雷属性 基礎と応用・二
高台まで戻ってきたが、熊のぬいぐるみは見当たらない。
ここまでの道も、かなり入念に下草の刈られた比較的歩きやすい道だった。決して小さくはないぬいぐるみが落ちていて、気付かず通り過ぎるとは思えない。
ネラの顔にも諦めの色が濃くなる。フェタは俯き、今にも泣きだしそうだ。
もう一度、僕がぶっ倒れた時のことを思い出す。あの時フェタがいたのは確かあの辺り、そこで異変に気付いて、慌てて駆け寄ってくるとして――
経路上に、一か所だけ緩い傾斜になっている部分がある。その傾斜はだいぶ先で地面が途切れ、崖になっているようだ。
頭の中でシミュレーションしてみる。ここを転がり落ちたとするなら、落ちる先はこの方向。上ってくる道とは正反対だ。
「ちょっともう一回下まで降りてみる」
「……フェタもいく」
ネラに断ったところ、フェタが僕の裾を掴んで宣言してきた。
できればここでネラと待っていてほしい気もするが……仕方ない。僕の体調をまだ心配してくれてるんだろう。
二人で連れ立って高台から降り、その外周をぐるっと回るように霧と草むらを掻き分け進む。
多分、さっきの傾斜の下はこの辺りだ。草は茂っているが背は高くない。いくら霧がかかっているとは言え、ぬいぐるみがあれば見えるはずだが……。
下にないなら……上?
見上げてみる――あった。木の枝の又の部分に、モコモコしたものが引っかかっている!
「フェタ、あったぞ!」
名前を呼んで指差すと、フェタの顔もぱあっと明るくなる。
「待ってろ、僕が登ってみるから」
そこまで高い木じゃない。『雷鳴の剣』をフェタに預け、ちょうどいい枝分かれに足を掛けながらよじ登っていく。
「よっ……と」
伸ばした手が届いた。間違いない、フェタに買ってやったものだ。
ぬいぐるみを掴んだまま今度は木を降りていき、適当な高さまで来たところで地面に降り立とうと――
「――ガウッ!」
突如、横合いから飛び出してきたそれに驚き、ぶら下がる手を離してしまう。
それが良かったのだろうか。自由落下を始めた僕のすぐ上を、その何かがすり抜けていく。代わりに僕は背中と尻を、全体重に重力加速度を乗せた力でもって地面に打ち据えた。
――な、何だ!?
痛みを押して体を起こす。視線の先で霧の中から現れるのは、灰色の毛並み。
犬……じゃない、狼か!? くそ、いつの間に? 霧の中は安全なんじゃなかったのかよ!?
「……っ、フェタ!」
目をやると、その背後にも同じ灰色が茂みの陰に蠢いている。二体……まずい!
「フェタ、気を付けろ! そっちの後ろにも……ぐっ!」
意識と視線を逸らした隙を見逃してはくれなかったらしい。横合いからの突進が突き刺さる……が。
何だ、今の感触――?
巨大なバルーンがぶつかってきたような、圧迫感程度の衝撃。
見れば、最初の狼は何故か足をバタバタさせながら霧の合間に呑まれていく。
直後、僕の手元でパリン、と何かが音を立てた。
音の源は、掴んだままのぬいぐるみ……? そうだ、確かネラがこれも魔法具だとか――
なるほど、これは身を守るための道具か。けど、今の音から察するにもう……。
しかし、おかげで腰のナイフを抜くのが間に合った。
三度、白い幕を裂いて襲い来る狼。ナイフを突き出しながら身を捻って躱す。腕に走る衝撃だけで、僕は地面に転がされてしまった。
狼は、ナイフはどうなった? 僕の右手は空っぽ。幸い傷は負っていないが……顔を上げると、今度こそはっきりと見える距離で獣の眼光が僕を睨めつけていた。
その首筋からナイフの柄が生えている。だが致命傷には至っていないのか、痛みを引きずりながらも今度こそ僕を仕留めんと身をかがめる灰狼。
ダメだ、起き上がるにも避けるにも間に合わない!
狼の脚が地を蹴るのが視認できた。開かれた顎、白く鋭い牙が迫る。僕は思わず左手で顔を庇い――
「雷よ!」
その声と閃光、果たしてどちらが早く届いただろうか。
鼓膜を劈くような振動に包まれ、僕は思わず目を閉じてしまった。
覚悟した痛みも、衝撃も訪れない。
恐る恐る体を起こしてみれば、目の前にはところどころ毛並みの焦げた獣が横たわっている。ピクピクと動いてはいるが、それが生きているのか単なる筋反射なのかは判断が付かない。
「はぁ、はぁ……あ、あれ?」
声の主――フェタは、剣を両手で構えたポーズのまま、僕以上に呆然とその結果を眺めていた。
「フェタ、お前……」
何が起きた? くそ、濃い霧のせいでフェタの姿が霞んでよく見えない。
……霧?
そうだ、雲も……つまりは――
待て、そういうのは後にしろ。今考えていいのは、あの子の後ろに迫る危険のことだけだ……!
「フェタ! 剣を貸してくれ、早く!」
呼ばれ、フェタは一瞬だけ逡巡を見せ……思い切り、剣を投げてくる。
――よし、よくやった!
足元に転がった『雷鳴の剣』を拾い上げた僕は、一匹目が倒れたことを理解し慌てて動き出す狼に――フェタの背後に回り込もうとする敵に切っ先を向ける。
「雷よ!」
僕の声に応え、『雷鳴の剣』が紫電の輝きを纏う。寸隙の間も置かず走った一条の閃光は、茂みの中を忍び寄る狼の体を貫き、そのまま転倒させた。
「わぁ、リベルさまも雷が出せた……!」
「……雷よ!」
呆けそうになる寸前で気を引き締め、残る三匹目の狼にも『雷鳴の剣』を放つ。突進の走り出しに稲妻が突き刺さり、勢いのまま地面にもんどり打った。
それきり、辺りが静寂に包まれる。
……敵は三匹だけか? 全て片付いたのだろうか?
しかしまだ気は抜けない。僕は片手で荷物からミストポーションを取り出し、剣のコアに噴きつける。
足元の一匹目からナイフも引き抜き、雑に血を拭って鞘に戻した。
「ともかく、まずは逃げるぞ……せっかくフェタが助けてくれたんだしな」
「う、うんっ」
駆け寄ってきたフェタを抱き寄せ、来た道を戻ろうとしたところで――霧の向こうから、ネラが走ってきた。
「何があったんですの!? すごい音がして……」
彼女の目が、僕たち二人から、焦げた臭いを漂わせる灰色の塊へと注がれる。
「狼? まさか、こんな霧の中で獣が群れを成すなんて……」
僕からざっと事情を聞いたネラが、驚愕に目を見張る。
「フェタさんが、雷を……?」
「う、うん。リベルさまが死んじゃうって思って、必死で……」
「ああ、それに僕も使えた。だからただのまぐれじゃない」
世界というのは現実主義者だ。偶然を三度も積み上げさせてはくれない。
つまりさっきの三つの雷は、再現性のある、法則に則った現象に他ならない。
その理由もさっき、閃いている――霧だ。
「ネラ。確か魔物は霧を好むんだよな……その理由は、ひょっとしてマナか?」
「……! そうです、水はマナと最も関係が深い属性と言われていますの。濃い霧の中は、マナを吸って生きる彼らにとって理想的な生息環境と言えるそうですわ」
「あー、何となく見えてきたぞ……」
これまで見聞きし、経験した全てが、クロスワードパズルのように繋がっていく感覚。
「この世界の水はマナの塊みたいなもので、それが霧として充満した空間ではそのマナを自分のものとして利用できる。だからフェタも僕も魔法具が使えた――」
そしておそらく、最も重要なのは『霧状』ということだ。理屈まではまだ説明できないものの、霧がマナの伝達効率を異常に押し上げる現象を僕は知っている。
ミスト・マナポーション。ほんの一噴きで雷を放つだけのマナを回復させるトルテさんの発明は、おそらくこの原理を応用したものだ。
雷雲もそうなのだろう。雲自体がマナのバイキング会場みたいな状態だから、その中でなら放電が起きる。
この世界の雷属性において、やはり『放電』こそマナを要求するロックなのだ。
【仮説】
雷属性の封印は『放電』である。
であれば、もう一つ試しておきたいことがある。
「ネラ、杖を借りてもいいか」
僕の要求に、首を傾げながらも杖を差し出すネラ。
マナの充満する、この場所でなら――!
「集いは解け、形は塵に! 〈風化〉!」
地面の小石に変化はなかった。
……あれー?




