風属性 概説・一
お金の話をしよう。
この世界に来た当初、拾った荷物の中にあったお金の価値を暫定的に計算したことがあったが、結果から言うと結構誤差があった。
今僕がいるマルカ王国なる国の法定通貨として流通するのが『ノラン』。
小銅貨は1ノラン。大銅貨は10ノラン。ここまでは間違っていなかった。
しかしその上の小銀貨は36ノランで、大銀貨は360ノランなのだそうだ。
最低限の一食、元の世界で例えるならおにぎり一個に相当するようなパンが1ノラン、まあざっくり100円と考えればいいと思う。つまり、日本円の100倍が適当なレートだとしよう。
そうなると当初の所持金7129ノランは71万円相当……中古車なら買えるような額を革袋に突っ込んで旅行するのが普通の感覚なのかはよく分からないが、ともあれリベル氏から失敬した分だけでしばらく食うには困らなそうではある。
……そうだ、あと誘拐事件の謝礼としていただいた分が大体100万円くらいあったんだよな。
ちなみにだが、大銀貨の上にはもちろんと言うべきか金貨も存在する。するのだが、ちょっとややこしい。
何せ色んな種類の金貨が時代や国によって造られ、その品位もまちまち。
現在はいくつかの種類が法定通貨として価値を定められているが、それ以外は基本的にはコインの形をした金インゴットみたいな扱いをされている。
と思いきや、商人の間では他の金貨も通例的に決まったレートで商取引に使われていたりと……まあ僕も覚えきれていないし、詳しい話はやめておこう。
価値の決められた金貨で一番メジャーなのは一枚3600ノラン、大銀貨10枚分で、36万円相当になる。
――要するに何が言いたいかというと、僕の全財産は現状で170万円ほどだということだ。
大学生の感覚としちゃ十分に大金だが、これ以外の収入源もない現状、フェタと二人で悠々自適に暮らしていけるなどとはとても言えない。
大体、この間の『雷鳴の剣』が一本10万ノラン。二本で200万円相当なので普通に足りなかった程度の額と考えると、今後リフォームやら住環境整備を考えていく上ではやはり手に職つけとかないとまずいよね、と言うのが結論。
そんなわけで僕は、働くことにした。
今日はネラと二人、ナフィの港地区まで足を伸ばしている。
ネラの家は、この街の海運を取り仕切っている。その関係で、港のあれこれには顔が利くとのこと。
そのコネで雇ってもらえれば今後に備えての貯蓄もできるだろうと、ネラの仕事回りに同行してみることにしたのだ。
こっちに来てもう十日以上が経つが、実は港まで行くのは初めてだったりする。
以前買い物をした市場を通り過ぎると、だんだんと街並みから生活感が薄れていく。同じようなのっぺりとした建物が何棟も並んでいるのは、おそらくそれらが倉庫として利用される建物だからだろう。
倉庫街を抜けると、周囲の雰囲気が雑然としてくる。おそらく酒場や食事処、宿……どれもあまり上等ではない、はっきり言えば労働者向けのものだろう。
雑踏で賑わう道をそのまま進むと、突然視界が開けた。
青と紺、横一直線に分かれる空と海。
「おお、海だ……」
ここまでくると僕の鼻も潮の香りをしっかりと感じ取っている。
海風の熱気を飲み込む喧騒に、ニャアニャアと海鳥の鳴き声が混じる。
「ここが、港湾都市ナフィの誇る貿易港ですわ」
埠頭には船が群がり、荷揚げの水夫が忙しなく動き回るのが見える。
岸に軒を連ねる建物に目を移せば、魚市場や屋台が行き交う人を呼び込み、無秩序な活気が視界の遥か先まで……って。
「思わず観光しそうになったけど、ネラは仕事があるんだっけか」
「ええ、船便で着く荷の検品などに立ち会わなければなりませんの」
大小の桟橋にはいくつもの船が停泊している。その全てが木造船だからだろうか、今までで一番異世界に来たのだという実感を覚えてしまった。
「そう言えば、東大陸とかあるんだっけ? そこと往来する船とかもあるのかな」
この世界の地理については書庫で見た本に載っていた。こちらには西と東の二つの大陸が存在し、今僕のいるマルカ王国は西大陸東岸に位置する。
と、僕の言葉を聞いたネラが面食らったような顔をしていた……が、すぐに気を取り直して言う。
「大昔のことは分かりませんけれど、現在の人間で東大陸に辿り着いた方はいらっしゃらないはずですわ」
「え、そうなのか? ……確か、東には魔族だかがいるんだよな。もしかして、人間は一切いない場所だったりする?」
「おそらくは……と言うのも、それすら確認ができない場所ということですわね」
東大陸、思った以上に前人未踏エリアらしい。言われてみれば、居並ぶ船からもどことなく奇妙な印象を受ける。遠洋航海を想定していないと言うか、何かが違うような……。
「行こうと思う奴はいないのか? 結構大型の船もあるみたいだけど」
「探検家や冒険者の方々は、挑んでおられるそうです。ただ、海の向こうを目指し、生きて帰った者はいないとか」
遠洋には巨大で凶暴な魔物が潜んでおり、水平線の先へ漕ぎ出す船をことごとく海の藻屑へと変えている。それら魔物を避けて東大陸に辿り着けるルートを発見するだけでも多額の懸賞金が約束されているようで、一攫千金を夢見て海に散る者たちは後を絶たないとのこと。
なるほど。魔法があるからって、何もかも順風満帆とは行かないわけ――
「……帆船がない」
違和感の元に、ようやく思い当たる。
「はい?」
「帆船――帆を張って進む船だ。ここから見えるのはガレー船と、なんで進んでんのか分からん船の二種類だけ……あれどうやって動くんだ?」
「水進船です。魔術師が水を――ああ、なるほど。そちらにはないんですのね?」
「魔法で船が動くのか……!」
僕が感じていた『らしくなさ』の正体は、帆船の不在。
中世ファンタジーとしては定番だけど、現実の世界じゃほとんど廃れている。僕の中に相反する二つの常識が根付いていたことで、目の前の光景に潜む『間違い』に気付くのを遅らせたのかもしれない。
「水進船は、水を生み出す魔法や、火で動力を与えるなどの方法で進むのですわ。ある程度以上大きくなると、それに加えて水流操作の魔法も必須ですわね」
「魔術師一人や二人であのサイズの船が動かせるのか……反則だろ」
「そう簡単な話でもありませんのよ。水属性を扱える魔術師は多くありませんから……水に通じた熟練魔術師一人を雇うより、漕ぎ手を百人招集する方がずっと楽だと聞きます」
ガレー船――横腹からムカデみたいに無数のオールが突き出た船は、見た目通り人海戦術で動かす。あの一本一本に漕ぎ手を配置しないといけないから、人件費だけでも相当だろう。それよりも貴重な水魔術師って……。
「……だとするとますます分からん。なんで帆船を使おうとしない? ……いや」
さっきのネラの反応を見る感じ、おそらくこの世界には――
「先程もおっしゃっていたその『はんせん』とは、どういうものなんですの?」
やっぱりだ。この世界では、帆で動かす船そのものが発明されてない。
しかし……ない概念を口で教えるのは難儀だな。となると、だ。
「説明するより、見た方が早いだろ」
そのへんにあった浅い桶に海水を汲み、模型を浮かべる。同じく拾った穴の空いた木片に棒を立て、適当な葉っぱを刺しただけのものだ。
僕はその葉に向かって、息を吹きかけた。模型がゆらゆらと前進する。
「『帆』っていう広いものに風が当たると、船が進む。ごく単純だろ」
「はあ……」
ネラの反応は、すこぶる微妙だった。
「いえ、分かりますわよ? これを大きくして、人や物を乗せようということですわよね? でも……風なんていつ吹くか分からないじゃありませんの?」
そりゃ帆船の宿命みたいなものだとは思うが。
「海上は陸に比べて風が強いとか聞いたことあるけど……そもそも、風の魔法があるんだろ? それぶっ放せばいいじゃないか」
魔術師を船に乗せるという意味では同じことになってしまうが、水属性の使い手が特別に貴重だと言うなら、風属性で代用できるだけでも意味はあると思うが――
「……ええと、確認しますけれど。ここの葉っぱに当たる部品、実物では何を使うおつもりでして?」
何が引っかかってるのか、模型の帆を指差しながらネラが質問してくる。
「何って……布とかじゃないか? 軽くて風を受けられるものって言ったら」
その答えに、ネラは素っ頓狂な声を上げた。
「布!? 初級の魔法でも、撃った瞬間ズタズタになるに決まってますわ!」
「なんで本気の攻撃魔法ブチ当てる必要があんだよ!? もっと軽く風起こせ!」
僕のツッコミも声が大きくなってしまう。
「軽く……?」
「……え、もしかしてないの? 風がふわーって吹くような魔法とか」
「いえ、ないかどうかは確認してみないと……でも風魔法と言えば、何でもかんでも広範囲に切り裂くのが仕事みたいなものですし……」
なんでそんなバイオレンスな認識なんだよ――いや、もしかして。
「……ちょい待て。そういうことか」
僕は改めて、自分の掌に向けて息を吹きかける。そこに感じる確かな風圧……これも風だ。
つまり、風や気流そのものは『封印』ではない。それに該当しそうな現象となると――
「……よくよく考えてみれば、何だよ『ウインドカッター!』って。そんな現象生まれてこの方見たことねえよ」
日本にも『かまいたち』と言う言葉はある。だが、現実に風で何かが切断されたなんて話は聞いたことがない。どっから出てきた発想なんだ、あれ。
「〈疾風刃〉ですか。まあ、確かに風魔法の中では局所的に攻撃できる部類ですけれど……それでもやはり、布で止められるとは――」
「いやそういう話じゃないから気にすんな。さてはあれだな、風魔法ってそういうことか」
おそらく、風属性のロックは『かまいたち』なのだろう。
この世界の風には、どういう原理か知らないがかまいたちが存在する。
古来からそれを見てきたこっちの人々は、風を利用可能な自然エネルギーとしてよりも、恐ろしい凶器として強く認識してしまっているとしたら。
帆船、風車、あと将来的には風力発電もか。そういった風の平和利用みたいな発想が生まれる素地がない。
……だけど、普通の風が吹かないわけじゃないんだよな。
今だって海風がビュービュー吹いてきてる。確実に、着実に、僕たちの方に。
なるほど、こっちのパターンもあるわけか。
「……なあ、船っていくらぐらいで買える?」
「いくらって……船の種類にもよりますけれど」
とりあえずはボートみたいなのでいい――そう伝えるが、やはり返ってきた答えはそれなりの金額。買えないわけじゃないが、ポンと使っていい額じゃない。
すかさずネラが財布を構えるが、僕はそれを押さえて降ろさせた。
確かめるなら、桶に浮かべたおもちゃサイズじゃ無理がある。せめて一人か二人乗れるサイズのボートが必要だろう。
「今すぐ使える船が必要、ということですかしら?」
「いや、実験の材料にしたいだけだ。どうせ改造もするし、少々穴が開いてるようなのでもついでに修理すりゃいいんだけど」
今までの付き合いの中でのあれこれから、ネラも僕が何かしようとしていることは察してくれたのだろう。
「それなら、どうにかなるかもしれませんわね」
と、港を見渡しながら頷いた。何か当てがあるのかもしれない。
「ですが、それはそれとして……私はこれから、顔を出さないといけないところがありますの。お昼ごろ合流という形でよろしいですかしら?」
「ああ、そう言えば仕事があるんだったよな。付き合わせて悪かった」
つい話に熱中して、工作までしてしまった。
「いえ、お気になさらず。では後ほど」
そう言って去っていくネラを見送り、一人残された僕。
コネ入社の挨拶回りは午後として、さてそれまで何をして時間を潰そうか――
考えながら港をほっつき歩いていた僕は、ふと知った顔を見つけた。




