風属性 概説・四
ギスギス食事会の翌日。
「ネラ、今僕が借りてる金額って、いくらになってる?」
「……? お金をお貸ししたことなんてありませんわよ?」
「あー……なんかすまん」
昨日話していたボートが手に入ったとのことで、僕たちは港へやってきていた。
ウーズを駆除したあの砂浜まで運んでくれたようだ。やや細長いフォルムのボートが砂の上に投げ出されるように置いてあった。
「ええと……誤解のないよう言っておきますけれど、これは買ったのではありませんわ。ですのでお金の心配は無用です」
「じゃあ、どうやって手に入れたんだ?」
「付き合いのある漁業組合から譲っていただいたのですわ。要らない小舟がないかお伺いしてみたら、ちょうど処分なさろうとしていたところでしたの」
「……確かに、派手に穴は開いてるけど。ずいぶんタイミングよく壊れたんだな」
「ほら、先日嵐が来たでしょう? 大抵、何隻か傷んでしまうものなのですわ」
なるほど、だからネラも当てがあるような言いぶりだったのか。
そういうことであれば、ありがたく改造させてもらうとしよう。
今日は最初から工作するつもりで来たから、ネラに馬車を手配してもらって工作機械――『雷鳴の剣』とモーターを接続したアレを持ってきていた。
適当な作業台にでも固定してしまえば、旋盤として利用できる。
あとは近くの桟橋の空いてる荷揚げ用クレーンを借りてボートを吊るせば、作業自体は問題ない。
材料は……ネラに「こういうのある?」って聞くと気付けば用意されてるから、その、なんだ。お世話になります。
かくして、DIYなんてろくにやったこともな僕の初めての造船が幕を開けた。
僕が試したいのは、縦帆による航行――要はヨットだ。
船の帆には主に、帆船や海賊船と聞いてまず想像するであろう四角い帆がマストにいくつも並ぶ『横帆』と、ヨットでイメージする三角形の『縦帆』がある。
横帆は分かりやすい。船の背後から吹く追い風に押されて、船を前に進めるためのものだ。
だがそれだけでは、船の前方から風が吹いている間は、進むどころか押し戻される力しか働かない。そんな状況で前進する力を得る役割を担うのが縦帆だ。
……大元は大航海時代に世界の海を股にかけて貿易するゲームで得た知識だが、興味を持って調べたこともあるし、大まかな理屈は頭に入っているはずだ。
そしてこれが問題なく進めるようなら、櫂の漕ぎ手も水の魔術師も必要ない、帆船が作れることの証明になる。
だがもう一つ、他にも大きな意義がある。
僕が風を支配できるかどうか――この実験に懸かっている。頑張ろう。
小型のボートとは言えさすがに一日で改造は終わらず、さらに翌日。
ついに完成したヨットが、海面に下ろされ船出の時を待っていた。
破損部分の補修を除けば、改造箇所は実はさほど多くない。
ちょうどド真ん中に空いていた穴を利用し、船体中央にマストとなる柱と、船底から突き出す魚の腹ビレのような板を立てる。
さらに船体の左右に、川の字のように平行に丸太を一本ずつ並べて固定。これが浮きとなり、ボートが横に転覆しようとするのを防ぐ。
あとはマストに三角形の帆を設置し、ロープを引っ張って向きを調整できるようにしてある。
「この布が、帆というものですの? それに、あの船底から突き出ていた板はなんですかしら?」
興味津々のネラ。まあ、説明は後でいいだろう。
「風がこっちに向かって吹き始めたら始めるぞ。流石に二人は乗れないし、陸から見ててくれ」
「あ、はい……ですがやはり分かりません。確かに風が吹く中で布を広げれば、風に押されるというのは感覚で分かりますわ。けれど、それなら風が後ろから吹いている時でないと意味がありませんわよね? 前から吹いていれば、後ろに押し戻されるだけでは……?」
マストの先端には吹き流し――鯉のぼりが設置されている。それが船尾方向へと勢いよくなびいた。つまり、船首方向からの強い風が吹いている。
それを見た僕は、ネラの疑問に答えるより畳んでいた帆を張ることを優先した。
広げられた帆が、風を孕んでぶわっと膨らむ。そして――
「……風が吹く方に、吸い込まれていきますわ!?」
ゆっくりと前進を始めたボートを見て、ネラが驚愕の声を上げる。
「吸い込まれてるってのは違うな! けど、前から風を受けて前に進むための帆って意味ではそういうことだ!」
全体重を乗せてロープを引き、帆の向きを調整しながら僕は答えた。
帆が斜め前からの風を切るように受けると、帆の両サイドに分かれて通り抜ける風の微妙な流速の差によって、左右の気圧に差が生まれる。
そして気圧差は、高い方から低い方へと帆を押しやる力を発生させる――これが揚力だ。
ただ揚力が発生すれば、帆に連られて船体自体も引き倒されてしまう。それを防ぐのが、船底の板と横に張り出した浮き。これらが水から受ける抵抗や浮力によって、横倒しになろうとする船体を押し留めてくれる。
揚力を受けた帆は斜め前――ベクトルで言えば横+前に倒れようとする。キールとアウトリガーはそのうち、横の力を逆方向への抵抗力で打ち消す。
あとは単純な足し算引き算の問題だ。横+前-横で残るのは、前向きの力。
結果、風が吹くより少し斜めに向かって前進する力が、船体に働く。
効率よりもとにかく沈まないことを重視したのもあるのだろう、お世辞にも速いとは言えない速度で、しかしただ波に流されるのとは明確に異なる力でもって前進するヨット。
「これで少なくとも、『揚力』は扱えることが分かった」
風属性のロック。最有力候補は『かまいたち』だが、まだ確証はない。
ただ、僕は現状でこれといった不都合を感じていない。こうして揚力の発生も確認できたことで、ほぼ確信できた。
こっちのパターン。つまり、風属性のロックは僕の知る科学に何の制限ももたらさない。
『風』はこの世界で初めて、僕が自由に扱える力となった。
「それに、揚力が発生するなら――」
ニャアニャアという鳴き声とともに、一羽の海鳥がヨットの舳先に止まった。
よく考えれば分かっていたことだ。この世界でも鳥は翼で空を飛ぶ。それが飛行魔法などでない限り、そこには元の世界と同じ物理法則が働いてなきゃおかしい。
揚力とは即ち、空を飛ぶための力でもある。
――この世界でも、太陽は東から昇り西へ沈む。
それが意味するところは一つ。この世界、この惑星は地球と同様の方向で自転をしているということ。
大気があり、自転方向が同じと言うことは、偏西風も地球同様西から東に吹いているはずだ。
この世界の海は危険らしい。船で両大陸を隔てる海を渡ることは不可能に近い。
だから大陸間移動の目があるとすれば――空路。
西大陸であるこちらから東大陸へは、偏西風を捉えて移動することも不可能ではないはずだ。
まずは第一歩。翼の基本原理は実証できた。
後はエンジンと航空燃料と軽くて頑丈な素材と――
「……まあ、ぼちぼちだな。ぼちぼち」
さて、あまり沖まで行かないうちに戻らないと。それこそウーズキングにでも絡まれたら一巻の終わりだ。
舵など備えていないので、積んでいたオールで必死で水を掻きながら帆も操作。何とか進路を曲げて、砂浜の少し先の岩場に突っ込むように接岸した。
先回りして迎えてくれたネラの手を借り、船から降りる。
「驚きました……まるで魔法のようですわ」
「そりゃよかった――けど本来、帆船なんて数千年前から使われててもおかしくない技術だ。いくら魔法があるからって、そんなこと……」
どうにも引っかかるが、今ここで考えたところで謎が解けるとも思えない。
「それで、この船……ヨットでしたかしら。どうするんですの?」
「あー、どうしような。考えてなかった」
とりあえず流されないよう、ロープで適当な岩に括りつけながら答える。
停泊しておく場所もない。持って帰るにしても、家ははるか内陸の森の中だ。
今のところ、実験はもう十分。元は廃棄するはずだったボートらしいし、解体処分でも構わないのだが――
僕に特段こだわりがないことを察したのか、ネラは珍しく、ねだるような声音で聞いてくる。
「もしよろしければ、私に譲っていただけませんかしら?」
「それは……別に構わないけど」
急にどうしたんだろう、ネラも乗ってみたくなったのか?
まあいいか、欲しいと言うのなら喜んで譲ろう。こんなもんじゃ返せないほどの金融的な恩があるわけだし。
僕が応じるなり、ネラはどこからか部下を呼び寄せて何やら指示を出し始めた。
こんなに生き生きとしたネラの様子を見たのは、初めてかもしれない。
小一時間ほど後。
港からやってきた船がヨットを曳航していくのを二人で眺めながら、僕は気になっていたことをネラに尋ねてみた。
「なあ、どうしてあそこまでユーニにキツい態度を取るんだ?」
ユーニは口調こそざっくばらんだが、どこか他人に対してよそよそしい感じがあるのは確かだ。
それでも、ネラが明確に彼女に敵視とすら言える感情を向けている理由が僕にはピンとこない。
「……彼女との取引で、貴方が読んだ本がありますでしょう?」
言われて思い出す、あのボロボロの本。
「あれは間違いなく禁書ですわ。厳重に管理され、書架に並んでいるはずのない本……ユーニさんがそれをどこから持ち出したにせよ、何も知らないリベルさんにそれを解読させる彼女に、何ら悪意がないなどとは軽々に信じられませんの」
禁書。つまり、読むことさえ制限されている本と言うことか?
あの時はあまりに普通に渡されたから何とも思っていなかったが、確かに禁忌だのなんだのという言葉が飛び出てくるような本を読む人間というのは、相応に警戒されてしかるべきなのかもしれない。
「あの時、彼女はどこから本を持ってきましたの?」
「いや、僕も分からない。いつの間にか持ってきて手渡してきたから」
「……禁書庫から無断で持ち出したのであっても十分問題ですが、より厄介なのはあれが彼女の所有物だった場合ですわ。そんなものを隠し持っている人間が魔術師協会に所属していることになりますから」
「僕の感覚としては、ユーニはそこまで危ない人間ではないと思えるんだけどな……」
仮に、彼女が僕の無知を利用して危険な本の翻訳を手伝わせたとしよう。
だがそれがネラにバレた以上、最も安全なのは僕たちから距離を取り、さっさと別の街にでも逃げることのはずだ。
しかし昨日だって、彼女は偶然居合わせた僕に駆除を手伝わせ、その後自分の仕事にまで巻き込もうとしている。
「……まあ、それも一理ありますわね。私自身まだ彼女を然るべきところに密告していないのは、心のどこかでユーニさんのことを疑いきれていないからなのかもしれませんわ」
ネラの声に湿っぽさが混ざり始めた頃、ヨットの運搬も終わったようだった。
吹っ切るように立ち上がったネラが、自らに言い聞かせるように言う。
「であれば……私も頭から疑ってかからない。貴方も彼女を信用しきらない。今の段階ではその辺りが落としどころになりますかしら」
「そうだな。どうせこれから一緒に仕事をしなきゃいけないんだ。彼女の本心を探るチャンスはある」
僕も努めて軽い口調で答えながら、街の方へと歩き出した。




