11話「『青竜』と『リヴァイアサン』と獣の心」
その日。
深海にいくための準備を終えた誠吾の様子を見に、仲間たちが訪れた。
海岸まで見送る必要はないと誠吾自身が断ったためだ。
「重ねて言いますけれど、無理はしないでください」
「大丈夫だよ」
麗佳の言葉に対し、誠吾はそう答える。
とはいえ、彼の表情は見る者が見れば、無理をしているとわかるだろう。
今回は完全に単独での行動となる上に助けられる者が此処にはいない。
せめて二人で行動できるのなら不安も解消されるのだが、場所が場所だけに本当に誰にも行くことができないからだ。
海の中とは一見すると生き物の楽園のようにも見える。
だが、地上で生きている者たちにとっては、仮に一緒に行ける者がいたとしてもまともにコミュニケーションをとることもできない場所だ。
一人でなかったとしても、一人を感じてしまう場所だ。
絶対の孤独。
そんな場所に一人で行く誠吾の気持ちが理解できるはずがない。
そんな彼の心を癒せる言葉など持つ者はいない。
だから。
「言ったことの責任は取ってくれよ。井波の旦那」
「えっ?」
「俺が『赤の竜』になったときは斬り捨てるんだろ。果たす前に諦めたりすんなよ」
「……そうだね。それは僕の誓いだ。僕が守らなければならない」
諒兵は敢えて慰めないような言葉を伝えた。
誠吾が自分で誓った使命を決して忘れるなと。
そんな不器用な言葉が諒兵の優しさだと誠吾は理解しているから、少しだけ微笑む。
そこに、少し慌てた様子で駆け込んできた女性の姿があった。
「小夜ちん?」と、その場にいた凛那が少し驚いた様子で小夜に声をかける。
もっとも、驚いているのは他の者たちも一緒だった。
「あっ、あのっ、これっ!」
言葉を見つけられない様子だが、必死に誠吾に何かを差し出してくる。
それはどうやら手作りのお守りのようだった。
「あ、ありがとうございます」と、受け取った誠吾は意外に重いことに気づく。
断った上で中身を取り出すと、『ちゃんと戻ってきてください』と彫り込まれた金属のプレートがあった。
「これは……?」
「あの、趣味で彫刻っぽいことやってて、金属は初めてなんで上手く彫れなかったんですけど、お守りになればいいと思って……」
「ホントだよ。小夜ちん、ソープカービングがもともとの趣味だし」
と、一応は後輩の凛那がフォローしてくる。
ソープカービングとは石鹸を掘り込んで模様を作る彫刻の一種だ。
意外と人気のある趣味でもある。
小さな石鹸をこつこつと彫り進めるのは小夜の性格にあっていたのか、意外に凄い作品があることを凛那が説明してくれた。
それを生かしたお守りということなのだろう。
お守り程度の大きさなのに重みを感じるのは、小夜が彫り込みながら込めてくれた想いのせいなのかもしれない。
そんなことを考えると、自然と笑みがこぼれる。
「ありがとうございます。大切に持って行きます」
「はっ、はいっ!」
少々頬を赤らめながら返事をする小夜を見て、誠吾は彼女に代表されるような普通の人たちを守ることが、捨て鉢だった自分を変えた誓いだったことを想いだしていた。
日本海溝は地理上は東北地方の太平洋側の海岸線の先にある。
もし仮に、其処に海水が無かったなら、八千メートル級の断崖絶壁がそこにはあるということだ。
日本海とて最深部は三千メートルを超える。
富士山が沈んでしまう深さである。
そんな大地を乗り越えるのは容易なことではない。
実のところ、海が存在することで辛うじて世界とつながっているのが日本という国なのかもしれない。
海が無かったなら誰も訪れることが無かったのかもしれない。。
メーちゃんが何故日本海溝に身を隠したのかはわからないが、ひょっとすると前述したことこそが理由ではないか。
そんなことを考えながら、誠吾は成竜体となって太平洋を日本海溝に向かって進んでいた。
もともとが海の守護を司る竜なので、わざわざ水の中を泳ぐ必要は無い。
竜の血が持つ機能として『青竜』の力を再現しているため、海流に乗って目的地へと進むことは難しいことではなかった。
正直に言えば、最初は心配していた呼吸に関しても、水の中に潜った段階で魚と同じ呼吸が出来るようになった。
海水に身体が馴染んでいっているのがわかる。
『気をつけないと本当に戻れなくなりそうだ』
自分はあくまでも龍機兵、龍機兵団の兵士であり心は人だ。
龍神に成るつもりは微塵も無い。
だが、身体のほうが海の中に馴染んでしまったら戻れなくなってしまう。
誠吾は自身が何者かであることだけは忘れないようにしようと思いつつ、海の中を進んでいく。
深く暗い海の底を目指して。
『けど、思っていた以上に襲われないな』
海の中をたった一人で進んでいるのだから、当然、様々な生き物に出会う。
中には肉食の鮫もいた。
一メートルくらいまで接近してしまい、正直に言えば驚いたが向こうのほうが離れていく。
相手は生物だ。
そうなると、人間以上に力関係の強弱を理解しているのは当然である。
龍機兵である誠吾を襲うのは自身の死につながることを鮫は理解していたのだろう。
(もしものときは食べないといけないけど、許してほしいなあ)
空腹になったら食べなければならないとはいえ、何となく罪悪感を抱いてしまっていた。
そして。
『此処が日本海溝か……』
漆黒というか、暗黒の世界への入り口のようにも見える海中の断崖絶壁の上に誠吾は辿り着く。
目的地はこの先だ。
今から、この奥へと進んでいかなければならない。
だが、やはり少しばかり気後れしてしまっていた。
この先に何が待ち受けているのかわからないからだ。
少しでも知識を貯めようと日本海溝についても調べたが、たいした情報は無かった。
考えてみれば、地球という星において人が足を踏み入れることがほぼ不可能な場所が海溝の底になる。
機械の力で到達しているとはいえ、其処で活動することはまだまだ不可能と言っていいだろう。
このような未知の場所が地球上には多数存在している。
人はこの星の表面を間借りしているだけの生物に過ぎない。
『行こう』
誰もいなくとも、気持ちだけでも一人ではなく仲間と共に。
そう考えた誠吾は胸の鱗の隙間に挟んだ小夜のお守りに手を触れてから、人には理解不可能な深淵へと足を踏み入れた。
水は光を通さない。
透明な水であっても僅かながら屈折率があり、光を素通りさせるわけではないということは知られている。
そして、海水はただの水ではなく塩水であり、水溶液にカテゴライズされる液体だ。
その透過率は更に下がる。
それは深くなるほど顕著となり、光を通さなくなっていく。
つまり。
『本当に、暗黒の世界だ……』
深海とは星の光がある夜の闇とは違った意味で暗黒の世界だった。
しかし、其処には別の、命の光があった。
『確か、深度二千メートルまで潜ってきたはずだけど……』
今は水の振動で辛うじてわかる程度だが、近くに巨大な生物がいることが理解できた。
もう少しはっきり見えればと考える誠吾の身体は、更に深海に適応して変化する。
『クジラっ?!』
誠吾の視界に入ってきたのは、マッコウクジラだった。
鯨という生物のイメージとしては最も一般的なスタイルの鯨だ。
マッコウクジラは深度三千メートルまで潜ることができ、約九十分間、つまり一時間半は潜水することが出来るという。
海上まで姿を表すことができることを考えると、深海生物とも異なり、ある種特別な生物であるということが出来るだろう。
『ははっ、竜の力がなくても此処まで来れるなんて凄いな』
こんなところで既知の生物に、それも竜ではなく普通の生き物に出会えたことが何だか嬉しい誠吾だった。
結果として心に余裕ができたのか、誠吾は自分の身体の変化を冷静に分析することができた。
『そうか、僕自身が発光してるのか』
深海の状況を視認するために、誠吾の体が微弱ながら光を発しているのだ。
更に誠吾の竜の眼も僅かな光を捉えられるように変化していた。
この地での戦いに備えての変化だということが出来る。
恐れるべき敵がこの先にいるのだから、これ自体は歓迎したい変化だ。
そんなことを考えていると、近くにいた鯨が身体を反転させて浮き上がっていくのが目に入った。
この先に行く理由が彼の者にはないのだろう。
『また会おう。今度は海の上で』
自然と、そんな言葉が口を衝いて出る。
袖擦り合っただけの逢瀬でも、何故か誠吾はマッコウクジラのことを友人のように思えた。
生物の関係とは、本来は生存競争が基本となる。
つまり殺し合いの関係だ。
それでも同じ星の上で生きる者同士であり、殺伐としているように見える関係の上にこそ、納得できる信頼関係が生まれるのかもしれない。
龍機兵である前に人。
人である前に生物。
その生物同士の関係を否定する気は誠吾にはない。
『知っておきたいな。『騙る者』の目的を』
メーちゃんが言っていたとおりなら、自然を征服することだという。
人が幸せに生きられる世界を創るために。
でも、この地で生きているのは人だけではない。
そんな彼らのことをどう考えているのか、と。
そんなことを考えながら、マッコウクジラとは逆方向に、すなわち深海の其処に向かって誠吾は再び進んでいった。
一方その頃。
東堂邸の武道場で義隆が片腕立て伏せをしていた。
「…98…99……100」
と、その回数を数え終えたところで、道場にごろんと寝転がってしまう。
そんな彼を見下ろしながら、ウィルフレッドが声をかけてきた。
「HeyGuyっ、落ち着かないみたいだな」
「まあな」と、苦笑いを見せながら、義隆はそう答える。
実際、龍機兵の仲間たちで、今落ち着いているものは一人もいないだろう。
龍機兵団として苦楽を共にしてきた義隆にとって、誠吾は弟のような存在になっていた。
そんな誠吾が一人きりで未知の戦場に向かっている状況で気持ちが落ち着けるはずがない。
「お前さんたちには悪い気もするが」
「Don't worry、俺はルイスを助けることを諦めたわけじゃないぜ?」
まだ方法を探しきれていない。
とことんやってダメなら諦めるしかないが、とことんやってないならまだどこかに方法が隠されているかもしれないとウィルフレッドは思っている。
ならば、諦めるのはまだ早い。
彼はそう考えていた。
「いい心がけだ」
そんなウィルフレッドの考えには共感できると思った義隆はそう答える。
『騙る者』のすべてが悪なのかと考えたとき、そう言い切れない面があることはメーちゃんが説明していた。
あくまでも人の良き未来のために行動しているというのであれば、納得できないわけでもないはずだ。
ただ、その極端なやりかたを抑える必要がある。
それを知るためには、『騙る者』自身を理解する必要がある。
だが、諒兵たち少年には難しい問題だろう。
で、あれば、『騙る者』について理解するために考えなければならないのは大人の役目だ。
幸い、此処には大人もいる。
子どもたちにはできないこともできる。
義隆だけでなく、大人の龍機兵たちは皆そう考えていた。
「確かに、某めもウィングフィールド卿を救えるというのであれば、努力せずに諦めることはできませぬな」
と、そう言ってきたのはバーナードだった。
落ち着かないのは本当に皆同じらしいと義隆は苦笑する。
対して、ウィルフレッドはバーナードの言葉に興味を持ったのか、彼に問いかけた。
「ミスター、昔の仲間はどんな感じだったんだい?」
「非常に生真面目な青年でしたな。己の力は領民、国民のために使うべきものと『ジズ』になる前からよく口にしておりましたぞ」
「Uh、huh、ルイスもそうだったなあ。疲れちまうと思ってたよ」
「それは言えますな。息の抜き方を知らないと感じておりました」
「それだと『騙る者』に支配されない俺たちは不真面目ってことになりそうだな」
そんな義隆の感想に、ウィルフレッドもバーナードも苦笑いを見せる。
だが、実のところ其処にこそ答えがあるとも感じていた。
彼らは『自分』が薄かったのではないか、と。
「薄い、とは?」とバーナードが義隆に問い返す。
「俺たちの強さは我の強さにあるんじゃないかと思う。実際、魔王種の子どもたちも似た面があるだろう?」
「Surely、確かにけっこうワガママだな」
ワガママというか頑固と言い換えてもいい。
自分が必ず中心にいて、其処からものを考えていくということだ。
実はそれは当たり前のことで、人に気を遣う人間でも本質的には自分本位の考え方の派生だ。
だが。
「連中、『神の供物』になった彼らは、そのワガママさをあまり感じないんだよ。其処に付け込んだ気がしてならん」
果たして「付け込む」という表現が正しいかどうかはともかくとして、『神の供物』は自我の薄い者を選んで向こうから取り憑いてきたのではないかと義隆が説明すると、ウィルフレッドとバーナードは納得したように肯く。
「もしかしたら、彼らがワガママになれば、案外あっさりと解放されるかもしれんな」
「Sure、そう願いたいね……」
ウィルフレッドが少し寂しげな表情で視線を外に向ける。
その先にあるのは、程なく戦場になるだろう日本海溝があった。
日本海溝、深度五千メートル付近。
此処まで来ると完全な暗黒の世界と言っても差し支えない。
誠吾自身の身体が発光していなければ、何も見ることはできないだろう。
ただ、発光するのは誠吾の身体だけではなかった。
『食欲減退するなあ』
と、思わず不満を漏らしてしまった誠吾だが、無理からぬことだろう。
如何せん、深海を生きる生物はその見た目があまりにもグロテスクすぎる。
生物である以上、捕食することで血を作ることは可能なので緊急の場合は食べなければならないが、好んで食べたいと思うような姿をしていなかった。
戦闘が苛烈にならないことを祈るばかりである。
『愚痴ってもしょうがないか』
そう独りごちながら周囲を見回すと、自分と同じくらいの大きさで同じように発光している存在が目に入った。
察した誠吾は気合いを入れ直して、その発光体へと向かっていく。
すると。
『来るのは貴方だと思っていましたよ、セイゴ・イナミ』
『お互い損な役目を背負ってしまったね、ルイス・レクターさん』
フレンドリーとはとても言えない剣呑な雰囲気で声をかけてくるその発光体、『リヴァイアサン』ことルイスに対し、誠吾は努めて気さくに答える。
この場所で会話が出来る唯一の存在であるだけに、正直に言えば敵対したくはないのだ。
だが、声の主はそうではないらしい。
『主の望みを妨害するために来たのですね?』
『起こすべきではない力というものも、世の中にはあると思うんだ』
『正しく使える者は力を手にする義務があると私は思いますがね』
果たして『騙る者』が力を正しく使えるのだろうかと誠吾は思う。
使えないと断じることはできないが、判断するために使わせるにはその力はあまりに大きすぎるのだ。
全ての竜を支配できる力など。
そんな力を手にして、果たして正しく使い続けることができるだろうか?
その力に心が呑み込まれはしないだろうか。
全ての龍機兵が考えなければならない命題に対し、「一度やらせてみよう」などと軽々しくは言えないのだ。
『主が間違えることが有り得ると?』
『この世を作り出したという創造主ですら、作り出したのは間違いだったと人を滅ぼしたという話もあるよ』
聖書に語られるノアの方舟の物語は、地上に増え、堕落した人々を滅ぼしたという伝承だ。
全てではなかったにせよ、己が写し身として生み出した存在は間違いだったと自ら認めた行為だと言うこともできる。
『人々の堕落は人々自身の業です』
『そうだね。僕もそう思う。でも、だからこそ人々自身が苦しみながらでも正しい道を自力で探すべきだ』
『そんなことが出来るとは思えません』
『創造主は間違えたことを認めて、自分に出来る方法でケリをつけた。そのやりかたに学んで、人も頑張ればいいんじゃないかな』
『不可能でしょう。人は楽な方に流れてしまう。だからこそ、主の意に沿うことは人々にとって最も容易く、そして確実に出来ることなのですよ』
己の意志を捨て『騙る者』の言葉に従う。
それは確かに楽な道だろう。
だが、心を捨てた人が本当に生きていると言えるのかと誠吾は思う。
まさに生ける屍ではないかと思うのだ。
『貴方はやはり考え違いをしている』
『えっ?』
『我々は人の心を捨ててなどいません。本能、言い換えれば獣の心から解き放たれたのです』
『獣の心?』
『人の心とはすなわち理性。互いを認め、許しあい、助け合うという生きるための良き心。獣の心とは野生、もしくは感情です。己が生きるために他者を屠り、喰らうという死を齎す悪しき心です』
誠吾は正直驚いていた。
かつて出会ったルイスには中身がないという印象を受けたが、本人に言わせれば人の心はあるという。
そして、野生や感情から解放されたという。
煩悩から解き放たれた状態である解脱が一番近い表現になるかもしれない。
だが、だからこそ中身がないと感じたのだと誠吾は理解できた。
人の心は喜怒哀楽の感情から生まれてくるものだと思うからだ。
その感情を、時には抑えるために理性が必要だというのはわかる。
しかし理性だけで本当に人が生きていけるとは到底思えなかった。
何より。
『君の言い方だと、この星に生きる人間以外の生物はみんな悪しき心の持ち主になるよ?』
『残念ながらその通りです。ゆえ、主は人の糧として彼らの存在を認めているに過ぎません。彼らは主より与えられた食糧ということです』
その返事が、『ジズ』の、そして『騙る者』の考えだと理解できた誠吾は、思わず納得してしまった。
そんな、あまりにも都合がいい存在など、この星には存在しないと思うからだ。
生物たちにも意志があり、この星に生きる権利があると思う。
そして、その権利を奪ってでも生きたいと思うから、人も獣も他者の命を喰らうのだ。
その罪を背負って、より良い生を全うするために。
だからこそ、この星の人間以外の生命を食糧だと言い切るその傲慢さが、この星に生きる上で対等なはずの生命を見下す態度だけは、どうあっても受け入れられない。
少なくとも誠吾は今の『騙る者』たちとは決して相容れられるとは到底思えない。
その考えを変えない限りは敵対する以外に道がない。
『よくわかったよ。まずはその考えを改めてもらう』
『傲慢ですね。主の下僕たる私に対し、意志を曲げろなどとのたまうとは』
『そうだね。でも、押し通す』
そんな短い会話の後、深く暗い海の中で二匹の竜が開戦の雄叫びを上げたのだった。




