火属性 概説・一
……失敗したかもしれん。
最初の大通りを外れると、辺りの人通りはめっきり減ってきた。そして立ち並ぶのは家、家、家。
閑静な住宅街とでも言いたくなる場所で、決して悪い場所ではなさそうなんだけど……目を引く店も物も何もない。
いい加減引き返そうかと思い始めた頃、道沿いの家屋の一軒から声が聞こえてきた。
『アルノー! 竈の火を点けてちょうだい』
『はーい!』
家の戸が開き、一人の男の子が飛び出してくる。
少年はてきぱきと甕をいくつか用意し、玄関脇に設えられた竈の前にしゃがみ込んだ。なんかこの街の家、どこも外に竈があるんだよな。
ともあれアルノーと呼ばれた少年に目を戻し、取り出したものを見る……あれ、火打石かな。
黒いものに向かってそれを数度叩き、甕の中からすくい取ったものを乗せて息を吹きかけると、あっという間に炎が上がった。それを竈へ投げ入れると、あとはどんどんと薪を追加していく。
手慣れている。この世界では、あのスタイルが日常的な火の起こし方なんだろう。
「あー、少年」
「うわっ! ……え、にーちゃん誰?」
近付き呼びかけてみると、アルノー少年は跳ね上がるようにこちらを振り向く。
「驚かせちゃってごめんな。僕はさっきこの街に着いたばっかなんだけど、途中で道具をなくしちゃってさ。その火打石、ちょっとだけ貸してくれないか?」
できるだけフレンドリーなお兄さんを演じてみるが……少年は答えあぐねているようだ。知らない人と話しちゃいけませんとでも言いつけられているのだろうか。感心な親御さんだ。
だが断られるわけにはいかない。だって辺りに他に人いねえから!
「頼む! 代わりに、めっちゃうまい果物やるから!」
さっき買ったそれを差し出し、頭を下げる。下手に出る僕に害意はないと判断したのか、食い意地が勝ったのか。目は果物に釘付けになりながら少年は頷く。
「わ、わかった。いいよ」
「ありがとな! すぐ返すから」
「うん。おれはここで竈の火みてるから、使い終わったらまた来てよ」
「おう。ところで……それって、火を点けるのに使うやつ?」
「そうだよ。火口と、木屑に油染み込ませたの。いるならちょっとあげるよ」
「マジか、悪いな! 果物一個サービスしてやろう」
「やったぜ!」
すっかり打ち解け、テンションの上がった少年に果物を二つ渡す。
黒いもの、木屑を入れた袋、液体が入っているらしい焼き物のビンを受け取ると、近くの空き地に腰を下ろした。空き地って言うか家庭菜園的な畑とかかもしれない。まあ何も植えてないみたいだし、ちょっとだけお邪魔しよう。
その一角にしゃがみ込んで、さっきもらった道具類を広げてみる。
「黒いのは炭化した布か。ビンの中は油っぽい液体と、それを染み込ませた木屑……」
火打石と一緒に渡された油だ、当然燃えるんだろう。地面にその辺の枯れ草や枝を敷き、その上に黒い布を置いて火打石をぶつける。が――
「火花すら散らねえ……くそ、何でなんだ」
『火打石』と言っても、実際は金属製の打ち金と石の二つをセットにしたもの。
打ち金は木製のハンドルにしっかり固定され、石の方も持ちやすいよう形が整えてある。れっきとした『道具』だ。
実際に子供ですら火を点けられるのに、何でこうも――
「貴方、そこで何をしておられますの?」
背後から女性の声。さっきのアルノー少年がしたように、反射的に振り向いてしまう。
そこに居たのは、ドレスに身を包んだ若い女性。
真っ先に浮かんだのは『令嬢』という言葉。綺麗に編み込まれた亜麻色の髪、細やかな装飾に満ちたドレス、しなやかな指先。どれを取っても上流階級でない可能性が見出せない。
今は座り込んでいるせいで見上げる格好になっているが……ひょっとすると、元の世界の僕よりも背が高いのではないだろうか。
そんな彼女の灰青の視線は、僕の手元に注がれていた。
「……火打石?」
……ってこれ、傍から見たら放火魔と疑われても文句言えないよな……。
「あ、いやー。うまく火が点かなくて困ってたんだ。それで練習をな」
愛想笑いって、咄嗟にうまくできないもんなんだな。声が裏返るのを抑えきれないまま、早口で事情を説明した。
「火が点かない……ですか。随分と不器用なのですわね?」
すぅっ、と目が細められる……あ、ヤバいかも。
「いやホントに! 見ててくれよ、ほら! ね、火が点かないんだから放火とかしようがないだろ!?」
火口に向かってカチカチしながら弁明する僕。若干語るに落ちてる気もするが、それでも必死さが通じたのか、女性ははっとしたような表情を浮かべ……やや躊躇いがちな声色で、
「それは……おそらく、マナの問題ですわね」
と、告げてきた。
「……マナ?」
聞き慣れないような、お馴染みのような……そんな言葉の響きに、ついオウム返ししてしまう。
「おそらく貴方は『零寵者』です……今まで、気付かなかったんですの?」
マナ……おそらくだけど、魔力とか魔法とか、そんな感じか?
しかしマギヌなんちゃらが何かは分からない。病気……? いや、彼女の口ぶりからすると、信じられないという意図が強く感じられる。マギうんたらだったとしたら、それこそ生まれつきとかそういうことになってしまうのか?
肯定して話を合わせるのが手っ取り早いか……いや待て、言葉は慎重に選べ。
今の僕は、魔術師の身分を詐称して街に入っている。この服も最初から身に着けていたものだが、もしこれが魔術師ならではの服装だったりしたら?
ハイ生まれてこの方使えませんでした、なんて答えてしまうとおかしなことになる。ここは――
「いや、僕は一応魔術師だ。当然今まではこんなことはなかったんだけど……さっき街の外で火を起こそうとして、うまく行かないことに気付いたんだよ」
最初以外、嘘はついていない。だからだろうか、すらすらと言葉が出てくる。
「後天的な零寵者……? そんなこと、あり得ますの?」
やべ、なんかあまりに無茶な設定盛っちまったかもしれない。そして結局何なんだよマギ某。
「えっと、その零寵者って……?」
「……? 生まれつきマナを持たない人のことですが……マナがなければ、魔法はおろか火を点けることもできませんでしょう? 一般的には『無能者』と呼ばれることの方が多いですけれど……」
あっぶねえ、やっぱそんな感じか。迂闊なこと言わなくてよかった。
「あ、ああ、『無能者』のことかー。ごめん、実は魔術師って言ってもだいぶ落ちこぼれ側でね。講義もほとんど居眠りしてたし」
我ながら苦しい言い訳……通るか? これ。
しかし幸い、女性はそれ以上追及してはこなかった。『無能』とかって言葉の響きからすると、もしかするとあまり突っ込んで触れづらい話題なのかもしれない。
「……えっと、君……」
これ以上深堀りされる前に話題を変えてしまおうと呼びかけるが、名前が分からないことに気付く。
「私はネラと申します。ネラ・アーロンド。このナフィに商館を構える家の者ですわ」
「そ、そうか。僕はリベル……クヴァルツベート。よろしく、ネラさん」
やべ、自分の名前忘れかけてた。
「こちらこそ。あとネラで構いませんわよ」
微笑み、ネラが手を差し伸べてくる。少し考えてから、僕は握手するようにその手を取り、彼女が軽く引き起こしてくれるのに合わせて立ち上がった。
並んで立つと、やっぱりネラは今の僕と同じくらいの背丈がある。
最初に向けられたのが険のある視線だったから気付かなかったが、その顔立ちはどちらかと言えば柔和な印象が強い。
ただ、その……いかにもお嬢様って見た目の女性が、腕組んで家の外壁にもたれかかるのが異様に様になってるのっておかしくない?
「? どうかしまして?」
「い、いや。ジロジロ見てごめん」
不思議そうな目を向けてくるネラから視線を逸らし、この後どうしたらいいんだろうと考えを巡らせる。そしてふと思いついたのが――
「そうだネラ、試しにこの火打石使ってみてくれるか? ないとは思うけど、道具のせいじゃないってことを確認してみたい」
「ええ、構いませんけれど……」
受け取ったネラは淀みなく石と打ち金を叩き合わせる。火花が散り、黒い布に赤い輝きが点々と灯った。木屑を乗せれば、すぐに煙と炎が上がる。
いや手慣れてんな。手を怪我されたらまずいかなとか一瞬心配したのが馬鹿らしくなるくらいに。
「で、問題なし、と……」
つまり、悪いのは道具じゃなくて僕。さっき森の中で試した時も、発火具の製作自体はうまくいってたんだろう。僕がマギ以下略だったのが失敗の原因だ。
これ、この世界特有の現象ってことでいいんだよな? まさか向こうでも知らず知らずのうちにマナなるものを消費してたとは考えにくいし――
【仮説】
この世界では、火を起こすにはマナが必要。
そのためマナを持たない零寵者は火を起こせない。
うーん、まさか魔法のあるらしい世界に来て、魔法が使えないどころか火も起こせんとは。
……いやこれ、とんでもない縛り食らわされてね? これじゃ料理すらできないんだけど生きていけるの、僕。
「まあ、今後をどうするかはさて置いて……とりあえずこの火打石は返してこないとな」
とりあえず実験は終了だ。お片付けに入るとしよう。
「どなたかからお借りしたんですの?」
「ああ。さっきそこの子供に――」
ネラの問い掛けにあの家の方を指差すが……火打石を貸してくれたアルノー少年の姿がない。竈だけが勢いよく燃えている。
火を見ている――そう言っていたはずだが。
彼の家に近付いてみるが、物陰に隠れているわけでもなさそうだ。
ん? これって……。
地面に落ちていた物を拾い上げる。間違いない……あの果物だ。一口齧ったような跡がある。
「それは……?」
「僕があの子に渡した果物だ。さっき、火打ち石を借りる代わりにあげたんだ」
「気前のいいことですわね……かなり高級なものなんですけれど」
なるほど、一個食ったが道理で美味いわけだ。となると7ノランの価値を見積もりより上方修正しなきゃな。僕の所持金もそれだけ多いってことに――
「……待てよ。子供がそんな高級なおやつを一口食って捨てるか……?」
嫌な予感が走り、最初にアルノー少年が出てきた戸をノックしてみる。しばらくすると、母親と思しき女性が顔を覗かせた。
「はい、どなた……」
「失礼、アルノーくんは? 先程外で借りた道具を返したいんだけど……」
「え? 外に居ないんですか?」
無言の僕を見て、母親の顔も強張ってくる。
「まさか……誘拐」
ネラが呟いた言葉に、母親が目を見開く。軽くパニックに陥りかけているのか、首をきょろきょろと巡らせる彼女に、ネラが鋭く声を掛ける。
「私たちはもう一度外を探しますわ! お母上は、街の警備へ連絡を」
「は、はいっ!」
駆け出す母親。僕もネラの言葉に従い、家の外の通りを見渡してみる。
この道に入った時も思ったが、そもそも人通りがほとんどない。目撃者は期待できないだろう。
「……! 〈冷火灯〉」
しばらく思案していたネラが突然何かを呟くと、彼女の手にする棒の先端が青く光を放った。
……あれ、魔法だよな。
こっちの魔法の杖は、ホグワーツとかでお馴染みの指揮棒タイプか。
そんなことを思いながら見ていると、ネラは光を地面に向け、何かを探すように左右に揺らしはじめる。しばらくそうしていると、一瞬、何かが照らし出されたように見えた。
ネラはそこで動きを止めている。僕も駆け寄って確認してみた。
石敷きの地面に、唾でも吐き捨てたみたいな痕……問題は、それが青白く光っていること。
「何だこれ……?」
「ビルベールの実の汁は、この魔法の下で光るという性質がありますの。リベルさん、その子には果物をいくつ?」
「二つ渡した。けど、この辺にはもう落ちてないな……」
「となると――」
少し歩いた先で、再びあの魔法を使う。
「ありましたわ。果汁の雫を、点々と落としているようですわね」
「……目印を残したってことか? 咄嗟にそんなこと思いついたのかよ、あの子供」
今までの痕跡から当たりを付け、杖を翳すネラ。その先の地面に、やはり光る点。
「追いましょう」
「追おう」
僕たちは同時に言って、頷き合う。
光で地面を照らすネラに合わせて走りながら、尋ねる。
「この道の先はどうなってるんだ?」
「比較的警備の薄い北西の門です」
「となれば、犯人の行先は外か……」
「夜間はさすがに門も閉められますが、今の時間ならまだ、子供を眠らせて荷物に偽装すれば抜けられてしまうかも知れませんわ」
アルノーは攫われながらも、犯人がそうした手段を取ろうとすることが分かったんだろう。だから手元の果物を潰し、自分の意識がなくても手掛かりを残せるようにした……布袋をかぶせられたとかなら、汁が沁み出て落ちるだろうしな。
「雫の間隔は結構広いな。乗り物を使ってるのか……けど、しっかりした荷台に積まれたらそもそも道に落ちるはずがない。袋に詰めて馬の背に載せた、とかかな」
小さく頷き合うと、僕たちは門を目指して走るペースを上げた。




