第3章 裏で動くもの<前編>
「カツ丼派には空手部が参戦。そのほか、弓道部や陸上部からも賛同者が出ています」
「ふぅん、さすがは梓川くんだねぇ。運動部への顔が広いや」
椅子の背もたれに体重を預け、シオンが風間の報告を聞く。風間は背筋をピンと伸ばしたまま、報告用紙をめくる。
「カツカレー派にはあの猫野センパイがつきました。それと科学部の松田の協力で、歴史研究会と生物部が参戦。さらに二次元同好会とお笑い研究会も合流したようです」
シオンは両手で持っている紅茶の水面を踊らせてながら、いつもの微笑みを浮かべる。
「猫野センパイがついたってことは柔道部の俵屋くんも何らかの行動を起こすはずだね。これで煉武会は割れちゃうな」
「はい、すべて会長の思い通りですね」
風間が薄く笑う。カミソリに表情があるとすれば、こういう笑みをする。そんな笑みだった。
風間の笑いを見て、シオンはわざとらしく驚いた顔をしてみせる。
「何を言い出すんだね風間くん。これはすべてカツ丼とカツカレーのどちらを学食に残すかという単純な話なんだよ。それを陰謀みたいに言わないでくれ」
「失礼しました。慎みます」
風間が軽く頭を下げる。シオンは紅茶のカップを机に置くと、椅子から身を起こして座りなおす。
「鮎川くんはどうだい? 新聞部の動向は?」
シオンにとって鮎川浪漫と彼がいりびたる新聞部の存在は脅威である。彼らは勝手に動く将棋の駒だ。できるだけ盤上から遠ざけなくてはならない。
「一応、監視はつけていますが……何分相手はあの鮎川先輩ですから」
猟犬の異名を持つ風間の顔がかげる。この学校内で鮎川浪漫の名は別格である。鮎川を敵に回すくらいなら、あの猫野センパイに売ったほうが百倍マシだと言われている。
「仕上げをできるだけ急いだほうがいいな。校内戦争の準備を始めてくれ」
校内戦争という言葉に風間の眉がわずかに上下する。だが、それ以上表情を変えず、風間はシオンに一礼して、執務室を後にした。
※
彼らが歩くと生徒たちが自然に左右へ分かれていく。
別に強面で威嚇しているわけではない。実際にゴリラみたいな顔の男が一人いるが、ほかは秀麗な顔をした生徒ばかりであった。中にはかわいらしいとさえ形容できる者もいる。
だが、生徒たちは道を開ける。その理由は彼ら一人一人が放つ武道家独特の雰囲気のためなのかもしれない。
梓川祥子と彼女に賛同するカツ丼派の面々である。
祥子のすぐ斜め後ろを歩く小柄な少女は小林虎美。その横にいる巨漢は兄江総一郎。彼らから少し離れて歩く長身の偉丈夫が空手部部長で煉武会代表の荒木である。
荒木は身長百八十七センチ、体重九十キロ。ヘビー級としては軽い部類だが、バネを思わせる引き締まった肉体は、歴戦の武術家らしい風格を感じさせる。浅黒く日に焼けた顔立ちは武道家にしては優しげで、人の好さが伺われる。
「おい、兄江よ」
「何ですか? 部長」
周囲の生徒たちが自分たちをよけていくのを申し訳なさそうに見ながら、荒木が後輩に声をかける。兄江は首をグルリと向けて、あまり緊張感のない声で答える。
「なんか番長グループみたいじゃないか?」
「ガハハハ、いいですねソレ。でも、番長は番長でも我々は正義の番長です。カツ丼廃止という暴挙に対し、正義の拳を振り上げたわけですから」
他人へ迷惑をかけるのを嫌う人格者・荒木の言葉など兄江は気にしたふうもない。もともと、二年生でも特に目をかけている彼の頼みだから引き受けたのだが、荒木は早くも後悔しはじめていた。
「こら、筋肉ゴリラーズ。いまさらブツクサ言わない」
兄江と荒木へジロリと視線を向け、虎美が冷たく言い放つ。兄江は一本とられたという顔で笑みを浮かべる。悪口だと認識してないようである。
「だ、そうですよ、部長」
「筋肉ゴリラーズ……」
どちらかと言うと黒豹と呼んでほしいなと思う荒木だが、あまり自己主張するのを好まない性格のために口をつぐむ。空手をやっている時は厳しい先輩なのだが、学校生活やプライベートでは非常におとなしい男なのである。
現在、彼らカツ丼派は学生食堂へ向かっている。もちろん、食べるのはカツ丼。大量にカツ丼を注文して、自派の存在感をアピールしようという作戦であった。
先頭を歩く祥子は無言である。まっすぐに正面を見て、足を踏み出している。表情こそ平静だが、何か全身からピリピリしたものを発している。生徒たちが道を開けるのは彼女のこの剣呑な雰囲気によるところが大きい。
祥子は不機嫌だった。それというのも今日の朝から司が妙に自分を避けているのだ。理由はよくわからないが、おそらく香織が原因だろうと想像していた。
正直な話をすれば、祥子は香織のことを嫌っていない。同性の自分から見てもかわいらしいと思うし、成績がいいことも尊敬する。そして何より胸が大きいのがうらやましい。
だが、顔をあわせるとどうしてもケンカになってしまう。それも司が同席している時は決まって大ケンカをやらかしてしまうのだ。
理由はわかっている。わかっているがどうしようもない。ストレートに「自分と香織のどっちを選ぶのか」と聞いてみたいと何度も思っているが、それで香織を選ばれでもしたら怖いのだ。相手はかわいくて頭がよくて巨乳なのだから。
そんな不安と焦りが募っている中に今日の司の態度である。声をかけようとすると脱兎のごとく逃げていく。香織の姿を探すと決まって彼女も見ない。つるんでいると考えるのは当然だと思っている。
(まさか……)
司がカツカレー派につくという最悪の事態が脳裏に浮かぶ。昨日の態度では司は祥子たちの勢いを見て、あまり乗り気ではなかった。汗臭い体育会系のノリについていけなくなって、カツカレー派へ走ったとしても不思議ではない。
「あ……」
そんなことを考えている祥子の前に一人の男子生徒が現れる。誰あろう彼女を思い悩ませている張本人であった。
「うえ、祥子」
司の顔が緊張にこわばる。その表情を見て、祥子はさきほどの感情を押さえつけ、コホンと小さく咳払いする。
「どうだ司。カツ丼派の一員として、一緒に学食に行かないか?」
「あ、いや……オレは……」
司があからさまに視線を外す。やはりやましいことがあるのだ。祥子は耳が熱くなるのを実感するが、必死に己を制御して冷静さを保つ。
「遠慮するな。ここにいるのは我がカツ丼派の仲間たちだ。一緒に食べよう」
必死に取り繕った笑顔で後ろにいる虎美たちを紹介する。だが、虎美たち三人の態度はそれぞれまったく異なっていた。
虎美は最初から司へ好意を持っていない。そのため、鼻を軽く鳴らしてそっぽを向く。祥子の命令だからイヤイヤ従っているといった様子である。
兄江のほうはさらに敵意が強い。祥子が親しく言葉を交わす男子生徒の出現に気が気ではない。ジロジロと値踏みするように司を見ると、野獣みたいな目で強くにらみつけた。
荒木はそもそも最初から乗り気ではない上に、司に対して何のしがらみもない。浅黒い肌とは好対照な白い歯を見せて、愛想良く笑うだけだ。
「えっと……」
司は祥子の誘いに口ごもる。どう考えても参加したくない集まりである。
司は昨日のことを考え、二人から距離を取ることを考えていた。学生投票の期日もまだ決まってないことだし、時間はまだしばらくある。彼女たちが冷静になるまで、おとなしくしているほうが得策ではないかと考えたのだ。
「どうした司?」
煮え切らない司の態度に祥子の中の不信感がどんどん大きくなる。だが、それを口にした瞬間、彼女のプライドが崩壊する。天才女剣士の中で乙女心が身悶えする。
だが、そんな祥子の乙女心など司に伝わるわけがない。頭をかいたり、ほおをかいて視線をそらし、「あー」とか「うー」とかしか言わない。
「あれだ。昼飯は山倉と……食べようかなって」
「では、山倉も一緒に食べようではないか。カツ丼はみんなで食べると倍うまいぞ」
祥子はなおも食い下がる。実際は司の胸倉をつかんで、問いただしたいのだが、そんなことをすれば嫌われてしまうのは今の祥子でもわかる。
「あら、司! そして、梓川さん……」
「くっ!」
階段を生徒の集団が降りてくる。見上げるとその先頭に立っているのは、見慣れたユルフワヘアーの美少女だった。階段を残り二段残して彼女は立ち止まり、ちょうど祥子と同じ高さの視線を確保する。
「お前も昼食か、香織」
「ええ、みんなでカツカレーを一緒に食べようと思いまして」
香織はそう言って、自慢げに後ろの生徒たちを見やる。
「なるほどねぇ」
「ニャ」
「……」
「おいおい」
祥子が率いてきた生徒たちと、香織の後ろの生徒たちがそれぞれの感想を小さくもらす。
松田はいかにも女たらしな甘いマスクで見下ろし、荒木はさっきまでの人の好い少年の顔から厳しい空手家の顔になる。ちなみに先日の墜落事故で松田の頭部は包帯にまかれており、髪型はわからなかった。
虎美はまっすぐに猫野センパイを見上げる。落ち着きなくあらぬ方向ばかりを見ていた猫野センパイだが、虎美の視線にこもったものに気づき、口の端を吊り上げる。
兄江と言えば、さっきからずっと司をにらみつけている。ブレない男なのである。
「有名人を集めているようだな。学生投票が面白くなりそうだ」
「ええ、誰かの泣きっ面が拝めると思うと楽しみで仕方ありません」
司の場所は奇しくも両派閥のど真ん中である。タイミングの悪さに自分を呪いつつ、彼は脱出の方法を探る。数秒で不可能だと悟った。
「ほら、司。カツ丼食べに行くぞ。おごってやる」
「あら、司は私たちとカツカレー食べに行くんですものね」
「ああ、うう……」
すでに生徒たちも彼女たちのただ事ならぬ緊迫感に気づき、人だかりを作っている。退路は完全に立たれた。そして、司が生き残るにはどちらかを敵に回すしかない。
「助けて……ドラちゃん……」
小声で情けないセリフをつぶやいてみる。だが、もちろんあの青いネコ型ロボが来るはずはない。ドラちゃんはいつも家で少年が泣きつくのを待っているものだ。
香織と祥子の顔が迫る。先日と同じく壁に追い詰められ、司は絶体絶命のピンチに陥っていた。
「ああ、探したよ天道くん」
涼やかな声が重苦しい空気を一瞬で吹き払う。声を聞いた瞬間に猫野センパイが、荒木が、松田が、虎美が同時にその方向を向き、香織と祥子も司から目を離す。
だが、兄江の視線は司から外れない。ブレない。兄江はブレない。
「鮎川……先輩」
搾り出すように祥子が声を発する。兄江以外の全員が向ける視線の先には、伝説の三年生・鮎川浪漫の姿があった。
鮎川の姿を見たとき、司は地獄に仏を見た気分を実感する。桜稜屈指の猛者たちを前にしても動じる様子もなく、鮎川は自然な足取りで司のほうへ歩いていく。
「この前、読みたいと言っていた本を持ってきたんだ。貸してあげるから一緒に昼ごはんを食べよう」
片手に持った紙カバーをかけた文庫本サイズの書籍を見せて、鮎川がいつも通りの悠揚な態度で言う。何の不自然さもない接近にも関わらず、荒木と虎美がさっと道を開ける。
「あ、ありがとうございます」
司は鮎川に本を貸して欲しいなど頼んだことはない。おそらく、司のピンチを見かねて鮎川が機転をきかせたのだろう。生徒たちの目がなければ、抱きつきたいほどうれしい。
「ほら、行こうか」
「待つニャ。鮎川」
間延びした猫野センパイの声に、その場にいた全員が凍りつく。司が階段のほうを見上げると両腕を組んだ猫野センパイが今までにない冷たい視線で鮎川を見ていた。
「お前とその坊やはどっちにつくつもりニャ? カツ丼とカツカレー」
その言葉に祥子と香織も緊張する。どのような場合でも常に中立の立場を保ってきたのが鮎川浪漫なのだ。だが、その彼がどちらかについたらどうなるか。想像するだに恐ろしい。
猫野センパイの問いに鮎川は微笑を返した。猫野センパイの隣に立つ松田の顔がこわばるが、猫野センパイ自身は表情ひとつ変えない。
「キミはどうしたい? ボクが味方になったほうがいいかい? それとも敵にしたい?」
鮎川の問いに猫野センパイの目がキラリと光る。一瞬、瞳が金色になった気がして、司の背筋が寒くなった。
「そりゃあ、味方になったほうが心強いニャ。でも、敵になってもそれはそれで……」
「セ、センパイ!」
たまらずに香織が猫野センパイの言葉をさえぎった。鮎川は青ざめる香織へニッコリと笑いかけると、司へ本を渡す。
「すまないね。高原くん、梓川くん、彼氏を借りていくよ」
「えっ」
「なっ」
二人が何か言うヒマもなく、鮎川は司の腕をひいて小走りにその場を立ち去る。残された両派の面々は毒気を抜かれた顔で彼らを見送った。




