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利休になった日  作者: shoundo
第2節 次客
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第2・15節 小吸・燗鍋・八寸の所作(次客)~吸物・草庵の茶について~

続いて、古田は小吸物(こずいもの)(わん)を持ち出し、茶道口まで下がった。

古田:「どうぞお吸い上げを。」

細川:「ここで総礼します。」

古田:「小吸物(こずいもの)(わん)も煮物椀同様、三人一緒に取り上げます。左の掌に載せ、右手で蓋を膳の右向こうに置きます。食べ終わったら蓋をします。」

細川:「小吸物(こずいもの)(わん)は、一口椀や箸洗、単に吸物椀とも言います。中身は炉と風炉、茶事の内容で変えるもので、無季のものを用い、季節の(うつ)ろいを感じさせるような、珍しい野草の芽や実、木の実、またはそれらの小片や薄切りにしたものなどを、ほんの少し浮かせます。利休殿は、吸物を出されることをあまり好まないようです。この河豚(ふぐ)の吸物は、解酲湯(かいていとう)、ようは酒の酔い覚ましとして出されたものですが、室町時代から続く宮中の日記『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』にあるように、酒と一緒に出す汁という意味もあります。今回は練習も兼ねています。普段は省略される小吸物椀の所作も、しっかり覚えてくださいね。」

古田:「では、私は(かん)(なべ)八寸(はっすん)を持ってきます。」


古田は水屋から、燗鍋を右手に、八寸を左手に持ち、正客前に座って酒をすすめた。

古田:「ささ一献。」


細川が酒を飲み、古田が燗鍋を八寸の右横に戻した。

古田:「ここで、蓋を拝借しますと言って、亭主は客の小吸物椀の蓋に、海のものをつけます。利休殿も同様に、私がすすめた酒をお飲みください。」


詰の小吸物椀の蓋に、海のものをつけ、古田が正客前に戻ると、細川と古田は、草の礼をしながら問答を始めた。

古田:「どうぞお流れを。」

細川:「別盃のお持ち出しを。」

古田:「どうぞお流れを。」


正客の細川は、盃を懐紙で清め、盃台ごと正面を正して出した。

亭主の古田は、次客である私の横に燗鍋を置き、八寸の正面を正して、正客の上座横に置いた。

古田:「八寸、小吸物椀、盃台、燗鍋。これらの方向と位置は覚えてください。この後、千鳥の盃という一連の動作をしますが、亭主と客二人という形で行います。」

細川:「八寸は、利休殿が京都洛南の八幡宮の神器(じんぎ)から作られたものですが、懐石料理で利休殿が八寸を出したことはありません。ただ、他の茶会で出された場合、所作(しょさ)が問題になるので、今回は古田殿にお願いして作っていただきました。八寸には、海と山の二種を盛り付けます。海のものは動物性の生臭もの、山のものは植物性の精進ものといったところです。ただ、一定の決まりはまだなく、魚介類一種の場合もあれば、山のもの三種の場合もあります。この後の千鳥の盃も八寸との所作ですので、八寸が出ない場合は、正客の盃を亭主が借りて、ただ酒を酌み交わすだけとなります。」

古田:「利休殿は常々、小座敷で茶会を催す場合、汁ものは一つ、二つ、せいぜい三つで、酒も軽めにするよう言われています。ただ、他の諸将が催す茶会では、今回のように酒を飲む機会がとても多いのが実情です。これらは利休殿が築いてきた草庵の茶の精神から、外れるものであるということは覚えていてください。」

私:「練習のために酒をたくさん飲んだというのはわかりました。ただ草庵の茶の精神というものがわからないのですが。」


古田と細川は顔を見合わせ、困った顔をした。

細川:「当然と言えば、当然でした。草庵の茶というのは、侘びという言葉で表現できます。こんな話をしましょう。ある時、利休殿の師・武野紹鷗(たけのじょうおう)殿が、

  見わたせば 花も紅葉も なかりけり

浦のとまやの 秋の夕暮

と詠うと、 利休殿は、

  花をのみ 待つらん人に 山里の

ゆきまの草の 春を見せばや

(うた)われました。草庵(そうあん)の茶というのは、正直に(つつし)み深くおごらぬ心の事です。武野紹鷗殿の草庵の茶は、花も紅葉もなかりけり、つまり枯れてゆく世界を思い、茶の湯の世界としたのに対し、利休殿の草庵の茶は、ゆきまの草の春を見せばや、つまり新たな芽吹きを予感させる茶の湯の世界を築くとしたわけです。」

古田:「季節に置き換えると、紹鷗殿は秋から冬へ、利休殿は冬から春へ変遷する様を草庵の茶に例えたということになります。」

細川:「紹鷗殿の師匠にあたる人物に村田(むらた)珠光(じゅこう)がいます。間接的な師匠で、村田珠光の孫弟子が武野紹鷗殿です。草庵の茶の精神は、珠光で始まり利休殿で大成します。この間およそ100年。珠光は、それまでの(きら)びやかな茶を、侘びたものへと変えて行きます。これは、夏から秋への変遷となります。

珠光が夏から秋へ、紹鷗殿が秋から冬へ、そして利休殿は冬から春へ。 季節は巡り、春に新たな花を咲かせる。その花は、

君がため 春の野に出でて 若菜摘む

 我が衣手に 雪は降りつつ

といったところでしょうか。」

古田:「茶の湯には、茶道は禅と同一であるべきとする(ちゃ)(ぜん)一味(いちみ)という言葉があります。

この茶禅一味は、村田珠光が開いた境地です。茶禅一味の精神と、能や連歌などの精神的な深みを追求すると()びに繋がります。武野紹鷗殿は、この侘びという言葉を最初に使われましたが、志半ばで亡くなられました。その意思を継いで、利休殿がここまで侘びとして大成させたのです。」

私:「侘び茶というのは、単に質素で無駄を排したものという意味だと思っていたのですが、何か違うような気がします。」

細川:「利休殿は、良い観点をお持ちです。それと、侘び茶という言葉は、将来現れる江戸時代で初めて使われる言葉です。単に侘びというか、草庵の茶と言ってくださいね。では利休殿、草庵の茶について今はどのような感想をお持ちですか?」


私は少し考えに(ふけ)った。

私:「茶巾があれば茶は飲めるとして、なんでも良いから茶道具がほしいと言った人に、茶巾を買って送ったという逸話を聞いたとき、不思議に思っていたことがありました。なぜ茶道は、難しい手順で茶を点てるのか。質素であるなら、点前こそ不要ではないだろうかと。」

細川:「利休殿は、台子点前(だいすでまえ)というものを御存じでしょうか。利休殿が改定された台子点前を関白様は特別なものとして扱われ、台子七人衆として、私の他、豊臣(とよとみ)(ひで)(つぐ)殿、蒲生(がもう)(うじ)(さと)殿、木村重茲(きむらしげこれ)殿、高山(たかやま)右近(うこん)殿、瀬田(せた)正忠(まさただ)殿、芝山宗綱(しばやまむねつな)殿に内々に伝授されています。村田珠光が最初に台子の寸法や茶式を定め、書院式の茶礼の代名詞となります。これが華美で大仰な点前だと利休殿は、格式の高い台子点前を嫌い、ご自分流に直しました。私が習った台子点前も利休殿の台子点前です。」

古田:「利休殿は高弟の辻玄哉(つじげんさい)殿から台子点前を習ったのでしたね。」

細川:「そうです。さて利休殿、点前は難しいと考えたのは、まさに利休殿の考え方そのものです。いかに簡素で且つ、一期に一度会うだけの人にも楽しんでもらえる茶会を催せるか。その折衷案(せっちゅうあん)が、利休殿が大成された点前です。」

私:「一期一会の精神ですね。なるほど、一生に一度の客人を出迎えるための点前。納得です。」

細川:「納得していただけたのは幸いです。ただ、一期一会と言う言葉は、江戸時代末期の言葉です。利休殿は一期という仏教用語を用いたことはありますが、一期一会という言葉にしたのは井伊(いい)(なお)(すけ)です。利休殿、簡素であろうとすることは大切です。ただ同時に客人をもてなすことを忘れずにいてください。」

私:「草庵の茶という言葉は難しいですね。」

古田:「利休殿が生涯をかけ大成されたもの、簡単に理解はできないと思います。様々な所作を覚えていくうちに、次第に理解していってください。では、そろそろ千鳥(ちどり)の盃をしましょう。」

細川:「千鳥の盃には、今回のように、亭主と客二人の他、亭主と客三人という形式もあります。少々複雑ですが、頑張ってください利休殿。」

私:「よろしくお願いいたします。」


この作品は「YouTube(

https://www.youtube.com/watch?v=9aMgdSV5SFE&list=PLH33wsaeFCZWhaiIBx24yNxr-fPINhaRS&index=20

)」にも掲載しています。

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