第3話
学園の創立記念晩餐会。
煌びやかなシャンデリアが天井で光を弾き、洗練された音楽がホールを満たしていた。
豪華絢爛なドレスに身を包んだ貴族たちが談笑する中、会場の視線は中央に立つ一対の男女に注がれていた。
つやつやとした漆黒の髪を完璧に整え、隙のない漆黒の夜会服を纏ったヴィンセント。
そして、その腕に静かに添えられた、柔らかな薄桃色のドレス姿のクロエ。
普段は研究着ばかりのクロエだが、今夜はヴィンセントが選び抜いた上質なドレスと宝石を身に纏い、その浮世離れした可憐さが際立っていた。
「クロエ、ヒールの高さには慣れましたか? 転ばないよう、しっかり私にしがみついていてくださいね」
「うん。ヴィンセントの腕、固くて掴みやすいわ」
「光栄です。いつでもあなたをお支えします」
無表情ながらも、クロエを見るヴィンセントの瞳には熱い愛しさが満ち満ちていた。
そんな二人の前に、地鳴りのような足音とともに歩み寄る影があった。
「——そこまでですわ!!」
豪勢な赤いドレスの裾を翻し、鬼の形相で現れたのはエレノアだった。
彼女の目は血走り、髪の縦巻きツインテールは怒りでわずかに逆立っているようにすら見えた。
手には大きな魔導スクロールが握られている。
「ヴィンセント様! その女の本性を今日こそ暴いて差し上げますわ! この魔導スクロールは、周囲の者の『最も深く隠している本音』を曝け出す古代の秘宝! これを使えば、その女があなたの身分と財産だけを狙っている不誠実な害虫だということが証明されますのよ!」
会場がざわついた。
エレノアはすでに「ヴィンセントを得ること」など頭になく、ただただクロエに自分を認識させ、自分という存在に揺さぶりをかけることだけに命を懸けていた。
「覚悟しなさい、クロエ! あなたの汚い本心を学園中の前で晒してあげますわ!」
エレノアが叫び、魔導スクロールを勢いよく解放した。
まばゆい紫色の光がホール全体に広がり、渦を巻いてクロエへと収束していく。
ヴィンセントが瞬時にクロエを庇おうと身体を入れ替えたが、魔法の光は障害物を透過してクロエの胸元へと吸い込まれた。
「クロエ……!」
ヴィンセントの顔から完全に血の気が引く。
周囲の貴族たちも息を飲んで見守る中、光を浴びたクロエは、ぽかんとした顔で目を瞬かせた。
「……何も起きないわね?」
「なっ……!? なぜですの!? 隠している本心が、声となって溢れ出すはずなのに……!」
エレノアが目を見開いて叫ぶ。
クロエは首を傾げ、ふうと小さな息を吐いた。
「だって……隠してる本心なんて、最初から何もないもの」
「なんですって……!?」
「私はただ、美味しいご飯を食べて、好きな薬調合をして……あとは、ヴィンセントがずっと私の隣にいてくれれば、それだけでいいんだもの」
クロエの素朴で、けれど一切の飾りのない言葉。
それが魔法のスクロールに反応し、透き通った鐘の音のような響きとなってホール全体に優しく広がった。
一切の偽りも、計算も、野心もない。
ただ「ヴィンセントと過ごす当たり前の日常」を何よりも愛おしく思っているという、至高の真実。
ヴィンセントの心臓が、跳ね上がった。
氷のような無表情で知られる彼の頬が、うっすらと赤く染まっていく。
彼はクロエの腰を引き寄せ、人目もはばからず、彼女の額に愛おしさを込めて深く口づけを落とした。
「……クロエ。私の命も、財産も、心も、すべて最初からあなたのものです」
「うん。ヴィンセント、ちょっと抱きしめる力が強すぎるわ」
「すみません。愛おしすぎて抑えが効かないのです」
二人だけの世界が完璧に完成し、周囲の貴族たちからは感動の溜め息と拍手が沸き起こった。
そして——。
すべてを賭けた渾身の邪魔工作すらも、ただ二人の愛を深めるための演出にしかならなかった事実を前に、エレノアの理性の糸がぶちりと切れた。
「あ……あ……あぁぁぁ……!!」
エレノアは膝から崩れ落ちそうになりながら、かろうじてクロエを指さした。
「どうして……どうしてダメージを受けていないのよ!? 嫌がらせも、悪評も、全部スルーして! それどころか私を利用して二人の仲を深めるなんて……! あんた、私のことどう思ってるのよ!?」
クロエは、ヴィンセントの胸に寄り添ったまま、困惑したようにエレノアを見つめた。
「どう思ってるって……ええと……」
クロエは一生懸命考えた。
目の前の派手なドレスを着て、毎回叫んでいる女性の存在を。
「……ええと、いつも賑やかで……髪型が縦に巻いていて……赤いリボンをつけた……ええと、誰だっけ……?」
「名前ぇぇぇぇ!! 名前を言いなさいよぉぉぉ!!」
エレノアの絶叫がホールに響き渡る。
「私はエレノア・フォン・バートレット! バートレット伯爵家の令嬢よ! もう何十回も言ったわでしょうが!!」
「えーと……バートなんとかさん……?」
「きえぃぃぃ! あんたはぁ! いつになったら私の名前を覚えるのよぉぉぉ!!」
ついにエレノアは頭を抱え、床に崩れ落ちて狂ったように叫び出した。
「ヴィンセント様なんてどうでもいいわよ! 私はあんたに! あんたに私という存在を認めさせたかったのよぉぉぉ!! なんで覚えてくれないのよぉぉぉ!!」
哀れすぎるライバル令嬢の叫び声が、創立記念の豪華なホールに虚しく木霊していた。
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