第1章 カツ丼かカツカレーか<後編>
「納得できんぞ!」
「断固撤回を求めます!」
学食からまっすぐ生徒会室へ向かった祥子と香織は、シオンの座る机を思いきり叩いて抗議の声をあげた。
やっと解放された司は生徒会室の応接ソファに座って、出されたダージリンを飲んでいる。相当高い茶葉を使っているらしいが、こちらをじっと見ている風間の眼が怖すぎて味などわからなかった。常に剣の柄に手がかかっているので生きた心地がしない。
「まったく、僕の昼食を邪魔してそれかい」
エリートらしからぬショウガの匂いが生徒会室に充満している。見れば机の上には美味そうなブタのショウガ焼きがあった。スーパーエリートの生徒会長も庶民的なものを食べるのだなと、司はこのエリートに少しだけ親近感を持った。
「学食の運営状態改善は早急なんだ。ボクは寄付金などの援助なしでこれを改善させると先生方に約束した。今更撤回などできないよ」
「でも、カツカレー廃止はあんまりですわ!」
「カツ丼がない学食など、ただの食堂ではないか!」
カツ丼=学生という発想が司にはあまり理解できなかったが、彼女たちの憤りは理解できる。二人ほどではないがカツ丼とカツカレーが好きな司にとっても、両メニュー廃止はかなりの痛手なのだ。
できれば残したい。カツは残したい。
「風間くん、キミはあの通告文を確かに貼ってきたのかね?」
シオンが風間のほうへ視線をおくる。すると、風間は命令を受けた犬のように全身をピンと伸ばして敬礼する。
「はっ、確かに会長の通告を学生食堂掲示板へ掲示しました」
「ふむ」
湯気の昇るブタのショウガ焼きに銀のフタをかぶせ、シオンは両手を組んで考え込む。彼の言葉を待ちながら、祥子も香織も段々と焦れていくのが司にはわかった。
「キミらはちゃんと通告文を読んだのかね?」
「な?」
不意にシオンが祥子へ質問する。虚を突かれた形になった祥子は、一瞬助けを求めるように香織を見るが、すぐに視線を移し、司のほうを見る。
祥子の視線を受けた司だが、山倉が言った以上のことは知らない。期待にこたえることはできないと肩をすくめてみせた。
「困ったなぁ。抗議するならちゃんと通告文を読んでくれないと」
シオンがいつものアルカイックスマイルを浮かべる。そして、そのまま開いているのだか閉じているのだかわからない眼を風間へ向ける。
「風間くん、彼女たちの勘違いしている部分を暗唱してくれたまえ」
「はい」
シオンに命じられた風間は薄く笑みを浮かべた。土台が美少年だけにやたらといやみったらしい。さすがに司もカチンとくるが黙って紅茶をすする。
「経費削減のため、学生食堂のカツカレーとカツ丼のどちらかを廃止する」
「どちらか?」
カップから口を離した司が眉をひそめる。祥子と香織も瞬間的にお互いをみやり、すぐに視線をそらす。こういう時くらい仲良くしろよと司は内心でため息をつく。
「こちらとしては一つ削減しただけで赤字は大分解消されるからね。廃止するのは片方だけということにしたんだよ」
シオンの笑みは崩れない。祥子と香織は一瞬安堵の表情を浮かべたが、すぐにお互いの様子に気づいて表情を引き締める。
「さて、ご理解いただけた?」
「……わかりましたわ」
「片方が廃止か……」
二人は何やら考え込む。シオンの魂胆を理解し、司は二人が罠にかからないことを祈った。現時点では望み薄だと思っていたが。
「では、どちらを廃止すべきか、キミたちの意見を聞こうか」
罠の口が開いた。司は二人へ意見しようと立ち上がりかけるが、風間がさりげなく間に入って、司の動きを制した。
「くっ」
背中越しにも風間が冷笑しているのがわかる。押しのけようとするが、それよりも二人の返事のほうが早かった。
「「もちろん!」」
「カツカレーを廃止すべきだ」
「カツ丼廃止ですわ」
予想通りの言葉が祥子と香織の口から出てきた。それを聞いた瞬間、司は奥歯をかみしめ、机の向こうのシオンをにらみつける。
この学校内で祥子と香織は有名人である。そして、彼女たちが大のカツカレー、カツ丼好きであることも知られている。今回の廃止が発表されれば、反発するのは火を見るよりも明らかだった。
同時廃止ならば両者は共闘し、生徒会に抵抗するだろう。知名度や人望から考えても参加する生徒数はハンパではない。だが、片方廃止ならば勢力は半減するし、存続を条件にもう片方を味方に取り込むことだってできる。
「意見が分かれるのは困るんだがなぁ」
さして困ってなさそうな顔でシオンがつぶやく。祥子と香織はお互いをキッとにらみ、敵意をむき出しにする。最悪の事態である。
「カツ丼だ!」
「カツカレーですの!」
シオンの作戦はさらにいやらしい。祥子と香織の対立を煽ることで、怒りの矛先を生徒会からそらしたのである。これでどちらが廃止されても恨みは生徒会よりも相手に向くことを計算しているに違いない。
「お、おい……お前ら」
取り成そうとする司の言葉など、頭に血が上った彼女たちの耳には入らない。にらみあっていた彼女たちは、プイッとそっぽを向いてしまう。
「では、どちらを廃止するかはキミたちに決めてもらおうか」
「ちょ、ちょっと」
このままではシオンの思い通りに事が進む。前へ踏み出そうとした司だが、腹に堅いものが当たる。視線を落とすと風間の剣の柄が腹部に当てられている。
「会長が話している。お静かに、センパイ」
年上を敬う態度など微塵も見せずに風間が言う。その気になれば当て身で失神くらいさせそうな態度である。懐に入られた上に丸腰の司は抵抗もできずにその場に身動きがとれなくなってしまった。
「どうするのだ?」
「お聞かせください」
祥子と香織が勢い込んで聞き返す。シオンは組んだ手の上にアゴをのせ、事も無げに説明した。
「そうだね。それぞれメニュー存続に賛同する生徒の数で決めようか。公平に民主的にね」
「生徒投票か……」
「面白い」
敵意に満ちた目で祥子と香織は視線をかわす。それを見た司は、すべてが終わったことを確信し、うなだれた。
※
「そりゃあ、面白いことになったね」
「面白いじゃねえよ!」
放課後、司は山倉が所属する新聞部を訪れていた。
新聞部は自費で新聞を発行しているため、生徒会から予算をもらっていない。発行費用は近所の商店街から集めた広告料を使っており、完全に生徒会のコントロールを離れているのだ。それゆえに活動の制限が無く、生徒会から苦々しく思われる存在だった。
顛末を聞きながら山倉は横に座る男子生徒を見る。読んでいた文庫を机の上に置き、男子生徒はじっと夕日の見える窓を見つめていた。
「鮎川さん、どうしました」
「いや、生徒会の目的がよく見えなくてね」
男子生徒は鮎川浪漫と言う。厳密には新聞部部員ではなく、読書に便利という理由でここを利用している風変わりな生徒だった。確かに新聞部部室は部活棟の一番端のため、新聞の締め切り間際以外は騒音が少ないのが特徴である。
司や山倉の目から見ても、鮎川浪漫は変わっていた。学校の成績はぶっちぎりのトップで、入学以来全教科満点を更新し続けている。これはあの遠山シオンや高原香織でさえ不可能なことであった。そのくせ、部活や校内活動に興味は無く、いつも自分を局外に置いて、のほほんとしているのだ。
頭の明晰さは疑いようもない。何か困ったことがあると山倉と司はこの三年生へ相談を持ちかけるようになっていた。
「目的なんてわかりきってますよ。祥子と香織を噛ませ合って、学食再建計画を進めるつもりなんです」
当然のように司が言う。だが、鮎川は小首をかしげて納得のいかない顔をした。
「それだけかなぁ。あの人はもっと手の込んだことをする人だと思うよ。表向きはカツカレーとカツ丼の対決だけど、もう一幕あるかもね」
「それって何ですか?」
興味深げに山倉が聞く。すると鮎川は文庫本を開いて、読書へ戻ろうとする。
「まだわからない。判断材料が少ないからね。ちょっと待ってくれ。真相がわかったらキミたちに知らせるから」
「はあ……」
鮎川は読書に戻った。この男がわからないと言ったのなら、この学校でわかる人間は当事者しかいないと司は思っている。ここは待つしかないのかもしれない。
「で、カツ丼姫とプリンセス・カツカレーは?」
山倉が何気なく聞くと司は、親の急病を聞いたように驚いた顔をする。
「あ!」
「おいおい……」
山倉が呆れ、読書をしていたはずの鮎川も笑みを浮かべる。司は二人に別れも告げず、祥子と香織を探すために校舎へ走り出していった。




