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第6章 校内戦争開戦

 払暁。


 まだ白みはじめたばかりの空を背に、桜稜へ続く坂道を下る者たちがいる。


 服装はバラバラである。真っ白い剣道着を身にまとった少女もいれば、真っ赤な空手着をまとった大男もいる。アメリカンフットボールのプロテクターをつけた者やら、上半身裸でマワシをつけた者など、ある一点を除いて統一感がない。


 彼らは一様に額に白い鉢巻を巻いている。その中央には八角形のプラスチック板がつけられている。板にはカツ丼が意匠化されたイラストが描いてあった。


 カツ丼派である。


 中には鉢巻が気に入らずに何度も角度や前髪をいじっている美女もいるが、彼女を除けば表情は等しく厳しい。朝の新聞配達が思わず道を開けてしまうほどの威圧感をまといつつ、彼らは桜稜の北門を目指している。

 人数は百人ちょうど。その先頭には紺色のハカマと白い胴着を着た長身の美少女が歩いている。もちろんカツ丼鉢巻を凛々しく結んでいた。


 梓川祥子であった。


 祥子の左手に握られているのは黒檀で作られた木刀である。剣道部に代々伝わるもので、磨きぬかれた黒い刀身は真剣を思わせた。


「お姉さま、コスメ連合の参加者が多すぎませんか?」


 祥子のすぐ後ろを歩いていた虎美が小声で聞いてくる。今回、校内に戦争に参加する百人のうち、青樹セルジュ率いるコスメ連合の参加者は十五人にのぼっている。美容にしか興味のない彼女たちは、戦力としてはほとんど役に立たない。足手まといになるだけであると、虎美は考えていた。


「ん? ああ……すまん。考え事をしていた」


 虚を突かれたように祥子が答える。心ここにあらずといった彼女の様子に、虎美は眉をひそめる。


「どうしたんですか?」

「何でもない。ああ、セルジュ先輩のことだな。あれは先輩の希望だからな。仕方がないんだ」


 校内投票がなくなった以上、コスメ連合の助力はもはや必要ないが、なぜかセルジュは今回の校内戦争への協力を申し出てきた。同盟者のセルジュからの申し出を断ることができず、コスメ連合の参戦を認めたのだ。


「でも……」


 虎美がチラリとセルジュたちを見る。ネイルや前髪の心配をしている彼女たちは、どう見ても戦争に興味がなさそうである。それがなぜ参加を申し出たのか? セルジュの真意が読めない虎美は、彼女たちへ警戒の念を抱かざるを得ない。


「おい、祥子。アイツは……どうしたんだ」


 歯切れ悪く聞いてきたのは兄江である。単純明快なこの男にしては珍しく当惑した顔をしている。聞いているのはもちろん司のことだ。


「司……天道は、カツ丼派ではないからな。ここには来ない」

「そ、そうなのか」


 祥子の静かな言葉に兄江と虎美は顔を見合わせる。さすがに兄江も司と祥子の仲がいいことは気づいていた。それだけに司のことに関する祥子の態度の変化が気にかかる。虎美もそれは同様で、邪魔者と思っていた司がいないことで、祥子の魅力のひとつであった清冽な明るさが損なわれていることが気にかかっていた。


「どうしたんだよ。様子がおかしいぞ」

「私に聞いても仕方ないですよ。筋肉ゴリラ」

「筋肉ゴリラって……オレは一応先輩なんだか」

「これは失礼。筋肉ゴリラ先輩」


 困り顔の兄江に虎美がにべもなく答える。二人が小声で話している間にも、祥子はまた意識をどこかへ飛ばしている様子であった。


「大丈夫なのか、うちの総大将は」


 兄江の言葉に虎美も同意せざるを得ない。カツカレー派は決して油断できる相手ではない。総大将がほうけたままで勝てるとは思えなかった。


「もしものときはわかってますね?」

「ああ、オレたちが盾になる。オレが倒れたらお前、お前が倒れたらオレが祥子を屋上へ運ぶんだろ?」


 兄江が豪快な笑みを浮かべる。その表情はまさにゴリラそのものであったが、妙な頼もしさがあった。


「絶対にお姉さまは私が守ってみせます」

「お、おう」


 虎美の言葉に兄江も真顔でうなずく。一人の女性を守るために犬猿の仲であった二人が手を結ぶ。何やら美しい光景であった。


「安心して壮絶な討ち死にを遂げてください。筋肉ゴリラ先輩」

「お、おう……え?」


 呆気に取られる兄江を残し、虎美は先へ行った祥子を追いかけていった。



「飛行ユニット禁止だそうです」

「えー、マジかよー。仕方ねえな。飛行ユニットは外そう。ロケットランチャーとガトリングガンは大丈夫なんだろ?」

「そっちはもっとダメだそうです」


 校庭で科学部員が松田のパワーアシストスーツから飛行ユニットと武装を外す。両肩に搭載されていた六連装ロケット砲と右腕につけていた改造エアガンが取り払われ、すっきりとした外観になっていく。


 校庭にはカツカレー派の生徒たちが集結している。煉武会を中心にある程度統一感がある祥子たちカツ丼派に比べ、香織がそこら中から集めてきたカツカレー派は、恐ろしく多彩な出で立ちであった。


 もっとも目立つのは金色のスーツを着た松田だが、そのほかにも特撮ヒーローのような格好をした特撮同好会や、戦国甲冑をまとった歴史研究会など、コスプレ大会のようなにぎやかさがある。


「お祭り気分でワクワクしてくるニャ」


 制服姿の猫野先輩はそう言って鉢巻を締めなおす。中央にはカツカレーを意匠化したセンサーがつけてある。


「ワクワクはけっこうですが、油断は禁物ですよセンパイ」

「りょーかいニャ」


 香織は制服の上に真紅の陣羽織をまとい、軍配を握っている。頭には真っ白い毛が植えられた兜がのっており、戦国武将のようであった。もちろん、すべて歴史研究会からの提供物である。


「御館さま!」


 黒い甲冑をつけた数人の生徒が近づいてくる。先頭に立っているメガネのやせた男は歴史研究会の会長である屋形光一である。

 屋形は肩ヒザをついて香織へ頭を下げる。物々しい雰囲気に、香織は微妙な表情を浮かべてしまう。


「あの……先輩。私は御館さまでは……と言うか屋形さんはそっちじゃ」

「こたびの合戦の先陣は是非歴史研究会へ仰せ付けください!」


 香織の抗議を完全に無視して屋形が続ける。ご丁寧に眼帯を右目につけ、戦国武将になりきっている屋形は、ノリノリの顔で彼女を見上げる。


「ど、どうしましょうか?」


 困ってしまった香織が横に立つ玲川へ指示を求める。負傷した玲川は今回の戦争に参加はしないが、オブザーバーとして香織のそばにいた。


「さあ? それは総大将であるキミが決めることだよね」

「え~」


 玲川の言葉に香織が情けない声をあげる。指示を待つ屋形の顔と周囲のメンバーを見回し、香織はしばし考え込む。


「よし! 歴史研究会に先陣を指し許す! 見事一番槍をあげられよ!」

「承知仕った!」


 軍配をビシッと向けて香織が屋形へ命令を下す。その言葉に屋形は打ち震えんばかりに喜び、会員たちとともに意気揚々と配置につく。


「カオルンもノリノリだニャ」

「フハハハハ! 第六天魔王と呼んでください……って、ノリノリではないですよう!」


 口では恥ずかしがっても、これだけの人数を率いるというのはやはり気持ちがいい。香織は敵の到着を待ちながら、高ぶる気持ちを感じていた。

 もはや悩んでも仕方がない。十年来の友人にして最大のライバルとの決着のときを迎えて、香織は完全に腹をくくっていた。勝っても負けても悔いはないように戦おうというのが彼女の覚悟だった。


「総大将は何で身を守るの?」


 玲川の質問に香織は腰に帯びた竹刀をポンと叩く。非力な彼女は木刀を振り回すようなことは得意ではない。そこで軽量な小学生用竹刀を武器として用意したのだ。

 その竹刀を見て猫野センパイが意外そうな声を上げる。


「へえ、カオルンって剣道できたんニャ?」

「ふ、振り回すくらいは!」


 香織の答えに猫野センパイと玲川は苦笑をもらす。どうやら戦力として期待はできないらしい。

「まあ、大将が剣を振るうようになったらおしまいだっていうしね」

「向こうはその大将が先陣切って剣を振るってくるニャ」


 二人がそう言いあっていると、校門のほうでざわめきがしてくる。変化に気づいたカツカレー派の全員が表情を引き締めた。


「来たニャ」


 人ごみをかきわけて祥子たちカツ丼派が姿を見せる。さすがに武道系部活が主力だけあって、圧倒的な存在感がある。


 だが、その威容に気圧されるカツカレー派はいない。こちらも選りすぐりの精鋭であった。


 静かに両陣営がにらみ合う。戦争開始まで残り三十分。開戦を前にして、その場の空気が数度下がったように張り詰めていた。


 だが、彼らの集まっている場所に引けを取らないほど張り詰めている一角があった。それは文化部棟の端にある一室。新聞部であった。



「こんなもんかな」

「ちょっと緩くしてくれよな。きついと動きづらくなるから」


 両腕に装着したカーボン製の防具の馴染み具合を確かめながら、司が注文を出す。山倉は笑いを浮かべたまま、胴に巻いてあるベスト状防具をもう一度閉めなおす。


「しっかし、お前もバカっていうか勇者っていうか……」

「じゃあ、勇者といってくれたまえよ」


 足を上下させて防具の干渉をチェックしながら司が気負いのない明るい声で答える。その言葉を聞いて、山倉も苦笑と尊敬の混じった表情を浮かべた。


「カツ丼、カツカレー両派で二百人だぞ。そこに突っ込むとか正気じゃねえ」

「だから勇者と言えよ」


 現在、司は山倉の手伝いで全身に防具を着込んでいる。これは新聞部が開発した戦場カメラマンセットというもので、校内戦争の様子を取材する際に装着する軽量合金とカーボンで作られた特殊スーツである。


「これって科学部みたいな不思議システムないの? 装着者のピンチに金色になって勝手に動くとか?」

「ない。木刀の攻撃を防げるくらいだな。衝撃を多少は吸収してくれる程度だ」

「多少かよ」


 ぼやきながらも司は装着作業を続ける。一通り装着が終了し、山倉は司の腰をポンと叩いた。


「よし、これで完了だ」

「おう、すまねえ」


 前面が透明素材でできたフェイスガードを被った司は、立てかけてあった二振りの竹刀を交差するように背負う。そして、両手に銀色の金属パーツがついたグローブをはめる。


「電撃グローブの使用制限は?」

「連続使用は3回か4回ってとこだな。使い切ると再充電まで十五分はかかるからな。気をつけろ」


 電撃グローブは去年科学部に発注した新聞部の秘密兵器だった。電撃と言ってもスタンガンがついているわけではない。強烈なフラッシュを放つだけだ。


「本当に突っ込むのか?」


 再確認するように山倉が質問する。すると、司は何ともいえない顔になって、ヘルメットの上をゴシゴシとかく。


「いやあ、本音は家でゲームでもしていたいんだけどさ。そうもいかないしよ」

「……そうか」


 司の考えていることはおよそ実現性のない作戦であった。


『カツ丼派とカツカレー派の中へ突っ込み、双方よりも早く屋上へたどり着く』


 校内戦争の勝利条件は大将が屋上へたどり着くことである。ただし、単純に屋上へ到着しただけでは、戦争は終わらない。そこにある終戦調印書へサインを入れることで戦争は正式に終了するのだ。


 もしも、その終戦調印書へ書き込むのが祥子でも香織でもなかったらどうなるのか? 司はシオンへその旨を問い合わせてみたのだ。


 シオンから帰ってきた答えはこういうものだった。


『終戦調印書にサインしたものが事態の決定権を握る。ただし、サイン資格があるのは参戦勢力の大将のみとする』


 そして、校内戦争には陣営の制限がない。つまり、その気になれば数十勢力のバトルロイヤルも可能なのである。そこに司はわずかな勝機を見出した。


 司は自分を参戦勢力として登録した。仲間はいない。たった1人のワンマンアーミーである。

 仲間を集める時間はなかったし、自分の思いつきに友人を巻き込むことはできない。山倉の好意で装備だけは借りたが、それ以上の助力は断った。


「じゃあ、行ってくるぜ」

「おう、死んで来い勇者」


 頭部にセンサーをはめ、司が親指を突き立てる。センサーには司を示す「天」の文字が赤く書かれていた。



「まさか、そういう手でくるとはな……」


 司の参戦を聞いて、祥子はかすかに笑みを浮かべる。

 無謀とは思うが不快感はない。司ならばやってもおかしくない行動だ。


「なるほど、決戦に役者がそろったというわけか」


 この戦争は祥子と香織の決着をつけるだけではない。司を含めた三人の決着をつける戦いなのだ。ならば、司がいないのは本末転倒だろう。


「お姉さま、うれしそう」

 やっといつもの凛々しさ戻った祥子を見て、虎美がうれしげな声をあげる。兄江も満足したように何度もうなずいた。


「しかし、天道くんって言ったか。やるなぁ」


 荒木が感心したようにつぶやく。校内指折りの猛者が集まった戦場にたった一人で突っ込むなど、荒木でもできない。煉武会にスカウトしたくなるような思い切りの良さに脱帽するしかない。


「まあ、一瞬でひねりつぶされるでしょうけどね。バカはバカなりにカッコいいですわ」


 セルジュが微笑む。両軍の激突の間隙を縫う作戦であろうが、それでどうにかなるレベルの戦力差ではない。何せたった一人なのだから。


「いや、油断は禁物です。司を見かけたら全力で倒してください」

「はあ? あんなもやしはついでに跳ね飛ばせばすむだろ? オレたちは全力をカツカレー派に向けるべきじゃねえのか?」


 兄江が不思議そうに首をかしげる。だが、祥子は青い空を見上げて、どこか誇らしげな顔で言った。


「アイツは来る。絶対に」


 その晴れ晴れとした笑みにどこか悲壮感を見出し、虎美は少しだけ眉をひそめた。



「司めぇ。小癪なマネを……」


 軍配を手のひらに打ちつけながら香織がつぶやく。しかし、その顔はどこか機嫌よさげである。

「あの坊やにしてはいい判断ニャ」


 何度も柔軟をしながら猫野センパイが笑う。ヘルメットを被っているのでよくわからないが、松田も愉しげな声で後に続く。


「総大将。彼は見逃せばいいのかな? それともやっつけちゃう?」

「全力でお願いします。カツ丼派に対するのと同じ対応で」

「うわー、容赦ないねぇ」


 松田が肩をすくめる。ほかのカツカレー派の面々も香織の通達を聞き、司を敵として認識する。


「祥子さんとの決着と同時に、司ともケリをつけられるとは……。面白い」


 香織の口角があがる。闘志を小さな体にみなぎらせ、高原香織は開戦の合図を待った。

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