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第4章 戦うべき理由<前編>

「おお、司ではないか」


 女子生徒たちと話し込んでいた祥子が顔をあげる。昼休みの出来事で機嫌を悪くしていたと思ったが、司の予想に反してその顔は明るかった。


「梓川さん、私とお話し中ですわ」

「あ、すいません」


 女子生徒の中でひときわ派手な顔立ちをした生徒が不満をあらわにする。


 その女子生徒を見て、司はほうと小さく息をついてしまう。

 キメが細かく、抜けるような白さをもった肌に、ピンク色のリップを刷いたポッテリとした唇。長いまつげに縁取られた瞳はきれいなアーモンド形を描き、シャープな中にも女性らしい曲線を保ったフェイスラインは芸術的でさえあった。

 茶色に脱色した髪は司の好みではないが、ゆるくウェーブのかかった髪はゴージャス感たっぷりである。首元などを飾るアクセサリーは必要最小限で、イヤ味なくおしゃれな感じで統一されていた。

 座っているのでスタイルはわからないが、制服からのぞく腕や首筋の細さからでもスタイルのよさは容易に想像がつく。


 何人もの女子生徒に囲まれていたが彼女の存在感は際立っていた。陳腐な表現をするならば、女奴隷にかしずかれているクレオパトラのような尊大さをかもし出している。そして、その尊大さを許すだけの美貌が彼女にはあった。


「もしかして、青樹セルジュ先輩?」


 司がそう言うと女子生徒が鼻で笑う。普段の司なら鼻白む行為であるが、この女子生徒がやるとあまりに似合いすぎて、怒る気にならない。


「見てわかりませんか? それともこの学校にこんな美人が二人といて?」


 女子生徒の言葉にほかの生徒たちも司の顔をバカにしたように見やる。剣道場で祥子たちに追い詰められた時とはまた違った威圧感に、司は一歩下がる。


「まあ、この男子、セルジュ先輩を知らないんですって」

「ウッソー、信じられない。美のカリスマであるセルジュお姉さまを知らないなんて」

「転校生よ。転校生に違いないわ」

「転校生だって知ってるでしょ? 現代高校生の基礎知識ですわよ」


 どんな基礎知識だよと内心で思いながら、司はあいまいな顔で頭をかく。セルジュにはわかなかった反感が、この女子生徒に対してはふつふつとわいてくる。

 青樹セルジュは桜稜の三年生である。彼女には高校生という顔のほかにモデルというもうひとつの顔があった。中学生時代に街を歩いていたところを海外の有名デザイナーに声をかけられ、彼のファッションショーでモデルデビュー。その後、世界の名だたるファッションショーで活躍している超一流のモデルである。

 確かにそこらの女子高生とはレベルが違う。コンピューターグラフィックで作ったとしか思えない完璧な造形美で、現実感がまるでない。彼女の前に座っている祥子も十分美人ではあるのだが、美貌という一面だけで言えば見劣りするのは否めない。


「ちょっと待っていてくれ。お前には話したいことがある」

「ちょっと……?」


 司を引きとめようと祥子が言った言葉にセルジュが反応する。きれいに整った眉が引き寄せられ、不快感が表情に出る。美人は怒った顔も美人だなと司はのんきな感想を抱く。

 そんな司の脳内とは裏腹にセルジュは祥子を冷たい視線でねめつける。剣道の試合で経験する闘志のこもった視線とは別種の奇妙な威圧感に祥子は戸惑った。


「ちょっとというのは、この交渉をさっさと切り上げたいというご意思ですか? そんなにこの私が簡単な相手だと思っていらっしゃるということですか?」

「あ……いや……」


 祥子が弁明に窮する。セルジュは司のほうを見て、優雅な微笑みを投げかける。別に好みのタイプでもないのに、セルジュに微笑まれただけで司の胸は高鳴った。


「アナタ、梓川さんのボーイフレンド? お待たせしてごめんなさいね」


 優しげな笑みに司は無言で頭を下げる。だが、次の瞬間、セルジュの顔は冷たく変わり、祥子を射すくめるように見つめた。


「すぐに、終わりますわ」

「くっ……」


 祥子のような剣道一筋で駆け引きを知らない人間にはもっとも扱いにくい人物である。何かと交渉事のうまい虎美を連れてくればよかったと、彼女は心底後悔した。

 だが、この青樹セルジュを仲間に引き入れる価値は大きいのだ。桜稜に通う多くの女生徒から美のカリスマとして崇められ、男子の信奉者も多いセルジュがカツ丼派を支持すれば、パワーバランスは一気に祥子たちへ傾く。


「わ、我々としては青樹先輩へ最大限の見返りをする用意があります」

「見返り?」


 機嫌の悪かったセルジュの顔がかすかに変化する。交渉術は女性にとって必要不可欠な技能だというのがセルジュの持論である。できるだけ少ない手間で、できるだけ大きな結果を得る。恋愛も美容もすべてその法則に従ってきた。


「どのような見返りかしら?」

「え?」


 セルジュの質問に祥子は間の抜けた声をあげる。長年の付き合いである司は、祥子は行き当たりばったりなところがあるのを知っている。おそらく、適当に言ったのだろう。


「え……えっと」


 答えられない祥子の様子に、セルジュの顔に明らかな失望が広がる。周囲の女生徒たちからも失笑がもれる。完全に見透かされた。


「まさか? ノープランで来たの?」

「信じられないわ。ノープランですって」

「この人、剣道日本一なんでしょ? ノープランで日本一なの?」

「それってある意味すごくない? ノープランすごくない?」


 散々な言われようである。いつもの祥子なら、キレて斬りかかっていくのだが、今回は事情が事情だけにじっとこらえている。


「手土産も交渉手段もなく、よくも私に話があるなどと言えたものですね」


 セルジュの言葉は厳しい。だが、司がふとその違和感に気づく。他の女生徒はイヤみたっぷりに祥子をバカにしていたが、彼女の口調には不思議とイヤみがない。


「いいですか梓川さん。あなたも集団のリーダーなのですから、交渉術のひとつやふたつは身に着けておきなさい。力押しで何でも解決できるなんて考えは中学生になったら捨てるべきものです」

「……はい」


 正論過ぎて祥子は反論できない。そして、司は祥子をこんこんと諭すセルジュの様子を見て、ある感想を抱いた。


 真面目なのだ。勉強とか部活はともかく、この人は本気できれいになることに打ち込んでいる。美人でいるためにあらゆるものを犠牲にしているのだ。それは剣道に打ち込んでいる祥子となんら違いはない。

 セルジュの周りに女生徒が集まるのも分かる気がする。この人は他人に対して真面目に対応している。


「ちょっと」という言葉に過敏に反応したのも、祥子の態度にどこか甘いものを感じたからなのかもしれない。


「アナタたち煉武会から見れば、私たちは見てくればかりを気にする軟弱な人間に見えるでしょうね」

「……いえ、そんなことは」


 ますます祥子が小さくなる。だが、セルジュの言葉は続く。


「ですが、それは違います。あなたたちが武道を鍛錬することしか頭にないように私たちは見れくれしか頭にないのです」

「!」


 祥子がハッとして顔をあげる。何かを悟った顔である。


「せ、先輩! 私、間違ってました!」


 祥子が涙を流さんばかりに感極まった顔でセルジュの手をつかもうとする。セルジュはそれをやんわりとかわし、逆に祥子の手を優しく握った。


「あなたが握ったら、ネイルが割れちゃうでしょ」

「あ、すいません」


 慌てて祥子が謝るが、セルジュの顔は微笑んでいた。そして、彼女はとろけそうな笑みを浮かべて、口を開く。


「煉武会のトレーニングマシンの使用許可をもらえます? それで私たちはアナタたちカツ丼派を支持しますわ」

「よ、喜んで!」


 煉武会の持っているトレーニングマシンは、下手なスポーツジムの設備をはるかに上回る。ダイエットやらエクササイズに余念がない彼女たちにとって、これらが無料で使用できるのは何より大きい。

 彼女たちのメリットが大きいと言うことは、祥子たちにとってデメリットが大きいということでもある。だが、まっすぐな祥子がセルジュから譲歩を引き出すことは不可能に近いだろう。勝負はついたのだ。


「ほら、ボーイフレンドが待っているわよ梓川さん。もし、彼との仲がうまくいかないならいつでも相談にいらして、これから私はあなたの友人よ」

「ありがとうございます、青樹先輩」

「セルジュと呼んでくださいな」


 穏やかな微笑みであった。だが、司にはそれが罠をはった女郎蜘蛛に見える。一方、祥子はそんなことに気づきもせず、涙を浮かべて深々と礼をする。


「せ、セルジュ先輩! 失礼します」


 コイツは大人になったら詐欺に引っかかりそうだと司は思った。



「で、お前の話というのは何なのだ?」

「あ、うん、今回のことなんだけどさ」


 祥子から受け取ったコーラを開けながら、司が切り出す。祥子はめずらしく好物のオレンジジュースをやめ、どくだみ茶にしている。セルジュ曰く、美容にいいらしいのだ。


 司と祥子は屋上にいた。教室や武道場ではどこから邪魔が入るか分かったものではない。屋上なら出入り口はひとつだけなので、邪魔者が来ればすぐにわかる。


「安心しろ。セルジュ先輩のコスメ連合が仲間になったからには、我々は千人近くまで数を増やしている。過半数まで残り五百だ。勝ちは見えた」


 自信満々に言いながら祥子は、どくだみ茶を口にする。すぐに顔をしかめて缶から口を離したところを見ると、苦手な味だったようである。美の道は遠いなと司は思った。


「香織もがんばってはいるが、我々の団結力とカツ丼のうまさには勝てまい。ハハハハ、司もそう思うだろ」


 どくだみ茶を置いて、祥子はてすりをつかむ。大きく伸びをしながら、大空を見上げる祥子は昔と変わらず無邪気でかわいらしかった。


「司。司も私たちに協力してくれ。私は司が協力してくれれば……何と言うか……その」


 さっきまで威勢のよかった祥子があからさまに口ごもる。司は彼女の表情を見ようしたが、祥子はそれをたくみに避けて背を向ける。


「わ、私は……司と……カツ丼を食べるのが何より好きだぞ!」


 前半はたどたどしい小声で、後半は叫ぶような大声であった。自分のやることを司が認めてほしい。祥子の思いはその一点に集約される。

 だが、司は素直にカツ丼派を支持することができない。どうにしかして、この戦いを止めることが彼の指名である。


「祥子、この争いはもうやめないか? 香織と話し合って見る気はないか?」

「ないな」


 即答である。祥子は司が香織の名前を出すたびに、彼女のことを気遣う発言をするたびに複雑な顔をする。だが、その変化に気づくほど司は大人ではなかった。


「どうしていまさら話し合いなどするのだ。校内投票でさっさと決めればいいのだ」

「それなんだが……」


 不思議がる祥子に司は山倉たちから聞いた生徒会の動きを話した。最初は半信半疑だった祥子だが、話がくわしくなるうちに表情が変わってくる。


「校内戦争か……それは大変だな」

「だろ? だから、ここでもめるよりは話し合いで平和的にだな……」


 解決の糸口を見出したように思った司がさらに説得にかかる。しかし、祥子は手すりに背中を預け、考え込むように目を閉じ、司の言葉を態度でさえぎった。


「さ、祥子さん?」

「面白いではないか」


 目をゆっくりと開いた祥子の口元がキュッと上がる。さっきまでの年相応の女の子の顔ではなく、完全に武道家の顔になっている。


「香織とはどこかで決着をつけなければいかんと思っていたのだ。確かに投票などではアイツに完全勝利したことにはならないからな。校内戦争とは好都合だ。受けて立つ」

「はあ?」


 司の目論見は完全に外れた。校内戦争になるから争いをやめろという彼の言葉は、逆に祥子の武道家魂に火をつけてしまったのである。


「あ……」


 脳裏に昨年の校内戦争での風景が浮かぶ。あの時、シオン派として参加した祥子は、木刀を縦横に振るって鬼神の活躍を見せていた。その表情が水を得た魚のように輝いていたのを司は克明に覚えている。

 校内戦争はコイツの得意分野だ。今さらながらそのことに気づき、司はほぞをかむ。祥子を見ると、肩を震わせて笑みを浮かべている。はっきり言って怖かった。


「こうなると煉武会幹部を取り込んだのが功を奏するな。まあ、セルジュ先輩は役に立たないだろうが、香織についた連中など私と虎美、兄江くらいで十分だ」

「猫野センパイは?」


 司がその名を出すと、祥子は少し思案する。


「剣道部総がかりならば、さすがの猫野センパイも手も足も出まい」

「相当手も足も出してる気がするな。それは」


 祥子が見積もった猫野センパイの戦闘力は剣道部五十人分らしい。さきほどよりは幾分か緊張感があるが、強敵の存在を認識して祥子の笑みはさらに凶暴になる。


「司、見ていろ。香織をボッコボコにしてやる。まあ、ボコボコといってもちょっとだけお仕置きするだけだ。ケガはさせないから安心しろ」


 完全に勝者の余裕を漂わせて祥子が言う。その態度に少しだけカチンときた司は、以前から気になっていた質問をしてみることにした。


「なんでカツ丼なんだよ」

「?」


 勝ち誇る祥子の笑いが止まる。ポツリと言った司の言葉が彼女の表情を変えさせる。司は真剣な顔になって、祥子を見つめた。


「なあ、お前ってどうしてそんなにカツ丼が好きなわけ? そりゃあ、カツ丼はうまいだろうけどさ。でも、そこまで……」

「本気で言っているのか?」


 静かな言葉だった。そして、悲しげな声だった。

 祥子はまっすぐに司を見つめている。怒りの色はなく、ただ無表情に司を見つめていた。


「本気で言っているのか? 司」

「……ああ」


 豹変の意味がわからず、司は戸惑う。いきなり襲い掛かってくるかもしれないので

身構えつつ、彼は首を縦に振る。


「そうか……」


 祥子はそれ以上何も言わなかった。ただ、ゆっくりと手を持ち上げ、屋上入り口を指差す。


「行け、司」

「は?」


 突然の言葉に司は状況が飲み込めない。祥子のほうを見ると、すでに彼女は司へ背を向けていた。


「どういうことだよ、祥子」

「もういい。お前と話すことはない」


 祥子の言葉は冷たい。だが、その背中は何者も拒絶しているようで、司は言葉をかけることができずにその場に立ち尽くすだけだった。


「行け、司。香織のところでもどこでも行ってしまえ!」

「何、怒ってんだよ。説明を……」


 司の言葉が途切れる。祥子の姿に司は遠い日の色あせた記憶を重ね合わせた。


 あの時の祥子と一緒である。祥子はどうしていた? 何が原因だった? まだ小学校にあがったばかりの頃のはずだ。思い出そうとするが、断片しか再生されない。

 ひどく悲しげだった。そして、あの時に司は何かを言って彼女を慰めたのだ。


「司……行ってくれ……」


 祥子の口調が柔らかくなる。無理をしているのが容易にわかる言葉だった。放っておくことができず、司はその場で逡巡する。


「頼む……司」

「ああ……」


 最後までかける言葉が見つからないことを悔いながら、司は肩を落として祥子へ背を向けた。後ろ髪をひかれる思いだったが、自分の居場所がここにない気がした。


「司!」

「なんだよ」


 祥子が声をあげる。司は振り返らずにその場で聞き返す。


「……巻き込んで、すまなかったな」

「あ? ……いいって」


 背中越しに手を振る。屋上を去ったとき、司の胸に冷たい何かが流れた。

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