異世界概論・二
木々の合間を、とにかくあの場から離れるように移動することしばし。
森……と言うよりは山の中腹のようだ。最初にいた場所はほとんど平らだったが、少し歩くと地面全体が緩やかな傾斜に切り替わった。
どれくらい歩いただろうか。かすかに水の流れる音が聞こえてくる……そのままさらに進むと、小さな沢に行き着いた。
「ラッキー。いきなり水が確保できた」
これから直面するであろう難題の一つが思いがけず解決してしまって、ひとまず安堵。
沢から少し距離を取り、できるだけ地面が水平になっている場所に腰を下ろす。
そうだな。ここがどんな場所であろうと――異世界であろうと。
今取るべき最善手に、何の違いがあるだろうか。
「よし、改めまして……まずは火だな」
サバイバル。それが森の中に一人放り出された人間の嗜みにして義務!
先程よりはまばらになった木々の枝間から空を見上げる。太陽は高い位置にあるようで、木陰もほぼ真下に落ちている。今はまだ昼頃だろう。
寝床の構築、道具作成、食料採集……森で独り生き抜くためには、やらなければならない作業は山積みだ。
そしてその作業は明るいうちにしかできない。だが火が点けば、その明かりを頼りに夜間も行動できるようになる。
そういうわけで、火起こし開始だ。さて、どうやるか……。
ストロングスタイルの錐揉み式、弓のように曲げた枝に張った紐を軸に絡ませて前後させる弓ぎり式――
「せっかくナイフがあるんだ。もうちょっと本格的にやるか」
近くにちょうどいい枯れ木もある。ナイフを鉈のように使って幹を割り、細長い板を二枚ほど作る。他にはできるだけまっすぐな棒、木のツルも集めておく。
沢に向かい、流れの中から石をいくつか拾ってくる。理想はバナナのようにやや長く曲がった形。
まっすぐな棒を二つのバナナで挟み込むような形にし、木のツルを裂いた紐で固定する。重量バランスを見ながら小ぶりな石を追加しつつグルグル巻きにしていくと――
「うん、いい具合になったんじゃないかな」
軸を手のひらで挟み、一回ししてみる。石の重さが力強く遠心力を発生させ、込めた以上に軸を回転させる力を生み出してくれるのを感じる。
要するに、独楽だ。
独楽の出来に満足いったところで、板の真ん中をナイフで抉って広めの穴を空ける。さらに両端を削って整え、紐が結びやすいよう溝も彫っておく。これでハンドルが完成。
ハンドルの両端に紐を結び、独楽の軸を穴に通したら、軸の頭に紐の中央を固定。
軸を何度か回して紐を絡ませておき、あとはハンドルを勢いよく押し下げれば独楽が回転する。そのまま紐は逆向きに軸に巻き取られ、ハンドルを持ち上げる。それをもう一度押し下げれば今度は方向を変えながら回転力を与えることができる。
残ったもう一枚の板にはV字の切り欠きを入れ、Vの角部分に丸く凹みを作る。ここに軸の先端をあてがい、独楽を回し続けることで摩擦が生まれる。
「よし、完成」
確かこれ、舞錐式って言うんだっけ?
完成したならさっそく実践! ブゥン、ブゥンと景気よく回転する軸が、みるみるうちに黒く炭化した木屑を発生させ――
「――ダメだ。火が付かない」
既に数十分、ハンドルを上下させて独楽を回しているだろうか。何度目かのチャレンジでできた炭屑の山に、試しに触れてみる。
「あっち! んー、もうちょい粘れば行けてたか……?」
だが、その後何度試しても、炭屑の中に赤く火が灯る気配がない。
道具の動きはスムーズそのもの。だが、問題はどうも他にあるらしい。
選んだ木が、燃えにくい種類だったのか……? いや、すでに台木を何種類か変えて試している。その全部がこんなにも火が付きにくいのはおかしい。
それにさっき触った感じ、熱は発生しているのだ。未だに指がヒリヒリして――
「……くそ、火傷したかも」
幸い沢のすぐそばだ。水で冷やしておこう。
道具を置いて立ち上がる。気付けば全身にかなり汗をかいていた。額にへばりつく銀髪を掻き上げ――
「……ん?」
僕って、髪染めたことないよな……?
そう言えば僕は、ここに来た直後に服が変わっていることに気付いた。
服は変わっていた……じゃあ、それ以外は?
沢の流れの中で比較的水面が静かな場所を探し、覗き込む。
そこに映る顔を見て、僕は愕然とした。
「どういうことだよ、これ……」
それは見慣れた僕の、鉄戸公平の顔ではなかった。だが、同時に見覚えもある。
だって、さっき散々生存確認をした相手なのだから。
「……ミスったな。もっとちゃんと調べとくべきだった」
まあ人の死体を見つけて、動転するなと言う方が無理があるか。
ただの行き倒れだと思って貰うもん貰って放置してきてしまったが、冷静に考えればあの場に『居た』僕と何らかの関わりがある可能性が一番高いのは彼なのだ。
「僕……か」
僕とは、この場合誰を指すのか。
鉄戸公平。大学生。趣味、永久機関収集と動画サイトをゆっくり眺めること。
両親と妹、友人の顔。自分の住む家、街、大学、電車、定期の区間、こないだ見つけたラーメン屋――思い出せる限りのことを思い出してみる。
間違いなく僕は、今のこの自我は鉄戸公平だ。
それが何の因果か、知らない世界の知らない人間の体を動かしている。
「異世界転生……っていうには、妙な状況だよな」
例えば神様が説明もなしに僕を転生させたとして、同じ場所に同じ顔の男を転がしとく意味が分からない。
同じ顔をした二人の銀髪の男。少なくともそのどちらかは荷物の持ち主『リベル』だろう。
ではもう一方は、一体何者なのか。
クローン。コピー。ドッペルゲンガー。
……いやそもそも、本当に同じ顔なのか?
僕は水面に映った顔が死体そっくりだと思ったに過ぎない。
例えば双子や兄弟、単にその可能性もあり得るはずだ。
だがいずれにせよ、そこに縁もゆかりもない僕の意識が入り込んだ理由に説明などしようがない。
……考察の材料が足りない。これ以上何を考えても憶測にしかならないな。
【仮説】
現在の公平は、この世界の人物の肉体の中に、鉄戸公平の意識が存在する状態である。
肉体の素性は不明。
「……何にしろ、このまま時間を無駄にするわけにはいかないか」
来た道はもう分からない。仮に戻れたとして、万が一誰かに見られてしまえば面倒なことにしかならない。
一方で、時間は刻一刻と過ぎている。何もできずに夜を迎えてしまえば、最悪そのまま大自然の中で雑魚寝だ。
今が夏か冬か、そもそもこの場所の夜がどれほど冷えるのか。何も分からない状態でそれはリスクが高すぎる。
火が起こせないなら、さっさと切り替えて寝床作りを優先すべきか――などと考え始めた僕の目が、不意にそれを捉えた。
木々の隙間から辛うじて覗くのは、遥か遠くを移動する物体。
「……馬車だ!」
馬車が走っていると言うことは、きちんとした道があるということ。それに進行方向から見て、こっちに近付く形で移動している。急げば追い付ける――!
カバンに荷物を詰め込み、僕は木々の合間へと駆け込んだ。




