第2・13節 燗鍋と強肴の所作(次客)~唐津と伊万里焼と織部焼について~
煮物椀を食べ終わると、古田は二度目の燗鍋を持ってきた。
古田が詰の席に座ると、すぐに細川が言った。
細川:「利休殿、古田殿に酌をしてあげてください。この場面では、互いに酌をしあうのが流儀です。」
古田:「では、お言葉に甘えて。」
細川と互いに酌をしあっていると、いつの間にか、古田は和え物の皿を運んできていた。
古田:「どうぞお取り回しを。」
細川:「お先に。」
古田:「細川殿がやったように、和え物を向付に載せ、強肴の器を詰に手送ってください。」
私:「強肴?」
細川:「酒の肴に出す料理です。進め肴や預鉢とも言って、和え物以外だと、炊き合わせや酢の物、ひたしものなどを出します。今回のこれは、鯉のかき和えですね。合わせ酢に入れた鯉を、もろ白酒に煎酒と塩を加えたかけ汁で和えたものです。唐津のある肥前の郷土料理・かけ和えとは違い、味噌を使わないことが特徴です。」
私:「唐津と言うと唐津焼が有名ですね。」
細川:「残念ながら、唐津焼はまだ無名です。現在、いくつかの窯が点在していて、利休殿の持つ奥高麗茶碗・子のこ餅は、唐津で焼かれた銘品です。ただ、唐津焼として発展するのは、今から二年後、関白様が朝鮮半島に出兵し、陶工を日本に連れ帰った後、しばらくしてからになります。肥前には、他に伊万里と有田がありますが、どちらもまだ無名です。伊万里焼は、唐津焼と同じ時期に発展し、陶器の唐津、磁器の伊万里と称されるほどになります。有田焼は、明治以降に付けられた名で、初期伊万里と言われる瀬戸物として扱われます。どちらにせよ、現在はまだ存在しない焼物です。」
古田:「私の名を冠した織部焼もまだ存在していません。今から数年後、交趾焼を元に唐津の窯を参考にして美濃で窯を作ります。」
細川:「信長様が選ばれた瀬戸六作の一人・加藤景光。数年前に亡くなりましたが、その息子・加藤景延が美濃で陶業を続けています。唐津焼を参考に、連房式登窯という特殊な窯を開発し、元屋敷窯を開きます。これらは今から10年以上も先の話になりますが、この元屋敷窯で焼かれる瀬戸物が織部焼です。」
古田:「さて、瀬戸物の話は後日に回して、飯器を持ってきますので、どうぞお先に食べていてください。」
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