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第2章 学食情勢は複雑怪奇<後編>

「煉武会がカツ丼派につく?」


 校舎の廊下で香織の姿を見かけた司は、先ほどのことを彼女へ話した。


 別に味方についたわけではない。さすがに最強集団・煉武会が向こうに着いたなら諦めるだろうと考えたのだ。並の動員力では勝ち目が無い。勝気な香織だって話し合いの道を模索するだろう。


 しかし、香織は煉武会参戦のニュースを鼻で笑う。余裕を見せる彼女の態度に、司は拍子抜けしてしまう。


「余裕だな。祥子が煉武会を取り込もうってのに」

「まあ、煉武会なんて筋肉バカの集団でしかありませんわ。恐るるに足りずです」


 ビビシッと司のほうへ人差し指を向ける。小さい体のどこにそんな自信と元気が詰まっているのだろうかと思い、司は彼女の動力源が原子力ではないかとふと妄想した。


 香織の表情はあくまでも余裕である。腰に手を当てたポーズで、大空へ向かって不敵な笑みを浮かべていた。宇宙人とでも戦っているのだろうか。


「で、そっちは集まったのかよ。カツカレー支持派」

「ふふふ、向こうが数ならこちらは質ですわ」


 学生投票で決めるんだから数は大事だと思ったが、面白いのでそこは指摘しないでおくことにした。


「質だってかなりのもんだぜ。祥子のほかに剣道部の天狗娘に空手部の……筋肉ゴリラ」

「兄江さんですね。それに荒木先輩まで加わるとなると少しだけ厄介です」


 情報収集能力は香織のほうが上らしい。司は鼻から息を吐きながら、肩をすくめる。


「だから、お前も意地なんて張らずにさ……」

「そのくらいのハンデがないとケンカをする意味なんてありませんわ」


 ニヤリと笑う香織を見て、司は頭を抱えたくなる。チビで子供みたいな顔のくせにケンカ好きなところだけは祥子に勝るとも劣らない。


「でも、私うれしいんです」


 さっきまでのやる気満々の表情が消えて、女の子らしい柔らかい笑顔が浮かぶ。機嫌のいいときに彼女が浮かべる表情であった。司はちょっと意外な気持ちで彼女の次の言葉を待った。


「司は私の心配をして報告にしてくれたのでしょ? つまり、司は私の味方になってくれるということですわね? それがうれしいんです」

「いや、それは……」


 司の両手を握って香織が感謝の意を示す。小さな手のぬくもりを無碍にもできず、司は困った顔で彼女の顔を見下ろす。


 香織の顔は無邪気そのものであった。幼子が母親の愛情を疑わないように純真そのもの表情で司に微笑みかける。昔、寂しそうに公園の滑り台に座っていた彼女に声をかけた時のことを思い出し、司も知らずに頬を緩ませる。


「司がいれば私も百人力です。さあ、行きましょう」


 香織は元気よく司の手を引いて、別館へと続く廊下を歩き出す。この先には図書室と第一視聴覚室があるだけである。彼女の意図がわからずに司は首をかしげた。


「おい、まさか文芸部とか図書委員を味方に引き入れるつもりか? 無茶だろ」


 確か香織は文芸部の所属である。だが、文芸部にはちょっと頼りなさげな部長と数人の部員がいるだけで、煉武会五百人に対抗することなど想像もできない。


「もちろん、文芸部は仲間に引き入れました。玲川部長以下部員四名がカツカレー派に協力してくれます」


 香織を入れてもたった六人である。数の劣勢は明らかだ。


「だったら、サッカー部とか野球部とかさ……」


 そう言いかけた司はあわてて口をつぐむ。二人の争いを止めるために行動しているのであって、どちらかに肩入れするわけにはいかない。そう司は自分を戒めた。


「もちろん、そっちにも手はうっています。今頃、玲川部長が交渉しているはずですわ」


 自分のところの部長を使い走りにしているのかと司は呆れる。だが、さすがに二年ナンバー1の優等生だけあって、布石はちゃんと打っているようだ。


「それに煉武会といえども一枚岩じゃありませんわ。空手部と剣道部が組んでも、柔道部が賛同しないなら煉武会は動きません……」

「まさか……」


 さっきまでのかわいい笑顔はどこへやら、完全に策士の顔で香織が歯を見せる。


「別にこちらについてもらう必要はありません。投票を棄権してくれれば十分です」

「なるほど……って相変わらず汚ねえな」


 司の言葉に香織は心外と言いたげなしかめ面を見せる。


「汚いのではないです。機略縦横、神算鬼謀、深謀遠慮、頭脳明晰、容姿端麗」

「後半から関係なくなってるぞ」


 脱線しそうなので司が修正を図る。香織はコホンと息をつき、いつもの自信ありげな顔に戻る。


「まあ、投票日にはあっと驚く造反劇が目白押しになる予定です。正攻法しか知らないメスゴリラに思い知らせてやりますわ。文明人の知恵の恐ろしさを」


 それを汚いと言うんじゃないかと司は内心でぼやいてみる。そうこうしているうちに二人は図書室の入り口にたどり着いた。


「さて、行きますわ。司、護衛は頼みます」

「ご、護衛?」


 思ってもみない言葉に司は自分の耳を疑う。うちの学校の図書室には、人間を食らう化け物でも棲んでいたのだろうか? 本を食う女生徒なら心当たりがあるが、妖怪が棲みついているというウワサは山倉からも聞いたことが無い。


「あの人、寝起きを邪魔するとすごく機嫌が悪くなるんです。ですから、怒ったときには私を守ってくださいね」


 香織が子猫のようにかわいらしく首をかしげる。普通の男子ならその可憐さに魂まで売り渡してしまうだろうが、長年の付き合いである司には通用しない。


「機嫌が悪いって言ってもよ。それだけで、襲ってくるわけねえだろ」

「人間だと思っちゃいけませんよ。相手は野生の獣です」

「はあ?」


 香織の言っていることは複雑すぎて司の理解を越える。香織はそれ以上説明せずに、人もまばらな図書室をキョロキョロと見て回った。


「あ、いたいた」


 窓際の夕日が注ぐテーブルの上で一人の女生徒が寝ている。香織は司を手招きで呼んで、彼女を指し示した。


「なんだ。ありゃ」


 奇妙な光景である。普通に椅子に座って、テーブルの上に突っ伏して寝ているなら何の問題はない。そんなの授業でもよく見るし、司だって驚きはしない。


 だが、その女生徒はこともあろうにテーブルの上に足までのせ、丸くなって寝ているのだ。わかりやすく説明すると……。


 ネコのひなたぼっこそっくりである。


「ネコだ。ネコがいる……」

「猫野センパイです」


 香織の言葉を聞いて司は納得する。三年生に変な先輩がいるというのは、前々からウワサになっていたのだ。


 彼女の名前は猫野センパイ。下の名前はなぜかわからない。クラスに顔を出すことはまれで、学校中をフラフラうろついては、日の当たる暖かい場所で寝ているそうだ。恐ろしく気分屋で扱いが難しいのと、成績は抜群にいいために、教師からは指導を半ば諦められている伝説のセンパイだ。


 その話を聞いた時には冗談か都市伝説だと思っていた。常識的に考えればそんなセンパイが存在するはずがない。名前さえわからないって何だよと司は思っていた。

 だが、その伝説が目の前にいる。図書室のテーブルの上でひなたぼっこしている。


「あれが……」

「ええ、センパイは放課後になるといつもここで寝ているのです。夕日が気持ちいいらしいのです」

「しゃべったことがあるのか?」

「ええ、一応」


 本棚に隠れながら司と香織は様子をうかがう。猫野センパイは陽光を気持ちよさそうに浴びながら、寝息を立てているだけだった。


 丸まっているのでよくわからないが、身長は香織と同じくらいだろう。ゆるくウェーブのかかった髪を右サイドで結ったヘアスタイルで、頭を動かすたびにネコのしっぽのようにピョコピョコ揺れている。


「で、なんで猫野センパイなんだ」

「あの人、ああ見えて異常に顔が広いんですよ。ですから、味方に引き入れて損は無いのです」


 人は見かけによらないものだと司は感心する。だが、自分のすぐそばにも似たようなのがいるのを思い出す。なるほど、類は友を呼ぶわけである。


「では、護衛をお願いします」

「大丈夫だと思うがなぁ」


 香織と同じくらい小柄な女の子が怒ったところで、たかが知れている。トタトタと歩いていく香織の後ろから、ポケットに手を突っ込んだままで司はついていった。


「センパイ? 猫野センパイ?」


 夢の世界を満喫してそうな猫野センパイの肩を香織がゆする。起こそうという意思があまり感じられない優しいゆすり方であった。


「センパイ? 起きてください」

「ニャー」


 マジでネコだなと司が苦笑する。眉間にしわをよせて、眠りから覚めることをイヤがる猫野センパイに香織は司へ助けを求める。


「どうしましょう。起きません」

「もっとちゃんと起こせよ」


 あんなゆすりかたでは、自分だって起きないと司は笑う。仕方が無いので香織に代わって司が猫野センパイの肩をつかむ。あまり対立に手を貸したくないのだが、香織の困っている姿を見るとつい力を貸したくなってしまうのが司の悪いクセだ。


「猫野センパ……」

「ニャ!」


 一瞬のことだった。


 司が猫野センパイの肩を強くゆすった瞬間、何かが司の頬を通過した。うすら寒い感覚が皮膚を伝わり、次に生暖かいものが頬を伝う。


 司は頬を切られていた。切ったのは目にも留まらない速さで放たれた猫野センパイの手刀である。


「わあああああ!」

「司! 司、しっかり!」


 驚いて腰を抜かす司に香織が駆け寄る。すぐさまハンカチで頬の血をぬぐう香織に気づかず、司はテーブルの上でゆっくり動き出す猫野センパイを恐怖の眼差しで見上げた。


「な、なんだ……なんだ、これ」


 司の動体視力はかなりいいほうだ。さっき、祥子がふるった木刀の動きだってある程度終えたし、弾幕系シューティングゲームだって、かなり回避できる。


 その司でも血が流れるまで気がつかなかったのだ。それも丸まった状態というおよそ打撃には向かない姿勢からの攻撃である。

 戦闘力に関して、桜稜にはトンデモない生徒が多い。祥子もそうだし、虎美も兄江も相当な使い手である。武装風紀の風間もかなりのものだ。


 だが、今のはレベルが違う。祥子たちが天才なら猫野センパイは化け物だ。


「大丈夫? 司、返事をして!」

「大丈夫に決まってるニャ。薄皮一枚切っただけニャ」


 つり目を愉しげにつり上げ、猫野センパイが笑う。本当にネコのように見える。それも化け猫の類だ。


「私の安眠を妨害するとはいい度胸だニャ。三枚におろしてやろうかと思ったが、カオルンに免じて、それで勘弁してやるニャ」


 体重を感じさせない動きで床に降りた猫野センパイは、ニヤリと笑う。


「この子がカオルンの彼氏ニャ? ラブラブだニャ」


 猫野センパイの言葉に香織と司はお互いの顔を見合わせる。そして、自分たちの今の状況に気づき、赤面してしまう。

 頬を流れる血をぬぐうために、香織は抱きつくような形で司によりかかっている。そして、司も無意識に香織の体を抱きとめ、二人はちょうど抱擁しているように見えた。


「わわ!」

「あっ!」


 司があわてて香織の体を引き離す。視線を伏せる香織を見て気まずくなった司は、わざとらしくズボンのほこりを払いながら、立ち上がった。


「だ、大丈夫。かすり傷。何ともない」

「あ、うん……よかった」


 香織のほうもよそよそしい態度になる。猫野センパイといえば、そんな後輩たちの反応を交互に楽しんでいた。


「で、何の用ニャ? そろそろ、日が暮れるからセンパイは帰るニャ」

「あ、そうです。重要な用事が……」


 香織がカツ丼とカツカレーのことを話す。猫野センパイはピンとこない顔をしながらも、髪をピョコピョコと動かして香織の話を聞く。


「センパイはカツ丼もカツカレーも食べないニャ。どっちでもいいニャ」

「そ、そうですよね。ほら、香織。センパイはダメだってさ」


 騒ぎの拡大を恐れる司は内心ホッとしながら、残念そうな口調で香織に言い聞かせようとする。


 だが、猫野センパイの言葉にはまだ先があった。


「でも、空手部の荒木と剣道部とさっちゃんがやる気なら受けてたつニャ。安心するニャ。柔道部に声をかけてあげるニャ」

「なっ?」


 意外な言葉に司が固まる。なんでこの人が柔道部の方針を決めているのか理解できない。


「柔道部がなんでセンパイの……」

「柔道部の万ちゃんはセンパイの直弟子ニャ。師匠の命令は絶対ニャ」


 万ちゃんとはおそらく柔道部主将の俵屋万次郎のことだろう。猫野センパイと同学年のはずだが、どうして師弟関係を築いたのかは想像したくない。


 猫野センパイはニヤニヤとチェシャ猫みたいな笑みを浮かべている。その表情を見て、司はこのセンパイの本性を垣間見た気がした。


 トラブルに首を突っ込むのが大好きなのだ。ほぼ間違いなく。


 げんなりしながら猫野センパイを見つめていると、彼女は不意に眉をしかめて困ったような顔をする。もしかするとお腹が空いただけかもしれないが。


「でも、さすがに万ちゃんでも荒木とさっちゃんを敵に回すのはキツいかもしれんニャ」


 困っていたらしい。


「今、ほかの部にも連絡回していますし、まだまだ集まりますよ」


 香織が言うと、猫野センパイは首を横にふった。


「そういうことじゃないニャ。万ちゃんは仮にも煉武会の幹部ニャ。正面切って代表の荒木に歯向かうのはまずいニャ。せいぜい中立でいてもらうくらいしかできないニャ」


 猫野センパイの言葉を聞いて、司は意外な顔をする。適当なセンパイかと思っていたが、けっこう常識がわかるらしい。


「それは理解しています。柔道部の皆さんには投票棄権をお願いしたいのです」

「うむ、了解したニャ。万ちゃんに言っておくニャ」


 妥当な判断である。これならまだ話し合いの余地はある。司は何とか香織と猫野センパイを説得しようと口を開こうとした。


「でも、棄権だけでは頭数が増えないニャ。仕方ニャい。変態集団を使うニャ」

「変態集団?」


 司が聞き返す。この先輩も十分変態だと思うのだが、その彼女がわざわざ変態と言うくらいだからよっぽどなのだろう。


「文化部部室棟の二階左端に行ってみるといいニャ。十分気をつけるニャ」


 ちょうど新聞部の真上である。どこの部が使っているかを思い出そうとした司の顔へ、そよ風がふきつける。


「え?」


 見れば猫野センパイが図書室の窓を開けていた。香織と司が呆然としていると、猫野センパイの足が窓枠にかかる。


「ではニャ! 四の五の抜かしたらセンパイの名をだすニャ!」

「あああああああ!」


 一瞬だった。猫野センパイの小さな体が夕日の中に躍る。何の迷いもなく空中に飛び出した猫野センパイの体は、あっという間に彼らの視界から消えた。


 自殺? まさか、あの先輩に限ってありえない。司と香織はすぐに窓に駆け寄って、外を見下ろす。


 猫野センパイがいた。空中で見事な宙返りを繰り返すと、彼女の体は音もなく地面に降り立つ。立ち上がった猫野センパイは、司たちを見上げるとビシシッと敬礼して、飛ぶように校門へと走っていった。


「ご帰宅のようです」

「カバンも持たずにか?」


 いろいろと自由すぎる人だった。嵐が過ぎ去ったような倦怠感を覚えつつ、司は彼女の消えた校門をしばらく眺めていた。


「司、大丈夫ですか?」


 香織が手を伸ばして、猫野センパイに切られた頬をなでる。すでに痛みはない。紙で指先を切った時と同じく、鋭い傷は痛みのひくのが早い。


「ごめんなさい。ケガさせちゃった」

「あ、気にすんなよ。こんなのすぐにふさがる」


 そう言う司を無視して、香織はポケットからバンドエイドを一枚取り出した。ピンク色のイチゴがプリントされたかわいらしいヤツだ。


「貼ってあげます」

「いいって」


 司が拒絶しても香織はひかない。根負けした司が顔を少し下げると、香織はニコッと笑ってバンドエイドを傷の上に貼りつける。


「懐かしいですね」


 香織が感慨深げにつぶやく。司は貼られたバンドエイドを何度かなでると、彼女のほうを見る。


「昔の司はいつもほっぺやヒザ小僧にバンドエイドを貼ってました」

「あれはおじいのせいだ」


 司がしかめ面をする。おじいとは司の祖父のことだ。


 司の祖父は時代劇にでも出てきそうな厳格な人物で、三歳の頃から孫に竹刀を与えて鍛え始めたほどの剣道好きであった。家の裏手にある小さな道場で、司は近所に住んでいる女の子・祥子と一緒に剣をふるったものだ。


 司は小学校の時を思い出す。道場で祖父に指導を受けながら竹刀を振る司と祥子。そして、それをチョコンと正座して見守る香織。あの頃の彼らはそれが日常の風景だった。

 祖父は司たちが中学二年生の時に他界している。その後、司はある出来事をきっかけに剣を置くことになったのだ。


 苦い記憶を思い出した司は、またバンドエンドをなでた。


「なあ、香織」

「ん? 何ですか?」


 香織の顔を見つめる。多少大人びてはいるが、最初に会った頃のかわいらしい女の子の面影は変わっていない。


「あの頃みたいにさ。祥子もさ……」


 仲良くできないかと司が口にしようとした瞬間、香織は顔をそむける。それは自分の表情を悟られないようにすばやかった。


「おい、話を聞けよ」

「私はセンパイに言われたところに行かないと行けないのです。ほら、早く」


 明るい声で司を呼びながら香織は歩いていく。司は頭をかいて、仕方なくその後についていくことにした。



「なるほど、猫ちゃんがな……」

「はい、こちらで協力を求めろと」


 香織が事情を話す。相手は表情ひとつ変えず、その場に直立している。

 いや、表情など土台わかるわけがないのだ。相手は銀色に鈍く光る金属製の仮面をかぶり、両目にあたる部分から青白い光を放っているのだ。


「すげえな科学部……」


 司と香織はグラウンドの一角にいた。文化部棟の二階端を訪ねたところ、その部室の主たちは野外実験の最中で留守だった。そこで生徒たちに聞いて、この場を突き止めたというわけである。


「脚部スラスター同調OKです!」

「ジャイロバランサー動作確認!」


 赤と銀色の装甲板で構成された人型に何本もチューブがつながれている。部員たちは忙しくノートパソコンと機械の計器や人型へ視線を動かしながら、手順を大声で報告し合っていた。


 彼らは桜稜高校科学部の部員たちであった。科学部といっても他校の部活とは比べ物にならない。実際に特許をいくつか保有しており、その使用料で部費を賄っているという恐るべき営利団体である。一説によると一千万単位で予算が動かせるという。


 科学部員の説明によると、この実験は多目的パワーアシストスーツの実験なのだそうだ。パワーアシストスーツとは、モーターなどで装着者の動きをサポートする機械で、介護現場や工事現場での活躍が期待されている。目の前に立つ変身ヒーローもどきは、実際のものを参考に科学部が試作したものである。


「猫ちゃんの頼みとあれば、手を貸さにゃいかんな」


 人型から電子処理された男の声がする。その言葉に香織の顔が明るく輝いた。


「ほんとですか?」

「ほんとほんと。オレってば、かわいい女の子のためなら死ねる男だもの」


 あまり信用できそうにない言葉だと司は内心で思っている。そもそも、こんな変なものを着ている人間は信用できるわけがない。


 面識はないが、科学部の松田帝人のウワサは聞いたことがある。学業優秀でスポーツ万能という見事な完璧超人で、多くの男子生徒に彼のことを聞くと「ケッ!」というセリフが語尾につくという圧倒的な嫌われ者である。


 ただの優等生なら別に反感は買わない。イケメンだって別にかまわない。この松田の嫌われるところはほかの部分だ。オシャレで女性に優しく、歌はうまいわギターは弾くわと女に好かれる要素をフル装備している男なのである。その上、「松田先輩が声をかけた後には猫野センパイしか残らない」という格言さえ存在する女好きだ。


「ケッ!」


 例に漏れず司も松田を好きになれない。今、香織と楽しげに話している銀赤のロボットスーツを見ていると、腹の奥にムカムカと何かがこみあがってくる。


「もう、松田先輩ったら」

「ハハハ、冗談じゃないよ。どうだい? 今度一緒に貴苗モールでデートでも?」


 愉しげに笑う香織を見て、司は何度止めようかと思ったかわからない。目の前で幼なじみがオオカミの口の中でワルツを踊っているのだ、心配しないほうがどうかしている。


「大変そうっすね」


 ノートパソコンに視線を落としたまま部員がポツリと言う。司はジロリと彼へ視線を向けた。同情されてしまったらしい。


「ハハハ、もうイヤですよ先輩」

「そんなこと言うなよ。ね? 今度さ……」


 なごやかなムードで二人の話が弾んでいく。それを傍観しながら、司は自分が何をやっているのかわからなくなっていた。


 松田の手が香織の肩に触れる。さりげないが明らかにいやらしい意図を持ってやっている行動だ。さすがに放っておくことができず、司は近くに置いてあった樹脂製のバーへと手を伸ばそうとする。


「イヤだって言ってるでしょ!」


 クワァァァァン!


 いきなり香織の平手が松田のヘルメットをひっぱたく。一瞬、松田は何が起きたかわからずに、パントマイムの人形のように静止した。


「おおおおー」


 部員から驚きと感嘆の声があがる。全員の視線が賞賛と感謝をふくんで、上気した香織の顔に注がれる。


「痛いなぁ。まあ、本当は痛くないんだけどね」


 わざとらしく頬の部分をさすって松田の声が笑った。香織は険を含んだ眼でその光る眼光をにらみ返す。その瞳にはうっすらと光るものが浮かんでいる。


「ど、どうしたんだよ、香織」

「わ、私のこと彼女にしてやるって言うんですよ! 司というものがいる私に!」


 慌てて駆け寄った司に香織が抱きつく。司の胸にしがみつき、香織はトンデモないことを科学部一同の前で口にした。


「おおおお」

「ち、違う! これは……あ、えっと……」


 またも科学部全員が感嘆の声をあげる。どう見ても勘違いされる。司はその好奇の視線をさえぎるように何度も手を交差させる。


「略奪愛と言うのも燃えるなぁ」

「部長。調整が狂うので動かないでください」

「あ、ごめん」


 司のほうへ歩いていこうとした松田は、部員の言葉で定位置に戻った。顔だけ司と香織のほうへ向けて、松田は声をかける。


「いいのかい? ボクの協力がないとカツカレー派は負けちゃうよ? ボクが声をかければ文化部系は相当動くぜ? 女子だって何人味方になってくれることか……」

「けっこうです!」


 完全に香織は怒っているらしい。お嬢様だけあって、香織は男女の貞操というのにやたらと厳しい。司がほかの女へ興味を持つのも許さないし、自分がほかの男と仲良くすることも許せない性格なのである。


「司を裏切るくらいなら、私は……私は……」

「カツカレーを諦める?」

「う……」


 松田の言葉に言葉がつまる。カツカレーには未練があるらしい。そこまでカツカレーを愛するのは尊敬に値すると司は素直に感心してしまう。


 しばらくの沈黙が流れる。香織の視線は松田と司の間を何度も行き来する。司は哀れになってきて、科学部を諦めろと言ってやろうと決心する。


「おい、香……」

「ハハハハハハ!」


 腹の底からの笑い声が響く。見れば、松田が腹を抱えて笑っていた。調整を行っていた部員が眉をしかめ、諦めたようにため息をついた。


「すまんすまん。つい、大人げなく意地悪をしてしまったね」


 また直立不動になって松田が謝罪する。部員たちが再調整のためにスーツの各部にとりつく。


「そこまでカツカレーとカレシへの愛を見せつけられては、ボクも何かしないといけないな。いいよ。了解した。部員に無理強いはできないが、少なくともこの松田帝人はカツカレー派につこう」

「部長、動かないで」

「あ、ごめん」


 調整を続けながら、部員が香織のほうを見やる。香織は信じられないという顔でその場に立ち尽くしている。


「オレもカツカレー派につきますよ」

「あ、オレも」

「ボクもカツカレーで」

「ん~、オレも」


 次々と部員たちが名乗りをあげる。総勢で二十人以上いる。


「み、皆さん」

「どういうこったよ」


 感極まる香織の隣で司が呆れる。すると、メガネをかけた女子部員が司の肩をポンと叩く。


「あの松田部長が女の子に殴られるとこなんて滅多に見られないからね。いいもの見せてもらったお礼だよ。みんな、高原さんのファンになったんじゃないかな?」


 メガネの女子部員が笑う。それを聞いて、司は無言で頭をかいた。


「よっしゃ、調整完了です。部長どうぞ」


 接続されていたチューブを切り離し、部員たちが松田から離れていく。司と香織も部員に促されるまま、距離をとる。


「何が始まるんだ?」


 部員から渡された眼球防護メガネをつけながら司が聞く。部員は視線を松田へ向けたまま、説明する。


「多目的パワーアシストスーツの飛行テスト」

「飛ばすのかよ……」


 明らかに介護や工事現場では必要の無い機能だと思うが、メカが飛ぶという事実は司の少年心を刺激する。松田がスーツの作動を確かめ、ポーズを取るのをじっと見守る。


「部長! 最初は出力何パーセントでいきますか?」

「そうだなぁ……まずは一〇パーセントでいってみようか!」


 そう松田が言うと同時に彼の体は弾丸のように上昇する。ロケット花火かと思うほどの加速で、銀赤のスーツが空を飛翔する。


 パァン!


 赤い夕暮れ空に乾いた音が響き渡った。

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