第5・8節 柄杓の扱い(割り稽古)~未来人・丹羽長秀について~
茶筌通し(ちゃせんとおし)が終わると、古田と細川が立ち上がり、釜の前に移動するよう促した。
古田:「柄杓の扱い方を説明します。いくつか風炉と炉で扱いが違うものもありますが、今回は風炉の説明のみ行います。まず釜に乗った柄杓を取る場合、湯を汲むときと水を汲むときの二通りあります。まずは、釜から湯を汲む場合です。指を揃えて柄杓の切止をすくい上げます。切止というのは、柄杓の一番端の部分です。柄杓の合が釜の口と水平になるまで、柄杓の柄をあげながら、柄にそって手を滑らせます。手なりに親指と人差し指で柄をはさむようにし、人差し指を節のところまで進めます。そのまま湯を汲みます。とりあえず、そのまま釜の上で待機してください。」
私が湯を汲み、釜の上で待機していると、古田は続きを説明した。
古田:「釜に柄杓を置く場合、三通りあります。まずは置き柄杓です。茶筌通しなどをする場合の湯を茶碗に入れたあとの動作です。柄杓の合を水平にして、手なりに釜に載せます。合は、柄杓の湯を汲む部分です。親指だけ柄杓の柄の下をくぐらせ右側に出し、節の下を親指と人差し指で、柄の上下を軽くつまむようにして持ちます。柄が釜正面に対して、まっすぐになるようにして、釜にあずけます。では、湯を釜に戻し、合を上にして、置き柄杓をしてください。」
私は、置き柄杓をした。その後、釜から湯を汲まずに何度か柄杓を持っては置き柄杓をするという動作を繰り返した。
古田:「では、次に切り柄杓をします。切り柄杓は、茶を点てるための湯を茶碗に入れたあとの動作で、柄杓に湯が少し残っています。その湯を釜に戻して、合を水平にして手なりに釜に載せます。そのまま親指と人差し指が直角になるくらいに広げ、指を揃えて伸ばします。柄が釜正面に対して、まっすぐになるようにして、釜にあずけます。」
柄杓を持ってから少し湯を汲んで、釜に湯を戻して切り柄杓という動作をしばらく繰り返した。
細川:「利休殿、手は疲れていませんか?」
私:「さすがですね、細川殿。ちょうど、手がしびれてきたところです。」
古田:「それは大変です。濡らしたさらしで手を冷やしましょう。すぐ用意しますので。」
細川:「では、その間、1585年、湊はじめとして未来へ帰ることができた、丹羽長秀殿の話をしましょう。賤ヶ岳の戦いはご存知でしょうか。1583年6月10日、丹羽殿は、琵琶湖から賤ヶ岳砦方面に急襲をかけ、戦況を一変させます。その翌日の6月11日に未来人と入れ替わります。」
私:「戦闘中ですか!よく生き残れましたね。」
細川:「未来人・湊はじめは、レンジャー徽章を持つ特殊作戦群の自衛官で、戦い慣れしていたようです。また、未来人と入れ替わったのは夜で、戦局も有利になっていたこともあり、なんとかなりました。」
私:「細川殿は、丹羽長秀殿をどうやって未来人と見抜いたのですか?」
細川:「占領したばかりの夜の賤ヶ岳砦で、妙な殺気を振りまいた丹羽殿が砦の外を一人で歩いていました。何人もの兵士が不思議に思うのですが、話しかけにくかったようで、私が代表で確認しに行きました。話を聞くうち未来人・湊はじめだとわかります。ほかの兵士には、砦の見回りをしていたと誤魔化しました。」
古田が水屋から戻って来て、さらしを渡してくれた。
古田:「ささ、利休殿。手を冷やしてください。」
私:「ありがとうございます。ああ、冷たくて気持ち良いです。今、細川殿に丹羽長秀殿の話をしてもらっている所です。」
古田:「ああ、あの戦場を乗り切った未来人ですね。確か無事、未来へ帰還できたとか。一度お会いしてみたかったですね。」
私:「古田殿は、その場にいなかったのですか?」
古田:「私は、関白様と共に美濃の大返しに参加していましたので。」
細川:「丹羽殿と私は、その後、関白様の命で姫路城へ赴き、褒賞をいただきます。丹羽殿は敵軍の将・柴田勝家が自刃した北ノ庄城などを拝領します。利休殿にわかりやすく言うと、丹羽殿は、兵庫県の姫路城から福井県の北ノ庄城へ、私は新築された大阪城へ関白様と共に移動することとなります。そこで未来へ帰る方法を急ぎ伝えます。」
私:「私は、本当に恵まれていますね。お二人や玉子殿に、直接、助けていただけるのですから。」
細川:「そう面と向かって言われると、照れますね。」
古田:「そうですね。」
私:「それにしても、よく1度会っただけの細川殿をそこまで信用してくれましたね。」
細川:「これです。」
私:「これは、椿の枝ですか?」
細川:「湊はじめに会うのは、実は2度目です。1度目の時は、利休殿のおっしゃる通り、信用してくれませんでした。そこで、未来へ一度行って、湊はじめの実家を訪ね、過去を調べました。この枝と同種の椿が咲いていることを突き止めます。死んだ祖母と一緒に植えた思い出の木だそうです。この話をしました。」
私:「策士ですね。」
細川:「丹羽殿とはそれ以来、連絡を取り合うことはしませんでした。1585年4月、予定通り丹羽殿が自殺した旨をうわさで聞き、機械の定期検査もあったので、未来へ戻った時に、未来人・湊はじめと東京で再会しました。話を聞くと、自殺できそうになかったので、お腹が痛すぎるから切腹すると言って無理やり自刃したとのことでした。」
私:「未来へ戻る?東京で再会?細川殿は過去と未来の行き来が自由なのですか?」
細川:「細川三斎の体を仮死状態にする必要がありますが、行き来はできます。未来と過去は時間の流れが違って、未来で12日間過ごすと、過去では1年が過ぎます。1日でひと月、1時間で約1日と少し過ぎます。仮死状態でいる間を1時間程度にするには、12日間と数分以内に1年間ずらした時へ飛ぶ必要があります。また、場所の指定も難しく・・・。」
私と古田は顔を見合わせ、細川の技術的な話は聞き流した。
その後も熱心に話す細川を無視し、古田は、水指の蓋を取り、柄杓の説明を始めた。
古田:「釜から水を汲むための動作です。柄杓の柄を親指と人差し指で両側をつまむようにして上から取り、柄を水平にしてそのまま右手で膝の上に身体と平行になるようにします。左手で節を持ち、右手を一度柄の切止までずらし、人差し指と親指のつけ根をすべらせて、右手の人差し指を節まで進めて持ち、水指から水を汲みます。水は釜に入れ、釜の上で柄杓を待機させてください。」
私は水指から水を汲み、釜に水を入れた。
古田:「水を汲んだ後は、引き柄杓をします。まず合を水平に手なりに釜に載せます。そのまま手を少し手前に引き、親指を切止で大きくまわします。他の指と揃え、柄を人差し指の先と中指の先の間に載せ、そのまま切止まで引きます。このとき、柄は釜正面に対して、まっすぐになるようにします。親指と人差し指で輪を作るようにしてそのまま静かに降ろして、釜にあずけます。」
私が水を一回釜に入れると、古田が話を続けた。
古田:「利休殿の引き柄杓には秘事があります。合を釜にかけ、親指を離して前に引く時は早く引き、四本の指が少し仰向くようにします。切止で離すときは遅く置きます。」
細川:「利休殿は早く引いて遅く置き、少庵は遅く引いて早く置き、宗旦は中くらいに引き、中くらいに置く。後に、利休殿の養子・千少庵と孫・千宗旦の引き柄杓と比較した場合の置き方ですね。」
古田:「では利休殿、水指の水は汲まずに引き柄杓をしてください。」
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