第8・2節 秀吉の出陣と黄金の茶室
天正18年3月1日、豊臣秀吉が後陽成天皇から節刀を賜る。秀吉は、鎧を着た利休を伴い、先日出陣式をおこなった町の外へ向かった。そこには、先行する秀次軍の増援として、秀吉軍の本陣・三万二千が布陣していた。秀吉は、本陣へ着くなり茶を求めて来た。
秀吉:「だれか、宗易に茶を点てさせるので、黄金の茶室を組み立てる準備をせよ。」
私:「では、私も手伝ってまいります。」
秀吉:「そうだな。いや、その前に軍幕に移動しよう。」
私:「はい。お供します。」
軍幕内には、知らない武将が沢山立っていた。
秀吉が中央の席に座り、武将たちが次々と座った。私が秀吉の横で立って待機していると、知らない武将の一人が私に椅子を勧めて来た。
知らない武将A:「関白様、利休殿は御老齢、足腰が鍛えられておりません。鎧も来ています故、椅子に座っていただいてはどうですか。」
秀吉:「よかろう。」
私:「ありがとうございます。」
秀吉:「宗易よ。そなたには聚楽第での待機を命じる。戦闘が一段落したら呼ぶ。鎧は着てこなくて良い。似合ってないのでな。」
私:「助かります。」
秀吉:「では皆の者、報告を聞こう。」
武将たちが次々と現在の状況を説明し始めた。
要約すると、
南方軍の徳川家康軍・二万人は、北条氏直が箱根足柄に築いた塁で足止めされている事。
北方軍の前田利家軍・一万八千人と、上杉景勝軍・一万人が真田幸村軍などと合流した事。
水軍の長宗我部元親など・一万四千人は、千隻以上の船で駿河の清水港に待機している事。総大将・豊臣秀次は、蒲生氏郷と共に、沼津城の徳川家康と合流する予定である事。
などが報告された。
秀吉:「秀次にわしが行くまで、山中城攻めを待つよう伝えよ。」
武将たち:「はっ!」
秀吉:「さて、宗易。黄金の茶室を組み立てて、茶を点ててもらおう。そこの小姓たちを使え。」
私:「かしこまりました。皆さん、よろしくお願いいたします。」
小姓たち:「はい。利休様。」
私は小姓たちに、以前から細川に習っていた、茶室の組み立て方を伝えた。
同時に、火を熾してもらい、風炉に炭を入れて、釜を掛けた。
私:「では、よろしくお願いいたします。」
輸送隊にあった黄金の茶室は、一時間程で完成した。
火のついている風炉は小姓二人に運ばせ、私は他の茶道具を並べた。
古田に替茶碗を用意するよう言われていたので、茶碗は二つ用意した。
釜の煮えは松風、そろそろ秀吉を呼んでも良さそうだった。
私:「どなたか、関白様を呼んできてください。茶の準備が整いました。濃茶点前を始めます。」
すぐに秀吉が現れた。
秀吉:「中々手際が良いな宗易。では、濃茶を頂こう。」
私:「かしこまりました。」
私は、細川三斎に習った台子点前を披露した。
その際、宗恩が作った新しいサイズの帛紗を使用した。
秀吉:「なんだその帛紗は。今までの物より、大きくはないか?」
私:「新しい大きさに改めたく思い、使わせていただきました。」
秀吉:「良いぞ宗易。なかなか挑戦的ではないか。ではその大きさに改めたい理由を聞こう。」
私:「大は小を兼ねます故。」
秀吉:「なんだそれは。まあ良い。好きにしろ。」
滞りなく点前が終わり、秀吉は美味しそうに濃茶を飲んだ。
秀吉:「名残り惜しいな。もう一杯、頂こう。」
私:「承知いたしました。」
その日、秀吉は戦場へ旅立っていった。
戦場へ行く覚悟をしていた私は、なんとなくホッとして家に戻った。
宗恩が驚いた顔で、話しかけてきた。
宗恩:「どうなさったのですか、利休様。」
私:「鎧が似合わないから、戦場へは連れていけない。後日、呼び出すから、着物で来るようにと言われた。」
宗恩:「そうですか。では、利休様の分も夕飯を作らなくてはいけませんね。」
私:「よろしくお願いいたします。」
夕飯を食べた後、私はすぐ眠りについた。
翌日から、私は細川家の細川玉子に、茶道の練習を見てもらうことにした。
私:「・・・ということで、玉子殿に教えを請いたいのですが。」
玉子:「かしこまりました。割り稽古でよろしければ、ご指導させていただきます。」
私:「よろしくお願いいたします。」
玉子:「毎日通われては、あらぬ誤解を生みかねませんので、数日おきに来て、練習しましょう。では、さっそく、帛紗捌きを百回してください。」
私:「そうか。玉子殿は古田殿より厳しい人だった。」
玉子:「二百回に増やしましょうか?」
私:「百回で十分です。」
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