第7・9節 茶花の種類と生け方 ~床の成り立ちについて~
早朝、細川家で茶花の稽古が始まった。
古田:「今日は白梅・紅梅を使います。花が載っている台は花台と言います。関白様は、茶花に梅の他、冬や春は水仙・薄色椿・山橘、夏や秋は狗尾草、小車などを使われています。練習には、うってつけでしょう。」
私:「狗尾草?小車?」
細川:「狗尾草は、ねこじゃらしと言ったら解りやすいでしょうね。縄文時代からある雑草です。小車は菊科の植物です。」
私:「花入は、うずくまるですね。」
古田:「そうです。よく覚えていますね。これは備前焼のうずくまるです。紅白二色を使うとおめでたいので、二色とも使いましょう。」
細川:「紅白がおめでたい理由は諸説ありますが、室町時代の朱印船貿易で、日本向けの献上品に紅白の紐をかけていたというのが、今は主流です。」
古田:「茶花を生ける場合、気を付けることは、軸を定める事、葉を残す事、形を整える事の三つです。まず花入に対し、基本となる枝や茎を決めることが大切です。軸となる枝や茎がないと、手桶に投げ入れた花と変わりありません。次に葉がある場合は、葉を残すようにします。花入との兼ね合いにもよりますが、花以外に緑色があると、全体的に良くなる事が多々あります。最後に形を整えます。特に椿などの枝物では、枝をためることで自由な向きに変えることが出来ます。」
私:「ためる?」
古田:「枝を指で少しずつしならせ、形を変えることです。ただ、花は生き物ですので、長時間、指でいじっていると、傷みやすくなります。注意してください。では、実際に生けてみましょう。」
古田は白梅を上に、紅梅を右下に配置し、始めから曲線だった枝を、紅梅の横から床まで這わせた。
丸いうずくまるに対して、直線と曲線がうまく調和した入れ方だった。
私:「これは綺麗ですね。」
細川:「さすがですね。古田殿。」
古田:「ありがとうございます。では利休殿も生けてください。」
古田は、見事に生けてあった白梅と紅梅を、花入から惜しげもなく抜き取り、花台に戻した。
私:「もったいない。」
古田:「今日は、利休殿の練習が最重要課題です。私以上の生け方をされれば良いだけの事。ささ、ここに小刀もあります。自由に生けてください。」
私:「やってみます。」
私はやや左斜めに白梅を生け、両横に紅梅を入れてみた。
なんとなくバランスの悪い案山子の振り子を連想させた。
私:「可愛いかも。」
古田:「利休殿は、面白い感性の持ち主ですね。」
細川:「これでは駄目でしょう。」
私:「そうですか。そうですよね。生け直します。」
何度か生け直すうち、一本だけ生けた方が良さそうに見えて来た。
私は、白梅の中でも曲線の多い枝を花入の周り置き、紅梅だけを葉二枚でまっすぐに生けた。
白梅がうずくまるの横に配置され、思った以上に綺麗になった。
古田:「おみごと。」
細川:「良い発想転換ですね。さて今日はこの状態で稽古をしましょう。」
私:「ありがとうございます。」
細川が水屋に花台を下げに行っている間、私は花を生けている最中に、気になっていたことを口にした。
私:「気になったのですが、千家と古田家の床の間は土壁で、細川家の壁は木の壁ですよね。未来で土壁はあまり見かけないのですが、この時代特有の壁なのでしょうか?」
古田:「未来でも京壁と言って、茶室や仏間に用いることがあります。京都近郊で取れる土で作るのですが、茶褐色の聚楽土や黒色の九条土、黄色系の稲荷土などがありますね。未来でも私の母の家で、京壁を用いた茶室をしつらえていました。ただ、古田家が土壁なのは、利休殿の影響です。」
私:「私ですか。また利休が絡んでいるのですね。」
古田:「今から8年程前、1582年頃ですね。それまでの一間床に張付壁という床を、利休殿が五尺や四尺に縮め、壁も荒壁に掛物は面白いとして土壁に変えます。正面の壁、大平壁と言うのですが、その中央に中釘を付けるなど、花を掛物と対等に扱う意志をはっきり形に示そうとされます。利休殿の作った待庵が良い例ですね。花の飾りに確かな地位を与えた印象が色濃く表れています。初座が掛物、後座は花というのも、最近、流行りだした形式ですが、未来でもその形式は受け継がれています。」
私:「でも、この床には、掛軸と花入が両方置いてありますよ?」
古田:「これは中立を略す場合の形式で、諸飾と言います。それから、利休殿が床の間の形式を定めるまでは、細川家の床の間、一間床に張付壁というのが一般的でした。室町時代の書院造が元になっています。とまあ、細川殿の話も、意外と役に立ちますね。」
細川が水屋からやってきて、さっそく話に加わった。
細川:「古田殿、面白そうなことを話されていますね。ぜひ私も参加させてください。」
古田:「利休殿に床の間の話をしていた所です。」
私:「ちょうど書院造の話を聞こうと思っていた所です。」
細川:「室町時代の足利将軍邸に、独立して庭に建つ会所という建物がありました。主に座敷に二畳程度の床を設け、ここに書院や違棚、押板を備えます。1236年に執権北条泰時が将軍の御成のために寝殿を建てます。その孫の北条時頼の代に、武家住宅の本来の客間であった出居を発展させ、寝殿に代わり御成にも使用できる出居が生まれます。その主室は座敷と呼ばれる建築様式で、これが書院造の原型です。」
私:「書院というのは何ですか?」
細川:「書院というのは、本来、禅僧の住房の居間兼書斎の名称でした。それが、床の間・違棚・付書院など、座敷飾りと呼ばれる設備を備えた座敷や建物を広く呼ぶようになります。
書院造で最も重要な場といえる書院には、庭に面した複数の部屋が用いられます。主人の座が置かれた主室は上段につくられ、さらに上々段が設けられることもあります。」
私:「主室?」
古田:「時代劇で、将軍様が一段高い床に座って、武将達と話をしている場面がわかりやすいと思いますよ。」
細川:「主室の背後には、主人の座を荘厳なものにするため、書画の掛軸や生け花、置物などを飾る床の間や、上下二段の棚板を左右食い違いに吊した違棚、縁側に張り出した机や飾り棚の付書院などの座敷飾り(ざしきかざり)が集中して備えてあります。 こうした書院の構造や意匠は、対面・接客儀礼を目的に、主客の身分格差を空間的に表現するためのものです。」
古田:「利休殿はこの主客の身分格差をなくすために、床の間を簡素にしたと言えます。花入や器物についても侘びの考えを推し進め、床飾りの目的を、鑑賞を主する場から、主客の間で心を通わすための場へと変えたのです。」
細川は炉の方を指差し、話を続けた。
細川:「初期の茶室は、六畳や四畳半の座敷に炉を切ったもので、当初より飾りのための場も設けられ床と呼ばれていました。相阿弥が珠光に宛てた茶書『烏鼠集』の床飾りは、会所の押板にあった掛物や卓・立花・香炉・香合のほか、書院の飾り、会所で点茶に使った茶湯棚に茶道具など、『君台観左右帳記』の飾りをすべて包括したような場として床が扱われています。」
私:「『君台観左右帳記』の飾りというのは?」
細川:「押板の絵を、三幅一対と五幅一対を基本に捉えて、その前に必ず三具足を置くとしたものです。絵の掛け方は、絵の間隔を同じにし、絵の長短を調整する場合は、落掛より上の洞を高くとって段違いに釘を打って調整します。絵の前の卓には、本尊のものに三具足、脇絵のものに花瓶を置きます。三具足は卓の中ほどに香炉を据え、その右に鶴燭台、左に花瓶を置き、香炉の手前に香合、後ろに香匙台を置いて一揃とします。」
古田:「その後、村田珠光の時代には、それまでの押板飾りの基本である本尊と三具足の枠組はなくなり、座敷飾りの厳格な決まりも、仏前荘厳の流れもなくなります。」
二人の話について行けず、私が首をかしげていると、細川玉子が水屋から入って来て助け舟を出した。
玉子:「お二人とも、そんなに一度に話されては、利休殿も大変でしょう。少し休憩されては、いかがですか?」
細川:「そうですね。では休憩が終わったら、玉に料理を教わって下さい。」
私:「よろしくお願いいたします。」
玉子:「利休殿も大変ですね。」
この作品は「YouTube(
https://www.youtube.com/watch?v=4e5e-zWcbNU&list=PLH33wsaeFCZVs3pm2qrdF_X2PLHNqSU-v&index=9
)」にも掲載しています。




