第5・12節 濃茶点前(風炉)~未来人・里村紹巴について~
茶碗をはじめ、茶筌、茶巾、茶杓、茶入、柄杓、建水、蓋置などの茶道具が三組用意され、私と細川、古田の三人が釜の周りに集まった。
古田:「では、利休殿に濃茶点前を覚えていただきます。まずは、濃茶の練り方から説明します。熱いお湯で一気に練り上げるのがコツです。」
私:「あの、コツという単語はカタカナ語ではないのですか?」
細川:「違います。語源は骨格のコツから来たもので、鎌倉時代以前より使われています。ですが良い所に気づかれました。ここでは気兼ねなく言葉の良し悪しを聞いてくださいね。」
私:「古田殿、失礼しました。なんとなく気になったものですから。」
古田:「全然、お気になさらずに。むしろ言葉遣いは注意しすぎることはありませんので、互いに確認するのも大切です。では利休殿、お湯を汲んでください。」
私:「抹茶は入れないのですか?」
古田:「まずは茶筌通しといって、茶碗を温め、茶筌の穂先を確認する作業をします。良く見ていてください。」
古田が綺麗な手で茶筌通しをし、お湯を建水に捨て、茶巾を茶碗に入れ、茶碗を置いた。
古田:「ここまでやってみましょう。お釜からお湯を汲む場合は、底の方から汲んでください。できるだけ熱いお湯を使うためです。汲み過ぎたお湯は釜に戻しても良いのですが、利休殿の場合、理想は適量汲んで、戻さない方が良いでしょうね。」
私は古田と細川にいろいろと注意された。柄杓は人差し指を伸ばして持つこと。建水から茶碗を戻す時、茶碗を上に向けながら、茶碗と茶巾を同時に体の前に移動すること。茶碗の正面から茶巾を入れること。
古田:「茶巾で茶碗を拭きます。手早く丁寧に、温めた茶碗が冷めないようにしてください。綺麗に拭くと、このように茶巾が元の形に戻ります。もし茶巾の形が崩れてしまった場合は、堂々とたたみ直してください。」
古田と細川が手本を見せ、私も何度か茶碗を茶巾で拭いた。茶巾は何度もたたみ直すこととなった。ある程度、様になってきたころ、古田が手を叩いた。
古田:「では利休殿、抹茶を実際に練ってみましょう。美味しい濃茶を練るには、手早く底からよく練り上げる必要があります。また、少量の湯でも粉末が残らないようにします。一度、茶筌を左に倒し、柄杓で少量の湯を足します。最後にもう一度練って、仕上げます。さあ利休殿、やってみてください。」
私が見よう見まねで練り上げた濃茶は、固く苦く粉っぽかった。
私:「何ですかこれは。」
古田:「こちらが同じ抹茶で練り上げたものです。飲み比べてください。」
私:「!!」
古田:「味や舌触りなど、いろいろ違いがあると思います。さて利休殿、猛特訓しますよ。」
私:「おっ、お手柔らかに。」
しばらくして、右手が痛くなってきたころ、古田が言った。
古田:「だいぶ良くなってきましたね。これなら未来人と見抜かれずに済みそうです。」
細川:「よかったですね、利休殿。未来人として殺されずにすみそうですよ。」
私:「ありがとうございます。ところで、先ほど説明していただいた方の他に、殺された未来人はいるのですか?」
細川:「はい、私が把握しているだけでも、里村紹巴殿、加藤清正殿、堀川国広殿、郡宗保殿、小笠原秀清殿、虎岩玄隆殿などが殺されています。」
古田:「連歌師・里村紹巴殿は、茶道の筋も良かったので、殺されたと聞いて、非常に残念でなりませんでした。」
私:「里村紹巴という名は、古典で習った気がするのですが、なんだったかな?」
細川:「おそらく源氏物語の注釈書『紹巴抄』の関連でしょう。連歌師・里村紹巴殿の正体は、未来人・大文字博で、古典文学を研究していた東大の教授でした。所謂、古典文学の権威ですね。連歌の腕前もなかなかだったため、この時代でも問題なく過ごしていました。」
古田:「1582年5月に明智光秀が行った愛宕百韻に参加したため、関白様に信長様の殺害を祈願したとして疑われたのですよね。1582年8月、関白様に呼び出される日の前日に未来人となり、関白様の前で持論を展開して、無実であることを証明したとか。どんな持論を展開したのですか?」
細川:「では、もともと信長様の殺害祈願として疑われた句の説明からしましょう。
明智光秀は、
ときは今 あめが下しる 五月かな
と詠ったのに対して、行祐が
水上まさる 庭の夏山
里村紹巴殿が
花落つる 池の流を せきとめて
と詠います。明智の姓が、土岐氏であることを考えると、
土岐が今、天下を支配する。そんな五月になる。
天下を取らんとする勢いの信長様という花を、せき止めてください明智様。
という意味に取れるとしたものです。」
私:「ほとんど、無茶振りですね。里村殿もかわいそうに。」
古田:「無茶振り?」
細川:「返答に窮する話題を投げかけるという意味です。この時代には使われない単語ですね。」
古田:「なるほど、ありがとうございます。」
細川:「未来人・大文字博は、
明智光秀の句は、五月雨を詠ったもので初夏、庭の夏山は盛夏、花落つるは晩夏です。明智光秀が、天下を取ろうと言うのは、そもそも無理な事。すぐ夏は終わるのでやめなさいという意味です。
と言ったそうです。他にもいろいろ言われたようですが、すべて論破したとか。」
私:「ところで、細川殿は、里村殿のことを、どうやって未来人と見抜いたのですか?」
細川:「里村殿に関白様から呼び出しがかかったので、明日来てほしいと言われ、行ってみると、右も左もわからない状態の里村殿に会いました。里村殿とは長年付き合っていたので、別人だとすぐ気づきました。」
私:「なるほど。」
細川:「もう、昔の里村殿には会えないという寂しさもありましたが、未来人・大文字博を助けるためと気持ちを切り替え、人払いをして、大文字博に状況を説明しました。彼はすぐに状況を理解してくれました。私を質問攻めにしたほどです。」
古田:「3年前の1587年11月、北野大茶会の日、通りに面した高い木の枝に首をつっている里村殿が発見されます。侍所には自殺と判断されるのですが、細川殿は他殺と言っています。」
細川:「自殺は1602年にお願いしているので、ありえないでしょう。」
私:「根拠は、それだけですか。」
細川:「疑問点は三つあります。一つ目は、里村殿が首を吊った木に、台座がなかったことです。二つ目は、私から夜中に一人で出歩かないよう厳命されているのに、その時間帯に首を吊ったということ。三つ目は、首を吊った場所が通りに面しているということです。夜とはいえ、前日から北野大茶会のために人が多数来ています。自殺なら、誰かが止めてくれても良さそうですし、殺しなら目撃者の一人くらい、いそうなものです。」
古田:「細川殿は、未来人となった里村殿を、対等に議論できる人だと言っていました。里村殿の死後二日くらい、細川殿が呆然としていたのを覚えています。三日目に、期せずして、細川殿に私が気合を入れる形になりました。」
細川:「煎茶を作ってみたと言って、そこらの雑草を煎じて飲ませたのです。ひどい事をされる。気合は入りましたがね。」
古田:「雑草ではなく、薬草です。私なりに調べたつもりでしたが、間違っていたようです。」
細川:「でも、有り難かったです。古田殿、ありがとうございます。あと、煎茶を作る場合は、茶葉でお願いしますね。」
古田:「はい。」
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