8話「堕落と貪欲と緋の少女」
ロシア連邦内、ドラコン・アールミヤの基地。
『竜の棲む山脈』にて。
ヘラヘラと笑いながらソファに寝転がり、少女はのんびりとマンガを読んでいた。
彼女もまた魔王種。
ヒュドラ型・魔王種『惑乱の根』マーラ。
釈迦、すなわちシッダールタを悟りの境地から引き摺り下ろそうとした魔の化身と呼ばれる悪しき蛇。
『堕落の化身』と呼ばれるに相応しい魔そのものたる竜。
その力を得た少女の名は『藤波琉璃架』
だが、実態はただの怠け者の女オタだったりする。
そんな姿を見て嘆きつつも、ローベルトは話を続けた。
「たぶんだが、アーサーのとこに『傲慢の化身』が出たんだろうよ。それでカマかけてきやがった」
「ルシファー……」
「ああ。ジジイもそろそろ表に出すだろ。『赤の竜』の小僧はとんでもねえ勢いで成長してるからな」
「へー……サタンじゃったっけのう?」
「ああ。竜であって竜じゃねえバケモノ。いいガキだが、保険はかける必要があるんだよ」
「ふーん……、あっ、おっさん、そっちのマンガとって」
「何でそうなるッ!」
ローベルトが思わず投げつけてしまったマンガ本を少女は唐突に身体から生やした無数の蛇で受け取ってみせる。
それこそが『堕落の化身』、マーラの身体の一部である。
「変なところで器用な真似しやがって……」
「人間、楽をしようとするから頑張るのじゃ♪」
「頑張りどころが違うだろッ!」
そう怒鳴りつつ、ローベルトはすぐにため息をつく。
いずれにしても、少女の事をこれ以上は隠しておくことはできないのだ。
というか、一人で抱えるには問題がありすぎる少女だった。
「ルリカ、とにかく次の通信でお前のことを話す。それだけは覚えとけ」
「脳の容量が足らぬかもしれんぞい。新作のゲームも出たし♪」
「まともに使うとこくらい残しとけッ!」
そう言い捨てて部屋を出て行くローベルトの背中を眺める琉璃架。
一人になった彼女はポツリと呟く。
「あたい、戸籍上は死亡扱いされてるのに、表に出て暴れていいのきゃ?」
答えるものは既にいない。
琉璃架はたまたま家族とロシア旅行に来たときに竜の大襲撃に遭い、ロシアに足止めされることになった。
幸い、そういった旅行者たちは基本的に国に保護されたので、生活には困らなかったが。
その後、ロシア語を覚えながら、モスクワの居住区で生活していたが、今から一ヶ月とちょっと前、龍機兵たちの戦いに巻き込まれて『竜の血』を呑んでしまったのである。
龍機兵になるときには、無数の鉄が突き刺さるとは既に何度も語っている。
その姿を見た両親は琉璃架は死んだと思った。
そして、女の龍機兵が数少ないこともあり、ローベルトは琉璃架を死亡扱いとして匿った。
龍機兵になってしまった以上、一般人の両親とは一緒にいられないからだ。
しかも、琉璃架が手に入れてしまったのは魔王種の力。
普通の龍機兵でも持て余すだろうに、世界を揺るがす力を持ってしまった琉璃架を両親が守ることは不可能だ。
ゆえに、死亡扱いとなって今に至るのである。
「あたいはマンガとゲームとお菓子があればええんじゃがのう」
そう呟きながら、ソファに寝転がって天井を見つめる琉璃架。
しかし。
「他の子はどうしてるのか、知りたいにゃあ」
自分以外にもいるらしい女の龍機兵に会ってみたいと思う気持ちを琉璃架は少なからず抱いていた。
琉璃架のいる部屋を後にしたローベルトは、今後のことを考えるため執務室へと向かった。
そんな彼に近づいてくる影。
「プロフェッサー」
「おいおい、そう呼ぶなっていってんだろ。名前でいい」
「自分が好まない」
「はあ……、で、何だパーヴェル?」
ローベルトに声をかけたのは、まだ二十台の青年だった。
その名をパーヴェル、パーヴェル・『ベヘモト』・サドムスキー。
ベヘモトとは聖書に出てくる巨大な大地の怪物たる竜で、ベヒモスとも、バハムートとも呼ばれる。
その力を得た青年パーヴェルは、手に入れた竜の力に反するような細身の優男だった。
ローベルトと並ぶと、対格差に驚いてしまうほどである。
そんな彼は、マジメそうな口調でローベルトに問いかける。
「件の魔王種を他の者たちに知らせるという声が聞こえた」
「ああ。ルリカは相変わらずだが、もう隠しておけねえ。ジジイも『貪欲の化身』のことを打ち明けるつもりらしい」
「確認したのか?」
「まあな。時期的にもそろそろいいだろうし。ルリカのことを相談したとき、まずはバンのとこの『赤の竜』を見定めることで内密にしてたが」
琉璃架のことを相談したとき、ローベルトは九垓から自分の元に既に魔王種が一匹出ているという話を聞いた。
時期的には諒兵が龍機兵となった一ヵ月後くらいらしい。
隠すというよりは匿っていたらしいのだが、ローベルトから新たに魔王種『惑乱の根』マーラである琉璃架が現れたという話を聞いて、自分のところにいる魔王種についても打ち明ける気になったのだという。
そして、もっとも危険な『赤の竜』である諒兵を見定めるために、ローベルトと九垓はしばらく内密にするということにしたのだ。
「だが、まだ聞いてねえが、たぶんアーサーんとこにも魔王種が出た。お嬢さんのことを知るまでは、全部出揃うとしてもまだ先だと思ってたが……」
「既に揃っていたということか?」
「そうだな。そういうことになる。いや、お嬢さんはともかくとして『赤の竜』が出現したことで、全ての魔王種が呼び出されたような気がするぜ」
実際、そう考えるほうが、今の状況を説明しやすいと思う。
麗佳は一番最初に龍機兵になってしまったので、基本的には除外すべきだが、諒兵が『赤の竜』になってからわずか数ヶ月で三匹の魔王種が出揃ってしまった。
『赤の竜』に呼び出されたと思っても不思議ではないだろう。
特に、伝承竜は『赤の竜』を危険視しているのか、諒兵はよく襲われている。
その中でも最強の魔王種が、『赤の竜』の復活に呼応して現れたと考えてもおかしくはない。
そんな話をするとパーヴェルの瞳が剣呑な色を帯びる。
「やはり『赤の竜』は危険なのだな?」
「悪ガキっぽいだけだ。これまでの行動を見る限り、根はいいヤツだと思うがな」
「そんなことは関係ない。『赤の竜』の力を持つだけで危険だ」
「頭が固えなあ……」
マジメで、国民を守るために苛烈なほどに戦ってくれる頼りがいのある龍機兵ではあるのだが、真面目すぎて頭が固いというのがローベルトのパーヴェルに対する印象だった。
そんな性格をしているせいか、パーヴェルは琉璃架に対しても嫌悪感を示すときがある。
「その正義感は、国民を襲う竜にだけ向けてくれ」
「当然だ。その可能性がある者はすべて自分の敵だ。失礼する」
そう答えて離れていったパーヴェルの背中を見て、ローベルトはため息をつく。
「俺たちが争ってる場合じゃねえと思うんだがな……」
言い知れぬ不安を感じているローベルトとしては、『赤の竜』である諒兵を正しい意味で助けられるよう、魔王種を導いていくべきだと考えていた。
中国、海南省。
南シナ海、中国とベトナムに近い場所に位置する海南島は、その島自体が、中国の省の一つであった。
以前は中国のリゾート地とも呼ばれていた場所で、気候は温暖なのだが、今の時代だと竜の襲撃を受け易い。
そのため、中国では海南省を丸ごと中国の龍機兵の軍隊『法行竜人隊』の基地とした。
規模で言えば、アメリカのドラゴンズ・ネストやロシアのグァリ・エィビティ・ドラコンを越える規模となっている。
海南島だけで龍機兵の生活が賄えるように整えられているのだ。
その分、中国との行き来はほとんどなされておらず、ある意味では独立国家に近いのだが、そこは九垓の人柄か、南シナ海を中心にインド洋までを防衛している。
その基地の名は『広利城塞』という。
中国の伝承において、南の海を守る龍神『広利王』の名をいただいた基地である。
その中の、とある場所で。
放牧されている牛たちを追い立てている少年の姿があった。
焦げ茶色の髪に黒い瞳の目元も涼しげな少年である。
「だいぶ緑も回復してきましたねえ……」
そう呟く様子を見ると、とても穏やかそうな少年らしい。
そんな彼に、少々しわがれた声がかけられた。
「円明よ」
「あ、老師。お疲れ様です」
「気にするでない。しかし、だいぶ育ったのう」
そう言って、老師と呼ばれた老人、九垓は餌を食む牛たちを眺める。
確かに、この場だけ見れば、竜の大襲撃があったなどとは思えないほど、平和でのどかな放牧風景である。
円明と呼ばれた少年は、嬉しそうに笑いながら九垓の言葉に肯いた。
「はい、とても美味しそうに育ってくれました」
「ぶっちゃけすぎじゃ」
確かに食用に育てているのだから、感想としては間違いではないのだろうが、あまりにストレートすぎる言葉に九垓は呆れた顔を見せた。
「ですが、食べるために育てたんですし」
「そうじゃがの……」
わりと欲望丸出しな円明の言葉を否定できない九垓は己の無力に打ちのめされてしまう。
しかし、此処で挫けてはならないと九垓は言葉を続けた。
「この辺りの緑も回復してきたし、放牧するにはもう問題はないのかの?」
「竜の襲撃がありますが、彼らも食べ過ぎはしませんからね。放牧していても問題はないでしょう。牛たちもそこまで増やしてはいませんし」
「自然が豊かになりつつあるのは良いことじゃな」
「人が減ったことで不必要な開発が減りましたから。ただ、こう考えると竜の存在を否定しきれないのが辛いです」
「そうじゃのう……」
エキドナが『竜の血』を生み出したことに対する考察を丈太郎から聞いている九垓としては、今の時代が彼女の願いに近いものになりつつあることを受け入れてもいいものかどうか悩んでしまう。
人の繁栄をを否定することで、人という種を守る。
矛盾しているように見えて、理に適っているこの方法を受け入れるというのは難しい。
新たな不幸を生んでいるという負の側面もあるからだ。
人として、其処に目を瞑ることはできなかった。
だが、と一つため息をついた九垓は円明に問いかける。
「おぬし、修行のほうは進んでおるのかの?」
「もちろんです。日々の鍛錬は欠かしていません。ただ、こうやって自分がいる場所をより良くしていくことも大切ですから」
「間違ってはおらぬが……」
「いい気分転換になっています。人も、他の生き物たちも、そして世界も、私はより良くしたいですから」
「……自らのためにかの?」
「はい。私はより良くなった素晴らしい世界が欲しいです。その気持ちは変わりません。枯れた世界では手に入れても虚しいだけです」
信じられないほど綺麗な笑顔で、円明はそう言ってのけた。
堂々と世界が欲しいと語る姿に、九垓は恐ろしいものを感じ取ってしまう。
だが、だからこそ、この少年なのだろうとも思う。
ただの龍機兵ではなく、魔王種となってしまったのが。
「円明、いや、明よ。今はただ鍛えよ。竜の力に呑まれぬように」
「はい。わかっています、老師。でも、本名で呼ばれるのも久しぶりですね」
「そうじゃったかの?」と、九垓は惚けてみせる。
円明は本名であって本名ではない。
正しくは『円明』と言い、生粋の日本人だ。
語学留学で台湾に来ていたところ、竜の大銃撃に遭遇。
居合わせた九垓が保護していたのだが、広利城塞で雑用係をしていたときに竜の襲撃に遭う。
そのときに『竜の血』を呑み、龍機兵となった。
ただの龍機兵ではなく魔王種。
シェンロン型・魔王種『大逆の天』ヴォロマーティ。
中国の伝承において、不善を為し災いを齎す悪龍のことを『非法行龍』という。
漢字で『波羅摩梯龍王』と書くその悪龍は、天を揺るがすほどの凄まじい力を持つと言われている。
それは何もかもを欲する『貪欲の化身』
明はより素晴らしい世界が欲しいと強く願い、そのために努力を惜しまない向上心の強い少年だった。
それゆえに『大逆の天』を呼び寄せたのだろう。
だからこそ、この少年が竜の力に呑まれないようにするのは、自分の役目でもあると九垓は考えていた。
もっとも、それだけではすまないのだろう。
自分たち龍機兵に纏わりつき始めた不穏な何かを、一番強く感じているのは九垓だからだ。
そのとき明の力も必要になってくる。
「少し腹が空いたの。食事にするかの円明?」
「そうしましょう。たくさん食べたいです」
「おぬし、少しは遠慮せい……」
『貪欲の化身』の力を持つせいなのか、わりと欲望に素直な明に九垓は呆れてしまっていた。
世界でそんな動きがあったころ、アメリカでは。
「明日だね、麗佳」
「ええ」
「腹括ったのー?」
「……ええ」
ラスベガス居住区の東堂家屋敷内の居間にて、麗佳は凛那が
淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
ティータイムのおやつとして供されたのは、少し甘めに作られたビスケット。
ゆっくりと味わいながら、智巳と凛那の問いに答えた。
「話をしないわけにはいかないもの。今後どうするかを考えるためにも」
「実際、今後はどうするん?」
「できれば、先生とアル兄様だけでも考え方を改めてほしいわ」
龍機兵にも未来を。
少なくとも女の龍機兵に対しては、死を前提にしている様子はないが、丈太郎たち自身も幸福を追い求めてもいいはずだと麗佳は考える。
竜を解き放ったことは確かに罪だろうが、それが良い結果を出していないわけではない。
「良い結果?」
「生活水準が底上げされてるわ。死んだ人には申し訳ないけれど、生き残っている人はそれなりに助け合っているのよ」
死が間近なものになったことで、種族保存の本能が刺激されたのかもしれない。
助け合うことで、居住区内とはいえ人はそれなりの生活水準を保つようになった。
何しろ、昨日の強者が今日は竜の餌になる可能性がある世界だ。
より強いものに対して、対策を考えるのは当然のことだろう。
また、餌になり得る弱い者を見捨てるというのは、非常に非人道的ではあろうが、逆の見方をすれば弱いものにかまっていられないということでもある。
「イジメだの、ハラスメントだのは減っているのよ。それよりも今日の自分の命を守ることに必死なんだもの」
居住区内にいれば安全だということはない。
強い伝承竜にとっては、餌が集まっている場所ということができるからだ。
そんな状況で、弱者にかまっていられるだろうか。
振り向いたら竜の顎が間近に迫っている可能性があるというのに。
ならば、必死に生きるほうが先決なのだ。
「まー、くだらないことしてて喰われたらバカみたいだもんねー」
「そういった人は、もう喰われてるのよ。でも、そうでない人たちは生きることに必死になる。子どもでもね」
居住区では基本的に住民保護に力を入れているため、特に孤児の施設は充実している。
親が亡くなったことは不幸だ。
しかし、一人で生きるための力を養っていくことはできるようになっている。
其処まで行けば、後は自分の意志次第。
弱肉強食とは、己の生きようとする意志と、運だけの問題だ。
意志なき者は運があっても死ぬ。
だが、意志ある者は運がなくても生き足掻くことができる。
「いい意味で余裕がないってこと?」
「そうね。わずかな余裕があったとしても自分のために使う。他人にかまっていられないのは、ある意味ではプラスの側面と言えるわ」
そして、基本的に他人にかまっていられない状況で、なお気になる相手がいるとすれば、それは。
「子作りの相手?」
「……恋愛の相手と言いなさい」
にんまりと笑う凛那の言葉に、麗佳は少し頬を赤らめつつマジメに答えた。
凛那の冗談混じりの言葉は極端ではあるが、真実でもある。
自分の命よりも優先したい相手がいるなら、それは共に生きていく相手だということだ。
「とにかく、人は今という時代において生きていく体制を整えつつある。なら、私たち龍機兵が生きていくことも間違いではないと思うわ」
「単に大切な人たちに死んでほしくないだけでしょー?」
「でも、その気持ちが大切だと思う」
「智巳の言うとおりよ。凛那くらいシンプルにまとめてしまえばわかりやすいわね」
自分はどうしても小難しく考えてしまうから、と、麗佳は苦笑する。
結局は、ただ大切な人に死んでほしくない。
願わくば、その大切な人と未来を築き、命を残したい。
たったそれだけのことが、生きるということなのかもしれない。
『そうあってほしいと思いますわ』
(ええ。だから協力してほしいのよ、エキドナ)
『もちろんですわ』
エキドナがそう答えてくれたことに安堵の息をつく麗佳は、丈太郎たちと会う明日のために気持ちを整える。
『後でみるふぃーゆを作ってくださいまし♪』
そんなエキドナの言葉を華麗に無視して。




