第9・1節 最初の利休百会記 ~八嶋久右衛門との茶会~
8月17日の朝になった。もう少し、茶会の練習がしたい。
適当な人はいないかと思い、聚楽第の利休屋敷から外を眺めていると、先の小田原征伐の折に、私の馬の世話をしてくれた人がいた。
何という人だったか。
私:「こんにちは、先の戦いでは、助かりました。ありがとうございます。」
馬廻:「これは利休様。お礼など、勿体ない。ところで、どうかされましたか?」
私は先日の松屋久好を呼んだ茶会が、良い出来ではなかったことを話した。
馬廻:「松屋様は、厳しい方ですからね。致し方ないかもしれません。」
私:「もし時間があるのでしたら、私の練習茶会に付き合ってくれませんか?」
馬廻:「私などでよろしいのですか?」
私:「もちろんです。それに今回から茶会記というものを付けて行こうと思っていますので、その辺も一緒に練習したいと思っています。ただ、練習という話は他言無用ですよ。」
馬廻:「もちろんです。ではすぐに支度をいたします。」
私:「ありがとうございます。」
茶室に入った馬廻に対し、私は素直に名前を聞いた、
私:「先日まで一緒だったのに、失礼とは思いますが、改めてお名前をお教えください。」
馬廻:「はい。私は関白様付の馬廻、八嶋増行と申します。人からは久右衛門と呼ばれておりますので、そのようにお呼びください。」
私:「では久右衛門殿、本日のお茶会、よろしくお願いいたします。」
八嶋:「はい。それでは釜の説明からお願いしてもよろしいですか?」
私は、先日少庵が説明した内容を思い出した。
私:「これは雲龍釜です。師・武野紹鴎殿の青磁雲龍御水指の地紋を、私の方で筆写したものです。」
八嶋:「先ほど拝見した風炉の灰型は、通常の山とは異なっていたようですが。」
私:「先日、熱海へ行った折、夕日に映える砂山を見て思いついた灰型です。名を遠山と名付けました。」
八嶋:「それは素晴らしいです。流石は利休様。」
私:「では、懐石を始めたいと思います。食事は宗恩が作っております。お口に合えば良いのですが。」
私は八嶋と、懐石の運び出し方で何度か練習した。
私:「このように膝退、膝行すれば見栄えよく渡せると思うのですが。」
八嶋:「利休様、膝退の際、もう少し大胆に下がられた方が、慣れた感じが出ますよ。」
私:「なるほど。そうですね。他には何かありますか?」
八嶋:「物を持つときは、大木を抱えるようにした方が見栄えが良いと、以前、利休様自身がおっしゃっていた気がします。今の受け渡し方は、良くないのではないでしょうか。」
私:「おっしゃる通りですね。もう一度、受け渡しをしても良いですか。」
八嶋:「はい、何度でも。」
懐石が終わり、縁高を出して中立を促すことになった。
私:「どうぞ、菓子をお召し上がりの上、中立を。」
八嶋:「利休様、その前に縁高の上に載っている黒文字ですが、一客一亭の場合、二本ではなく一本ではないでしょうか。二本の場合は、黒文字ではなく、一本は杉箸にするはずです。」
私:「やや、そうでした。素晴らしい慧眼ですね、久右衛門殿。その調子でどんどん指摘してください。」
八嶋:「いやぁ、照れます。」
中立後、先日と同じく槿を入れてみた。
そして、横に葉茶壺も置いてみた。
宗恩に聞いた所、名を閑居というそうだ。
八嶋:「これが先ほど言われていた禁花ですね。私にはわかりませんが、どのように良くないのですか?」
私:「松の木は千年の齢を保つがいずれは朽ち、槿の花は一日の命だがその生を大いに全うするという意味から転じて、わずか一日の儚い栄華ということで忌み嫌うようです。」
八嶋:「利休様もご存知のように、松屋家は久政様、久好様、久重様の三代に渡って茶を喫する数寄者です。わずか一日の儚い栄華というのは少々いたずらが過ぎますね。」
私:「反省しております。」
八嶋:「いえ、いえ、責めているわけではありません、利休様。」
私:「ありがとうございます。久右衛門殿、他に何か気づいた点はありますか?」
八嶋:「床の間の茶壺は見事ですね。何かいわれはあるのですか?」
私:「小田原征伐の前に、滝本坊実乗殿から購入した壺です。名を閑居と名付けました。」
八嶋:「良い壺ですね。かなり高かったのでは?」
私:「宗恩が値切りました。」
八嶋:「茶道具の価値は、利休様が決めるものです。その話は聞かなかったことにします。」
私:「そうですね。ありがとうございます。」
濃茶点前に入り、八嶋が茶碗の拝見を申し出た。
八嶋:「これがあの有名な楽茶碗ですね。楽長次郎に作らせたとか。」
私:「よくご存じですね。しかし、楽長次郎殿には敬称を付けないのですね。」
八嶋:「利休様は敬称を付けられるのですね。確かに長次郎自身は良いのですが、その父・宗慶は帰化人。身分はかなり低いでしょう。長次郎に敬称をつけるのは、私の前だけにした方が良いですよ。」
私:「なるほど。他にはありますか。」
八嶋:「赤楽茶碗は関白様がお好きと聞きましたが、利休様はやはり黒楽茶碗なのですね。」
私:「いろいろ探しましたが、この聚楽第の屋敷には黒楽茶碗しかありませんからね。」
八嶋:「探した?」
私:「いいえ、こちらの話です。そうですか、関白様は赤楽茶碗ですか。」
茶会が終わり、茶会記を付けることとなった。
私:「では茶会記を書きましょう。今日は8月17日で、八嶋久右衛門殿をお呼びしたのですよね。」
八嶋:「どこで茶会を開いたかも書いた方が良いのではないでしょうか。」
私:「なるほど。では二畳敷の部屋と。」
八嶋:「釜、水指、茶入は必要でしょうね。」
私:「この水指は何と言ったかな。」
八嶋:「はけ物ではないですか?」
私:「はけ物ですか。この茶入は?」
八嶋:「小さいので小なつめとか。」
私:「なるほど、あと黒楽茶碗と。あっ、楽が抜けた。」
八嶋:「書き直さなくて良いのでは。黒茶碗でもわかりますし。あと閑居の壺でしたか。」
私:「閑居の壺。それから?」
八嶋:「茶杓は折撓、水こぼしは瀬戸でしょうね。」
私:「折撓と瀬戸の漢字は分かりますか?」
八嶋:「すみません。忘れました。平仮名で良いのでは。」
私:「そうですね。」
八嶋:「あと、懐石料理も書かなくては。」
私:「書く場所がないですね。」
八嶋:「下の段が開いているので、雲龍釜の下あたりから書けば良いのでは?」
私:「そうしましょう。実は先ほど、宗恩に献立を聞いてきました。まず、鱠に鶴汁にと。」
八嶋:「串鮑は覚えています。あと白米ですね。ただ、飯とした方が良いかもしれません。白米は高価なものですから。」
私:「飯ですか。」
八嶋:「惣菓子と言ったでしょうか。縁高に入ってきたのは、柿さはしと、ふの芥子和えですね。」
私:「柿以外、漢字が分からないので、ひらがなにしましょう。こんなところですかね。」
八嶋:「よさそうですね。」
私:「何から何まで、ありがとうございます。」
八嶋:「いいえ、私もいろいろ勉強になりました。また機会があればお声がけください。」
私:「はい。」
こうして、八嶋久右衛門と一緒に作った会記が、後世まで残る茶会記の書き出しとなった。
本当に、こんな適当でよかったのだろうか。
私:「まあ、いいか。」
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