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利休になった日  作者: shoundo
第8節 戦場
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第8・6節 滝本坊実乗と古田織部への手紙

4月22日、以前から細川に言われていた、滝本坊実乗(たきもとぼうじつじょう)宛ての手紙を書く日がやってきた。

私:「さて、何を書こう。無難に現況(げんきょう)を書こうか。」


手紙には、滝本坊実乗が元気か否かを聞いた後、以下の内容を書いた。

まとめるとこうなる。

先日の壺の礼。

戦況は有利に働いているものの、決め手に欠けていること。

秀吉が会津(あいづ)下向(げこう)を考えていること。

その際、利休は駿河(するが)で待つよう指示されていること。

俗にいう一夜城(いちやじょう)石垣山(いしがきやま)に建て始めたこと。

石垣山城が完成すれば、戦況が変わる可能性があること。

私:「こんなものかな。しかし、なんだか体がだるい。風邪かな。」


5月に入り、体がだるい状態が続いた。

5月末になると、秀吉に心配されながら、茶を供することとなった。

秀吉:「宗易。今日はもうよい、宿で寝ていろ。」

私:「かしこまりました、関白様。」

茶々:「利休様、お体をお大事に。」

私:「ありがとうございます、茶々様。それでは、失礼いたします。」

秀吉:「大丈夫かのお。いつもの覇気が全くない。」

茶々:「心配ですね。」


私は熱があることを自覚していた。

秀吉本陣には、医師も同行していて、薬を出してもらったのだが、まったく効いていないようだった。


古田から手紙が届いていた。

私:「そろそろ、古田殿の手紙を見ないと。そういえば、返信も必要だったな。紙と硯はどこだったかな。」


その日はいつの間にか寝ていた。

6月に入り、多少体調が良くなった。

私:「病気の事を言って、心配させてもしょうがないか。」


手紙には、古田の転戦をねぎらう言葉の他、6月4日付で以下の事を書いた。

一夜城で有名な小田原石垣山城が、もうすぐ完成すること。

新しい未来の仲間が増えたこと。

同じ陣地にいる細川の指導が、スパルタであること。

私:「こんなところかな。今日はもう寝るかな。」


6月9日、熱を出して寝ていると、秀吉からお呼びがかかった。

秀吉:「宗易、病気はどうだ。」

私:「率直に言って、よくありません。今日は一日中、寝ていたい気分です。」

秀吉:「そうか、それはすまなかった。ところで、伊達政宗(だてまさむね)は知っているな。」

私:「はい。存じております。伊達殿が何か?」

秀吉:「先ほど、そなたに茶の湯を習いたいと申してきた。だがその様子では、難しそうだな。断るとしよう。何か文を出してもらいたい。」

私:「お心遣い、感謝いたします。伊達殿宛てに出せば良いのですね?」

秀吉:「いや、木村(きむら)吉清(よしきよ)宛に出せば、政宗に届くようになっている。今、政宗は微妙な立場にいる。今回の小田原攻めに遅れて参陣したのだ。勝敗が決するこの時期まで待って参陣したとも思えたが、宗易に茶を習いたいと言うから、恩赦を与えた。まあ、会津は没収したがな。」

私:「この私が重要人物なのですね。これは、責任重大です。」

秀吉:「そうじゃ、そなたが重要人物だ。みごと政宗を救ってみせよ。」

私:「善処いたします。」

秀吉:「それより、早く体を休めよ。手紙は後で良い。」

私:「ありがとうございます。それでは失礼させていただきます。」


翌6月10日、木村吉清に宛てて手紙を出した。

内容は次の通り。

木村吉清に、伊達政宗への言伝(ことづて)を頼んだこと。

病気の為、伊達政宗に茶の湯を教えることができないこと。

秀吉は、茶の湯の件で上機嫌になっていること。

私:「まあ、伊達政宗殿なら、これだけで関白様と仲良くなれそうだな。」


6月15日頃、古田から武蔵鎧(むさしあぶみ)という手紙が届いた。

私:「細川殿に聞いていた文か。頭がボーとする。明日にするか。」


6月19日、そうこうするうちに、ようやく薬が効いてきた。

秀吉:「だいぶ体調が戻ってきたようだな。」

私:「はい。医者の薬が効いたようです。」

秀吉:「そうか。今日も茶は点てなくて良いぞ。それと、石垣山城の一部が完成している。そこで大事を取るように。」

私:「はい。ありがとうございます。では、失礼いたします。」

秀吉:「大丈夫かのお。心配じゃな。」


翌6月20日、石垣山城にて。

私:「そろそろ古田殿に返信しないとまずいな。」


武蔵鐙(むさしあぶみ)(ぶん)』は、細川と何度も練習した文章なので、スラスラ書けた。

  武蔵鐙 さすかに道の 遠けれは

   とはぬもゆかし とふもうれしゝ

返し

 御音信 途絶え途絶えず 武蔵鐙

さすがに遠き 道ぞと思えば

乃至、

  山にての哥にて候

  世に有テ うらめしかりし はい打の

  をとたに今は 慰にして

  はいという くせ物たにも なかりせは

  小田原成りと せめて住むべく かしく 云々。

私:「書けた!」


6月22日夜、雨の中、井伊(いい)(なお)(まさ)小田原城(おだわらじょう)の周りを占拠したとの一報が、私の耳にまで入った。

それからの数日間、各地で北条方の城を落城させたという報告が相次いだ。

6月25日、石垣山城が完成、秀吉本陣が石垣山城に移動した。

小田原城の降伏も時間の問題と思われた。


時に天正18年6月。

時代は天下統一へと向かっていた。


この作品は「YouTube(

https://www.youtube.com/watch?v=_5c8pC5rgd4&list=PLH33wsaeFCZVs3pm2qrdF_X2PLHNqSU-v&index=17

)」にも掲載しています。

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