氷属性 概説・二
ネラの口利きで魔術師協会の一室を借り、僕たちはそこに移動していた。
学校の理科室を思い出させるような、机が等間隔に並んだ部屋。
その机の一つに、ネラは敷物を広げ、いくつかの石のようなものを並べている。
「まず、魔石を六個用意いたします」
「待って」
「はい?」
「……魔石ってなんだ?」
「え? 魔石は……魔石ですけれど……」
詳しく聞いてみると、『魔石』はおおよそ僕の知っている通りのものだった。
魔物の体内に生成され、魔法と深く関わる物質。力の強い魔物ほど大きな魔石を持ち、そうしたものは高値で取引される――
ただし、材質が何なのか、何故魔物の体内にそれが存在するのかは、謎。
「……ええと、続けてもよろしくて?」
「ああ、悪い……頼む」
思わず脱線してしまったが、今日ここに来たのは魔石の講義のためではない。
気を取り直したネラは、魔石を敷物の上に配置していく。
「ええと、魔石をこう、斂界方向がちょうど対面の魔石と向き合うように合わせながら、円周上に六つ、等間隔で配置するわけですわね。この魔石で囲まれた範囲を斂結界と言いますの」
「…………続けてくれ」
「はい。こんな感じで……すると斂結界内の空気が氷状晶列して、固体になるわけです。今は使っている魔石がごく弱いので、氷魔法のような大きな塊ができるわけではないですけれど……ほら、見えますかしら? キラキラ光るものが舞っていますでしょう? これが『凍晶』です。氷魔法で扱う氷は、ほとんどがこの凍晶なのですわ」
言われなければ気付かなかったかもしれない。しかし確かに、小さな光の粒が浮遊しているのが分かる。
「氷状晶列が起こる時、この周囲の空気は熱を奪われて冷えますの。凍晶自体も非常に低温ですが、結界が解ければ徐々に温まって溶けてなくなりますわ」
ネラが魔石の間の空間に手をかざしながら言う。僕もそれを真似て手を突っ込んでみれば、確かにそこだけ冷蔵庫の中かと思うくらいに空気が冷たい。
「……これ、初等学院で必ずやる実験なのですけれど……ご存知なくて?」
「ご存知ありません」
……今分かった。
異世界チートでこっちの科学見せつけられた異世界人って、こういう気持ちだったんだろうな。
材料・分からん。原理・分からん。途中途中に出てくる当たり前ですよねみたいに使われる用語・分からん。
少なくとも僕の知識の埒外のことが、目の前で当たり前に起こされている。説明を求めても「斂結界で氷状晶列させただけだが……?」とか言われりゃザワザワもするわ。そのザワザワには「何言ってだこいつ」という含意も込みで。
「……一旦、バラしてくれるか? 僕一人でやってみたいんだ」
とりあえず原理は、分からないことが分かった。
問題は内容を理解することではなく、僕に再現できるかどうかだ。
ネラのアドバイスを受けながら、さっきの実験をなぞってみる。
『魔石の斂界方向』とかいうのがマジで何なのか分からんので、ネラの「もうちょっと右」「行きすぎ」などの指示に従いつつ設置を終える。スイカ割りかよ。
ともかく、全ての作業を終えてしばらく待っていると――
「……出てきた」
さっき見たのと同じ、極小のダイヤモンドダストのようにきらめくものが、魔石に囲まれた空間内に発生していた。
それが意味することはつまり――
「……これは魔法やマナ作用じゃない。この世界の物理現象なんだ」
凍晶の生成が『封印』によって制限されていれば、ネラが手出ししていない今回の配置作業では発生しなかったはず。
仮に魔石がマナの塊だったとしても関係ない。ロックはマナさえ近くにあれば破れるというものでないことは今までの経験からも分かっている。
つまり、これは起こるべくして起こった自然な出来事。
「不思議なもんだな……こんなの、やってることは丸っきり魔法の儀式なのに」
「……私にしてみれば、あのガコガコ動くのが水を冷やしていたことの方が魔法にしか思えないのですけれど」
ネラが言っているのは、スターリング冷凍機のことだろう。
「史上初の異世界間技術交換だ。よかったな」
高度に発達した科学は……なんて言うが、実際のところは「よく知らん技術は魔法と区別が付かない」というだけの話なのかもしれない。
「交換って言っても、僕一人じゃ魔石の向きが分からないから、応用も検証もできないんだけどな……」
ネラには当たり前に分かるらしいけど、何故分かるのかを言語化できないみたいなんだよな。
「ああ、確か斂界が目で見える実験なんかもありましたわよ。詳しくは覚えていないのですけれど、こう、霧の出る箱の中に入れるとピュンピュンと――」
「霧箱実験かよ……え、なに? 魔石ってなんかヤバいもん出てるの?」
鉛の箱に保管した方がいいのだろうか。
まあ、実技は十分に見せてもらった。ここからは座学で掘り下げていく段階だ。
差し当たり、『凍晶』が何なのかについてネラに詳しく聞いてみたが……おそらくあの現象の影響下で空気に含まれる分子が規則的に整列することで『固形の空気』ができているものと推測される。
そしてその整列の際、熱エネルギーを必要とするのだ……熱を接着剤にした空気の組木細工ってところか。
熱が結合力に形を変えると、温度は失われる。だから冷たい。
つまるところ、『氷属性魔法』というのは見た目のイメージや他の属性との統一感を持たせる狙いから付けられた呼称で、実態は『空気結合魔法』と呼ぶべきものなのだ。
そしてそこから、僕の最初の疑問に対する答えも導かれる――この現象にそもそも水は一切介在しない。だから氷魔術師が水魔術師同様に重用されることはない。
「だから水属性と氷属性が独立してるんだな」
この原理で空気が固まって冷えること自体は純然たる物理現象でしかないが、おそらく魔石を省略しても発生するようにしたところが氷魔法の魔法たる所以といったところか。
ちなみに、この推測が正しければおそらく真空中では氷魔法は使えない。凍晶の材料の空気がないし、凍晶が作られなければ周囲の熱を奪うこともないからだ。
【仮説】
氷属性で扱う氷は『低温の固形空気』である。
斂結界の影響下において空気は熱エネルギーを吸収して透明な結晶構造を取る。
さて、ここまでやっといてなんだが……これ、なんか役に立つだろうか?
あいにく冷凍機が完成した直後だ。ホコリみたいなサイズの凍晶よりもはるかに簡単に低温を作り出せるようになってしまっている。
……ああいや、僕一人じゃ水をいくら冷やしても凍らないんだから、『氷の代替品を得る手段』として意味はあるのか?
要するに、港でユーニが魚に対してやっていたのと同じ用途だ。溶けても水が出ないという性質も、むしろそれが利点となり得る場面があるはずだ。
……氷の代替として使えるほどの塊を手に入れるのに、どの程度の魔石が必要なのかは確認しなきゃいけないけど。
しかし、水は水であれって何かに使えないかな。温度を下げても凍らないなら、ガンガン冷やしていけば恐ろしく冷たい水ができたりしそうだけど――
「んー、でもそれには高性能の断熱材が必要なんだっけな」
水の温度を下げ続けることは、理論上は可能なはず。ただ、物体は温度が下がれば下がるほど、そこから更に下げるために必要な仕事量が増えていく。
そして水温に影響を与えるのは冷凍機だけじゃない。それこそ水が入ってる容器を通じて、外気の熱で常に温められてもいる。
つまりどっかのラインで、冷凍機が冷やすよりも早く容器から熱を吸収してしまうようになり、そこが冷却の限界となる。
それを防いでさらに冷やすには、容器を断熱素材にするしかないんだけど、そんな都合のいい素材が手に入るとは――
「……あれ、待てよ。んん……?」
ひょっとして……行けるか?
ふとした思い付きを頭の中で検証し始めたところで、部屋の入口からもはや聞き慣れた声が飛び込んできた。
「あ、いたいたっす。変なことしてる二人組がいるって聞いたんすけど、やっぱリベルさんたちだったっすね」
見れば、ユーニが扉の隙間から顔を覗かせていた。
眼鏡の奥の目には、憔悴がクマとなって浮かんでいる。どうやら、進捗の方は順調とは言い難いらしい。
彼女は特に断りなくこちらへやってきて、並んだ椅子の一つに腰を下ろす。
そしてネラに目を向けるなり口を開いた。
「ネラさん、書庫に『大陸魔術大全』はあるっすかね? ちょっとお借りしたいんすけど」
あまりに自然な注文に、ネラは面食らったように固まってしまう。そして、
「え、ええ……お待ちくださいまし」
少しの逡巡の後、実験部屋を出て行った。ユーニの指定した本を取りに行ったのだろう。
残されたのは、僕とユーニの二人きり。
「……ネラに聞かれたくない話でもあるのか?」
暗に話を聞こうと身構えた僕の言葉を、しかしユーニはあっさり否定する。
「いや、そういうわけじゃないっす。普通にこの後の話で使いたいだけで……ただ私が持ってきたら、また得体の知れない本じゃないかと警戒されそうっすからね」
そう言って自嘲気味に笑う。
どうもユーニは、自分の行動が怪しまれることを自覚してる節がある。その上でこうして物怖じせず絡んでくるんだから、肝が太い。
そして本当に内緒話の類もないようで、暇を持て余すように机の上を見ていたユーニが言う。
「……凍晶の実験してたっすか?」
さっき使った魔石やら敷物は置きっぱなしだ。一目で分かるあたり、本当に定番の実験なんだろう。
「ああ。お前が氷出してたの思い出して、それ溶かせば実質水魔法じゃね? って言ったら、氷魔法がどういうものか説明してくれたんだ」
ここで実験をするに至った経緯を話す。
するとユーニは、補足するように言う。
「まあ、確かに凍晶を操るのも氷魔法の基本ではあるっすけど、水を凍らせる魔法もちゃんとあるっすよ」
ユーニは懐から革袋――水筒だろうか――を取り出し、口を開けるなり躊躇いなく中の水をこぼす。その水が、机に落ちるのを待たず氷の柱となった。
「属性って、結構恣意的なものなんすよ。乱暴な言い方すれば、氷っぽければ氷属性に突っ込まれるわけっすね」
凍晶を作り出す魔法と、水を凍らせる魔法。それらが氷属性という一つのカテゴリにごった煮で押し込められている、ということか。
「もちろん、八大元素とその守護神という存在まで否定するわけじゃないっすけどね。でもその枠組みありきで魔法が体系化されてきた歴史は否めないっす」
魔法という学問の発展の中には、多分に人間側の都合のあれそれも含まれてきたというわけか。
待てよ……なら、他の属性でも同じことが言えるんじゃないか?
例えばネラは、風はかまいたちで切り裂くのが仕事と言っていたが、それも属性の一分野でしかないとしたら――
そう思って、あの時の疑問を再び尋ねてみる。
「風の流れを起こす魔法っすか……」
しかしやはり、ユーニから返ってきた反応は芳しくない。
「なくはないはずっす。それこそ、今取りに行ってもらった大全なんかには載ってそうっすけどね」
「なんか一般的でない理由があるのか? ネラも知らない様子だったけど」
「単純に、難しいからっす。水魔術師が少ないって話は聞いてるんすよね?」
この魔石実験の話の大元だ。僕は頷いて肯定する。
「その理由の一つが、流体操作の難度が高いからっす」
流体……流体力学とかのあれだろうか?
僕がピンと来ていないことを察したのか、ユーニは少し考えてから聞いてきた。
「そっすねえ……たとえばっすけど、この魔石をちょっとズラすのに、指は最低何本必要っすか?」
話の流れ的に、トンチの問題でもないだろう。僕は人差し指一本で魔石を押して動かしてみる。
「そっすね。六個とも動かしたければ六本すよね……じゃあ、この部屋の空気を全部追い出すには、指が何本いるっすかね?」
……なるほど。そういう話か。
「ちょっと喩えが雑かもっすけど、これが流体を扱う難しさっす。定量的に数えることもできず、移動の結果起こることの予測も極めて難解」
「つまりは、水魔法が難しいとされるのも、それが流体だから?」
「理由の一翼は確実に担ってるっすね。不定形、捉えどころがない――魔術構築にとっては鬼門っす」
ユーニのその言葉は、彼女がウーズの対抗策に難儀していることと、奇妙に重なっているようにも感じる。
……ん?
「ちょっと待った。逆に言うとだ、ユーニが使う風魔法で飛ばしてるモノは、『捉えどころがある』ってことか?」
風は流体。流体を扱うのは難しい。でも刃にして飛ばすことはできる……?
なんか、辻褄が合わなくないか?
「…………ん。んん? そういうことに……なる、っすよねえ……?」
ユーニ自身も、言われてその矛盾に気が付いたようで。
これは完全に直感だが……そここそ、何かの糸口になる気がしてならなかった。
「ちょっとそれについても調べてみるっすか。ちょうど戻ってきたみたいっすし」
ユーニが部屋の入口に目をやると同時、扉がノックされる。
そのまま入ってきたネラは、僕たち二人の視線を受けて首を傾げた。




