表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/6

鈍らでは刺さらない

 日本語検定が終わったので、私は今、譲ってもらったチャート式数学IIで遊んでいる。四月に日本語検定の問題集を二周終えてしまい、少し飽きが来ていたので、五月の時点でそちらに浮気していたわけだが。数学Iと数学Aを一周回した。やっぱりいい参考書だよね、チャート式。

 数学は得意というほどでもなかったので、数学Iはともかく数学IIの記憶が相当失われていた。加法定理・対数・微分辺りを全く覚えていない。インテグラル、あったねぇ。シグマ、見覚えあるねぇ。以上。

 過去問を解いたところ、8割完答・2割真っ白と、なんとも極端な結果であった。だから数学検定は、「高校卒業程度」の二級から受けるつもりである。


 サイン・コサイン・タンジェントを捏ねくり回しながら、はたと気付いた。


 クソ長タイトルと、なろう系テンプレート的タイトルって、大差なくね?――と。


 おばちゃんという生き物は、大抵幾つかの思考をアイドリング状態で並走させているものだ。サイン・コサイン・タンジェントのどれがトリガーになったのかは不明だが、気になったら最後である。今回もセルフサービスで検証を始めよう。



★★★CAUTION!! これは創作論ではありません★★★


 メインテーマは明確な「Show, Don't Tell」誤解釈へのツッコミと、「Show, Don't Tell」を脳の認知モデルとして再解釈する論考から派生した分析となります。

 おばちゃんが「なんでだろう」とつらつら考え、「こういうことなのでは」と一通り納得した、その思考過程ってことです。


★ChatGPTちゃん協力による全文要約★

・評価語は本来「比較」と「観測」を前提とする言葉である

・タイトルは読解の方向性を誘導する

・観測前に評価語を貼ると、評価主体が作者へ収束し「自称感」が発生する

・「自称」「中二病」は類似した認知構造を持つ

・比較対象が欠落すると、脳は近場から勝手に補完する

・評価語は対象や範囲を限定した方が、かえって存在感と説得力が増す


★以降の文は、「考察」「実験」「引用」と少々の「老婆心」「悪態」で構成されております。★



■ラベリング力としては目糞鼻糞、どんぐりの背比べ■


 「Show, Don't Tell」基準で、クソ長タイトルは完全にアウトと前回述べた。

 同じ理由で、なろう系タイトルのテンプレワード――「最強」「無双」「無敵」等々――もアウトである。平等にツッコまないと、不公平よね。

 いずれも評価語のラベリング力が強すぎる。「最強」という「設定」「予定」が確実に伝わる。しかし奇妙なことに、「強そう」とは感じない。安っぽい印象すらある。この手の評価語が入ってないクソ長タイトルの方が、幾分マシなのではなかろうか。槍玉に挙げられるのは、専らクソ長タイトルの方だが。

 なぜこんな印象を受けたのか、真面目に考えてみた。割とすぐに結論が出た。


 最強の洗浄力、最高のラグジュアリー、無敵の殺虫力、圧倒的な消臭力しょうしゅうりょく。ドラッグストアのPOPで全部見つけられそうだ。「愛され」メイクもあったね。

 広告で頻繁に用いられるということは、ありきたりでもキャッチーで、強いインパクトがある証拠だ。安っぽさは特売イメージからか、それとも世に溢れているからか。


 一旦「評価語」という適当ワードについて注釈を入れる。正式な用語ではない、はず。


 まず形容詞には属性形容詞と感情形容詞の二種類がある。属性形容詞は色や形状、温度など(赤い・丸い・熱い・暑い)、感情形容詞はそのままの意味(嬉しい・楽しい・悲しい)だ。その中間にあるもの(美しい・強い)を、評価形容詞として二種から分離する説がある。諸説をそれぞれ解説すると、接続する助動詞がどうの、認識動詞がどうの、という話になるので割愛する。


 とりあえず私の言う「評価語」は、形容詞・形容動詞・動詞・名詞まで含めた「対象を評価する言葉」として読んでくれれば問題ない。「最強の」なら「形状詞+だ・です」からの形容動詞連体形、「無双する」なら、「名詞+する」でサ変動詞終止形だ。


 クソ長タイトル族と違い、タイトルに占める評価語の比率が極めて高い。ベースの文字数が少ないからね。これがどんな悪影響をもたらしているのか考察していこう。メリットはクソ長タイトル族と大差無いから、今回はマイナス査定だけになりそうだ。



■やっぱり意外性が失われていく■


 クソ長タイトル族と比較すると非常に判りやすくなる。「最強の」「無敵の」主人公なりスキルなりが、「なんやかんやする」と、まぁそんなことをタイトルで定義しているわけですよ。ふわっとしている。つまり適用範囲が広い。「最強」なら勝っても逃げても助けても圧倒しても、全部『最強』の範囲内だ。読み手の予測を「外す」ことがほぼ不可能になる。もちろん例外もある、はずだ。咄嗟に思いつかないので、作例を提示する。


 『焼きたて!!ジャぱん』を『焼きたて無双!!』とか、『焼きたて!!最強のジャぱん』に変えてみよう。

 うん、これなら改変前と大差ない。読解の方向性を変質させずに済みそうだ。「最強の小公女セーラ」や「小公女セーラの無双」と違って。

 恐らくは「焼きたて」「ぱん」と「無双」「最強」の相性が悪いお蔭で成立している。……それにしても「あの」ラストシーン、本当にどうしてそうなった。迷走って、怖いね。


 話を戻そう。クソ長タイトルはガイドレール上を走らせる。物語の行き先自体が絞られるせいで意外性が失われる。

 一方、強い評価語は読み手の関心を物語から引き剥がす。「最強のなにか」「無敵のなにか」が、どのように運用されるのか。そこへ関心が移る。「無双する」「支配する」「圧倒する」「勝利する」こと自体が目的になり、ストーリーではなく性能試験の様相を呈す。

 「溺愛される」も同じことだ。「なんやかんやあって」「溺愛される」。予定されてしまった時点で「どんな過程で」「どんな風に」という要素は、経由地と風味(フレーバー)へとランクダウンする。


 「何をやっても意外性がない」というのはこういう意味だ。物語のパターン化どうこうではない。タイトルによって読み手の「脳」がどのように待機し、どういった方向性で読むかという認知の話である。



■観測される「前」の定義による副作用■


 最強・無双・無敵・溺愛される・絶対――おばちゃんは「強そうだね」「凄そうだね」と感じたことがない。すん……と引いた状態になる。これは冷笑的に眺めているわけでもなければ、最初から馬鹿にしているわけでもない。


 安っぽさを感じる理由とはまた異なるタイプの軽さを感じる。言葉に重量感がない。漫画雑誌のアオリに感じるものと恐らく同種だ。こういう類の「印象」を、根拠を通さずに垂れ流すほど、おばちゃんは恥知らずではないので、「なぜそう感じるのか」を詰めていくことにする。


 内容を読まずにそう感じるのだから、原因はタイトルにあるはずだ。


 例として選んだ「最強」「無双」「無敵」「溺愛される」には共通点がある。頻出語だからピックアップしたわけではない。これらは全て、単独だと意味が閉じない。他者との比較・関係性が必須だ。ぼっちでは成立しない。

 意外かもしれないが、言葉を完全に成立させるための重心は外部にある。評価語・比較属性という感じだ。


 広告媒体では、「最強」「最高」といった評価語には、比較対象や条件が必ず付帯する。画面のどこかに小さな文字でそっと添えられている。根拠のない最優表示は景表法上問題になるからだ。結果、優越性を訴求する言葉として、正しく運用されている。

 「安っぽさ」と「意味論的に正しく機能していること」は両立する。二つの評価軸を同一のものとして扱う人間がいる可能性があるため、一応、念押ししておく。Claudeちゃんが誤読可能性を指摘した部分だ。


 さておき、物語のタイトルに置かれたこれらの評価語。

 誰が何と比較し、観測し、定義(評価)したのかがあやふやだ。


 比較するための対立者や観測者、あるいは愛情の提供者が作品内には存在しても、読む「前」では知る由もない。読者はその描写を「まだ観測していない」。比較・観測をすっ飛ばして、いきなり宣言された形になる。宣言したのは誰か。タイトルをつけた筆者しかいない。


 他者との関係性が必須のワードを、観測者不在の段階で定義してしまうと何が起こるのか。

 筆者が「自分の生み出したキャラクター」や「スキル」を「最強」・「無双」・「無敵」と定義したことになる。即ち、他者からの評価ではなく、自分で自分を評価した構図になる。「自称してる感」が発生する。自画自賛的に見えると言えば判りやすいか。「俺のバーサーカーは最強なんだ!」みたいな。


 ……あっ、この手の自称を、真面目で深刻な雰囲気でやられるときっついな……。


 見つけた、これだ。

 おばちゃんの感じた言葉の軽さと、そこはかとない居た堪れなさはここで発生していた。装丁担当の方には大変申し訳ないが、フォントも痛いなー、って思ってた。昔の富士見ファンタジア文庫みたいに、シンプルなゴシック体だったらもうちょいマシなのでは、とも思ってた。そりゃそうだ。「あの時の雁夜おじさん」が脳裏に浮かんでしまっているところへ、凝ったフォントまで乗れば、追い打ちにしかならない。


 「BASTARD!!」ではダーク・シュナイダーがしょっちゅう「最強」「無敵」を自称しているが、あくまでもギャグトーンなんだよね。彼の「最強」ぶりが、さんざん観測された後だから、読んでいても痛くない。自分で言っちゃうんだと笑っていられる。


 というか、タイトルにぺたりと強い評価語を貼って、しっかりとラベリングしているから、「自称」という表現は的外れでもないか。便宜上、ここでは「自称感」とふんわり置いておく。「自称」と「自称感」は別物だから。中で証明された後なら、きっと「自称感」も消えるのだろう。



■「自称」だとなぜ「痛さ」を感じるのか■


 即答します。中二病テイストを醸し出すからです。


 一般的に、「中二病」とは思春期における自意識過剰・自己愛満載の空想や価値観を自虐、あるいは揶揄する言葉だ。その性質上、自閉的な要素を多分に含む。なお、ASD(自閉スペクトラム症)とは無関係である。特徴は似ているらしいが。要するに、自分の中だけで完結しがちよねってこと。思想や思考において、排他的な状態と言い換えてもいい。内向性・肥大した自己像は、中二病患者に共通する傾向だろう。第二次反抗期と中二病発症時期が一致しているのは、単なる偶然ではあるまい。


 つまるところ、中二病と「自称」「自認」は、立脚する下地の認知構造がよく似ている。


 タイトルそのものが中二病的か否かではなく、「定義へと至る経路」が中二病コースと一致しているから、中二病の匂いが発生してしまう。

 さらに話をややこしくしているのが、例に選んだ四つの言葉が中二病頻出語でもあることだ。広告やアオリに使われるほど「簡単で」「ありきたりな」ワードなのに。



■中二病はなぜ「痛い」のか■


 自分の世界だけで完結しているにもかかわらず、中二病患者は他者との比較語を好む。他者からの評価より自己定義を優先しているのに、他者の存在が必要な言葉を何故愛用するのか。言葉の構造まで意識していないのだろうが、言行不一致にも程がある。

 他者から認められたい。しかし望む評価は与えられない。恐らくだがその矛盾が、自分だけで評価を完結させる方向へと向かわせている。自己同一性アイデンティティを確立する過程において発症しがちなので、自尊心を充足させてくれない他者評価を総じて敵視するのではなかろうか。

 敵視とは比較ありきだ。焦点が「敵」にある。だからこそ評価語・比較属性を使いたがる。


 こういった姿は外部から観測すると、独善的な被害妄想や欺瞞的な視野狭窄にも映る。臨機応変ではなくご都合主義な価値観。ダブルスタンダード。――外部から見ると、かなり痛い。


 なお、中二病的発言を自覚的に楽しんでいるタイプは、上記にあまり該当しない。自分を客観視している時点で、自然と外部の価値観を参照しているからだ。自己同一性をそれなりに確立していないと出来ない遊びである。


 改めて文字に起こして考えてみると、中二病や「自称」「自認」から「痛さ」が発生する場合、根源に「自己評価」があるようだ。「自己肯定感」は大事だが、高すぎる「自己評価」は顰蹙を買う。

――そうだ、自己評価と言えば。


「私、自己評価が低くて……」


 これまた中二病患者ご愛用の台詞だ。思春期の女子に多く見られる。見てきたように書いてるが、実際見てきてます。そこそこ長く生きてるからね。

 「私ってさー」から始めて、謙遜っぽく語れるからだろうか。でもそれ、逆効果です。



■比較対象不在の罠■


 この言い回しは、実質的に自己評価と他者評価の両方を曖昧にしている。絶対評価、基準値不在。相対評価、母集団不明。無責任なまま、同意だけを相手に要求できる便利さだ。だから愛用されるんだろうけど。

 「自己評価が低い」と自分で定義することは、評価を他者ではなく自分で確定させるという点で、評価語ラベリングと同じ構造だ。しかも「低い」の比較対象が不在である。こういう欠落を人間の脳は補完したがるから、勝手に「低い」ものに対して「高い」ものを探してしまう。

 こうなると聞き手の脳内で「本当はもっと点数を付けられるんだけど、今日はこのくらいにしといてやるか」に近い響きすら帯びる。待て待て、自己評価が低いどころか、クッソ高いのでは? となる。


 謙遜ってね、「自分をしっかりと下げて」表現するものなんだよ。相手に否定させて、自分を上げるために発するものではない。本当に「自己評価が低くて悩んでる」なら、言葉を変えるべきだ。少なくともこの形では、相手に良い印象を与えない。


 仮に、「周りからの評価に比して自己評価が低い」のならば、「上司や同僚は、自分を高く評価しすぎていると感じる」と言えば事足りる。これで評価主体が外部にあると明確化されるから、「自称」ではなくなる。


 「自己評価が低い」というたった7文字ですら、相手には複数の意味で伝わり得る。自称とはそれほどに「評価主体」を曖昧にし、受け手の解釈を揺らしやすいものなのである。



 さて、評価語ラベリングタイトルだとどうなるか(やっと本題に帰ってきた)。

 基準が曖昧な「低い」ものに対して「高い」ものを探し始めるのだから、逆もまた然り。「高い」ものに対して「低い」ものを探し始める。正確には、評価基準を欲しがる。空白にされた比較対象を脳は埋めようとする。

 即座に中身を読む人間ならば、そこに対象を見つけられる(はずだ)からよいが、「タイトルのみ」に留まる場合は、どこかから相手を引っ張ってくる必要がある。


 脳は省エネ体質だ。届く範囲にあるものでちょちょいと埋め合わせる。本屋なら、隣や周囲の本。なろう系小説サイトなら、目に入る作品へのリンク群。それもなければ「他のもの全部(概念)」。無意識な処理で深掘りはされない。

 「低い」ものを探していたのでは? とお思いになるかもしれない。残念だが、脳はそこまで親切ではない。読まない物語に対して、タイトルの曖昧な定義をフォローする義理はない。なんとなく欠落を埋めたいだけだ。手近な「比較対象」がいればいい。丁度いい、対象不在の同類がそこにいるじゃないかとペアリングする。「最強」と「無敵」が近くに並んでいたら、自然とそれらを比較してしまう。空席は埋まるが、それぞれの主張は相容れない。

 なろう小説的タイトルを揶揄するコメントはネット上に多々あるが、「最強を張り合ってる」といったタイプの感想は、ここから来ているように思える。


 おばちゃんは「異世界」が並んでいても似たような感想を抱く。「三丁目の異世界と五丁目の異世界かな?」みたいな。「異なる」が評価語・比較属性だからだ。「この世界」という広くて曖昧なものよりも、すぐそこにある「別の異世界」を、脳は手軽な比較対象として選ぶ。

 優位性・特異性を主張していたはずの言葉たちは、今や完全にその属性を失っている。量産感が凄まじい。


 「最強」「無双」「無敵」の類をアマゾンで検索(書籍限定)すると、どえらい数がヒットする。

 ……量産「感」どころか、量産だった。

 何なら複数使っちゃってるものが多い。大半が「スキル」「レベル」までセットになってる。これでもかとラベルが貼られている。埋もれまいと必死だ。

 選ぶ側も大変だろうね。おばちゃんには見分けが付きません。倍盛りされてると重語感があるわねー、とちょっとだけ笑い、次の瞬間にはタイトルを綺麗さっぱり忘れていた。夫に話すネタにしようと思ったのに。つか、どれもこれも題が長いな?

 前回、クソ長タイトル族の文字数基準を明確にしていなかったが、とりあえず句読点が含まれたら全部そっちでいい気がしてきた。



■先端が尖っているからこそ、刺さる■


 残念なことにこれらの評価語は、範囲や対象を絞り込んだほうが、解像度が高い。観測精度が上がるほど冴える。長いタイトルの中に、何らかのデバフ・マイナス・限定要素を盛り込んであるものは、本能的にその性質を取り入れようとしているのだろう。成功しているかどうかは別として。タイトルが長くなるほど口上に近づき、ぼやけていくから。

 「溺愛される」もまた同様である。自分にとって大切な相手以外から溺愛されても、ただ迷惑なだけだろう。大抵はお相手の地位や属性が題に書いてある。だがそれを受動態で予定のように書かれてると、うーん……となるのは、私がおばちゃんだからだろうか。そこに愛はあるんか?



 総括するために2つの例を提示する。


 「最強の拳闘家が無双する」と「俺より強い奴に会いに行く」


 「俺のバーサーカーは最強なんだ!」と「カカロット、お前がナンバーワンだ」


 どちらの「強さ」に存在感があるか、比べてほしい。前者と答える人はほとんどいまい。


 1つ目の後者は、対象を絞り込みつつ広域化するという、非常にテクニカルな応用をしている。逆説的に、「会いに行かなきゃ、俺より強い奴がいない」ほどの強さを表現している。世界を旅するイメージを呼び起こす。ストリートファイターIIのキャッチコピーだ。


 2つ目の例は、どちらも有名なアニメの台詞から。前者は雁夜おじさんで、後者はベジータさんだ。自己(身内)評価と他者評価、観測時間の長短によって言葉の説得力はこれほどまでに異なる。


 どちらの例も、後者には比較対象がはっきりと提示されているから「強い」。1つ目も2つ目も「俺より強い」が内包されている。2つ目は発言者が相手の優位性を認めている。脳は「じゃあ発言者ベジータさんはナンバーツーかな、それとももうちょっと下かな」と基準点として判定できる。

 無責任に大風呂敷を広げるよりも、言葉を厳密に運用したほうが「刺さる」のだ。



 評価語は広告媒体に溢れている。

 しかし名作キャッチコピーとされるものに、比較語が含まれることは滅多に無いし、評価語そのものも厳選されたものが一つだけ。あれもこれもと盛ったりはしない。


 物語の題とは、顔であり、キャッチコピーでもある。

 ごてごてと厚化粧するのは個人の自由だ。でもわざわざ他人と同じ顔を作ってもなぁ……とおばちゃんは思うのだが、皆様はいかがだろうか。


 締めの文を考えるのが一番だるい。つらつら考えた後は投げっぱなしジャーマンしてしまいたい。

 では、ここまで読んでくださったあなたに感謝を。




参考資料

 ピクシブ百科事典より「小公女セーラ」ttps://dic.pixiv.net/a/小公女セーラ

 wikipediaより「焼きたて!!ジャぱん」ttps://ja.wikipedia.org/wiki/焼きたて!!ジャぱん

 ピクシブ百科事典より「間桐雁夜」ttps://dic.pixiv.net/a/間桐雁夜

 wikipediaより「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」ttps://ja.wikipedia.org/wiki/BASTARD!! -暗黒の破壊神-

 ピクシブ百科事典より「俺より強い奴に会いに行く」ttps://dic.pixiv.net/a/俺より強い奴に会いに行く

 ピクシブ百科事典より「おまえがナンバー1だ!!」ttps://dic.pixiv.net/a/おまえがナンバー1だ!!

 株式会社フレイバーズ コラム「残念なキャッチコピーと名作の例、決定的な7つの差」ttps://www.flavours.ac/blog/web-production-tips/web-marketing/copywriting/catchcopy-7points.html


協力

 ChatGPT


最終文法チェック

 Claude

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ