるだろうというアレンの提案で、集まっていた令嬢たちには一旦解散してもらい応接間にはクラヴェル伯爵夫妻、アレクシア、アレン、デシャネル伯爵夫妻そしてヴァネッサと王弟が残っていた。
ヴァネッサはほとんど顔色を失い、時折スンと鼻を鳴らしながら項垂れている。
上座に座った王弟は、ヴァネッサを含めてぐるりとその場にいる人々を見回すと、勢いよく頭を下げて言った。
「此度の一件は全て僕の浅慮が招いた事だ。皆に多大な誤解を与え、迷惑をかけてしまった事を改めて謝罪させてほしい」
「で、殿下! 我々臣下にそのように頭を下げるなど……」
「そうですわ。多少の誤解があっただけですのに」
「そうはいかない。僕の浅慮でクラヴェル伯爵家にもデシャネル伯爵家にも迷惑をかけたのだ」
慌ててクラヴェル伯爵夫妻が王弟に言うが、王弟は頑として譲らない。
「いや、多少などというものではない。王族であろうともこれは明らかに僕の落ち度だ。慣習に慣れ過ぎてアレンの名を使うという事の意味を僕は正しく理解していなかった。事実、アレンは婚約者がありながら他の女性にも言い寄っているなどという不名誉を被った。本当にすまない」
頭を下げて謝罪を続ける王弟をアレン本人がなんとか宥めてようやく彼は顔を上げたが、その顔の憂いは微塵も晴れてはいなかった。
後悔と反省の色を濃く残したままの表情で王弟は続けた。
「王家の慣習と言えど、婚約者のいるアレンに何も言わなかったのは本当に軽率だった。反省している」
「それは、まぁ……その通りですが」
そこでアレン(本物)はふと何かに気付いた様子でそういえばと呟いた。
「いつもならどこに行っただの誰と話をしただの、あれこれ教えて下さるのに、どうして今回に限って何も仰って下さらなかったのですか」
「……それ、は、だな……」
アレンの指摘に目に見えて歯切れが悪くなった王弟であったが、アレンは追及の手を緩めることはしなかった。
「殿下。改めて話を整理させて頂いてもよろしいですか」
「あ、あぁ」
「まず、殿下とデシャネル伯爵令嬢はどのような経緯で出会ったのですか」
「っ!」
アレンに問われ、王弟がちらりとヴァネッサを見る。
その視線にヴァネッサは彼がどこまで話して良いものか悩んでいるのだとすぐにわかった。
何せあの時のヴァネッサは一人でメソメソ泣いていた上に、隠れていた王弟を猫と勘違いして猫ちゃんと呼び掛けたりしている。
思い出すと顔から火が出そうなほど恥ずかしいが、今更隠したところでもう変わらない。
ヴァネッサが全て話して良いと静かに頷くと、王弟もヴァネッサの意図を汲み、応えるように頷いてから口を開いた。
「……春先の、フォーゲル家の夜会だ。僕はいつも隠れて参加しているだろう? その時、休憩室のバルコニーで泣いていた彼女に声を掛けたのがきっかけだ。あの時のヴァネッサ嬢は訛りのことを気にして大分思い詰めている様子だった」
「……デシャネル伯爵令嬢、この話は本当ですか?」
「はい。王弟殿下は泣いている私にハンカチを……、あの、ハンカチで私の涙を拭って下さいました。その時に殿下が王国標準語の練習をとお申し出下さったのです」
そしてヴァネッサは通行証代わりに彼の紋章の入ったカフスボタンを渡されたのだと事のあらましを説明した。
説明を終えて再び項垂れるヴァネッサに問い掛けたのは、ヴァネッサの母、デシャネル伯爵夫人だった。
「ヴァネッサ、どうしてちゃんと説明しなかったの」
もっともな母の言葉にヴァネッサは顔を上げたが、顔色はひどく悪く、何かを言おうとして唇を動かすが言葉は出て来なかった。
そんなヴァネッサに、デシャネル伯爵夫人は苛立ちを含んだ声で鋭く叫んだ。
「ヴァネッサ! 答えなさい」
「お待ちになって、デシャネル伯爵夫人」
デシャネル伯爵夫人の言葉を遮り立ち上がったのは、それまで聞き役に徹していたアレクシアだった。
アレクシアは静かな声音で指摘した。
「言わなかったのではなくて、言えなかったのでは?」
「……何ですって?」
「だって、おば様。この子ったらわたくしがアレンのことで叱責した時も、青くなるばかりで説明も弁明もしませんでしたわ。わたくしが思うに、田舎訛りと一緒です」
小さく笑って見せたアレクシアは、ヴァネッサが緊張から田舎訛りが出てしまい王都で王国標準語に難儀していた事を例に挙げて続けた。
確かにヴァネッサは緊張すると田舎訛りが出やすいこともあり、そういった場で言葉に詰まることが多かった。
咄嗟に言葉が出てこない。これは小心者のヴァネッサにとって、なかなか改善の難しい問題だった。
まだ何か言いたげなデシャネル伯爵夫人から視線を外し、アレクシアは自身の婚約者に問い掛けた。
「デシャネル伯爵令嬢が言っていたアレンが王弟殿下であると判明した今、わたくしは先程賜りました殿下からの謝罪だけで十分でございます。アレン、あなたは?」
「私も同じく、先程の謝罪と殿下の反省で十分です」
互いに頷いた後、アレクシアはソファに座るヴァネッサの前に膝をつき、驚くヴァネッサに視線を合わせながら口を開いた。
「デシャネル伯爵令嬢。きちんとあなたの話を聞かずに叱責してしまってごめんなさい。皆様にはわたくしから後日改めて説明させて頂くことを約束するわ。わたくしの謝罪を受け取ってくださる?」
「えっ、そ、そんな、私がいけなかったんです! アレクシア様は何も悪くありません! 私こそ、貴族令嬢としての自覚も足りず、ちゃんと説明も出来なくてごめんなさい……」
もういいのよ、とアレクシアはヴァネッサの手を取って微笑んだ。
落ち着いた声のトーン、指先まで洗練された優雅な所作。微笑む唇の口角の角度まで。
これこそ、ヴァネッサが目指していた『王都の貴族令嬢』そのものの姿だった。
大切な友人の存在を失わなくて良かったと安堵した途端にヴァネッサの目にまた涙が滲む。
「アレクシア様……」
「あらやだ、あなたまだ泣くの。もう、どこからそんなに涙が出てくるのかしら」
「うぅう……、ずみ、ずみませ……っ」
「本当に、あなたのどこが『孤高の白百合』なのかしら。これじゃあ『野原のタンポポちゃん』がいいところじゃないの」
苦笑したアレクシアが手にしたハンカチでヴァネッサの涙を拭く間、ヴァネッサはへにょりと眉尻を下げ、鼻の頭を真っ赤にしてこれ以上泣くまいと唇を噛んでいる。
確かに、どこからどう見ても今のヴァネッサを『孤高の白百合』と呼ぶ人間はいないだろう。
べそべそと泣くヴァネッサに、アレクシアは静かな声で問うた。
「ねぇ、あなたはどうしたい?」
「どうって……」
「わたくしの問題は解決したわ。ここからはあなたの問題よ」
ヴァネッサは何度も咀嚼するようにじっくりとアレクシアの言葉を反芻し、そっと王弟へと視線を向けた。
王弟もその視線に真剣な眼差しを返す。
「私……」
そして、ヴァネッサは震えた声で結論を告げた。
「私、領地に戻ります……。知らなかったとはいえ王弟殿下に大変なご無礼をはたらいてしまって……これ以上王都にはいられません……」
「は!? ま、待ってくれ、ヴァネッサ嬢!」
「御恩は一生忘れません。皆様、今まで良くしてくださって本当にありがとうございました……」
「あぁあ、こうなると思った! だからもっと外堀を埋めてから話す予定だったのに……!」
混乱と怒りに任せた先程の自らの不敬を思い出し、どこか虚ろな瞳なヴァネッサに、王弟はぐぅと喉の奥で唸り声を上げた。
しかし、この機を逃すなとばかりに立ち上がり、真っ直ぐにヴァネッサを見た。
巻き込まれる前に退散すべしと察して席に戻ったアレクシアの判断は正しく、王弟はずんずんとヴァネッサの前まで歩くと、その前に跪き恭しくヴァネッサの手を取った。
「えっ」
「ヴァネッサ嬢」
「……あぁ、殿下。不敬罪で裁かれる時はどうか私だけを罪にお与えください……」
「そうじゃない、ヴァネッサ嬢。君を不敬に問うことなどない。そうではなくて、僕はもうすぐ正式に名を賜り、名もなき王弟から一人の王族の男になる。そうしたら君に求婚に行くから、それまで婚約者など作らず待っていてほしい」
「……はぇ?」
その時、その場に居合わせた人々の反応は様々だった。
ヴァネッサは何を言われたのかわからずにぽかんとしていたし、デシャネル伯爵夫妻は王弟が突然娘に婚約の申し込み予告をしたことで卒倒寸前だった。クラヴェル伯爵夫妻も「まさかここで!?」と驚いた顔をしている。
「もう少しタイミングというものを……」と苦笑するアレンとアレクシアも含めて、応接間は静かな混乱に陥っていた。
「その、殿下。デシャネル伯爵令嬢も大変衝撃を受けているようですし、今日はこの辺にして日を改めた方が……」
一番最初に口を開いたクラヴェル伯爵の言葉に、王弟はそれもそうかと頷き、いまだ驚愕から抜け出せずにふうふう言っているデシャネル伯爵夫妻に改めて挨拶に行くと告げて意図せずトドメをさしたりなどしつつ、その場はお開きとなったのである。
とにかく誤解が解けてアレクシアと仲直りができて良かったと思いながら、両親に続いて屋敷に戻る馬車に乗り込もうとしたヴァネッサは、名前を呼ばれてふと振り返った。
「王弟殿下……」
「ヴァネッサ嬢。ひとつ、言い忘れていたことがあった」
王弟は御者に代わって、完璧なエスコートでヴァネッサが馬車に乗るのを助けながら言った。
「いいかい。もしも僕よりも条件の良い男が現れたらすぐに言うんだよ。アレンに伝えてくれたら僕の元に知らせが届くからね」
「どうして……」
「どうしてって? だって、決闘を申し込まないといけないだろう?」
「ど、どうして!?」
突然決闘などという言葉が出てきてギョッとするヴァネッサに、王弟はニコ!とこれ以上なく爽やかな笑顔を浮かべた。
何も言わないのが一番怖い。
「あ、あの、でも私は……っ」
「それでは、後日また」
王族と結婚なんて無理です!と叫びたかったヴァネッサだったが、王弟の素晴らしい手際によって馬車の座席に座らされ、すぐに馬車が動き出してしまったために何一つ言う事が出来なかった。
(なんでこんなことに……! 私、やっぱ修道院で尼さんになるしかないじゃないだか……)
こんな田舎娘が王弟殿下に見初められるなど、御伽話がいいところではないか。自分にそのような器量があるとはとても思えない。しかしそれは彼から教育を受けた自分自身を否定することになる。それは嫌だ。
キュッと唇を噛み締め、ヴァネッサはちらりと向かいに座る両親を盗み見た。
目を閉じて押し黙る父と、背筋をピンと伸ばしどこか強張った表情を浮かべる母。
二人を見て、ヴァネッサは逃げるように視線を自分の膝の上に落とす。
何か言おうにも、喉が詰まってしまったかのように一つも言葉が出て来なかった。
馬車の中は、クラヴェル伯爵邸に向かった時のように、重苦しい沈黙に満ちていた。




