第2・20節 炭手前と香合の拝見 ~炭手前と続・松風について~
床の間には、掛軸に変わり、花入に花が生けてあった。
何の花か疑問に思いながら、私が拝見を終えると、少しして古田が炭斗を持って茶道口から顔を出した。
古田:「本来であれば、この場面では炭手前はいたしません。ただ今日は釜を掛けていませんので、特別に炭手前をいたします。」
細川:「釜の中には水が入っています。炭手前は、この水を沸かす所作です。炭のつぎ方で火の起こりが変わります。炭手前は江戸時代に入ってから、正式に行われるようになります。利休殿の孫である千宗旦が始められるのですよ。」
古田:「通常、もう少し太めの炭を使いますが、すぐ火を起こす必要があるので、普段とは違う組み方をします。あと、炭の太さや形で名称が変わるのですが、その辺は後日ですね。」
細川:「この後、初掃きといって、亭主が炉周りを羽箒で清め始めたら、正客から次礼をし、炉の方へにじって移動します。」
初掃きが始まったのだろう、細川が次礼をし、炉の方へ座ったまま両腕で移動し始めた。
私:「それがにじって移動するということですか?」
細川:「その通りです。扇子はそこに置いたまま、こちらへ来てください。拝見する位置取りも決まっています。炉を囲むように私の横に来てください。ほかに膝行と言って、腕を使わずに前進する移動法があります。逆に後ろに下がる場合は、膝退と言って前を向いたまま、腕を使わずに下がる移動法もあります。ではやってみましょう。」
私は細川と二人で、にじったり、膝行、膝退を繰り返した。
古田が火箸で器用に炭をつぎ、点炭と呼ばれる小さな炭がつがれた時、細川が言った。
細川:「ここで、詰から順に次礼をして席へ戻ります。では膝退して戻りましょう。香合の香を焚きはじめたら、正客は拝見を申し出ます。利休殿は横で見ていてください。では、古田殿、お香合の拝見を。」
古田は、香合を二回回し、炉の横に置いた。そのまま炭斗を持って水屋に下がると、細川は香合を膝行して取りに行き、正客の席に膝退して戻ってきた。
古田:「先に断っておきますが、この時代、香合は拝見しない場合が多いです。ただ、拝見することもありますので、しっかり練習しましょう。」
細川:「ここで次礼をして拝見します。拝見の仕方は、道具に対して真か行の礼をし、全体を見まわします。左手を添手にして、右手で蓋を取り、中の香を見ます。蓋を戻し、もう一度全体を見まわしたら、道具に対して真か行の礼をし、次客との間、畳のヘリ内に置きます。拝見する時は、再びヘリ外に出して、拝見します。」
私が拝見し終わると、細川が再び説明をはじめた。
細川:「拝見した道具は、元あった場所に戻します。戻し方は、まず、詰と正客が炉まで膝行し、詰から正客に香合を渡します。三人いる場合、次客は動きません。詰は香合を少し手前に出しては膝行、手前に出しては膝行を繰り返します。大切な道具なので、引きずったり持ち歩いたりはしません。」
私は香合を膝行しながら炉の前まで移動した。
細川:「次に、左掌の上に香合を持ちます。右手で手前に二回ほど回し、正面を向けて正客の前に置きます。詰だけ膝退して席に戻ります。正客も右手で手前に二回ほど回し、正面を向けて元あった場所に戻します。」
私と細川が客席に戻ると、古田は炉の前で帛紗を捌いて炉縁を拭いた。帛紗を捌きなおして釜の蓋を拭き、釜の蓋をずらして香合を持ち帰った。
細川:「拝見の後、由緒や窯元を聞く場合もあるのですが、この時代、香合に関してはあまり聞かないですね。」
古田は何も持たず、亭主の席に戻ってきた。
古田:「さて、火が起こるまでの間、ここまでの復習をしましょう。まずは寄付からいきましょう。」
三人で寄付から、待合、蹲踞、足運び、床と炉の拝見、懐石、中立と一通りの手順を確認した。私はここで、懐石道具などの名称を教えてもらった。
古田:「釜の煮えも良くなってきたようなので、そろそろ一服さしあげましょう。」
細川:「この釜から出る音が、先ほど説明した松風の音です。閑座聴松風という禅語があります。これは、一切の雑念を捨て、静かに座ってただ松風の音を聴くという意味です。私は、茶席でただ釜の煮えの音、特に松風の音を聞いていると、 心が落ち着いてくる気がします。」
古田:「900年程前の中国に寒山拾得という僧がいたのですが、その僧侶が書いた『寒山詩』に、
微風幽松を吹く
近く聴けば声愈好し
という文があります。自然と溶け合い、幽松の松籟を聴いている。自分が、いつのまにか松に、そして松籟となって、天地一枚の風光、境地にいる、という意味です。当時から松風の音に、何かを感じる人がいたということですね。」
細川:「中国と言えば、400年程前に虚堂智愚という高僧がいて、その著作『聴雪』の偈に、
寒夜風無く竹に声あり
疎々密々松櫺を透る
耳聞は心聞の好きに似かず
歇却す灯前半巻の経
というものがあります。竹は雪の重みにしなりながらも耐えかねて、はね返し雪を払う音。寒夜の寂然の世界だからひとしお耳にひびいてくる。無心に降りしきる雪と竹は枝葉に重くのしかかる。積もる雪を迷惑だと払いのけるのか、ごめんといって払うのか、そういった竹の意思が聞こえる、となります。この聞くというのは、単に五感、眼・耳・鼻・舌・身では分からない。心で聞き、心の眼で見ることがなければ、本当のところは分からないし、味わえないという意味になります。あと、五感と言えば、200年程前の宗峰妙超・大燈国師の詩『臨済禅道歌』に、
耳に見て目に聞くならば疑わじ
おのずからなる軒の玉水
というのがあります。凡人は目でみて、耳できいて判断するが、それだけでは先入観だらけで、物事の本質を見誤る。五感単独の働きだけでなく、五感の相互作用で当たらないと本質には至らない、となります。」
古田:「細川殿、松風の説明をお願いします。」
細川:「失礼、そうでしたね。300年程前の中国に馬麟という理宗皇帝の画院祗候がいて、『静聴松風図』を描いています。この絵の前景には、帽子をかぶり紗の衣をまとった高士がいて、左足を折り曲げ右足を伸ばしています。胸元はややはだけ、右手で軽く帯を掴み、その傍らの地面には、ちり払いが置いてあります。高士は耳を澄まして何かに聞き入っている様子が描かれています。理宗皇帝の書『静聴松風』の下に丙午・御書という印璽の押捺が二つあり、左下にも緝熙殿宝という印があります。この印は。」
古田:「松風の説明ですよね。」
細川:「そうでした。『静聴松風図』の背景には、松葉や藤蔓が風に吹かれて翻り、流れ行く川や、遠方に見える山々に囲まれた空間に松風の音が響いているように見えます。松風には、もの悲しさの中にも、力強い自然の息吹を感じる一種の錯覚を人々に与えます。松風を聴くことで聴覚を、香を焚くことで嗅覚を、茶を味わうことで味覚を、道具に触れることで触覚を、茶室全体で視覚を刺激する。草庵の茶を目指す利休殿にとって客に五感を体感してもらう大切な演出だと言えます。」
私:「松風は、草庵の茶のBGMということですね。」
細川:「そうなります。ただ、BGMという言葉は。」
私:「この時代、背景音楽と言わないといけないのですね。」
古田:「松風の音は、釜の湯の温度に関係します。この音が出ている時が、一番美味しく茶をいただける温度です。本来、炭の次ぎ方で操作するのですが、釜の蓋をずらすなどして煮えを調整すれば、今の利休殿でも、容易に出せる音だと思います。」
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)」にも掲載しています。




