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『月が輝いている』と言ってはいけない




月が輝いていると言ってはいけない。割れたガラスの光の輝きを見せなさい

――アントン・チェーホフ


★★★CAUTION!! これは創作論ではありません★★★


メインテーマは明確な「Show, Don't Tell」誤解釈へのツッコミと、「Show, Don't Tell」 を脳の認知モデルとして再解釈する論考となります。


★ChatGPTちゃん協力による全文要約★

・「台詞に散らせ」:演劇理論の混入と混同

・「地の文を減らせ」:誤解釈

・「語るな」:作者による安易なラベリングを避けろ

・「示せ」:事実提示によって体験を再生させろ

・そのためには脳のスキーマを利用しろ

・チェーホフの言葉の本質は脳内再生技術である

・「Show, Don't Tell」とは解釈の放棄ではなく、事実提示による体験再生技術である


★以降の文は、「出典」「解説」「実例」と少々の「老婆心」「悪態」で構成されております。★



■蔓延する、間違いだらけの『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』(理論編)■


 『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』はウィトゲンシュタイン版とチェーホフ版が存在する。

 前者は「垂範率先」的な性質で、大雑把に言えば自ら実践して「示せ」というもの。今回は後者の創作論について触れる。

 ただ、チェーホフは「読者が目を閉じた時に情景が浮かぶようにしなければいけない」「割れたガラスの欠片の煌めきと、犬や狼が走る影で月明かりの夜を想起させられるだろう」と手紙の中で述べただけで、『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』とは言ってないんだけどね。なんならヘミングウェイも言ってない。流れを追うと、どうやらアメリカの劇作家・脚本家マーク・スワンがこの形で明文化したようだ。


 なろう系あるいは文筆系サイトには、意図的な曲解なのか、はたまた凄まじい誤読の結果として本気で信じているのかは不明だが、大間違いの『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』解釈が溢れている。それらは「裏を取らずに語る不誠実さ」を自分で証明し、公開しているに等しいわけだが、大丈夫なんだろうかとおばちゃんは心配している。

 ネットで公開している以上、ネットで情報収集が出来る環境下にあるということだ。つまり、知りませんでした、調べられませんでしたと言い訳は出来ない。これはおばちゃんたる私自身にも言えることだ。


 さて、そのせいかどうかはこちらも不明だが、『独り言で延々と自分の状況を解説する主人公』や、『100%説明に終止する会話・なぜなに劇場』にみられる台詞至上主義が横行している。どうしてそんなことになっちゃったんだ。光景としてどれほど異常か、想像できんかったんかいな。演出でどうとでもアレンジできることは、アニメ化された作品群が証明している。


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 大前提として、創作における『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』と、携帯小説・なろう小説・ラノベは非常に相性が悪い。読解負荷が高く、文章量が一気に増え、スピード感が落ちる。手軽さとは真逆だ。だから『なろう的・台詞至上主義』の正当化に用いようとすること自体が、致命的な過ちである。

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■「台詞に散らせ」は「台詞にするな」から始まる■


 「台詞に散らせ、描写を分散させろ」は、『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』から出てきたものではない。混ぜるな危険。合体事故の結果、意味不明な地の文排除ベクトルが産まれているように思われる。


 この言葉はブロードウェイをはじめとしたドラマや舞台――Exposition(設定説明)の分散として、映像界隈で口酸っぱく繰り返される内容だから、恐らくはそこからの流入だろう。ハリウッドではそういう教育が明確に存在する。あるいは近代演劇による「シェイクスピア的な口上排除」の方かもしれない。内容はほぼ同じだ。

 出典の本質は、『全部が全部、台詞で説明させんじゃねぇ』である。過去の経緯などを口上ではなく、小道具や仕草、やり取りの中での匂わせ、そういった各種の演出で補うことを推奨している。いずれにせよ、視覚情報がある前提での話となる。そしてこれらを小説に当てはめると、地の文での「事実の提示」に該当する。つまるところ、「台詞に散らせ」は「パペット人形を排除せよ」なのだ。

 AIちゃんの言うところによると、文章媒体に対しても一応あるらしい。が、明確な出典を見つけられなかった。あると仮定して話を進める。

 言葉通り解釈した場合、「台詞に散らせ、描写を分散させろ」は、対象となる文の性質次第では的外れな指摘となる。アーサー・クラークの作品、あるいは銀英伝の序章「銀河系史概略」でそれをやってみろ、という話だ。アーサー・クラークの方はアマゾンでサンプルを読めるよ。あんなもんを台詞に散らしたり、分散など出来ない。少なくとも私には無理だ。なにより、世界の住人は常識を語らない。

 あなたは日常会話で、明治維新以降の日本国政府の変遷について語りますか? 語らんでしょ。ならばと分散して描写した瞬間、変遷の連続性が消失し、理解難易度は跳ね上がる。悪手でしか無い。



■そもそも『語るな』って言ってますやん■


 この『語るな』には『筆者が喋るな』『キャラクターを筆者のパペットにするな』という内容が当然含まれている。不自然な台詞を状況解説のために喋らせるなど、『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』以前の問題だ。言い出しっぺのアントン・チェーホフと、広めたアーネスト・ヘミングウェイもびっくりの解釈だろう。

 例えば一人で掃除している時に、「うわぁ、すごい埃だ。いつから掃除してないんだろう」なんてわざわざ言わんでしょ。現実的に考えれば、むしろ口を不用意に開かないんじゃなかろうかね。



■根強い地の文アンチ? それともアレルギー?■


 地の文に対し、『語るな』『説明するな』と安直に解釈・糾弾しているケース。大抵は『ラベリング』と『解説』と『書き手の声』と『事実の提示』をごっちゃにしている。分類しておくべきはこれくらいだろう。そこを切り分けないと、SFの名作や青空文庫の古典は全部、『語る』まみれの文に該当してしまう。『語るな、示せ(Show, Don't Tell)』を語っているのに、チェーホフもヘミングウェイも読んでないとか、まさかないよね? ないと言ってほしい。


 ちなみに私は、どちらの作品もそれほど好みではない。だが好みと評価はきちんと分離している。それが出来ないならば他者の文に意見すべきではないし、添削など以ての外だ。

 添削や講評をする側は、絶対に誤読や読み飛ばしをしてはならない。曖昧な言葉で濁してもいけない。構造・要素の読み落としなど万死に値する。対価をもらうならば尚の事――AIどころかインターネットもない時代、大学生だった私は、その覚悟を持って大辞林片手に受験生の小論文を添削し、講評を添えていた。

 文章に相対する時、好悪はノイズにしかならないから、真っ先に切り捨てる要素であった。


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 つまり、なろう的小説スタイルに対する好悪で論じているわけではないよってことです。

 ――意味を捻じ曲げてまで権威に縋るな――

 文には役割があり、ニーズに応じた最適な形が存在する。面白いなら胸を張って貫けばいいじゃない。

 手軽な爽快感や達成感、万能感を目的とした文章に対し、盲目的に「Show, don't tell」の徹底を押し付ける側にも問題がある。それは文の性質や目的を把握出来ていない不見識にほかならない。

 ――どうでもいいけど、ダイヤルアップ接続ってご存知?

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 地の文の分類については、別の記事に回すが、少なくとも『地の文=語る』ではないことをあらためて明記しておく。地の文アレルギーは知らん。理解の範疇外だ。ちなみに児童文学のハリー・ポッターは、控えめに見ても半分以上が地の文だよ。


「Show, don't tell」の生みの親とされるアントン・チェーホフから、この概念を広めたアーネスト・ヘミングウェイに至るまで、彼らが否定した『語るな』は「作者による安易な感情の要約」や「説明的な形容詞の乱用」であって、「情報の提示そのもの」ではない。むしろ彼らは、地の文における「冷徹なまでの事実の提示」による『示す』を重視していた。

 なお、ヘミングウェイの「描写は氷山の一角に留め、水面下の八分の七を想像させるべき(出典:「午後の死」第16章)」は「Show, don't tell」と一旦切り分けた方がいい。もっと広義になる。混ぜるな危険。だがそこでも最初に徹底して省かれるものは『意味付け』であって『事実』ではない。氷山の一角的描写についての詳細は後に回すが、言語的・文法的省略とは完全に別物なので、くれぐれもごっちゃにしないでもらいたい。


 さて毎回毎回「示し」ていては非常に時間がかかる。文章量が凄まじいことになる。「ちょっといらっとした」「ちくっとした痛み」程度のことに、詳細な描写を並べる必要はないと私は考える。脳内の再生速度や再生時間に釣り合わず、むしろ解像度が下がるからだ。リアリティのための描写が、これでは本末転倒である。

 だから私はジェームズ・スコット・ベル、オーソン・スコット・カードの主張「常に『示す』と、際立たせるべき部分が目立たなくなり、読者が疲労する」「劇的な場面にのみ使用されるべき」を強く支持する。「Show, don't tell」そのものの解釈に変化はない。要は全文通して『示す』とだるいし、せっかくの効果が下がるよね、メリハリつける方がよかんべさってことだ。

 『示す』はカメラが対象をズームアップした状態、『語る』は引いた遠景状態と捉えるとよいだろう。

 なろう・携帯小説が簡易描写の正当化材料として持ち出すべきは、こっちだと思う。



■駄目な『語る』と省エネの『語る』■


 少々横道に逸れたが、駄目な『語る』例を提示する。


✕駄目な例:Aならやってのけると思わせる雰囲気がある。


 この場面は、Aの迫力や存在感を読み手にずっしりと伝えたいはずだ。なのに「はい、こういう属性だとラベルを貼ってね」「すごい人だと思ってね」とシールを差し出してしまっている。


✕駄目な例:気づくと勝手に涙がこぼれていた。悲しみの涙ではない、喜びの涙だった。


 主人公の涙は悲しみじゃないですよ、喜びの涙として解釈してくださいね、という描写。これぞ『語る』の極地とも言える。心にまるで響かない。きゅきゅっとペンで「喜びの涙」と書き加えたかのような軽薄さがある。自分の涙を解説しながら泣いている。私が用意しておいてなんだが、この例文は涙を連呼しすぎ。この程度の文章量で冗長感が半端ない。



 次に、OKな『語る』例を提示する。何のための『語るな、示せ』かを明確にするために、駄目な例と類似性を持たせている。


◯OKな例:門を出て振り返ると、王城がいつものように白く陽を照り返し、威厳を放っていた。


 駄目な例とどう違うのか。評価(威厳を放つ)を断定している点では変わらないんじゃないかと感じられるかもしれない。しかし絶対的な差異がある。「門を出て振り返ると」とある。つまり主観となる人物が明確に存在する。さらにこの文にあるのは「毎度おなじみの威厳」感。読み手に委ねる必要がない。主人公がこう感じた、という事実(fact)というよりは習慣的反応だ。読み手を同調させたいものでもない。また「いつものように」とあるので、威厳を感じさせる描写が過去に存在する可能性が極めて高い。王城が登場するたびに『示す』を実行していては重く、しつこい。もうええっちゅーねん、となる。そして焦点を合わせてズームアップすべき対象は王城ではなく、これからどこかへ向かうであろう、主人公だ。こんなところで「威厳を放つ城」を丁寧に『示し』ていては、没入感が失われる。

 追記:これだ! という例を思いついたので追記する。

 アニメや特撮の発進・合体シークエンスや変身シーン、あれも一種の『示す』演出と言える。でも毎回フルバージョンだとだるいでしょ? ショートバージョンや秒で終わらせるパターンとこの例は同じだ。



◯OKな例:その男は悲しげに涙を流した。


 その男がどう見えたかという事実なのでOK。「その男」と距離感が余所余所しいのに、唐突に内面まで踏み込んでは、情報の非対称性から考えてもおかしなことになる。あくまでも主観者が持っている情報の範疇で処理しなければならない。



■そもそも『語るな、示せ』の目的とは■


 『語るな、示せ』の対象は、基本的に物語である。教科書やビジネス書には導入されない。解釈がぶれたら困る文に使う手法ではないからだ。


 「Show, Don't Tell」を解りやすく噛み砕くと「世界を決めつけるな、想像させろ」。読み手に委ねることで、リアルな経験を脳に再生する。だがそこには「読み手の脳内に、作者と同じ素材が揃っている」という絶対的な前提がある。物語を読むとは即ち、脳に蓄えられた情報をピックアップして再生する作業だ。


 「示せ」が成立するのは、読者が描写のトリガーから必要な情報を呼び出せる場合のみ。

 検索エンジン(描写)を回しても、サーバー(読者の脳内)に該当するデータ(未知の概念)がなければ、結果は404 Not Foundになってしまう。

 衒学的表現が忌避される理由はここにある。登場人物ではなく、書き手が読み手を煙に巻いてはいけない。例としては「彼女はエンシェント仕様のスティグマベータをオプティマイズトーラスにくぐらせた」とか。なんじゃそら、である。「彼女はエンヤコラ仕様のスットコをオッペケにくぐらせた」と同レベルで脳内再生不能だ。でも彼女が「スティグマベータをオプティマイズトーラスで調整しておくわ」と、会話相手を煙に巻く描写なら想像できるでしょ?

 代替不可なワードの場合は、前後からなんとなく類推可能にしておくか、必要に応じて解説を入れると没入感を妨げずに済むだろう。知識を共有する者同士は、その詳細を語らないし、世界の住人は常識を語らない。


 いささか衒学的になるかもしれないが、認知心理学で言うところの「既存の知識構造スキーマ」の不在状態である。読書において非常に重要な要素なので、導入させていただく。

 心理学におけるスキーマとは、過去の経験や知識に基づいて形成された、情報を理解・解釈するための「認知的な枠組み」や「心のパターン」を指す。効率的な情報処理を可能にする反面、偏見や固定観念の原因にもなる。個人的・歴史的な成功体験や失敗体験、幼少期から刷り込まれた社会通念、コンプレックスの類は強固なスキーマになりやすい。思い込みもまた強固なスキーマで、便利な場合と厄介な場合がある。


 例えば「夕陽」と書かれたら赤やオレンジの空を容易く想像できる。

 「いちごジャム」に変えてみよう。甘さと、透明感のある濃い赤、香りが呼び起こされたはずだ。

 では「三酸化窒素みたい」と表現されたら?

 大抵の人は思考が止まる。Now loadingでくるくるしてるあの感じだ。


 つまり、端から無いものはキーワードで呼び出せない。無い袖は振れない。既存スキーマが存在しない対象ほど、具体的な事実提示が要求される。



 では読書においてスキーマがどのような役割を果たすのか。

 説明するために、平均的な「泣く」表現を、年齢・経験・ジャンルに分けて例示する。(比較のために、全て主観的描写とする)


◆絵本


 ぼくはかなしくてないた。/ かなしくてなみだをながした。


 幼児の脳内にはまだ複雑な感情のグラデーションが無い。「悲しい=泣く」「悲しい=涙」という一対一の辞書的なスキーマを構築している段階だ。ここでは「示せ」と言われても、材料がないので「語る」しかない。最も記号的で、最も伝達ロスが少ない表現を選んでいる。

 年少者向き読本以外でこのクラスの感情描写をしていたら、かなりヤバい文筆力である。もちろん、悪い意味で。主観で絶対やっちゃいかんやつ。あえてペラペラに描きたい場合や、特別な意図を持つ描写である場合(退行等)は、その限りではない。過去回想等で「その日、ぼくはかなしくて泣いた」と主観から切り離して客観化する場合はセーフである。今の僕が過去の僕を語っているからだ。実況か否か、それが分岐点だ。


◆ラノベ~児童文学


 視界が急ににじんで、熱いしずくが頬を伝った。


 身体的な実感を伴うスキーマが形成された段階だ。「悲しい」という言葉を使わなくても、「頬を伝う熱さ・感触」を描写することで、読者の脳内の「泣いた時の感覚」を呼び出し、間接的に感情を想起させることができる。一応、「語るな、示せ」の第一歩である。この部分だけだと、嬉し泣きと催涙ガスの可能性も捨てきれないが。

 ラノベの「サクサク読める」感覚は、描写密度をこのクラス以下に抑えている部分で顕著に得られる。読者の脳内に「標準的な映像」を再生させるのに最もコストパフォーマンスが良い。例文では視覚と触覚、たった二つの既存スキーマで処理している。だから脳への負荷がマイルドだ。語彙の問題ではない。そして良い悪いの問題でもない。ニーズと効率の問題だ。

 この読みやすさが勘違いさせているのだろうが、高度な「Show, Don't Tell」は思考の負荷をとことん要求するものである。



◆小説~一般文芸


 不意に息苦しさを覚えた。言葉にならぬ塊がぐるぐると喉元で熱く主張している。唇が戦慄き、表情筋を制御できなくなった。せき止められていた感情は、瞬き一つでついに決壊し、足元へとこぼれ落ちた。


 単なる身体現象を超えて、心拍、圧迫感、制御不能な自律神経の動きまで描き、体感時間の長さまで演出している。これは読者が「自分では言語化できていなかった、あの感覚」という高度に個人的で複雑なスキーマを既に持っていることを前提にしている。「既存スキーマの質と量」が十分に備わっていることを当てにして、読者の引き出しを信頼した書き方である。

 デメリットもある。スキーマの多重起動に慣れていないと、脳が悲鳴を上げる。人によっては情報の取りこぼしや誤読が生じる。読書用のメモリ(RAM)容量と読解の体力を要求するからだ。筋トレが必要と言えば判りやすいだろうか。資質ではなく、トレーニングの類だ。例文の描写は並盛程度だし、内容が「泣く時の体感」と極めてシンプルだから負荷は低いが、文芸では情報を複数並走させるタイプの「スキーマの多重起動」が当たり前である。政治的背景や因縁、景色等の描写に複雑な感情や関係性を平気で上乗せし、登場人物が二人いれば二人分、三人いれば三人分の情報保持と切り分けを読み手に求めてくる。



 長くなったが、チェーホフの語った「月が輝いていると言ってはいけない」とは、要するに読み手の脳をハックして、リアルな体験を提供しなさいということだ。描写で読み手のスキーマを起動し、立体的な体験を再生する技術である。



■「事実の提示」こそが『示す』への道である■


 読み手の脳をハックし、世界をリアルに体験させるにはどうすればよいか。

「嬉しい」「腹がたった」「悲しい」「楽しい」とラベルを貼った瞬間、そこが上限になってしまう。寒い暑い、痛い苦しいも同様だ。事実ではあるのだろうが、事実の提示ではない。単なるラベリングである。

 このままでは言葉遊びと変わらない。ラベリングと事実の提示の違いを述べよう。


 本当に悲しい時、あなたは「悲しい」と明確に脳内で考えるだろうか、自分を定義するだろうか。

 体感時間にして二秒に満たない程度の感情か? 違うはずだ。

 その時の感覚を書くことこそが、「事実の提示」だ。


----------------------------

――妻が死んだ。


フリードマン中将がその報を受けたのは、何の変哲もない昼下がり、食後のコーヒーに砂糖を一つ落とした直後だった。

執務室の扉が叩かれ、秘書官が真っ青な顔をして立っていた。


「フリードマン中将閣下、緊急事態です」


声が僅かに震えていた。

報告を聞く間にフリードマンの手元でコーヒーカップが倒れ、ビリヤードグリーンのデスクマットに深い染みを作った。何と言葉を返したかは記憶にない。

ただ窓の外で鳥が甲高く鳴いていた。

----------------------------


 悲しい、辛いとは一言も書いていない。「フリードマンは嘆き悲しんだ」「フリードマンは呆然となった」と比べて欲しい。どちらがより強く悲しみを実感できるだろうか。


 そして読んだあなたの脳内では、どんな光景が再生されただろうか。きっと個人個人で異なるだろう。

 穏やかに揺れる木漏れ日や、ヒヨドリあるいは小鳥のさえずり、執務室の静けさ、コーヒーの染み広がる速度、足元が崩れる感覚だろうか、空虚感だろうか。口から声が漏れたのかもしれないし、そうでないかもしれない。曇天だったのか、青空が見えていたのか。

 この選択肢を与え、読み手の脳内にそれぞれの最適解を呼び起こしてもらうことが『示す』の狙いだ。

 ラベリングが最低ラインの担保ならば、「事実の提示」による『示す』は最大値を狙う挑戦的な書き方と言える。読み手の器を信じるか、否か。


 ついでに、上記の例だと、「部屋は静まり返った」とか「じわじわとこぼれたコーヒーが広がっていった」とか「視界が急に暗くなった気がした」とか、そういう部分を引き算している。

 このように書かれていない別の要素を想起させること――描写で直接起動させるスキーマが多ければ良いわけではない、というのがヘミングウェイの「氷山の一角に留めよ」である。適度なトリガーを用意した上で、あとは読み手の中での連想や派生に委ねる手法だ。提示する事実の取捨選択と考えればよいと思う。


 「地の文を減らせ、台詞を増やせ」が悪なのではない。台詞と地の文の機能を考えず、思考停止したままで台詞を万能と誤解しているから、なろう界隈には奇妙なパペット人形が徘徊しているのではなかろうか。台詞は万能ではない。地の文もまた、万能ではない。


 書き手の諸氏に『示す』の解釈として、事実の解像度を上げ、読み手の脳を意識的にハックすることを是非ご検討いただきたいと、おばちゃんは願ってやまない。スキーマに振り回されるのではなく、使いこなす側になって欲しい。それらはきっと、表現の幅を広げ、より心を動かす文を産む力になるはずだ。



 最後に、ここまで読んだ奇特……もとい、律儀で活字中毒気味なあなたに感謝を。



参考資料

 wikipediaより「 Show, don't tell」ttps://en.wikipedia.org/wiki/Show,_don%27t_tell

 StudioBinder(大手映画制作ツール・教育メディア)ttps://www.studiobinder.com/blog/exposition-examples-in-film/

 青空文庫より「老人と海」アーネスト・ヘミングウェイ 石波杏訳」ttps://www.aozora.gr.jp/cards/001847/card57347.html


協力

 ChatGPT

初めて! 誤字報告を頂戴しました!

ありがとう、ありがとう。心より感謝申し上げます。

ぽちっとするだけで直るなんて、おばちゃんちょっと感動してます。


該当箇所

■「台詞に散らせ」は「台詞にするな」から始まる■

 AIちゃんの言うところによると、文章媒体に『も』対しても一応あるらしい。


『文章媒体にも→文章媒体に対しても』 変更した際に一文字削り損ねていたようです。内容に変化はありません。

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