第5・2節 細川邸で割り稽古 ~利休道歌について~
三人は寄付に移動し、茶道の練習が始まった。
古田が用意していた巻紙は、前回とだいぶ違っていた。
1、割り稽古
①礼の仕方(真・行・草)
②足運び
③襖の開け閉め
④帛紗の扱い(行・草)
⑤茶入・茶杓の清め方
⑥茶巾の扱い
⑦茶碗の仕込み方
⑧茶碗の清め方(濃茶)
⑨茶入・仕覆の扱い
⑩茶筌通し
⑪柄杓の扱い
⑫水指の蓋の扱い
⑬水次の扱い
2、懐石
3、濃茶点前(風炉)
4.割り稽古
①棗の扱い
②薄茶の掃き方・掬い方
③茶碗の清め方(薄茶)
④割り稽古の総復習
5、薄茶点前(風炉)
古田:「来月から利休殿は関白様に毎日お茶を供することになります。そこで、今日は割り稽古を中心に、風炉の濃茶と薄茶の平点前を覚えていただきます。3日後の茶会は予定通り利休殿には次客をお願いします。茶会の準備や後始末にも立ち会っていただき、会記と懐石の献立表も書いていただく予定です。」
細川:「今日は炭手前をしませんが、必要に応じて私が炭をつぎます。懐石の亭主は玉がします。三日後の茶会では、玉に詰をしてもらいます。」
私:「炉ではなく、風炉ですか。そこの釜の下にある大きいなものが風炉ですね。」
古田:「そうです。季節は炉なのですが、関白様は戦場に組み立て式の黄金の茶室を持っていかれるようなので、風炉も必要と思い、今日は風炉にしました。では、割り稽古をします。」
三人で礼・足運び・襖の開け閉めの復習をした後、古田が帛紗について話し始めた。
古田:「帛紗の大きさは、今月と来月で変わります。大きな歴史の転換点ですね。
帛紗の大きさは、今月までは『茶道教諭百首』にある
服紗をは竪は九寸餘横はまた 八寸七分曲尺としれ
という横が八寸七分だったものが、来月から『利休道歌』の
帛紗をば竪は 九寸よこ巾八寸八分曲尺にせよ
という横が八寸八分まで大きくなります。」
私:「来月?利休道歌?」
細川:「小田原征伐の折、宗恩殿が利休殿に、薬包みにでも使ってほしいと、帛紗を大きく縫って差し出します。利休殿は、この恰好が一段と手ごろで良い。これからのち、帛紗の大きさはこれと同じようにしなさい。と言います。以降、平成の世まで、帛紗の寸法は、基本的に横が八寸八分となります。来月、宗恩殿から必ず帛紗をもらって、大きさの変更を大々的に宣伝してください。」
古田:「『利休道歌』は『利休百首』とも言われ、茶道の教えを短歌の形で後世に残したものです。」
細川:「まず『細川玄旨教訓百首』を元に、利休殿が『茶之湯百首 附続茶之湯百首 利休製』とします。今から250年後、裏千家の玄々斎が法護普須磨に『利休居士教諭百首歌』として100首程にまとめ『利休道歌』となります。細川玄旨は、私の父・細川幽斎のことで、『細川玄旨教訓百首』は、父が本能寺の変ごろに書きました。後に『利休教歌』を経て、武野紹鴎殿が『紹鷗茶湯百首』にまとめています。『茶之湯百首 附続茶之湯百首 利休製』も、法護普須磨に書かれる『利休居士教諭百首歌』も『利休教歌』を経ています。」
私:「先生、いろんな百人一首があって、さっぱりわかりません。」
細川:「百人一首ではなく『利休百首』です。図にすると、こうなります。」
細川は、紙に筆で利休百首の関係図を書いた。
私:「つまり『利休道歌』は、細川殿の父君が書かれた『細川玄旨教訓百首』を元に、私が書いた『茶之湯百首 附続茶之湯百首』を、玄々斎が完成させたということですね。」
古田:「細川殿の図の真偽はともかく、利休殿には、後世まで残る、新しい大きさの帛紗で練習してもらいます。ただ、今までの一回り小さい帛紗も、出帛紗として使います。さて、まずは帛紗のつけ方から練習しましょう。」
この作品は「YouTube(
https://www.youtube.com/watch?v=LUDpePIPbrE&list=PLH33wsaeFCZWhaiIBx24yNxr-fPINhaRS&index=46
)」にも掲載しています。




