魔術構築論 基礎と応用・一
ネラが書庫から持ってきた本を受け取ったユーニは、それを机の上に置く。
「この『大陸魔術大全』には、名前の通りこの大陸で知られてる魔法がほとんど網羅されてるっす」
言いながら、本のページを開いてみせる。どうやら各ページにいくつかの魔法陣と、その解説が掲載されているようだ。
続けて彼女が懐から取り出したのは、いつぞや酒場で読まされた数枚の紙。
「この本の中から、これと似たものを探したいんすけど……リベルさん、魔法陣も読めるっすよね。だから手伝ってほしいんすよ」
「……え?」
さらっと聞き捨てならないことを言う。僕の間の抜けた反応に、ユーニは呆れたような声を返す。
「……自分で分かってなかったんすか。リベルさん、この魔法陣を見て「火属性だ」って言ったんすよ」
言われてみれば、あの魔法は火属性とだけは記述されている――と、ごく自然にそう解釈した覚えがある。その理由が、自分でも説明できなかった。
考えられるとすれば、例のこっちに来た当初から機能している言語チート。文字が読めるのと同じく、魔法陣も読めるということか?
「まあ、自覚の有無はこの際どうでもいいんすけどね。重要なのは、その能力が突破口になってくれるかもしれないってことっす」
言ってユーニは居住まいを正してこちらに向き直る。
「正直言って、キング対策に行き詰ってるんすよ。たかがウーズの親玉と思うかもしれないっすけど、私の使える魔法であれに対処する術が見当たらなくて……それで思い出したのが、このメモっす」
「……結局、それって何だったんだ?」
「このメモは、ある人から譲られたものっす。強力な魔法の構想じゃないかと思うんすけど、見ての通り書きかけっすから、詳しいことまでは分からないんすよ」
なるほど、今回の仕事で使えると思ったから、僕に解読させようとしたわけか。
僕は改めて、メモに目を通してみた。
全体としては、やはり魔法の設計図といった感じのものに見える。
一枚目と二枚目は、走り書きに近い筆致で文章が乱雑に書き散らされている。
読み取れる文章のほとんどはマナの流れや接続方法といった内容で占められており、術そのものの性質を示す要素はない。
三枚目の下段には、実際の魔法陣の絵図。円の内側の三分の一ほどに『火属性』と翻訳される幾何学的な模様が描かれているだけで、残りは余白になっている。
それゆえ、この魔法がどんなものかを知る手掛かりがない。火を飛ばすのか、火柱が上がるのか、爆発するのか。『何をしたいのか』が読み取れる記述がどこにもないのだ。
やはり未完成以前の代物……たとえ切羽詰まっているにしても、ユーニがこれにこだわる理由がいまいちピンとこなかった。
とは言え、ユーニの方はやはりこれで行くつもりらしい。
「リベルさんには、魔術大全の中からこれに関係ありそうな魔法を探し出してほしいんす。これ自体の完成形が見つかれば御の字。そうでなくても、同じ人の作った魔法を見つけることができれば、その傾向から術の完成のヒントが掴めるかもしれないっすし」
「未完成の魔法と同じ作者のものを探す……? そんなことできるのか?」
「魔法陣の記述には、多かれ少なかれ作った人の癖が滲むもんっす。それを取っ掛かりに、同じ人が作った魔法を見つけることは不可能じゃないはずっす」
つまり僕が求められているのは、魔法の解析というよりは筆跡鑑定みたいなものか。
「リベルさんの『翻訳』は、魔法陣を活性化することで反応するはずっす。推測としては、マナを流すことでただの絵が翻訳可能な『魔術語』になるっすかね」
……なんでこの人、僕の謎能力に僕以上に造詣が深いんだ。
まあ要するに、ユーニに一つ一つマナを流してもらいつつ、その魔法陣とメモの間に類似がないかを読み解いていけばいいわけだ。
「それなら、まずは火属性の項目から順に見ていくか」
メモの魔法が火属性なら、いきなり本命に行き当たるかもしれない。
僕が大全の最初のページを開き、ユーニはそこに描かれた魔法陣を指でなぞってマナを通す。
一つ息を吸って気合を入れてから、僕は『翻訳』されたそれに目を落とした。
【仮説・改訂】
公平はこの世界のあらゆる言語を理解できる。
文書、会話、魔術構築言語の全てに有効。
――それから、だいぶしばらく。
結論から言うとそうそう簡単には行かなかった。属性順に魔法陣を解読していき、もう小一時間は経っただろうか。
魔法自体を読むことはできている。その中の作者の癖というものも感じ取れる。現に、「これとこれ作った奴同じだな」と思えることもちょくちょくあった。
だが肝心の、メモ書きの魔法陣と一致するようなものが見つけられていない。火属性の項目はとうに読み終わり、今は地属性に差し掛かったところ。
代り映えのしない単純作業にいい加減ダレてきた頃。ある魔法に辿り着いたところで、僕はふとページを進める手を止めた。
そこに描かれているのはシンプルな魔法陣。その魔法の名前は、〈風化〉。
「〈風化〉って……前に習ったときは、いかにも呪文っぽい文章を暗記させられなかったか?」
いや、そもそもの話……魔法って魔法陣を描いて発動するもんだっけ?
今に至ってようやく疑問に思ったが、ネラもユーニも魔法を使う時は杖をかざしたり魔法の名前を唱えたりしていたはずだ。
そんな僕の疑問に、ユーニは淡白な返事を返す。
「そっすね。それを図示法で描くとこうなるっす」
「図示……?」
またも聞き慣れない言葉が登場し困惑していると、ユーニが困ったように言う。
「あー、そっからっすか……魔法には、大きく分けて三つの発動方法があるんすよ」
ページをなぞる手を止めたユーニが、指を折りながら説明する。
魔法の構成を呪文という音声として詠唱する『詠唱法』。
魔法陣を描き、マナを流すことで回路を構築する『図示法』。
全てを頭の中だけで完結させる『憶図法』。
どの魔法も、いずれの方法でも発動でき、それぞれに一長一短がある。
僕が習ったのは詠唱法による〈風化〉の魔法。とにかく発音さえ間違わなければ確実に発動できるので、初歩の魔法の授業でよく使われる手法だとか。
「ただ、呪文をそのまま書いちゃうと、うっかり声に出して火の玉飛んでく事故が起こりかねないっすからね。こうして書物に書き残す場合、図示法の魔法陣で書くのが一般的っす」
魔法陣から魔法を起動する場合、先程のようにマナを流して起動状態にしたうえで、「使うぞ」と意志を込めることが大事らしい。
使おうと思わなければ発動せず、あらかじめ書き溜めておけばいざ使う時にすぐ使える『符』にもなる。なるほど便利なのは間違いない。
「で、最後の憶図法ってやつは、この魔法陣を丸暗記するわけか?」
「いや、紙に書く魔法陣と頭の中で組み立てる魔術構造式は全くの別物っすよ。これを見て覚えたからって憶図法で発動できるわけではないっす」
それに関しては、紙に描いて説明してもらうのも難しいらしい。まあ、魔法を使えない僕があまり具体的なことを聞いても仕方ないんだけど。
「そう言えばユーニが砂浜で魔法を使った時、何も言わずに発動してたな」
〈疾風刃〉だったっけか。無言で杖を動かすだけで魔法が飛んで行ったのを思い出す。
「そっすね、他に比べて素早く静かに発動できるのが強みっす。頭の中っていうあやふやな領域で、術を正確に構築できるようになるには慣れが必要っすけど」
確かに、無言で風の刃がすっ飛んでくることを考えれば、戦闘でのアドバンテージは凄まじいものになるだろうということは想像がつく。
魔法の唱え方ひとつ取っても、魔術師の力量が――ん、そう言えば……?
「ちなみにだけど……『魔法』とか『魔術』って言葉、何か使い分けがあるのか?」
本当に今更な疑問だ。だが気になったからには訊いてみる。が――
「え、気分とカッコよさじゃないっすか?」
「……あ、そう」
返ってきた答えは、身も蓋もないものだった。
「『魔導』とか言ったり、『魔術師』派と『魔術士』派で定期的に論争してたりもするっすね。まあニュアンスの違いがあったりはするかも、くらいで特に気にするほどのことではないっす」
「……一応、『魔術』が魔法技術全般を総合的に指す言葉とされていますけれど。ですので通常『魔法師』とは言いませんわ」
「まあそうっすけど、誰も気にしてないっすよ」
本職のユーニの方がそのへん適当なの、どうなんだ?
「……っと、すまん。横道に逸れた」
完全に手が止まって、無駄話に花が咲いてしまった。
「あんまり根を詰めてもよくないっす。ぼちぼちやるっすよ」
ユーニは相変わらずの態度で言う。これだけ見てると、焦っている様子は窺えないんだけどな。
「……つ、疲れた」
大陸魔術大全をバタンと閉じ、僕は机に突っ伏した。
結局、本の中に手掛かりは見つからなかった。
あの書きかけの魔法陣の完成形はおろか、似たものすら見当たらない。完全な空振りだったことが、余計に疲労感を募らせる。
「参ったっすねえ……」
ユーニの方も、相当期待を寄せていたのだろう。落胆の色が隠しきれていない。
重くなった空気を払うように、ネラが椅子から立ち上がった。
「お茶と、軽く摘まめるものを用意させますわ。何かお好みはございまして?」
「何でもいいっす……あーいや、私は帰って休むっすよ。さすがにマナ流しっぱなしでフラフラするっす」
「あら……でしたら適当に詰めさせますのでお持ちくださいまし。貴女に倒れられたら、いざキングが現れた時に困りますもの」
「大丈夫っすよ。標準的な出現サイクルから見ても、まだ猶予はあるはずっすから。たとえぶっ倒れてもそれまでには回復してるっす」
彼女たちの会話を聞くともなく聞いていた僕。
……ふと、その言葉の節々がどこかに嵌り込んだような感覚を覚えた。
好み。詰める。標準――
「……あれ、もしかして」
パズルが解けるのは、得てして一瞬。ずっと引っかかっていた種々の要素が、ようやく形を伴って一つの仮説となる。
「なあ、ちょっと気になったことがあるんだけど、いいか?」
二人からの視線が集まる。僕はそれに向かって、例のメモを突き出した。
「この書きかけの魔法陣、そもそも本当に書きかけなのか?」
僕の質問の意味を図りかねたのか、ユーニが胡乱げな目で僕を見る。
「……どうみてもそうじゃないっすか? 事実、これだけじゃ魔法は発動しないっすし」
「それはそうだけど、なんかもっと根本的な部分で勘違いしてる可能性はないか? なんて言うか……この魔法陣自体にこれって完成形があるわけじゃなくて、こういうパーツを用意した、みたいな……」
古今東西の魔術師たちが編み上げた、雑多とも言える魔法陣を読み込んできた今なら分かる。
本にある魔法陣は、内部の記述がごちゃごちゃと複雑に絡み合っていて、どこかの要素だけを切り抜くことが難しいものがほとんどだ。
例えば『属性』だけに着目しても、メモのように円の中の一部分だけがそっくり取り出せる構造のものなど皆無。
それに比べ、この書きかけの魔法陣は一つの要素を徹底的にユニット化し、さらに他のパーツと繋げやすいよう配線を工夫して、端子にキャップまでかぶせてある……そんなイメージ。
「えっと……どういうことっすか?」
「このパーツを組み込めば、火属性の魔法が作れる。そういう汎用の標準部品を作ること自体が、この紙を書いた人の意図なんじゃないかってことだ」
このメモは、魔法そのものを作り上げようとしたわけじゃないとしたら。
魔法陣は部品の例として完成していて、このメモもまた完成しているとしたら。
「多分、これが伝えたかったのは魔法陣そのものじゃない。『この描き方』自体なんだよ」
魔法陣には、開発者の癖が出る。だから、別々の開発者が作った魔法陣は、たとえ効果が同じであってもそれぞれ細部の意匠が異なる。
――例えば〈ファイアーボール〉という魔法があり、それは『火属性』『飛んでいく』の二つの要素に分けられるとする。
しかし同じ〈ファイアーボール〉を二人の魔術師が別々に開発した後、Aさんの考えた『火属性』部分と、Bさんの考えた『飛んでいく』部分を繋げて完成させようとしても、うまくいかない。それぞれの癖が邪魔をしあうからだ。
ひょっとしてこのメモの書き手は、そういった個々の癖を排除し、どんなパーツ同士でも組み立てられる『魔法陣の標準規格化』をしたかったのではないか――?
そしてこれはやはり、今のユーニにとって必要だったものだ。
「だからユーニは、今必要だと思う要素を、ルールに従って図案化してこれに組み込めばいいんだ。その作り方のルールは、前半の書き散らし部分に全部ある」
「必要な要素……つまり、対キング専用の魔法を私が作るんすか?」
ユーニの表情には、驚きよりも困惑が強く見て取れる。
おそらく、この世界の魔法とは、既にあるものをいかに多く学ぶかという点に主眼が置かれているんだろう。
新しい魔法の創造は、一部の卓越した魔術師が行うもの。そうして開発された魔法が魔術大全のような本に集録されることで、彼らはその技量と研鑽を誇る。
その仕組みを変えようとした意志が、この走り書きのメモからは滲んでいるように思えてならなかった。
そして僕はその思考に、強く興味を惹かれていた。
「ユーニ、これをくれた『ある人』のことって、聞いてもいいか?」
ユーニは隠し事の多い人物だ。きっとこの人のことも、語らずに終わるつもりだったのかもしれない。
しかし僕の要求にしばらく沈黙した彼女は、やがて降参するように息を吐いた。
「……分かったっすよ。確かに、今更隠すのも不義理っすし」
その心変わりの裏側を僕は知らないが――ほんの少しの躊躇を振り切った彼女の顔に、嘘や偽りは見つけられなかった。
「このメモを私に譲ってくれたのは――先王妃のイサナ様なんすよ」
「……っ!?」
ネラの驚きようから、かなりのビッグネームらしかった……僕は知らんけど。




