火属性 概説・二
衛兵に簡単に事情を話すと、やはりそれらしき馬が門を通ったとのこと。
僕とネラはそのまま門から出て追跡を始めた。この道は北の農地へ向かうもので、この時期の夕方となると僕たち以外に人気はない。
……しかしこのお嬢様、ドレスで思いっきり走ってるな。
道を照らし、進み、また速度を落として照らし――そんな緩急の激しい移動は、ただ走るより余計に疲れる。
よくある裾が膨らみまくったデザインではないにしろ、よくこんなもん着て動き続けられるなと思っていたら、どうも足を上げる邪魔にならないよう意図して作られているっぽい。
スカートの下にタイツだかスキニーだかそんなのも着込んでる上、靴もさほど動きにくくなさそうなものを履いている。
……さてはこの人、普段からこういうことしてるのか?
まあ、追跡には彼女の魔法が必要なのだ。走れませんわとか言い出しそうにないのは心強い。
ただ……僕も他人のこと言えたもんじゃないが、日頃から鍛えているというわけでもないのだろう。畑の間を突っ切る道を二十分ほども走っていると、彼女の顔にも疲労の色が――
「……ネラ、鼻……!」
思わず声を掛ける。彼女の端整な顔立ちに、鼻血が伝っていた。
言われて手をやり、指についた汚れに顔をしかめるネラ。
「……問題ありません。マナを使い過ぎただけですわ」
ハンカチで手と鼻を拭った彼女は、次いで取り出した小瓶の栓を抜き、中の液体を呷った。
すると見る間に、赤いオーラのようなものがネラの体を包むように漂い始める。
「……それは?」
「マナポーションです……私、あまり魔法が得意な方ではありませんの。このペースでは、追い付く前に消耗しきってしまう可能性もありますわね」
要はMP切れだろうか。鼻血が出たということは、魔法の酷使はあまり体によろしくはないようだ。
しかしこの照射魔法、照らせる範囲がかなり狭いのがネックだ。細身の懐中電灯で道全体をくまなく調べながら進むようなものなので、当然ペースは遅くなり、その分消耗も嵩んでしまう。
「あそこに家があるけど、マナポーションを譲ってもらえたりはしないかな」
「普通の農民の家に、そうそう常備しているものではありませんから……」
追い付くのが先か、ネラが倒れるのが先か。いっそ戻って応援を連れてくるべきか――
「……ちょっと待った。要は照らす効率が上がればいいわけだから……」
戦略的撤退も考え始めていた僕の脳裏に、ふと一つのアイデアが浮かんできた。
「――よし。試してみてくれ」
「は、はい。〈冷火灯〉……っ!?」
魔法を使ったネラ自身が、驚きに喉を詰まらせる。
4、5メートルほどある道の横幅ほぼ全体を、淡い光が照らしていた。
「これは、どうして……」
「光を乱反射させただけだ。光量は弱まるけど、雫を探すだけなら十分行けそうじゃないか?」
僕たちはさっき見つけた農家を訪ね、いくつかの物資の提供をお願いした。そして突貫で工作したのが、今ネラの手にあるランプだ。
マナポーションの空き瓶に水とほんの数滴の乳を入れて満たし、その中に杖の先端を浸けて固定しただけ。
コロイド――粒子が分散して存在する気体や液体は、通過する光を乱反射させるチンダル現象を起こす。
それが光の進路を散らした結果、より広範囲を照らすことができるようになったわけだ。
こちとら地震大国の生まれだ。大地震での停電も経験したことがある。
その際の知恵として、ライトの上に水やスポーツドリンクのボトルを置き光を拡散させる、というのがあったのを思い出したのだ。
「……ありましたわ、雫の痕跡です! これならまっすぐ進んでも見落とさずに追えそうですわね」
先程の地点から捜索を再開してすぐ。ネラが新たな雫を見つけて声を上げた。
どうやら目印は、街の傍の森へ向かっているようだ。
僕とネラも遅れを取り戻すべく、魔法の光を掲げて森へ向かう道をひた走る。
……魔法、か。
〈冷火灯〉。純粋な明かりのための魔法のようだ。特定の果物の汁が蛍光するという特性からして、紫外線を含む波長の光を照射してるのかな。光源は触れても熱くないし燃えたりもしない。
燃える――そう、よく観察すると光源部分は青白い炎なのだ。
しかも杖自体が燃えているわけではなく、先端から少し離れた空間に火の玉が浮いている。
そしてその炎、こうして水に浸かっても消えることがない。おかげで今は助かってるけど、どういう理屈なんだこれ。
水で消火できない火というのは向こうにもあったが、何ら反応せずただ水中で燃え続けてるのはかなり異様な光景だな。一方でチンダル現象は普通に発生するって……線引きがまるで分からん。
当たり前のように使われたから受け入れてしまっていたが……やはりここは異世界で、僕はそこに適用される法則をまだ何も分かっていない。
そんなことを考えながらどれだけ走っただろう。しばらく前から忙しなく光を動かしていたネラが、落胆の声と共に足を止めた。
「……印が途絶えましたわ」
「くそ、そりゃ果物一つの果汁の量なんてたかが知れてるよな……」
ちょうど森に入った辺りで、目印としてきた雫が見つからなくなってしまった。
頭上を木に覆われ始めたのも相まって、本格的に薄暗くなってきている。急がないと、そもそも道を進むこと自体困難になってしまうかもしれない。
「ですが、相手が馬なら道を逸れて森に分け入るとは考えにくいですわ。このまま進みましょう」
そうだな、ここまで導いてくれただけでも十分だ。
「この森は確か隣領まで続いていて、一番近い村落でも夜のうちに着くのは難しい距離のはず。目覚めれば暴れる子供を連れたままそこを目指すとは考えにくいですし――」
「なら、それより手前に連中の目的地がある……そいつらのアジトとかかな」
森の中なら、少々騒がれようと関係ない。言い換えれば、連中はアルノーを殺さずしばらく監禁したいからここへ連れてきたのだろう。
急げばまだ間に合うはず。そう意気込んだ僕たちだが……すぐにまた問題にぶち当たってしまう。林道が二つに分かれているのだ。
「……どちらにも、手掛かりはなさそうですわ」
もう一度ネラが魔法で調べてみるが、どちらにも道標は残っていないようだ。
こうなったら二手に分かれるか……そう思い始めたところで、左の道の先、木々の隙間がぼんやりと明るくなっているのに気付いた。
「あっちで何か光ってる。行ってみよう」
僕の言葉にネラも頷く。しばらく進んだところで、僕たちは揃って足を止めた。
「うわ、すごいな……」
徐々に闇に包まれつつある森の中、その光景に僕は息をのんだ。
倒木同士が支え合っているのだろうか。巨大なアーチのように頭上を覆うその幹が、ぼんやりとした緑色の光を放っている。
「これは……!」
「あれだな、確かツキヨタケってやつだ。本当に光るんだな……初めて見た」
淡い光は一つや二つじゃない。まるでオーロラを見上げているかのような幻想的な光景に、目的も忘れて感動を隠せない僕。
一方ネラの方はと言うと、焦りを滲ませて声を荒らげる。
「悠長に言ってる場合じゃありませんわ! 離れない……と……」
僕を引っ張っていたネラの腕から力が抜け、逆に僕に寄り掛かってくる。そのまま重力に引かれ倒れそうになる体に、慌てて腕を回し支える。
「お、おい? 大丈夫か!?」
「元来た方へ……早く……」
か細い声でそれだけ言うと、黙り込んでしまう。これは、何かまずいことになっているのは間違いなさそうだ。
ネラへ肩を貸す、と言うよりはほとんど引きずるように引き返す。
しばらくして息も絶え絶えだった彼女が落ち着きを取り戻すと、大きく息を吐いて言う。
「……すみません、助かりました」
「い、いや。それよりさっきのは一体……」
「あれは『吸魔のキノコ』です。あれだけの群生地が、こんな街の近くにあったなんて……」
知らない名前に黙って首を傾げていると、ネラは続ける。
「あのキノコが、怪しく光っているのを見ましたでしょう? あれは付近のマナを吸って光るのだそうです。人間が不用意に近づくと体のマナを吸い尽くされ、昏睡してしまう……恐ろしいキノコです」
あっちの世界でもツキヨタケは毒キノコだったはずだが、当然そんな性質はない――まあ、そもそも同じキノコだという保証もないが。
「それにしても、貴方はよく無事でしたわね。眩暈や頭痛などは?」
「うーん、特に体調に変化はないけど……そもそも、マナを吸うんだっけ? ネラの話じゃ、僕にはそのマナがないんだろ」
本当に何の変化も感じていない。だからこそネラが倒れるまで呑気にしていられたのだ。
「なるほど……急激にマナを喪失することによるショックなら、元より失うマナのない貴方には影響がないのかもしれませんわね」
おかげで助かりました、と苦笑するネラ。
喜んでいいやら分からないな。でも、あのまま二人とも倒れていたらそれこそ命に関わっていたかもしれないし、マナがないのもデメリットばかりではないと思っておこう。
「ともかく、この道を普通の人間が通ることは不可能です。だとすれば、人攫いが向かったのはもう一方の道……」
「もう大丈夫なのか? 休んでてもいいぞ」
「いえ、お気遣いは無用です。じきに回復しますわ」
気丈に立ち上がるネラ。であればこれ以上心配するのは無粋だろうか。
分かれ道まで引き返し、反対の道を進むことしばらく。不意に、木々の開けた場所に出た。
赤みを増す夕日に照らされるのは、一軒の石造りの小屋。
窓は塞がれているが、隙間から室内の明かりが漏れている。中に人が居るのは間違いなさそうだ。
どこかに繋がれているのだろう、小さく馬の嘶きも聞こえてくる。
「……おそらく、ここが人攫いのアジトでしょう」
ネラの言葉に頷くと、僕は彼女を待機させ、姿勢を低くして近付いていく。
小屋のすぐ脇には小川が流れているようで、せせらぎの音に紛れて近付くのは容易だ。窓に耳を近付け、中の様子を伺う。
『どうすんだ、男のガキなんか攫ってきてよぉ……』
『お頭が戻ってから聞いてみりゃいいだろ。何か考えがあんだよ』
『身なりは悪くねえしな。ひょっとしたらどっか良いとこのガキなんじゃねえか?』
ひとしきり聞いたあと、戻ってネラに告げる。
「ビンゴだ。しかも、リーダー不在みたいだぞ」
「ですが、数が多いとなると……人質がいる状態で戦うのは無謀ですわね」
「戻って応援を呼ぶか?」
「そうですわね……ですが、その前にリーダーが戻ってしまったら……」
人攫いが動くなら、夜のうち。もし今夜中にどこかへ運んでしまう算段なのだとしたら、今度こそ追跡しきれるか分からない。
タイムリミットは分からないが、悠長にここで待つ時間が惜しいのは確かで――
「……一つ、手を思い付いた。ネラはここで見張っててくれるか」
「え、ええ……それは構いませんけれど……」
小屋の脇に捨ててあった袋を拾い上げると、僕は来た道を引き返して走り出した。




