風太vs安樹
「殺す……!? おれが、お前をっ!?」
「キミに殺されるなら本望さ」
安樹は立ち塞がった。
風太という親友の前に。
「おれがどうして、お前を殺さなくちゃいけないんだよ……! ぜ、全然、まったく、さっぱり、意味がっ……!」
「もう一度言うね。もし、キミがこの教室を出て美晴のところへ行きたいと思うなら、ボクを殺してから行かなきゃダメなんだ。理解できたかい?」
「できるかよ、バカっ……!!」
「うーん、それは困ったなぁ。とにかく、キミがここを通るつもりならボクは死ぬってことだけ分かってよ」
「それが分からないって言ってるだろ! 『死ぬ』とか『殺す』って、なんなんだよ! 冗談でもそんなくだらないこと言うなっ!」
「くだらない……? ボクの命を賭ける覚悟が、かい? フフッ、ナメられたものだね。これは全く冗談じゃないのに」
「何を言ってるんだよ……。お前、本当にどうしちゃったんだ……!?」
「できればキミに殺されたいけど、殺してくれないなら勝手に死ぬよ。それでもいいかい?」
「ふざけるな……! どうして……おれの邪魔をするんだよ、安樹っ!!」
どうしようもなく、風太は拳を強く握ることしかできなかった。
安樹はそんな風太を見て、嘲るように笑い、静かにキャスケット帽を被り直した。
「どうして……か。それは、ボクのセリフだなァ」
「なんだと……!?」
「ねぇ、教えてよ。どうしてキミは、美晴のところに行くんだ?」
「えっ……?」
「行ってどうするんだ? 美晴って女は、自分勝手で、わがままで、根暗で、嫌なやつで、幽霊みたいに不気味で、マヌケで、クズで……。キミはそう言ってたのに……」
「安樹……?」
「そんなやつに、どうしてまだ構うんだよっ!! そんなに嫌いなら、ほっとけばいいじゃないかっ!! 何が『美晴のことはもう忘れる』『美晴とはもう決別した』だよ!! 風太のウソつきっ!!」
「そっ、それは……!」
「行かなくていい……! 『刑』が無事に終わるまで、キミはここにいればいいんだ……! それで、もう、本当に美晴との関係を終わりにできるから……!」
「『刑』……!? ってことは、お前……」
風太の問いかけに、安樹はうなずいた。
「うん……。もう全部知ってるんだ。過去の『刑』のこともね」
「動画を見たのか?」
「そうさ。ボクが見たのは……凄惨なイジメの動画だ。6年2組の子たちに、一人の女の子がいじめられてた。とても残酷で、目を覆いたくなるような、『刑』という名のイジメ。標的になってる女の子が誰なのかは、すぐに分かったよ……」
「……!」
「そして……その女の子が、本当は風太だってことも……! 両手を縛られ、水をかけられ、みんなの前で失禁までさせられた動画の中の少女は、全部キミなんだろう……!? あの『美晴』の中には、風太がいたんだろう……!?」
「……」
風太は、口を真一文字に結んだまま、瞳を固く閉ざしていた。
過去に受けた全ての痛みや屈辱は、一時も忘れていない。
「ボク、知らなかった……! キミが、あんなひどい目にあっていたなんて……!」
「……」
「おデコの傷のことも、美晴が風太に成り済まそうとした理由も、こうなれば合点が行く……。美晴はキミをイジメの身代わりにしたんだ! 何の罪もない二瀬風太の人生を奪って!」
「いや、違う……」
「何が……!? 違わないさ! 美晴にとって、キミはただの生贄だった! キミはもう少しで、美晴に全てを奪われるところだったはずだ! あの子の代わりにいじめられるのは辛かっただろう!? 独りぼっちで誰も助けてくれない日々は苦しかっただろう!?」
「それは、そうだけど……」
「もういいんだ……。もういいんだよ、風太。何を考えてるのかは知らないけど、キミはもうどこにも行かなくていいし、ボクが行かせない。悪夢は終わるんだ」
「でも、美晴は今っ……!」
「美晴と6年2組のことは、ボクとキミには関係ないだろ。担任の先生じゃあるまいし。だいたい、そんなことに首を突っ込んでるヒマが、今のキミにあるのかい?」
それでも、まだ風太には退き下がる気はなかった。
「……じゃあ、見過ごすって言うのかよ。安樹は」
「見過ごす?」
「何が起こってるかを知ってるのに、ここでじっとしていられるのかって聞いてるんだ」
真剣な問いかけ。
しかし安樹は、少し考え込んだ後……。
「ぷふっ」
吹き出してしまった。
「なっ……!? 笑いごとじゃないぞっ!」
「フフッ、あははっ! 風太らしいねぇ! あはははっ!」
「この野郎っ、真面目に聞けよっ……!」
「いやあ、笑わせてもらった。フフッ、キミは自分に酔いすぎなんだよ。カッコつけすぎ。ヒーローにでもなったつもりかい?」
「だ、黙れっ……!」
相変わらず、風太は「カッコつけ」という言葉に、怯んでしまう。
「地球の平和なんか守らなくていい。いじめっ子なんかやっつけなくていい。加害者にさえならなきゃ、いくらでも見過ごしていいんだよ。キミはヒーローじゃなくて、ただの人間なんだから」
「そんなこと分かってるさ。おれは美晴と同じ体験をしてるから……何が辛いかを知ってるのはおれだけだから、放っておけないだけだ」
「分かってないんだよ。分かってないから、そうやって届かない場所にまで、手を伸ばそうとするんだろ。キミは」
「届かないかどうか、やってみないと分からないだろうが」
「だから、そういう……少しは頭を使って考えてよ。いいかい風太? キミが首を突っ込もうとしてる問題は、遠くて、重くて、複雑で、時間がかかるんだよ。少なくとも、美晴自身が自分の力で変わろうとしないと、この先もずっと美晴へのイジメは続くだろうしね。美晴の『敵』は、蘇夜花って子だけじゃないんだよ」
「それで? 何が言いたいんだ。お前」
「今、キミがやるべきことはなんだ? 限られた時間の中で、何をすることが一番大事だ? よく考えてみてよ」
「何が、一番……?」
言われた通り、風太は今の自分にとって何が一番大事かを、頭の中で整理しようとした。
入れ替わりや100ノートのこと。健也たちとサッカーをすること。家で母さんの料理を食べること。厄介な宿題のこと。見たいテレビ番組のこと。カードゲームのこと。そして……雪乃のことと、安樹のこと。
(今のおれにとって、一番大事なのは……)
大から小まで、たくさんの項目が渦巻く。
その中心で、ポンッと突然現れたのは……小さなホワイトボードだった。
(えっ? なんだ、これ?)
不思議に思って見ていると、そのホワイトボードの周りの描写が、みるみるうちに鮮明になっていった。ボードを持つ手ができ、身体ができ、顔ができ、それは少女の姿になった。
(こっちを見てる……。少し嬉しそうな顔で……)
少女は優しく微笑んでいた。
(初めて見た……。こいつが『こいつ』の姿で、笑顔になったところ……)
怒らせたり、悲しませたり。風太が今まで見てきたのは、そんな顔ばかりだった気がする。「笑うとかわいいね」なんて誰かが言ってたが、風太は一度も、そのかわいい顔を見たことがない。入れ替わっていたから。
(わたしの……あこがれ……、って……)
最後に、ホワイトボードに書かれていた文字を、風太は静かに読んだ。
「ふっ、ふ、はっ!!!」
唐突に、風太は安樹の前で変な笑い声を上げた。
「なんだい? キミのその笑い方は」
「そうか……。そうだったのか……!」
「どうしたの? 何か分かったの?」
「大事なもの、大切なもの……! 安樹の言う通り、冷静になって考えてみたんだ」
「フフッ、そうか。ようやく理解したか。見えてきただろう? 一番大切なことが」
「ああ。ここで失うわけにはいかないんだ。美晴との繋がりは……!」
もう迷いはない。
「なっ、なんだって……!?」
「考えて、考えて、やっと分かった。美晴は最初からずっと、おれに助けてほしかったんじゃないか……! 助けを求めてたんだよ!」
「ち、違うっ……! そうじゃないだろっ!!」
「美晴に会ったら、まずは謝りたい。『ひどいことをたくさん言ってごめん』って……! きっと、すごく傷付いたはずだから」
「お、おいっ! ボクの話を聞いていたのか!? キミはもう、美晴と関わるべきじゃないって……!」
「確かにおれは、みんなを助けるヒーローじゃない。でも、独りぼっちで誰にも助けを求められない美晴にとって、おれは“憧れ”だったんだよ!! もう二度と否定しない……! おれはもう一度、美晴の“憧れ”になる……!! そのために行くんだっ……!!」
風太は教室の扉に向かって、ずんずんと歩みを進めた。
もはや、目の前にいる安樹のことは見えていない。
「ちょっ、く、来るな! 風太っ……!」
「どいてくれ、安樹……! もう決めたんだ……! おれは、美晴の“憧れ”になりたいんだっ……!!」
男子の風太に対して、女子の安樹が力でかなうハズがなかった。右手の腕力で軽くどかされ、安樹はあっさりと道をあけてしまった。
「わあっ!? お、押さないでよっ……!」
「悪いな。無理やりだけど、通らせてもらうぞ」
「い、いやっ! ダメだっ! 絶対に行かせないっ! ここうなったら、最後の手段……!」
「ん? 何する気だ?」
「がぶっ!!」
最後の手段。
文字通り、安樹は風太に喰らいついた。
「うわあぁっ!? 腕を噛むなっ!!!」
「がぶ、あぶっ! ふぎぎぎ……!!」
「痛いって! ちぎれるっ! 腕の肉がちぎれるっ!」
「ち、ちぎって、でも……! 喰ひちぎってでも止めてやるんふぁ……! キミは行かふぇないっ……!」
「やめろっ! どうしてそこまで止めるんだよっ!」
「分からないのふぁっ……!? 美晴って女ふぁ、関わるべきふぁない厄介な問題を、抱えすひぃてるんふぁよっ……!」
「大丈夫だって……! 今のおれは男だから、すっごく強いんだぞ。この身体なら、どんなやつにも絶対に負けないっ!」
「違う……! そうふぁない……。そういう、ことふぁ、ないんだよっ……」
「いててて……! と、とにかく、噛むのをやめろっ! 安樹っ!」
「ううぅっ……! ううぅっ……」
「ん? あ、安樹? 泣いてるのか……?」
風太の右腕に、今度は涙のしずくがこぼれ落ちてきた。
「ぐすんっ、ううぅっ……。ダメなのにっ……。ダメだって、言ってるのにぃ……」
「わわっ、泣くなよ! 落ち着けっ」
「ちゃんと、ひぐっ、ボクの話、き、聞いてよぉっ……。風太ぁっ……」
「聞くっ! 聞いてやるから、もう泣くな。噛むな」
安樹はカパッと、風太の腕から口を離した。
もちろん腕がちぎれたりはしていないが、歯型がくっきりと残っている。
「あのねっ? ぼ、ボクが、本当に、言いたいのは、ね?」
「ほら、まずは呼吸を整えろ」
「うんっ。すぅーはぁー、すぅーはぁー。えっと、なんだっけ?」
「お前が本当に言いたいことはなんだ?」
「そ、それはねっ! あの、その……風太には、ずっとボクのそばにいてほしいってこと……」
「大丈夫。美晴のところに行っても、別にお前から離れるわけじゃない。おれたちは、これからもずーっと友達さ」
「そっ、それじゃあ……ダメなんだ……!!」
「えっ?」
「いや、あのっ、友達が嬉しくないわけじゃない……! キミが友達になってくれたから、ボクは初めて、この学校にくるのが楽しいと思えたんだ……。キミがいつも、会いに来てくれたから……」
「安樹……」
安樹の涙は、いつしか止まっていた。
「キミはね、いつも優しい言葉をかけてくれるんだ……。だからつい、ボクもキミの優しさに甘えちゃったりして」
「そうか? お前はしっかりしてると思うけどな。しゃべり方とか考え方とかが、みんなより大人っぽいし」
「ほら、また……。でも、キミは優しいから、なんでも背負い込もうとするんだ。そのせいで、ボクだけじゃなく、すでに雪乃の人生まで狂わせてしまってる」
「えっ? おれが、雪乃の人生を……?」
「そして今、美晴のことも背負おうとしてる。分かるかい? 風太の背中にいる人間が今は2人、次第に3人になってしまうんだ。美晴や雪乃は、すっごく重い女の子だから……きっとキミは潰れてしまう」
「……」
「そして、思い出してほしい。ボクはこの教室に入ってきた時、キミになんて言った?」
「『美晴のところへ行くなら、ボクを殺せ』って……」
「その通り。昔、ボクは不登校になって、一度は生きる希望を完全に失ったんだ。でも死ねなくて、ここまでダラダラと生き伸びてしまった。そんな死にかけのボクに優しくして、誰かと一緒にいることの喜びを植え付けたのはキミだぞ。その責任はとってもらう」
「でも、おれは……!」
「キミの目の前にあるその扉をもし開けたら、ボクは死ぬ。卑怯かもしれないが、美晴のことを断ち切れるまで、風太にはここにいてもらうつもりだ。さあ、どうする……?」
「……!」
もう時間がない。手遅れになる前に、美晴のところへ行きたいが、安樹の覚悟も揺るぎそうにない。
(美晴……。安樹……)
眉間にシワを寄せ、額にじっとりと汗をかき、考え、考え、ひたすら考えた。
ここで何を手に入れ、ここで何を捨てるべきか、決断の時。
「安樹……!」
「なぁに? 風太」
「お前が言った、『キミがどういう選択をしても、ボクはキミの味方だよ』って言葉、信じてるからな」
「た、確かに言ったけど……! 今、それを持ち出さないでよ……。ズルいよっ……」
「分かってる。その言葉だけで、なんとかなるとは思ってない。おれだって、全部背負うために……今、必要のないものは捨てる」
「は……? 何を言ってるの……?」
「大切なものが多すぎて……一番いらないものは、これしかないんだ」
何かを確信し、風太は首元のペンダントをぎゅっと握りしめた。そして、ヒモが切れそうなくらいに、グイッと強く引っ張った。
「お、おいっ! まさかっ……!?」
「約束通り、扉は開けない。二瀬風太は、ここに置いていく。だからもう、お前は死ぬなんて言うな」
「やめてっ……! そんなことしたらっ……!」
「カッコつけでいいさ。おれは男だからっ! 最後までカッコつけてやるっ!」
「ふ、風太っ! 待って……!! そんなことしたら、あの子の代わりに、キミが消えてしまうっ」
「おれはもう一度、『あいつ』になるっ!!」
ブチッ……!
────
*
「はぁっ……はぁっ……」
「どこに行くつもり? 美晴ちゃん」
「そ……そこを……どいて……。便器に……向かわせてっ……」
プールの女子トイレ。
ブラウスとスカートを脱がされ、ミントグリーンの下着姿になった美晴は、太ももをもじもじとすり合わせながら、迫り来る尿意に耐えていた。ヒモで両手を縛られてるのでパンツを脱げないうえに、あと3歩あるけばそこに便器があるのに、蘇夜花や五十鈴たちが邪魔をしており、たどり着けない。
「せっかく脱がせたけど、ちょっと期待ハズレだったねー。ブラジャーとショーツがあるだけ、かぁ」
「そ、そこを……どいてっ……」
「男子の体操服を盗んで着てるってウワサ、さすがにウソだったのかなー?」
「し……知らないっ……。わたし……そんなの……知らない……もんっ……」
「まあ、いいや。『自分は男子だとウソをついて、人を騙そうとした罪』で、刑を執行するね。そこでお漏らしするといいよ」
「はぁ、はぁっ……。やめてぇっ……」
美晴は泣きそうになりながら、ひたすら必死にガマンしていた。
しかし、もう限界が近づきつつある。
「た、助けてぇっ……! 誰かっ……!!」
「あはは、誰も助けには来ないよ。声を出せるようになっても、その声は誰にも届かない。あなたはこれからもずっと、独りぼっちなんだから」
「助けてっ……!! 風太くぅんっ……!!」
錯乱状態になり、美晴はその名前を呼んでしまった。「もう二度とおれの名前を呼ぶな」と、本人からキツく言われていたのにも関わらず、大声で叫んでしまった。美晴の悲鳴混じりの声が、女子トイレ内に響く。
「えっ、なに? 今、なんて言ったの?」
「……!」
「誰に助けてって?」
「……」
蘇夜花の質問に、美晴は答えなかった。というより、答える余裕がなかったのである。ただぎゅっと目をつぶって、目の前の現実から逃避することが、精一杯の自己防衛だった。次に目を開けた時、この悪夢が終わっていたらいいなと、甘い考えに浸って……。
「……」
しばらくの無言。
「あれ? 美晴ちゃん?」
「……」
「気絶でもしたのー? 立ったまま? おーいってば」
「……!」
蘇夜花が顔をのぞき込みに来たところで、美晴はパチリと目を覚ました。そして、目を開けながら少しボーッとした後、そばにいた蘇夜花と視線を合わせると、フッと不敵な笑みを浮かべた。
「助けに……来たぞ……。美晴……!」
その少女はもう、『美晴』ではあっても美晴ではなかった。
「うん? 何を言ってるの?」
「久しぶり……だな……蘇夜花……! おれは……この……瞬間を……ずぅーーーーーーーっと……! 待ってたぜ……!!」
「美晴ちゃん? いや、あなたは……誰」
「吹っ飛べ……!!」
拘束なんて、その男の前では無意味だった。ブチブチとヒモを引きちぎり、腕を自由にすると、まず一番最初に拳を作り上げた。その拳はもちろん、目の前にいる憎き女を、地の果てまでぶっ飛ばすため。
ドゴォッ!!!




