雷属性 概説・一
魔法やマナの知識を得るための本は、この街から失われていること。
僕が初歩の魔法も使えないということ。
僕がこの世界へ飛ばされた事に、悪の教団みたいなのが関わっているらしいこと。
色々飲み込みきれない情報ばかりだが、立ち止まっている暇はない。
何しろ――家には今日の飯もないからだ。
そんなわけで、協会を出た僕とネラは東の商業区にある市場へ足を運んでいた。
「――あいよ、ありがとよお嬢さん!」
「こちらこそありがとうございます。さあリベルさん。こちらを」
屋台のおっちゃんとやり取りを済ませたネラは、買ってくれた品を僕に差し出してくる。
……言い訳させてくれ。僕だって財布を持ち上げてはいるんだ。
でもさ、僕はまだこっちのお金の計算すらおぼつかない。その間に流れるような所作で支払いを済ませられてしまえば、僕が口を挟む隙なんてないだろう?
だから今のところ全部、ネラの奢りになってしまっているのもやむなし。
初めて知った。ヒモって肝が据わってないと案外難しい。
そんな調子で必要なものを買い足してもらいながら、市の立つ通りを歩く。人通りの多さもあってか、辺りは蒸し暑い熱気が満ちている。
そう言えば、今は夏の終わりに相当する季節らしい。確かに畑も、麦を刈り取った後の株が残ったままだったな。これから本格的に秋蒔きの準備に入るのだろう。
まだまだ肌寒くなるには猶予がある……そんな時期らしいから、防寒が不十分で死ぬってことはないか。
「ただ、近く嵐が来るそうですから、備えは十分にしておきませんと」
言われて見上げるが、目に入るのは抜けるような青。僕にはその気配は分からなかった。
……だけどそうか。嵐の間はさすがのネラだって家に来るのは難しい。そうすると、その間僕は火が使えないまま過ごすことになるわけか。
「いえ、対策はありましてよ。けれどもし失敗してしまった時のために、そのまま食べられるものがあった方がよろしいでしょう?」
でかいパンが数個、僕の荷物の上に乗せられる。
「今朝、火が消えていたのは『火喰い』の影響です。そちらではどうなのか分かりませんけれど、小さな火は夜明けに消えてしまうものですのよ」
そうだ、あの時聞きそびれた言葉。あれはこちら特有の現象の名前だったのか。
「対策と言うのは、単純です。夜明けに火を大きくしておくことですわね」
『火喰い』で消えるのは、小さな火だけ。この世界では夜明け時、一時的に火が弱まる瞬間があると考えるのが妥当だろうか。
そのタイミングで薪を十分放り込んであれば、消えることはない……確かに単純ではあるけど、そんな早起きできるかな僕。目覚ましのアラームもなしで。
自信がない以上、ネラの言う通りに備えておくのが無難だろう。
そうなると欲しいのは、火を使わず食べられる保存食。
荷物の中にあった携帯食糧は初日の夜に一個食っちゃったから、残りだけじゃ心許ない。
パンの他には干し肉、あとチーズなんかもどこかに売ってるのかな。
生の枝肉を吊るし売りする肉屋とは別の店に、バカでかいジャーキーみたいなものが並んでいた。早速荷物に加わったそれをナイフで少し削り、口に放り込む。
強烈な塩辛さと馴染みのない香りが口に広がり、正直言ってこのまま食べるのはキツいとさえ思える。
けど、おそらくこの香りがするスパイスかハーブが防腐や抗菌の効果を持つはず。いつか役に立つかもしれない、覚えておこう。
色とりどりの果物が並ぶ屋台の前で、僕は足を止める。
「こうしてみると、見慣れたものもちょくちょくあるな。これだってもうミカンだろ。久々に食いたくなってきたな」
拳大より一回り小さい果物を手に取り、観察する。
「水を差すようで忍びないのですけれど……リベルさん、それはおやめになった方が無難でしてよ」
困ったように笑いながら、ネラがやんわりと止めてくる。
「その『シトリマ』は、食べると言うよりは調味料寄りと申しますか……ひたすら酸っぱいだけの果物ですのよ」
「え、レモンみたいなもんなのか」
見た目としては、皮の赤みが強いだけでまんまミカンだ。ネラの忠告がなければ、皮を剥いてそのまま口にしていたかもしれない。
シトリマとやらを売り物の山に戻し、ネラのお勧めに従って別の果物を選ぶ。ちなみにこないだのビルベールの実、群を抜いてお高かった。きっとアルノー少年からすれば、メロンを二つもらったような気分だっただろう。
そのまま市場をぶらつき、食器を売る店の前でそう言えば水を飲むコップすらないんだよなと眺めていると、ふと思いつくことがあった。
金属のカップ……と言ってもマグカップよりもはるかにでかいから、ジョッキと呼んだ方がいいかもしれない。
ともかくそのジョッキの材質。黄味がかった金属光沢には覚えがあった。
五円玉の色、と言えば分かりやすいだろうか。
つまりよく似た別の金属でもなければ、真鍮製。そして真鍮の材料は確か――
「銅と亜鉛。それがあれば……」
――うん、行けるはず。
「ネラ、こういう金物ってどこで作ってるんだ?」
コップ自体は木製の手頃なやつを購入しつつ、金属ジョッキを指差して尋ねる。
「この街では、鍛冶工房で作っていますけれど……特注でもなさいますの?」
んー、ある意味そうとも言えるかな?
「よう、アーロンドの嬢ちゃん。今日は何の用だい」
「ごきげんよう、親方さん――こちら、この鍛冶場の親方を務めていらっしゃるヴィクス・シウリム氏ですわ。親方さん、こちらは魔術師のリベル・クヴァルツベート氏。つい先日ナフィに来られましたの」
ガンガンと金属を打つ音が忙しない工房の中。筋骨隆々とした壮年の男性を呼びつけたネラは、僕と彼に互いを紹介する。
「ヴィクスでいい。ほう、魔術師さんかい……今日はどんなご用向きで?」
握手に応じながら、僕はここに来た目的を告げる。
「ああ、銅と亜鉛が欲しいんだが、分けてもらったりできないかな」
「あん? ずいぶん妙な注文だな……まあ本来売りもんじゃねえんだが、多少分けるぶんには構わねえぞ。ミス・アーロンドのご紹介でもあるしな」
冗談めかしてネラに視線をやる親方。やはり伝手というのは偉大だ。
快く応じてもらえたところで、僕は詳しい注文を伝える。
「それぞれ、薄くて小さな板状に加工してもらえるとありがたい。別に形が整ってる必要はないから、端材みたいなのでも大丈夫なんだけど」
ふむ、と顎を撫でたヴィクス親方は、壁際の棚を漁り始めた。そして取り出したものを、こっちに投げて寄越す。
「こんなもんじゃ駄目か? 穴開いてるが、それでいいならすぐ渡せるぞ」
幅2センチ、長さ5センチくらいか。両端に穴が開いた、薄い金属の長方形。鼠色の光沢を照り返すそれを、僕は摘まみ上げる。
「これ、亜鉛? ちょうど欲しかった形にピッタリだし、穴も別に問題ない。よく都合よくこんなのがあったな」
「造船に使うんだよ。錆止めになる」
そう言えばここは港街だったか。本来の使い方はよく分からないけど、流用できるなら元が何だって構いはしない。
「じゃあ同じ感じで10枚ずつ、銅もお願いできるかな。穴はどっちでも。そうだ、あと銅の針金と、鉄の削りカスもあれば助かるよ」
「ああ、銅ならすぐ切れる……待った。お前さん、その短剣は?」
要望を書き留めていた親方は、ふと僕の腰のナイフを見て声を上げる。
「これ? あー、貰い物なんだ。武具には明るくないし、詳しいことも知らないんだが」
嘘は言って……いやギリギリ嘘か? 死体から頂戴したものを「貰った」と表現するのはやや世紀末すぎる発想だ。
それで、親方はこのナイフの何が気になったのだろう?
続きを促す前に、しかし親方は頭を掻きながら言葉を引っ込めてしまう。
「……いや、何でもねえ。すまなかった。ま、そいつは西のエレヴァスティ様式の、かなりの年代物だろう。大事にしてやんな」
へえ、見ただけで分かるとはさすがプロ。
さっきの様子は気にはなるが、本人が話を切り上げたのなら突っつくものでもないだろう。
頼んだ品々を受け取り、ネラに支払いを掻っ攫われた僕は、工房を後にした。
この異世界版レモン――『シトリマ』は、僕の世界の柑橘類と共通の特徴を有しているように見える。
先日のツキヨタケもだが、この世界の生態系は元の世界と比べてもそこまで逸脱したものではないらしい。
考えてみれば当たり前だ。この世界には人間がいる。肉屋にはニワトリっぽい鳥類とほぼブタな哺乳類の肉も売っている。その中で植物だけが、オリジナリティ溢れるファンタジー仕様になっているのでは道理が合わない。
となれば、異世界の柑橘類であるシトリマにもクエン酸が含まれているはずだ。
いや、クエン酸そのものである必要すらない。人間の舌が酸っぱいと感じる以上、それは元の世界の酸性の液体と同じ化学が適用されている証拠だ。
半分に切ったシトリマをいくつも並べ、それぞれに銅と亜鉛の板を一枚ずつ突き刺す。
銅板を隣のシトリマの亜鉛板と針金で接続。これを繰り返して、全てを直列に繋いでいく。
最後に両端の金属板から伸ばした針金を、木の棒にバネのように巻きつけた針金に繋げば、出来上がりだ。
レモン電池。夏休みの自由研究レベルの工作でも、一種の発電機関であることに変わりはない。
酸性の液体中に二種類の金属があれば、その間をイオンが……あれ、電子だっけ。なんかどうこうなる。結果として電流が発生する。
そして電流が流れた針金のバネ――コイルは、周囲に磁界を発生させるはず。
電磁石としてはあまりにも貧弱かもしれないが、今は大した問題じゃない。
金属板を果肉に差し込み回路を完成させ、僕はコイルを鉄粉の上に近付ける。
息を止め、目を凝らす。どんな小さな変化も見逃さないように。
――鉄の粉が、わずかに動くのが分かった。
理科の実験なら、クリップが吸い付いたり、紙の上の砂鉄が磁界に引かれて特徴的な模様を描いたりするだろう……そんなのとは比べるべくもない、微弱な力。
だが、確かに電気は起きた。
「……はは。ちょっと泣きそう」
魔法が石を砕くこの世界でも、僕の知る科学は死んだわけではないと証明された……そんな瞬間に思えたから。




