第2話
カフェテリアでの騒動から数日。
エレノア・フォン・バートレットの「執念の攻撃」が始まった。
目的はただ一つ。ヴィンセントの隣に居座るあの無愛想な薬草オタク——クロエを失脚させ、ヴィンセントの目を覚まさせることである。
最初の仕掛けは、学園の調合室で起きた。
クロエが研究のために保管していた貴重な『月光草の乾燥粉末』。エレノアは密かにそれを取り除き、見た目がそっくりな『痺れ毒草の粉末』へとすり替えたのだ。
(ふふふ……これで調合に失敗し、危険な毒薬を作り出せば、学園から追放処分は免れないわ! 助けを求めて泣きつくその顔をヴィンセント様に見せてやるのよ!)
影からその様子を伺うエレノア。
やがて調合室に現れたクロエは、白衣の袖を少し捲り上げ、何の疑いもなく瓶から粉末を薬鍋へと投入した。
グツグツと沸き立つ緑色の液体。
しかし、クロエの手に迷いはない。本来『月光草』を入れるべき工程で『痺れ毒草』が混ざった瞬間、鍋から紫色の不気味な煙が立ち上った。
「あら……?」
クロエはぽつりと呟き、手元の大さじを止めた。
(引っかかったわ! さあ悲鳴をあげなさい!)
物陰で拳を握りしめるエレノア。
だが、クロエは悲鳴をあげるどころか、感心したように目を輝かせた。
「不思議ね……。月光草の粉末を入れて反応速度を早めるはずだったのに、触媒の段階で魔力の過剰拡散が起きているわ。まるで痺れ毒草の成分が混ざったような……」
クロエはさっと棚から別の試験管を取り出し、中身をひとすくいして分析液を垂らした。
「やっぱり痺れ毒草だわ! 誰だか分からないけれど、私の調合手順を見越してわざわざ高価な痺れ毒草を差し替えてくれたのかしら。おかげで『痺れ薬の副作用を無効化する新薬』のヒントが得られたわ。名も知らぬ親切な人、ありがとう」
「親切じゃないわよーーーーっ! 嫌がらせよ! 毒よ! 毒毒毒!!」
思わず壁の影から飛び出しそうになるエレノアを、取り巻きの令嬢たちが必死に押さえつける。
それから数分後。調合室の扉が静かに開き、大きな保温魔法陣が施されたバスケットを持ったヴィンセントが入ってきた。
「クロエ。今日の昼食は、あなたが好きな白身魚のソテーに自家製タルタルソースを添えて持ってきましたよ。……おや、この臭いは痺れ毒草ですか?」
ヴィンセントは一瞬で室内の微量な毒素を察知し、その美しい顔立ちから一切の温度を消し去った。
殺気を含んだ瞳で部屋の隅(エレノアたちが隠れている物陰)を一瞥すると、すぐにクロエのもとへ歩み寄り、彼女の手に傷がないか丁寧に検分した。
「怪我はありませんか、クロエ。どこの愚か者がこのような浅はかな企みを……すぐに特定して処罰させます」
「ううん、大丈夫よヴィンセント。それより見て、この怪奇現象。棚の奥から勝手に目的と違う薬草が出てくるの。この学園には親切な妖怪でもいるのかしら」
「……なるほど。あなたがそう受け取るなら、妖怪ということにしておきましょう。さあ、手洗いをしてご飯にしましょうね」
「うん。……あ、あそこの柱の影に、昨日見た縦にくるくるした髪型の人が挟まってる」
「気にする必要はありません。ただの害虫です」
「害虫じゃないわぁぁぁ!!」
喉まで出かかった叫びを必死に飲み込み、エレノアは歯ぎしりしながら退散するしかなかった。
◇
それからも、エレノアの工作は続いた。
お茶会にクロエだけ招待状を出さずに孤立させようとすれば、クロエは「やった、誰にも邪魔されずに丸一日調合ができるわ!」と大歓喜して引きこもった。
図書室でクロエが探している貴重書をエレノアが先回りして隠せば、クロエは「見つからないから自分で似たような理論書を一から執筆したわ」とあっさり超大作の論文を完成させて学園長から表彰された。
何をやっても、ダメージゼロ。
どころか、すべてがクロエの功績や成果へと昇華されていく。
そして何よりエレノアを狂わせたのは、ヴィンセントの鉄壁すぎるガードと、クロエの「徹底的な無関心」だった。
「ご機嫌よう、クロエさん! 今日のドレス、なんだか随分と地味でいらっしゃいますことね? まるで修道女のようですわ!」
中庭の東屋で、エレノアはわざとらしく扇子を叩きながらクロエに突撃した。
クロエはヴィンセントに膝枕をしてもらいながら、難解な魔導書をめくっていたが、視線だけをちらりとエレノアに向けた。
「……? あなた、だれ……?」
「なっ……! エレノア! バートレット伯爵家のエレノアですわ! 先週も、先々週も、その前もあなたに話しかけましたでしょう!?」
「ええと……縦巻きツインテールで、いつも真っ赤なリボンをつけていて、金切り声で叫ぶ……『赤いリボンさん』?」
「名前で呼びなさいよ!! エレノアよ! エ・レ・ノ・ア!!」
エレノアは足をドタバタと踏み鳴らした。
彼女の本来の目的は「ヴィンセントの気を引き、クロエを蹴落とすこと」だったはずだ。
しかし、いくら嫌がらせをしても、挑発しても、クロエの瞳には自分という人間が一切映っていない。名前すら覚えてもらえない。存在そのものを『風景の一部』としてスルーされる屈辱。
それが、いつしかエレノアの中で変質し始めていた。
(ヴィンセント様との婚約!? そんなことはもうどうでもいいわ! この女に……このクロエという女に、私という存在を絶対に刻み込んでやる!! 私の名前を呼ばせてやるんだからーーー!!)
その横で、ヴィンセントはクロエの頭を優しく撫でながら、氷のように冷たい声でエレノアに告げた。
「バートレット嬢。これ以上クロエの睡眠を妨害するならば、あなたの実家のバートレット伯爵家に対し、経済的・政治的なあらゆる手段を用いて制裁を加えますが」
「くっ……! 脅しのつもり!? 痛くも痒くもないわ! いいわ、クロエ! 次こそは絶対に、あんたに私の名前を叫ばせてみせるわ!!」
目的が完全に歪んだライバル令嬢は、狂気じみた捨て台詞を残して去っていった。
「……ヴィンセント、あの赤いリボンの人、なんだか楽しそうね」
「あなたの気のせいです、クロエ。ほら、目が覚めたなら温かいハーブティーを飲みましょう」
「うん、ありがとう」
ヴィンセントの手からカップを受け取り、クロエはふにゃりと微笑んだ。
ヴィンセントはその無防備な笑顔を見つめながら、己の内に渦巻く黒い独占欲を静かに押し殺すのだった。
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