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第1章 カツ丼かカツカレーか<前編>

「メニュー廃止?」


 一個十円の生卵を三個入れ、うどんを四玉入れた超特大月見うどんをすすりながら天道司は聞き返す。ちなみに四百三十円である。


 口にうどんを入れたまましゃべったために汁がテーブルに飛んだ。それをイヤそうにテーブルに置いてある紙ナプキンでぬぐいながら、山倉克也は答える。


「ああ、職員会議で決まったらしいぜ」


 事実だけを簡潔に伝えて山倉はコロッケそばをすする。その姿はいつも無表情でうまそうに見えない。こいつは物の味がわからないのではないかと司はいつも思っていた。


 山倉は司と同じ桜稜高校の二年生。二人とも学校の成績は悪くは無い。司は中の上から上の下くらいだし、山倉のほうは学年十指と言わないまでもトップクラスに入る。

 髪をキッチリ整え、丸いメガネをかけた秀才タイプの山倉とボサボサ髪で野放図そうな司は正反対に見える。しかし、二人は入学以来の親友であり、さまざまな苦労を乗り越えた戦友でもあった。


「さすがに新聞部だ。情報早えや」

「生徒会から正式発表があるのは明日か週明け月曜日だろうな。かなり荒れるだろうぜ」


「何が荒れるのだ?」


 凛とした声が二人の横からする。ポニーテールを結った長身の美少女が司の左隣に座る。トレイの上には湯気の立った大盛りカツ丼がのっている。


「お、今日もカツ丼か」

「ああ、カツ丼を食わないと試合に負けるのでな」


 割りバシをキレイに割りながら少女が答える。少女の名は梓川祥子。桜稜剣道部主将で、昨年の女子剣道日本一という天才剣士だった。


「司もカツ丼を食え。カツ丼は男のロマンだ。うまいのだ」

「お前、女じゃねえかよ」


 司と祥子は幼稚園からの同級生である。いや、生家がすぐ近くにあるので、物心からついた時からずっと一緒に遊んでいた。さすがに大きくなるといつも一緒と言うわけにはいかないが、それでも仲のよい友人同士であることに変わりは無かった。


「しっかし、よく飽きないよな」


 司が苦笑しつつつぶやく。カツ丼を嫌いな高校男子などイスラム教徒ぐらいだと司は思っている。だが、さすがに毎日食べるのはきつい。日々鍛錬でカロリーを使う祥子と違って、司は帰宅部だ。絶対に太ってしまう。


 カツ丼をかきこむ祥子の横顔を司は眺める。実にいい食いっぷりである。これだけ食ってスタイル抜群なのはどういうわけなのか。キュッとしまったウェストにのびやかな手足はモデルだと名乗っても信じるだろう。胸のほうはちょっと寂しいが、そこが好きという人もいる。司も嫌いではない。


「どうした?」

「いや、ご飯粒がさ」


 そう言って、司は祥子の顎についたご飯粒をとってやる。すると祥子は白磁のような肌を一瞬で真っ赤にして、あわてた声をあげる。


「無礼者!」

「お前はどこの武家娘だ」


 笑いながら司はご飯粒を口に入れる。それを見た祥子は怒ったような泣くのをこらえているような顔になって、司をにらみつけた。


「無礼な。婦女子の面体をみだりに触るなど恥を知れ」

「へーへー、すいませんでしたね」


 肩をすくめて司がおどけてみせると、祥子はさっきまでの凛とした雰囲気がウソのようにモジモジとしはじめる。そのやり取りを見て、山倉は思わず苦笑をもらす。


「おいおい、カツ丼姫をいじめるなよ」

「いじめてねえよ」

「山倉、またカツ丼姫と言ったな! まるでアンパンマンではないか!」


 むきになる祥子を見て、司も笑う。山倉はふと何かに気づき、周囲を見回しはじめた。


「どうした?」

「あ、いや、カツ丼姫がいるのに、プリンセス・カツカレーの姿が見えないなと不安でな」


 山倉の言葉に祥子の顔色が一瞬で元に戻る。それと同時に司の右隣に誰かがトレイを置いた。

 司がトレイへ視線を落とす。水の入ったコップにカツカレーである。


「ごきげんよう。山倉くん、司」

「ういっす」

「こんにちわ」


 現れたのは可憐と言う形容詞しか思いつかない可憐な美少女だった。軽くウェーブのかかったゆるふわヘアーを優雅になびかせた少女は、小柄な体を椅子に沈める。


「相変わらずカツカレーっすか。香織さん」

「ええ、勝者の食べ物カツカレーですわ」


 銀のスプーンが肉片とルーとライスを同時にすくい、桜色の唇の中に消えていく。何のことはない食事風景なのだが、彼女がやると宮廷儀式のように上品に見えた。


 少女の名は高原・ブリジット・香織。司と山倉と祥子のクラスメイトであり、学園屈指のお嬢様である。学業の成績もすこぶるよく、胸には学年首席にしか与えられない七星学章が輝いている。


「お前もよくカツカレーばっかりで飽きないよな。太るぞ」

「ご心配なく、私は日夜頭脳でカロリーを消費しておりますので太りませんの」


 香織は司の皮肉に優雅な笑みで答える。そして、またカツカレーが銀色のスプーンにのって桜色の唇に消えていった。


「司もカツカレーをお食べになればいいのに。お好きでしたでしょ?」

「あ、まあ……」

「なんだと!」


 司が香織の言葉を肯定しようとしたとき、左隣で大きな音がした。振り向くと祥子が猛禽類のような視線をこちらに向けていた。


「あ、割り箸折れているぞ」

「うるさい! 司! お前、そのことは本当なのか!」


 怒りのあまりへし折った割り箸のことなど無視して、祥子が食ってかかる。司は何のことかわからずに眉をひそめる。


「そのこと?」

「カツカレーが大好きだということだ!」


 大好きだと言った覚えは無い。しかし、カツカレーが好きだということを肯定したのは事実である。司は助けを求めるように山倉を見るが、彼は我関せずといった顔でテーブル上のポットからお茶を注いでいる。


「だって、昔から司はカツカレー大好き少年ですものね」


 香織がそう言って司の腕に自分の手を絡める。それを見た祥子は眦を裂けんばかりにつりあげ、強引に司の手首をつかんだ。


「司はカツ丼が好きなのだ! わけのわからんことを言うな!」

「おめえらなぁ……」


 実のところ、香織もまた司の幼なじみである。幼い頃から三人で一緒に遊んでいた仲なのだが、小学校高学年あたりから急速に祥子と香織の仲が悪化した。思春期の訪れであった。


 立ち上がった祥子が司の腕を引く。すると、香織が冷たい視線で祥子を見上げ、わざとらしく驚いて見せた。


「あーらー、さっきからうるさいなと思ってたら、どっかのメスゴリラさんじゃありませんの? 私としたことが、うっかり見落としてしまいましたわ」


 マンガなら絶対に「おーほっほっほっ」という笑い声が入りそうなほど嫌味な言い方であった。だが、そんな香織の皮肉に慣れっこの祥子は、唇の端を軽くあげただけで動じない。


「ふっ、身長が小さくてよく見落とされるものだからってひがむな」

「な、なんですって。見落とされるような貧相な胸をしているのはそっちでしょ?」


 あっさりと挑発に乗った香織だが、すぐに態勢を立て直して胸をはる。香織は小柄なわりになかなかに大きなバストをしている。自分ではFカップと言っているがもう少しありそうである。


「なっ! それを言うのかお前は! 大事なのは大きさではないバランスだ!」

「はん、バランス? ならば私のバストこそ完璧ですわ。見なさいこの神の造形物を!」

「チビのくせに……」

「あ~、またそれ言いますか? 言っちゃいますか! ちょっと表出なさい!」

「望むところだ。今日こそ決着をつけてやろうではないか!」


 これがいつものやり取りである。桜稜高校では「二年生ラブコメトリオ」として有名になっており、昼食時の風物詩となっていた。実際、これを楽しみに学食にやってくる生徒もいるという。


「やあ、何度見ても飽きないなぁ。眼福眼福」


 ここにも一人いたらしい。山倉はお茶をすすりながらのんきな顔で三人を眺めている。


「お前ら、なんでいっつもケンカばっかりしてんだよ」


 両腕をつかまれて身動きのとれない司が呆れて言う。すると祥子と香織はかみつかんばかりに殺気立った視線をお互いへ向け、同時に口を開く。


「「コイツのせい!」」

「はいはい……」


 連行されるグレイみたいな格好で司がため息をつく。昔みたいに三人仲良くするのが司の切なる願いである。だが、それを何度説いてもこの女傑たちは納得せず、最終的に「どっちを選ぶのか」という質問が帰ってくるのだ。


 司とて木石ではないから、その質問の意味くらいわかる。だが、たかだか高校二年生の身で決められるはずがない。どちらも大事な幼なじみだし、優劣をつけることなどできるはずがない。他人はそれを優柔不断と呼ぶが、そういうレベルではないのだ。「お父さんとお母さんのどっちが好き」とか「姉と妹のどっちが好き」と同じ問題なのだ。


「ほら、さっさと決着をつけようではないか! 手を離せ」

「そ、そっちこそ離しなさいよ。司が迷惑がってるでしょ!」


 不毛な言い合いが続く。どちらも司の腕を離そうとせずに牽制ばかりであった。そのやり取りが面白くて山倉はニコニコと三人を眺めていた。


「お?」

「「「?」」」


 学食のドアが開き、腕章をつけた短髪の美少年が数人の生徒を率いて現れる。切れ長の瞳に無感動な光をたたえ、人形のように無機質な印象を与える少年であった。学食にいる生徒たちが彼の登場に静まり返る中で、腰にフェンシングのサーベルを提げた細身の肢体をキビキビと動かして、少年は学食の壁にある掲示板へと歩いていく。


「風間……」

「へえ、ドーベルマンのお出ましだ」


 少年の名は風間紀彦。生徒会直属の武装風紀委員に所属する一年生で、生徒会長・遠山シオンへの異常なまでの心酔ぶりから“シオンの猟犬”と揶揄されている。


 猟犬の異名どおり、狙った獲物は絶対に逃さない辣腕ぶりで一年生ながら武装風紀の幹部となっている。フェンシング部に所属し、部内最強と言われるほどの腕前ながら、風紀の仕事が忙しいという名目で公式戦に出たことは無い奇妙な男だった。


 風間の姿を見た祥子の目が細まり、山倉の口元に皮肉げな笑みが浮かんだ。祥子率いる剣道部は、生徒会支配を嫌って何度も武装風紀と対立しており、山倉の所属する新聞部は彼らに目の敵にされている。


「珍しいな。アイツがここに来るなんて」

「何の用かしら?」


 司と香織も武装風紀にはいい感情を持っていない。綱紀粛正だか何だか知らないが、学生たちの生活を過度に統制しようとする彼らの態度には、全校生徒が多かれ少なかれ不満を持っている。


「生徒会からの通告事項を張り出します。学食利用者はよく読んでおくように」


 細身の外見に似合わない凛とした声で風間が宣言する。ほかの武装風紀たちが何かが書かれた模造紙を掲示板にはりつける。

 役目が終わったことを確認すると、風間はまったく無駄の無い動きで学食を出て行く。その動きは訓練された猟犬と見まごうばかりに隙が無くしなやかであった。


「なあ、梓川。お前、アイツと戦って勝てるか」

「ああ、試合ならな」


 山倉の問いに厳しい顔のまま祥子が答える。司はその言葉にふと疑問を覚え、質問を口にした。


「試合なら?」

「ああ、ルールがあるならひけはとらん。だが、ケンカや果し合いになればわからん」


 こと勝負事において祥子はウソは言わない。女子とはいえ高校剣道日本一の実力をもってしても風間は侮れないというのだ。それを聞いた司はさっきまでのゆるんだ表情をキッと引き締める。


「何が書いてありますの?」


 香織が好奇心をあらわにして聞く。山倉はさして興味がなさそうな顔をしている。司は掲示されたのが、さっき山倉が話したことなのを悟った。


「学食メニュー廃止ってヤツだな」

「メニュー廃止だと?」


 驚いて祥子が聞き返す。これ以上くわしいことを知らない司は、アゴで山倉のほうを示す。山倉は茶をすすると説明を始める。


「学食の経営がヤバいっていうんで、採算割れメニューを外すんだと」


 山倉が話し出すと同時に掲示板を見た生徒たちからどよめきがもれる。香織も不安そうに掲示板の方向を見つめていた。


「外されるのはサザエのつぼ焼き定食に、フォワグラ定食、とんぶり丼……」

「ああ、つぼ焼きかぁ。オレ好きだったのに」

「フォワグラが食べられないのですか。残念ですわ」

「とんぶりが……」


 山倉の言葉に司たちは三者三様に慨嘆する。それを眺め、山倉はもったいぶったように一呼吸置いて核心の言葉を放った。


「カツカレーとカツ丼」

「「!」」

「イダダダダ!」


 両腕を猛烈な力でつかまれ、司が悲鳴をあげる。だが、その悲鳴にも気づかず、祥子と香織は今までに無い怒りの形相を浮かべていた。

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