第9・3節 再び茶会の練習 ~官位について~
翌日、昨日来た人たちの茶会記を書こうと思い、名前の漢字が分からないことに気づいた。
私:「いっそ細川家へ行って、書き方を習うか。」
私は、八嶋久右衛門と一緒に作った茶会記を持って、細川玉子に茶会記の書き方を習いに行った。
玉子:「なるほど、古田様が茶会記を作るよう言われたのですね。」
私:「はい。それでどうでしょう、この茶会記は。」
玉子:「初めて書かれたものとしては良いと思います。このまま、同じ形式で綴られても良いでしょうね。」
私:「ありがとうございます。それと、人の名前なのですが。」
玉子:「毛利輝元様は、輝元だけでも良いでしょうね。それから、茶入は肩衝と書きましょう。四方盆に載せたなら、その旨も書きます。蓋置は竹ですか?」
私:「はい。普通の竹の蓋置です。」
玉子:「では、竹の輪と書きましょう。その後、茶席を確認されたのでしたね。」
私:「嫌味を言いたかったみたいです。」
玉子:「では、御跡見としましょう。確認されたのは、堅田元慶様と、佐世與三左衛門様、奈良崎孫右衛門様、宍戸善兵衛様ですね。堅田元慶様は兵部のはずです。兵部大丞か兵部少丞、だったかしら。」
私:「兵部?」
玉子:「兵部というのは官位です。軍事部門を束ねる事務職ですね。正四位下の兵部卿を筆頭に、正五位下の兵部大輔、従五位上の兵部少輔、正六位下の兵部大丞、従六位上の兵部少丞と続きます。関白様は、昔の公家の律令官位体系を取り込むことで、武家全体の統制を行おうとされています。ただ、うまく機能しているとは言い難いのが実情です。」
私:「官位ですか。よくわかりません。」
玉子:「そうですか。では詳しくは、夫から聞いてください。それから、医師の竹田様に関してですが、堺 薬師院と書きましょう。また、道壽様と宗純様の茜屋というのは屋号ですので、少し小さめに書いてください。堺もつけた方が良いので、同じ堺という意味で、同 茜屋 道壽と、同 茜屋 宗純のように書いてください。」
私:「なるほど。なるほど。それから、今後の予定なのですが、このまま茶会を何度もするのは自信がありません。古田殿か細川三斎殿が京都に戻るまで、しばらく避けたいのですが。」
細川玉子は少し考えてから、こちらを見て言った。
玉子:「そうですね。少し私と練習しましょう。八嶋久右衛門という方を私は知りません。そのような方に知恵を借りているようでは困ります。」
私:「はい。反省しています。」
玉子:「では、今日から、数日おきに練習に来てください。私とお吟様で茶会を練習しましょう。」
私:「ご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。」
玉子:「ご鞭撻ですか。では仰せの通り、鞭を打つつもりでお教えしましょう。まずは、一日四回ほど茶会を行いましょう。」
私:「茶会を一日に四回もですか!古田殿より厳しいですね。」
玉子:「さあ時間がもったいないです。すぐ支度をしてください。」
私:「うわぁ。スパルタだ。」
二週間後の9月1日、関白秀吉が天下統一を成し遂げ、京都に帰ってきた。
その日のうちに、秀吉から聚楽第に来るよう言われた。
秀吉:「宗易、元気であったか?」
私:「はい。温泉につかり、心も体も回復させていただきました。」
秀吉:「輝元より、薬師を紹介されたそうだな。」
私:「はい。とても良い薬師です。先日来、何度か薬をいただいております。」
秀吉:「なるほど、わしも会ってみたいものだ。そうじゃ宗易。そなたの屋敷で茶会を開いてもらおう。その薬師と会ってみたい。わしは、いくつか雑務が残っているので、数日後になりそうだがな。」
私:「かしこまりました。お待ちいたしております。」
その日から、更なる特訓が始まった。
玉子:「なんですか、その柄杓を持つ手は。それではお吟様より劣ります。もっと腕をまっすぐ上げて、姿勢を正してください。」
私:「はい。すみません。」
玉子:「何度言ったら分かるのですか。お湯を汲む時は、釜の底の方から汲むのです。それでは、濃茶が美味しく練れません。」
私:「はい。すみません。」
玉子:「駄目です。帛紗を捌く時は、もっと間を開けて、呼吸を整えるのです。それではお客も、忙しなく感じてしまいます。」
私:「はい。すみません。」
玉子:「良いですか、利休様。茶の湯は心をお出しするものです。相手に不快な思いをさせてはいけません。茶杓を使った茶の掬い方一つでも、心の焦りが感じられるのですよ。」
私:「はい。すみません。」
厳しい特訓は、利休屋敷の茶室に豊臣秀吉が来る9月13日まで続いた。
この作品は「YouTube(
https://www.youtube.com/watch?v=KKwv1jEPKZE&list=PLH33wsaeFCZWtchkfIIltAH2CqFwbjcH8&index=3
)」にも掲載しています。




