51.二人だけのダンス
エルバートに連れられるまま、レティシアはアリシナと手を繋いで広い廊下を歩いていく。
人気のない廊下は不気味なほど静かで、レティシアは思わずアリシナの手を強く握った。
「お姉ちゃま?」
「大丈夫。ちょっと静かだなって思っただけよ」
不思議そうな顔をするアリシナに、安心させるように微笑みかける。廊下は灯りも少なく、ここまでは舞踏会の喧騒も届かない。
静かなお城はなんだか怖いな。そんな自分の想像に、レティシアは少しだけ怯えた。そんなレティシアの様子に気が付いたのか、エルバートが小さく笑った。
「ここは王子や王女の住まう区画だ。特に一番下のアリシナたちはとっくに眠る時間だから灯りも落とされ、人の出入りも最低限になっている」
エルバートは言外にアリシナがここに居るのはおかしいと言っていた。それが分かったアリシナは居心地悪そうに顔を下を向く。
アリシナも悪いことをした、と反省しているらしい。その様子を見て、エルバートもそれ以上のことを言うのはやめた。
「それにしてもどうしてこんな時間まで起きていたんだ? 外を出歩くなんて……」
いくら王宮の中と言えど、供も護衛もなしに出歩くのは危険だ。そのことは幼いアリシナでも理解しているはずである。
不思議に思ってエルバートがアリシナの顔をのぞき込めば、アリシナは誇らしげな顔をした。
「あのね、お花が咲きそうだったの」
「ん?」
「アリーが育てていたお花が咲きそうだったの。どうしても咲くところを見たかったの。一番に見たかったの!」
誇らしげに胸を張るアリシナに、エルバートはガクッと首を落とした。たぶん、そんな理由か。と呆れたのだろう。
二人の様子を見ていたレティシアは思わず「ふふっ」と笑ってしまった。それを見てエルバートとアリシナが不思議そうな顔をする。
「なんだ?」
「え? あぁ……同じなんだなって」
「同じ?」
「私も初めて植えた花が蕾を付けたとき、寝る間も惜しんで花が開く瞬間を待っていたなぁって思って」
アニーに貰った花の種。植木鉢に植えて水を与えた。毎日話しかけて過ごした。蕾を付けたときは、一時間おきに様子を見に行ったのを覚えている。
初めて花が咲いたときはお母さんだけでなく、ご近所中に見せて回った。
「レティシアにも女の子らしいところがあったんだな」
「うん。……ん?」
何か聞き捨てならない言葉が聞こえてたような。レティシアが前を向くと、エルバートがにやりと笑った。なるほど。暴言は聞き間違いではなかったらしい。
文句を言おうと口を開いた瞬間「こちらです」先導していた侍女が一つの扉の前で立ち止まった。どうやらアリシナの寝室に付いたらしい。
「さぁ、アリシナ様。もうお休みになりませんと」
侍女がアリシナに促す。しかしアリシナはレティシアの手を離そうとせず、駄々っ子のような顔をした。それを見てエルバートが顔をしかめる。
「アリシナ。エミリオも待っているだろう。夜も遅いんだから、部屋に戻りなさい」
「むぅ……」
「明日、また体調を崩しても知らないぞ?」
ダメ押しのように付け足されたその一言に、アリシナは諦めたように肩を落とした。手を離す前に、少女はレティシアを見上げる。
「お姉ちゃま、」
「え?」
「明日も会いに来てくれる?」
「……え?」
言われた言葉の意味が分からず、レティシアは少女を見下ろした。望む返事がもらえなかった少女は、強くレティシアの手を掴む。
「お姉ちゃま、明日も会いに来てくれるでしょう?」
懇願するような目がレティシアを貫く。押しの強さに、レティシアは何かを思い出した。なんだろう。最近、どこかでこんな風にお願いされたような……。
あぁ、そうか。王妃さまに似ているんだ。懇願しながらも、有無を言わさない雰囲気が。
似ているのは当たり前である。アリシナはあの王妃の末娘。そのことに思い至った瞬間、レティシアは心の中で諦めた。
「明日、俺が連れてくる。だからお前はもう休みなさい」
「本当?」
「約束する」
重々しく頷いたエルバートを見て、アリシナはようやくレティシアの手を離した。名残惜しそうな顔をしながらも、扉の向こうに消えていく。
レティシアは笑顔で「お休み」と言うエルバート見あげた。
「……何を勝手なことを言っているんですか」
「あそこでああ言わないと、アリシナは納得しなかっただろう」
「私の意見は無視ですか」
「じゃあ、あのアリシナのお願いを無下に断れるのか?」
俺には断れない。エルバートの目はそう語っていた。なんだかんだ言って、エルバートも末妹には甘いらしい。
レティシアもあんな顔で懇願されたら、断ることは出来なかっただろう。しかしエルバートに断言されると、それはそれで腹が立つというか……。
「今日の舞踏会で、お城に来るのも終わりかと思っていたのになぁ」
「いや、何かと用事を言って呼び出されたと思うぞ。特にお前のお祖父さんと俺の母親から」
簡単に想像できて、レティシアは何も言えなくなった。諦めたようにため息をついたレティシアの手を引いて、エルバートは会場の方へと歩き出す。
徐々にざわめきが近づいてくるのが分かって、レティシアは思わずため息をついた。
「……楽しくなかったか?」
ため息が聞こえたのだろう。エルバートがレティシアを振り返らずに聞いてくる。
「楽しかったよ。場違いな空気を感じないわけはなかったけど」
「場違いなんかじゃない。レティシアは正式に招待された王家のお客様だ」
確かにレティシアは正式に招待されている。しかし洗練された人々の中に居ると、どうしても場違いな感じがして、居心地が悪かったのだ。
「付け焼刃の礼儀作法で、ダンスも踊れないし。ドキドキワクワクというよりは、冷や冷やしてたよ」
そう言って苦笑するレティシアを見て、エルバートは立ち止まった。それからレティシアを無言で見下ろす。
「……エルバート? どうしたの?」
「ふむ……」
黙って見下ろされ、レティシアは視線を泳がせる。そんなに見られると、どうしていいか分からなくなる。
エルバートは舞踏会の会場の方を見て、再びレティシアを見下ろし「踊るか」と呟いた。
「はい?」
「せっかくの舞踏会だ。踊っておこう。ほら、」
そういわれてエルバートが向かい合うようにレティシアの前に立った。右手を取られ、腰元を引き寄せられた。突然のホールド態勢にレティシアが慌てる。
「ちょっと! 踊れないんだってば! 知ってるでしょ?」
「俺に身を任せておけばいい。誰も見ていないから、しっかり踊らなくても大丈夫だ」
そんなことを言って、エルバートが一歩、大きく足を踏み出した。自然と私もそれに合わせて動き出す。遠くに聞こえる音楽に合わせて、エルバートが優雅にレティシアをリードした。
人気のない廊下で二人だけで踊る。エルバートのリードが上手いからか、レティシアは自分でも驚くくらい優雅に踊った。
怖々踊っていたレティシアは、自分が思ったよりも動けていることに驚いてエルバートを見た。
「っ!」
そこで蕩けるような笑みを浮かべているエルバートと目が合い、思わず思いっきり目を逸らしてしまった。それを見て、エルバートは一気に不機嫌になる。
「なんだ?」
「ナンデモナイデス」
無言でレティシアを見下ろすエルバート。レティシアも無言でエルバートの追及を逃れようとした。
いくら見つめてもレティシアが口を割ろうとしないのを見て、エルバートも聞き出すのを諦めた。二人はしばらく無言でダンスを踊る。
エルバートは一生懸命に足を動かしながら、それでも嬉しそうに口の端を持ち上げるレティシアを見て、思わず頬を緩ませた。
「良かった。レティシアと踊ることが出来て」
「え?」
吐息を漏らすように呟いた一言がよく聞こえず、レティシアはエルバートを見上げる。不思議そうに自分を見上げてくるレティシアに何も答えず、エルバートはダンスを続ける。
レティシアは踊り続けているうちに、なんとか踊りを楽しむ余裕が出来てきた。そうするとなんだか楽しいような気持ちになってきた。
楽しそうに踊るレティシアを見て、エルバートも踊ることをやめなかった。
二人は大広間の音楽が聞こえなくなるまで、薄明かりの廊下をゆったりと踊り続けた。