第2・17節 縁高の所作(次客)~茶菓子・羹・和紙について~
古田が、重箱のようなものを正客の前に置き、そのまま詰の席に戻ると、古田はこの時代の茶菓子について語りだした。
古田:「まず、茶菓子の説明をしましょう。果物などのほか、信長様の時にオランダから『かすてら』、『ぱん』、『ぼーろ』、『金平糖』、『有平糖』、『びすけっと』、『鶏卵素麺』などが輸入され、茶菓子として使いはじめました。どれも近代的なお菓子です。3年ほど前の北野大茶会では、関白様が『練り羊羹』を披露されていました。あれもかなり近代的なお菓子でした。」
疑問がいくつか出てきた私は、いろいろ質問し始めた。
私:「上生菓子などは出ないのですか?」
古田:「上生菓子のような砂糖でできた京菓子は、江戸時代になってからですね。今は、栗や昆布、せいぜい饅頭が中心です。砂糖は輸入品で、簡単には手に入りません。先日の点心は、饅頭が出ていましたね。」
細川:「確か、江戸時代に琉球で黒砂糖が作られるまで、砂糖は全て輸入に頼っていたはずです。」
古田:「今は製菓業などもほとんど存在しないので、縁高の菓子は自作が基本です。お菓子についての問答では、菓子の銘は聞くのですが、御製は聞かない方が無難ですね。」
私:「菓子は自作ですか。一人暮らしだったので、料理ができなくはないのですが、麺や饅頭は、作ったことがないです。」
細川:「『蒸し羊羹』も難しいでしょうね。技術も時間も必要ですから。」
古田:「では『麩の焼』はどうでしょう。技術を要しない上、菓子としても使えます。小麦粉を水で溶いて平鍋に入れて薄く焼き、味噌を塗って丸めたものです。すぐできますので、近々お教えします。」
私:「ありがとうございます。」
細川:「たいへんですが、最終的に利休殿は、点心を一通り作れるようにならないといけませんね。利休殿の言葉に、
振舞はごまめの汁にえびなます
亭主給仕をすればすむなり
というのがあり、亭主自らが馳走するのが、最高のもてなしだとしています。懐石料理は難しくとも、点心なら何とかなるかもしれません。」
私:「点心というのは何なのでしょう?」
古田:「いわゆる、三時のおやつです。禅宗では、茶請けという意味合いが強いのですが、『あつもの』や『麺類』、『饅頭』や『餅類』などが中心なため、懐石代わりに出す場合もあります。」
私:「『あつもの』?」
古田:「野菜などを温めた吸物です。煮物椀のようなものと思えばよいでしょう。」
細川:「『羊羹』の『羹』と書いて『あつもの』と読みます。羹に懲りてあえ物を吹くなどと使います。」
私:「『あつもの』と『羊羹』は関係あるのですか?」
細川:「日本に伝わる際、中国の蒸し餅『ようかんこう』を、羊肉入りの吸物『羊羹』と誤解したため付いた名称です。室町時代には、すでにこの名称で定着しているので、今更、私や古田殿が間違いを指摘しても詮無き事でしょうね。」
私は正客の前にある重箱のようなものについて質問した。
私:「ところで、その重箱はなんですか?」
古田:「『縁高』という菓子器です。大きさは五寸四方、縁の高さは一寸五分あります。他に丸いものもあり、扱いが異なります。」
細川:「丸前角向こうと言って、綴じ目の方向を変えます。縁高の綴じ目を見てください。綴じ目はこのように、向こう側になっていますね。」
古田:「綴じ目のあるお盆や曲水指、懐石道具などは、大抵このように扱います。では細川殿、縁高を利休殿に回していただけますか。」
細川:「では利休殿、私の動きをよく見ていてください。」
細川が次礼し、私が礼を返すと三段の縁高をおしいただいてから、二段目以降の縁高を一番下の縁高上でずらし、蓋の上に載っている楊枝を一番下の縁高中に入れた。
二段目から上を全部持ち上げ、細川と私の間に置き、懐紙の丸い方を手前にしてひざ前に出して、説明をはじめた。
細川:「この楊枝は黒文字というものです。懐紙は一帖を使います。和紙の値段は以前に比べ安くはなっていますが、まだまだ高級品です。粗雑にせず、両手で扱かってください。懐紙を畳のへり内に、わさを手前にして置きます。縁高中の饅頭に黒文字を刺し、懐紙の中央に置きます。黒文字は、いったん懐紙の上に載せてください。」
古田:「和紙は、信長様の楽市楽座制定以後、毎年、安くなっていますね。美濃の他、甲斐の甲州紙や伊豆の修善寺紙、前田利家殿の治める大滝郷紙屋衆の越前紙など、徐々に活気づいてきました。近々、朱印状というものを出して海外との交易も模索しているとか。」
私:「楽市楽座ですか。学生のころ試験に出たような気もします。」
古田:「安土桃山時代の歴史は学んだ方が良いかもしれませんね。茶会では度々出る話題ですので。」
細川:「政治状況も把握した方が良いでしょう。今は天正十八年二月です。未だに天下統一はなっていません。豊臣軍は小田原にて北条氏と対峙しています。大きな話題としては、先月、家康殿が息子を人質に出し、豊臣軍に恭順したことでしょうね。」
古田:「それと、利休殿は馬に乗る必要があります。まだ明確な指示は出ていませんが、利休殿も関白様と共に小田原へ出征し、後方にて関白様に茶をお出しすることになります。乗馬は、後日、体で覚えてください。」
私:「馬ですか。」
古田:「馬です。」
細川:「さて利休殿、縁高の所作をしてもらえますか?」
私は、古田に次礼し、縁高をおしいただき、上の縁高を一番下の縁高上でずらして、蓋上の黒文字を下の縁高中に入れた。上の縁高を蓋ごと持ち上げ、古田と私の間に置いた。
細川と古田が真剣に私を見ているため、非常に緊張する。懐から出した懐紙を両手で持って、わさを手前にしてひざ前に置いた。饅頭を黒文字で何度か刺そうとするが刺さらない。
古田:「左手を添え、刺してください。少々、緊張させてしまったようですね。多少の失敗は問題ありません。」
細川:「そうですね。菓子に限らず、例えば、炉中などに釜を落としても、年老いたとでも言って、堂々としていれば良いのです。利休殿は天下の茶人です。何をしても失敗にはなりません。」
私:「それは助かります。」
私は、左手で縁高をしっかり押さえ、上から黒文字で饅頭を思い切り突き刺し、懐紙を縁高に近づけてから饅頭を載せた。少々、大げさな動作になった気もするが。
古田:「細川殿、何をしても良いというのは、どうかと。」
細川:「いやはや全然違う動作をしてくださいましたな。利休殿は大したお方です。では、饅頭を食べましょう。食べ終わったら一番上の懐紙を取って折り込み、左袖に入れてください。それから待合に戻り休憩といたしましょう。」
古田は、自分の菓子を懐紙に取ると、食べずに立ち上がり、茶道口に座った。
古田:「では、お菓子をお召し上がりの上、席を改めとうございますので、中立を。」
細川:「それでは、中立させていただきますが、用意が整いましたら、お鳴りもので」
古田:「ことによりまして。」
細川:「では古田殿、詰として、まずはお菓子をお召し上がりください。利休殿もどうぞお菓子を。」
私:「はい、いただきます。」
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