第8・5節 秀吉の代筆 ~山上宗二の死について~
4月10日、秀吉に呼ばれ大政所宛ての手紙を代筆することとなった。
秀吉:「準備は良いか宗易。では言うぞ。」
秀吉は敵方の未来人で、素性がバレたら殺されるだろう。
そんなことを考え、緊張し続けたため、手紙に何と書いたか覚えていない。
秀吉:「見せてみよ宗易。よさそうじゃな。誰かいるか、母上にこの手紙を届けるよう伝えよ。」
武将:「かしこまりました。早馬にて、確実にお届けいたします。」
秀吉:「頼んだぞ。さて宗易、茶を所望する。」
私:「はい。かしこまりました。」
茶席を用意し、濃茶の平点前を披露した。
秀吉は何か考えているようだった。
私:「関白様は、何かお悩みのご様子。私では何のお役にも立てませんが、どうぞ茶でも飲んで、ゆっくりされてください。私はそのために来たのですから。」
秀吉:「よく申した宗易。そうじゃな。まあ、悩みという程でもないが、母上の態度が最近冷たいのだ。手紙には書かなかったが、体調でも崩したのだろうかと心配でな。」
私:「関白様は、母親想いですね。大政所様もそんな関白様を気遣い、もし体調を崩されていても、何も言わないのかもしれませんね。」
秀吉:「そうかもしれんな。最近、茶々と非常に仲が良いと聞く。正室のねねとも仲良くやってほしいのだが、何か隠しごとでもあるのか、わしとねねには近づこうとしない。」
もしかして、秀吉は、茶々と大政所が未来人であることを疑っているのではないかと思い始めた。もしバレたら大変だ。さてどうしたものか。
私:「実は、聚楽第で大政所様に御目通りが叶いました。特に体調が優れないようには見えなかったのですが、お疲れだったようには感じました。」
秀吉:「宗易、実はわしも、そなたが母上に目通りしたことは知っていた。そして、茶々と何か話していたということもな。」
私:「大した話ではありません。茶々様もお茶に興味があったようですので、少し、茶の湯について語っただけでございます。」
秀吉:「本当にそれだけだな。」
私:「私のような坊主では、茶々様のような美しい方の興味を引くため、茶の湯の知識以外、披露する物がありません。」
秀吉:「そうじゃな、茶々は美しいな。信長様の妹君・お市の方に瓜二つだからな。宗易、茶々への目通りを許す。好きな時に茶の湯の話をするが良い。」
私:「ありがとうございます。」
私は、大政所と淀殿に会ったのがバレていたことに肝を冷やした。
この場は何とかなったが、普通に目通りすると、誰に話の内容を聞かれるかわからない。
どうしたものか。
私:「関白様、私も大政所様に文を出したいのですが、よろしいですか?」
秀吉:「良いぞ、して、どんな内容じゃ。」
私:「先日、目通りさせていただいたお礼と、今後、茶々様に茶の湯の話をすることのご報告です。」
秀吉:「なるほど。まあ、内容はどうでもよいのだがのぉ。好きな時に好きなだけ書いてかまわぬぞ。」
私:「ありがとうございます。」
これで、大政所から茶々へ手紙を書いてもらえば、利休⇒大政所⇒茶々⇒大政所⇒利休⇒細川⇒利休⇒大政所⇒茶々の順に、手紙で情報が流れることになるはず。
茶々には、後で手紙を読んでほしい旨だけ伝えれば良いだろう。
流れる情報は、
未来へ帰る為に何が必要かの情報: 利休⇒大政所⇒茶々
未来人の住所・氏名・年齢など: 茶々⇒大政所⇒利休⇒細川
未来へ帰る為のキーワードと自殺日: 細川⇒利休⇒大政所⇒茶々
かなり遠回りになってしまうが、全員と手紙でやり取りすることとなった。
翌4月11日、山上宗二という坊主が私を訪ねて来た。
山上:「お久しゅうございます、師匠。かなり老け込まれまたようですが、お変わりありませんか?」
私:「えーと、どなたでしたでしょうか。」
山上:「またまた、ご冗談を。山上宗二です。宗二、宗二と呼ばれていたではありませんか。」
そういえば、細川に変な坊主が会いに来るから適当に話を合わせるよう言われたのを思い出した。
私:「宗二か。それで、どんな要件ですか?」
宗二:「関白秀吉様に取りなしていただきたいのです。私は今、北条方に逃げておりました。ですが、このままでは北条方と一緒に殺されてしまいます。師匠のお力で、何とかなりませんか?」
私:「そうですね。少し考えてよいですか?」
宗二:「師匠、手土産に私の書いた記録書を差し上げます。師匠の言葉をできるだけ残したいと書いたものです。『山上宗二記』とでも名付けてください。」
これがあの有名な『山上宗二記』か。
実物を見るのは初めてだ。
確かこの後、山上宗二は、私の目の前で秀吉に殺されるはずだったな。
私:「本は大切にします。それと、本当に関白様に御目通りするのですか?北条方でなければ、坊主など、どこへ行っても生きていけると思います。関白様のご機嫌を取るのは難しい。早死にしたくなければ、薩摩の方へでもお逃げなさい。」
宗二:「師匠が言ってくだされば、関白様のもとで要職に就くこともできます。以前、私は関白様の茶頭も務めました。茶の湯の腕なら、天下でも師匠の次にうまいと思います。」
かなり自信過剰な上、口も良くないな。
殺されるのを見るのはいやだったけど、どうしようもないのかな。
私:「わかりました。くれぐれも粗相のないように、お願いします。」
宗二:「はい。師匠!」
その日、山上宗二は秀吉の不興を買って殺された。
その凄惨な死について、ここで述べるのは、やめておこう。
一方、手紙の件は順調に推移した。
大政所宛ての手紙には、始めは取り留めのない話を書き、何度目かの手紙で本題を書いた。
その後、茶々に目通りして、大政所からの手紙を読んでほしい旨を伝えた。
重要な情報が載った手紙は、割とすぐ私の元に揃った。
細川に会う機会を作り、手紙を見せた。
細川:「良い方法を思いつきましたね、利休殿。では、すぐ計算します。まず淀の方様ですが、1620年1月、薩摩にて自殺。キーワードは“百姓昭明、協和萬邦”です。しかし、淀の方様は、歴史上1615年に自殺したことになっていたはず。何か手を打たないといけませんね。」
私:「ところで何ですか。百姓昭明にして萬邦を協和すって。」
細川:「昭和という元号の元になった言葉です。九族既に睦みて、百姓を辨章し、百姓昭明にして萬邦を協和し、黎民於いに變りこれ雍ぐという『書経』堯典の一節です。これは偽書の偽古文尚書による部分から取られたものとして、元号には相応しくないと言う説があります。ただ、この百姓昭明にして萬邦を協和すの部分に込められた思いには共感するものがあります。そもそも百姓とは・・・」
私:「細川殿。そろそろ戻ってきてください。それと、大政所様の情報をお願いいたします。」
細川:「承知しました。1592年7月、京都にて自殺。キーワードは” 聖人南面而 聴天下嚮明而治”ですね。明治の元となった言葉です。」
私:「難しい言葉ですね。聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治むですか。あっ、意味はいいです。長くなりそうなので。」
細川:「そうですか?残念です。では、この内容を大政所様にお伝えください。」
私:「難しい言葉ですので、メモして良いですか?」
細川:「大変でも言葉で覚えてください。」
私:「いつの間にか、細川殿もスパルタになってますね。」
細川:「私は優しいですよ。さぁ、覚えた覚えた。」
数日後、茶々に呼び出された私は、茶々から笑顔で声をかけられた。
茶々:「大政所様から手紙が届きました。歴史上、私の場合、何か問題があるそうですね。」
私:「はい。薩摩まで行く必要がありますので。まあ、詳細は追ってお伝えいたします。」
茶々:「わかりました。では、茶の湯をいたしましょう。利休様、茶の湯の準備をお願いいたします。まずはお菓子ですね。今日は良い羊羹が手に入ったのですよ。」
私:「それは楽しみです。」
この作品は「YouTube(
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)」にも掲載しています。




