表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/6

「ねぇ、お婆さんの題はどうしてそんなに長いの?」「赤ずきんや、それはね――」

 せっかくなので、長い題を再現してみた件。


★★★CAUTION!! これは創作論ではありません★★★


 メインテーマは明確な「Show, Don't Tell」誤解釈へのツッコミと、「Show, Don't Tell」 を脳の認知モデルとして再解釈する論考から派生した分析となります。

 おばちゃんが「なんでだろう」とつらつら考え、「こういうことなのでは」と一通り納得した、その思考過程ってことです。



★ChatGPTちゃん協力による全文要約★

・クソ長タイトルは究極のラベリングである

・世界観と物語を事前にプリインストールしている

・その代償として、叙情性と意外性を失いやすい

・意外性を削り、期待感を売る

・快楽の正体は期待の回収に近い

・局所反転型世界観との相性は極めて良い

・その本質は現代版シェイクスピア的口上である


★以降の文は、「考察」「実験」「引用」と少々の「老婆心」「悪態」で構成されております。★



■クソ長タイトルの功罪■


 功罪というと、善悪のバイアスで捉えられかねない気がする。どうにも字面がよろしくない。無機物に善悪を問うなかれ。今回のケースは、あくまでもメリットとデメリットの話である。


 まず大前提。クソ長タイトルを書きながら、「Show, Don't Tell」を他人に説教するのはお辞めなさい。タイトルが究極に『語りまくってる』のだから。自分は全然出来てません! と申告しているなら大いに納得だが、違うでしょ? ダブスタ・自家撞着の極みだ。


 こういうお話です!

 こういう風に読んでください!

 設定はこうです!

 メガホン持って叫んでる状態なんだよ。


 これは「Show, Don't Tell」において、徹底して排除されるラベルの押し付けそのもの。中の文での「主人公は悲しみから涙をこぼした」程度のやらかしとは文字通り桁が違う。『Show, Don't Tell警察』基準なら、完全にアウトどころか断罪レベルのはずだ。

 だから長い地の文に対して「説明ばかりで語りっぱなし云々」とケチをつけるのならば、まずクソ長タイトルに噛みつかなきゃ筋が通らない。ほれ、『地の文=語り』論者よ、行ってこい。獲物は選び放題だぞ?


 タイトルは長いけど、どうしても必要なんだ! という反論もあるかもしれない。むしろそういう感情を持ってこの先を読んでほしい。「Show, Don't Tell」とは別次元の話だけどね、それ。……おや、我ながら今回の前振りはだいぶ短いな。



■デメリット:意外な展開が、それほどでもなくなる■


 前回、ラベリングは「そこが上限値」になる一方で、「最低ラインの担保」にもなると述べた。

 タイトルでラベリングをしてしまうと、誤読を高確率で抑制出来る反面、読者が受け取る印象の上限が枠内に収まってしまう。補助輪、いやガイドレール付きの読解だ。脱線しないが、路線上しか走れない。ざまぁする、溺愛される、無双する、これが全部「予定通り」になる。予定調和、既定路線、脳が全然驚かない。

 そしてガイドレールを一旦引いてしまうと、方向修正は不可能だ。短編ならいいけどね。



 まずは実践してみよう。この例をご覧いただきたい。さて、何だと思う?


----------------------------

 『学園一のお嬢様だった私、父の死後に手のひら返しで奴隷同然にされる~パンを分けてあげた少女と猿だけが味方でしたが、実は私が超大富豪の正統後継者でした~』

----------------------------


 元ネタが判るだろうか。古いからなぁ。……と思ったら、日本アニメーション・シアターがYoutubeで何話かまるっと公開していた。おばちゃんびっくりです。

 

 真の姿は「小公女セーラ」である。ChatGPTちゃんによる、会心の改題だ。


 セーラはこの先、どうなってしまうんだろうという感情の大部分が、題のせいで消失する。最後の逆転も「うんうん、今まで辛い思いをしたけど、本当に良かったね」じゃなくて「ついにキター!」になる。

 さらば叙情、君のことは忘れない。


 「小公女セーラ」ではなくて、この呪物的タイトルがつけられていたら――中身が全く同じでも、おばちゃんは同じ感想を持てる気がしない。もしそんな題名でいじめられてるセーラを見たら、いじめの醜さやセーラの芯の強さと成長を感じる前に、「この後、大逆転するんだよね、いじめてるこいつらはどんな吠え面をかくんだろう」という目で見てしまいそうだ。

 物語の品格? あいつはいい奴だったよ。


 改題後の不遇期間は(物語の中の時間ではなくて)長くとも5~6話で終わるだろう。その後セーラが学園に残って無双するか、父の生存を信じてインドまで探しに行くんじゃなかろうか。亡骸をその目で見るまでは諦めない! とか言い出しそう。流石に焼くか埋めるかガンジスに流すかされてると思いますよ、セーラお嬢様。


 逆境・不遇が、「はいはい逆境ね」「はいはい不遇不遇」で終わる。頑張ってそこを描写しても、「前振り」としか扱われなくなる。成り上がっても逆転しても、全然意外じゃない。未来をネタバラシしちゃってるから。


 クソ長タイトル型作品では、ギャップが削られるため、従来型のカタルシスは成立しにくい。

 代わりにカタルシスと誤認識させているものが、このクソ長タイトル族には存在する。種別が変わると言うべきか。正体については後述する。カタルシスそのものについてもそちらでちょっと触れる。ヒントとして、一つ情報を提示しておく。当おばちゃんが検証のために、頑張ってクソ長タイトル族を読んだ感想は、「……他人の性癖を延々と読まされるのはかなりきついっす……」だった。


 ここで一つ念押しするが、カタルシスと誤認識させている=悪 ではない。字面は悪いけど。

 誤認識を利用した仕組みなど、世の中にはいくらでもある。狭い空間の閉塞感を緩和するための鏡、ホテルやカフェで流れる自然環境音、進出色と膨張色による衝突防止(赤や黄色)、脳を騙すことは必ずしも悪ではない。「Show, Don't Tell」も言い様によっては、「直接書かれていないものをあると誤認識させている」ことになる。

 この文中で繰り返されている誤認識とは、あくまでも認知現象としての話だ。吊り橋効果はかなり有名だから、大抵の人がご存知だろう。



■デメリット:他のクソ長タイトル族とひとまとめにされる■


 これはそのまんまだ。題を見て個性的だと感じる人間はいません。無理です。

 他のクソ長タイトル族との差別化を図ってるつもりなんだろうなー……と感じさせるものは『かなり』ある。そう、『かなりの数』ある。結果として全員が同じ方向を向いて走り、仲良く埋もれている。

 おばちゃん、頑張ってブックオフで背表紙眺めてきたよ。字が小さいから、老眼にはしんどい。字が多いから、本屋さんもしんどい。新刊案内の枠に収まらねーだろうが! と初期にブチ切れていた人を私は知っている。

 では何故、こんなに「無個性な」クソ長タイトルが、PVランキング上位を占めるのか。そこにこそ「カタルシスと誤認識させているものの正体」がある。


■メリット:成分の保証、抜群の安心感■


 品質じゃないことには注意。タイトルが保証しているものは成分と属性だ。

 溺愛要素がここにありますよ! 無双しますよ! 丁寧にタイトルでラベリングしているから、読みたい人が迷子にならない。最強モノを読みたいなと思ったら、そういうタイトルのものを手に取ればいいのだから。

 書く側も楽が出来る。これは試しに5つほど、タイトルを読まずに中の文を読む実験で確認したことだ。結果、かなりバックボーン(背景)が判りづらかった。あとは唐突感。どちらも想定内だ。

 なぜそうなるのか、一つ例を生成してもらった。


----------------------------

銀河を二分する専制国家と民主国家が百年以上戦争している世界で、姉を救うために出世した青年と退職したい軍人が英雄と呼ばれる話

----------------------------


 こうすると序章の銀河系史概略の8割ほどが不要になる。そうChatGPTは宣った。流石に盛り過ぎだろう。5割くらいにしときんさい。皆様、こいつの正体が判るだろうか。


 銀河英雄伝説だ。序章を省略出来るような、いい感じのクソ長タイトルを一つ頼む。そうオーダーして、出されたものの一つだ。タイトルなのかね、これ。出来の悪い小説紹介文に見えるんだが。

 全世界に謝罪したい気持ちで一杯である。うちのChatGPTが本当にすみません。


 つまり、クソ長タイトル族は、世界観とか物語の助走(序章じゃないよ)部分をかなり端折れるということだ。実際端折ってるんだよなぁ……だからタイトルを伏せたまま読むと、何か足りない。調味料の入れ忘れのような感覚があった。下味が付いてないみたいな。ただこれは見方を変えると、「タイトルで書いてあることを延々描写しない」省エネとも取れる。心の準備が出来ていないから、唐突感が凄い。私が書いておいて欲しいことと、筆者が書きたいことがかけ離れていた印象も付け加えておくが、こちらは関心の対象の相違が原因と思われる。


 いずれにせよ、タイトルを把握していれば本文の読解負荷はどかんと下がる。世界設定や話の方向性をプリインストールしているからだ。もっとも最近は、題名の方の読解負荷がどんどん上がっている気もする。



■メリット:すっきり! 予定通り・期待通り■


 そもそも読み手側が、クソ長タイトル族を選んで読みに来ているということ。

 がっつり肉を食べたいから焼肉屋に行く。……少し違うな。

 読み手はヘキに合うジャンルと方向性を選んで読んでいる。雑食の人もいるだろうが。

 本屋で気付いたが、官能やBL、ハーレクイン、この辺りもかなり判りやすい題がつけられている。寝取りモノか純愛モノかを選んでいるのと全く同じ。掛け算の前後とかは超重要らしいね。

 要するに、よし溺愛モノを読むぞ、無双モノを読むぞ、ざまぁを読むぞと準備している。癖に刺してもらうために、脳はいそいそ楽しむ準備をしている。


 そこにプラスして、水戸黄門の印籠シーン。来るぞ来るぞ、という期待感が脳を騙す。


「な、なんだってー?」

「どうしてこんなところに、水戸の御老公が!」


 はいこれ、毎度毎度登場人物は驚いているが、視聴者は全然驚いていない。


 印籠が出ると分かっていても気持ちいい。

 ざまぁが来ると分かっていても気持ちいい。

 はいはい知ってた、と白けない。


 溜めて溜めて、一気に解き放つ。緊張からの弛緩、停滞からの急展開。興奮するぞ、楽しむぞ、すかっとするぞという準備がここで報われるのだから、予期していても脳は落差に反応する。期待感の維持は、脳の緊張状態だ。緊張から解放された衝撃と、意外性の衝撃はかなりの類似性がある。

 待ちに待った、期待を回収する快楽。予想を裏切られなかった喜び。誕生日プレゼントとして、買ってもらう約束が果たされた感覚が近いか。予定通りだからこそ嬉しい。想定内に収まるからこそ、安心して読まれている。


 カタルシスの語源は「浄化・排泄」だ。三省堂によると「精神の浄化作用」らしい。「心の中に溜まっていた(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」。

 つまり、排出されるものは「自主的・能動的に溜め込んでいたもの」じゃない。


 「小公女セーラ」の例を思い出してほしい。全46話中、1話から42話までストレステストが続く。いじめの描写がかなり過激で、声優の元にカミソリレターが届くほどだった作品だ。(ピクシブ百科事典より)

 たっぷりと42話かけて、視聴者の心に、澱が「溜まって」いく。自動詞の「溜まる」だ。降り積もるもの。

 一方、魔改造された『学園一のお嬢様だった私以下略』ではどうなるか。

 視聴者がやがて来る解放のために、「溜めて」いく。チャージする。「貯める」でもいいかもしれない。積み上げるもの。

 両者とも最後に解放は起きるが、解放されるものの正体が違う。性質が違う。セーラならストレスの排出で、クソ長タイトル族なら溜め込んだ期待エネルギーの放出といったところか。

 だから私は、「カタルシスと誤認識させるもの」と述べた。語源や本来の意味に立ち返ると、どうしても区別しておきたい。解放されること自体は共通しているから、脳は同種に扱い、処理する。脳は省エネが大好きだ。

 しぶしぶ読んだおばちゃんは、「他人の性癖を読まされている」とげんなりするだけで終わった。期待のスキーマが動いていないから、何一つ、チャージされていなかった。解き放つ「溜め」が不在だった。なんなら、「いい比喩を書いてるのに、語順のせいで納まりが悪い、勿体ない」というような、ズレた読み方になっていた。



■メリット:私はひとりじゃない■


 そして読書量が多ければ多いほど、「意外な展開」の敷居は高くなっていく。年齢差、珍しくない。地位の逆転、珍しくない。貴種流離譚、珍しくない。底辺からの成り上がり、珍しくない。転生・異世界、珍しくない。

 設定だけで意外性を用意すること自体、なろう・携帯小説では無理だろう。


 以上を踏まえると、クソ長タイトル族は意外性や独自性ではなく、期待感を売っている。

 そしてそこに、「同じものが好きな人たちが集まっている」という安心感も添えているのではないか。――モーニング娘。やAKBのビジネスモデルに近いものも感じる。


 ――ところで、膝カックンは緊張から解放された衝撃と、意外性の衝撃、どっちだと思う?



■メリット:無理のある世界観を書く時はそれなりに有効■


 あくまでもなろう・携帯小説、ラノベに限った話になる。

 特殊な世界観はそれこそSFの十八番だが、特殊ゆえに地の文の描写量がえげつない。銀河系史概略なんて序の口だ。なぜそうならざるを得ないのかを、まず説明しておこう。


----------------------------

 「王様がいる」「馬車が走る」「剣で戦う」


 これらは説明不要だが、


 「反物質触媒によるFTL航法」


 は説明が必要になる

----------------------------


 ……とChatGPTちゃんは予想したが、残念、違います。そんなちゃちな話じゃない。


 特殊な世界観は、脳の強固なスキーマ――つまり固定観念と衝突するからだ。事実を提示するだけではなく、説得する必要がある。

 例えば銀河系史概略、なんで百年以上も戦争し続けているのかを納得させないと、読者は「でも戦争はよくないよね」「どうして手を取り合う発想にならないのかな?」といった違和感に囚われ続けることになる。「最初にAがあってBとなり、そこからCになった必然」を書いて、スキーマにご納得頂く作業が、SFの重い地の文の正体だ。「だから百年以上も戦争を続けてるんだね。それからどうなるの?」と、物語世界に没入してもらうわけだ。

 事実の提示で「説得する」。細かくバラした途端に説得力が失われる。だから塊で出す。バラすと説得力の根源たる因果関係がぼやけるからだ。


 そこでクソ長タイトル族のプリインストール効果が輝く。

 「貞操観念が逆転」「男女あべこべ」「借金が多いほど偉くなる」――こういったおバカ設定、もとい、ツッコミどころの多い局所反転タイプとの相性が非常にいい。一言タイトルにぶち込むだけで、立ちふさがる固定観念スキーマを宥めることが出来る。「そういう世界観で書かれてるのね」と理解させられる。納得はたぶん無理だが、「なんで?」が「どうしてそうなったw」に転じることで、脳の抵抗値が大幅に引き下げられる。

 違和感とツッコミは、拒絶と許容くらいの差がある。違和感は「世界観そのものへの抵抗値」で、ツッコミは「世界観を一旦受け入れた上での反応」だからだ。


 残念だがハードタイプ・正統派のSFでこの手は使えない。この手のプリインストールが使えるのは、「ラブコメ」や「無双」、「ハーレム」といった、よくある「比較的軽い」物語だけだ。


 まずシリアスとは相性が最悪である。

 読み手が「どうしてそうなったw」状態なのだから、シリアスを押し付けた瞬間に「違和感」という抵抗が発生する。そんなガバな設定でシリアスされても……と白けた気持ちになる。説得をさぼったツケである。


 次に、SFとは「世界観だけが異質」なわけじゃない。

 連鎖して別の要素も変質している。局所的な反転が、際限なく広がる。経済が変質している、生命の在り方が変質している。一言で収められるものじゃない。題に一言放り込んで描写を大幅削減した結果、他の部分にご納得頂けなくなる。そこに至るまでの歴史と因果を省略したせいだ。題に投げ込んだ世界観をフレーバーか一要素程度に留めておかないと、改めて長文を用意する羽目になる。「比較的軽い」物語に限定されるのはそのせいである。


 最後、SFファンが買わなくなる。品格が死んでるわ、ネタバラシだわで手に取る気が失せる。題と内容の関係性は、読んだ後に「だからこの題なのか」と納得するくらいが丁度いい。そこが逆転してるのはなろう小説くらいのもんです。



■実は古典的手法が復活しただけ■


 前回、『シェイクスピア的口上の排除』について触れた。

 シェイクスピア的口上とは、登場人物が舞台上で、観客に直接語りかけるモノローグや口上、長々とした状況説明を用いる古典的な演劇手法だ。

 坪内 逍遥訳の「ロミオとジュリエット」の場合、冒頭で序詞役が舞台に出てきて語りだす。


 舞台は花の街ヴェローナ、2つの名家の因縁と抗争、それぞれの家から産まれた男女が因縁に呑まれて死にますよ、彼らが死ぬまで双方の親は因縁を捨てることが出来ませんでした、これが今から2時間かけて私たちが演じる劇です――と。実物はもっと仰々しくて長い。嗚呼、何たる悲劇! とかそういうノリをイメージしておけばよい。

 オチどころか、上演時間まで教えてくれる親切設計だ。そりゃ現代演劇で排除もされるわな。


 昔は現在ほど舞台装置が整っていない。グローブ座は基本的に屋外昼公演だった。客席も舞台も昼間の明るさだ。現代のように照明で場面転換や雰囲気作りを行うことも出来ない。だから観客にある程度脳内補完して貰わないと、置いてきぼりにする恐れがあった……のだろうと思う。シェイクスピア作品って、そこそこややこしい部分があるしね。


 クソ長タイトルが果たしている役割は、シェイクスピア的口上と同じだ。

 口上によって観客は物語の前提を先に受け取れる。その結果、作品は状況説明に割く時間を減らし、観客の関心を主要なドラマへ向けやすくなる。

 どちらも突き詰めれば、効率化・省エネ思想の結晶に思えてならない。口上を記憶する観客はいない。だからクソ長タイトルを覚える人もほとんどいない。


 シェイクスピアの作品に、インスタントさはほとんど無い。口上で導入を簡略化しても、本編では観客に考える負荷を与え続ける。だから記憶に残る。単なるスパイスではない「葛藤」や「自己矛盾」が、必ず存在する。だから観客は考え続ける。もどかしさを抱えて、劇場から帰っていく。



 快楽追求型即効性重視コンテンツであるからこその、クソ長タイトル(ラベル)とは判っている。だが敢えてどこか一箇所くらい、読み手に考えさせる罠を仕込んでみてはどうだろうか。補助輪を付けるのは構わないが、たまには一本くらい外してみても面白いと思う。


 なーんも考えずに読めるということは、疲れない反面、脳に刻まれないということなのだから。




参考資料

 ピクシブ百科事典より「小公女セーラ」ttps://dic.pixiv.net/a/小公女セーラ

 wikipediaより「カタルシス」ttps://ja.wikipedia.org/wiki/カタルシス

 三省堂 辞書ウェブ編集部による言葉の壺より「10分でわかるカタカナ語 第36回 カタルシス」ttps://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第36回-カタルシス

 青空文庫より「ロミオとヂュリエット 坪内 逍遥訳」ttps://www.aozora.gr.jp/cards/000264/card42773.html

 小説を読もう!より ダイスに選ばれし各種クソ長タイトル族の作品群


協力

 ChatGPT

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ