9話「抱く者と風の精霊と二人の少女」
ぴくっと深層のご令嬢然とした少女のこめかみがわずかに動いた。
それを見たメイドが勢い良く身体ごと『ぶるんっ♪』と振り向き、声をかける。
「どったの麗佳?」
「なんでもないわ。それより、そこまで勢い良く振り向かなくてもいいのよ?」
いちいち畏まらなければならないほど、付き合いの浅い麗佳と凛那ではない。
声だけでも別に気にしない。
凛那は東堂財閥としては麗佳付きのメイドとして雇っているが、麗佳自身にとっては気の置けない友人なのだから。
「こうすればはっきりわかっるしょ?」
「何かしら?」
「胸は揺れるもんだってことが♪」
「わかったわ。其処に直りなさい。成敗してあげましょう」
スレンダー美人。
つまり慎ましやかな胸部を持つ麗佳は『たゆんたゆん♪』な凛那を成敗するために立ち上がる。
今この瞬間に凛那は麗佳にとって友人ではなく敵となった。
数分後。
「何してるの?」
と、居間にやってきた智巳が、取っ組み合っている麗佳と凛那を見て声をかける。
「智巳っ、巨乳同盟として麗佳の暴走を止めようっ!」
「こっちを手伝いなさいっ、というか巨乳同盟なんていつの間に組んだのよっ!」
「覚えがないけど?」
マジメに答えてしまう智巳だった。
もっとも胸的に考えると『たゆゆん♪』な智巳も麗佳にとっては敵であったりする。
それはともかく。
「麗佳、何時になったら先生に会いに行くの?早くリベンジしたいんだけど」
「U・S・ドラグナーを立て直すにはまだ時間がかかるわ。そもそも陸戦隊や海戦隊、空戦隊の隊長に勝てるようになってからと言われているのでしょう?彼らも忙しいし。古竜でも狩ってなさいな」
「アイツらじゃ、もうつまらないよ」
「まー、人間相手に戦闘の駆け引きを経験すると、狩りじゃーつまんないよね。よっぽど大物の伝承竜ならともかく」
「クラーケン戦は行きたかったな……。八岐大蛇に七面天女、グウィバーもいたし」
そう呟いて智巳はため息をつく。
麗佳付きのメイドとして雇われている凛那に対し、智巳は麗佳専属のボディーガードとして雇われている。
それは智巳が基本的にバトルジャンキーだからだ。
当然、常日頃から戦闘ができるほうがいい。
訓練でも文句は言わないのだが。
ただ、獣のような古竜や小型の伝承竜では、いわゆる戦闘の駆け引きがない。
無論、本来狩りというものは獲物の行動を予測しつつ、相手を誘導する必要があるのだから頭を使う。
それでも、人間、すなわち龍機兵との戦いで頭を使うのはレベルが違うのだ。
とはいえ。
「私たちが相手するのはもうマンネリになってしまってるものね」
「智巳と訓練するのおっくーだよ」
基本的に前線よりも策略と情報収集メインの凛那はともかく、頭脳も戦闘力も桁外れの麗佳が相手をしてもいいのだが、どうしてもマンネリになってしまう。
そういう意味ではドラゴンズ・ネストを襲ったのは智巳のためでもあった。
自分たち以外の龍機兵との戦いを経験させたかったのだ。
それはすなわち、麗佳が血を与えたのがまだこの二人しかいないということでもある。
そんな智巳がおねだりするような顔で麗佳に声をかけてくる。
「ネストに遊びに行ってもいい?」
「仕方ないわね。いいけどちゃんと帰ってきなさい。気に入ったからって向こうに住み込まれてしまったら、こちらが困るわ。あと決して殺さないこと。彼らは敵ではないのだから」
「わかった。それはしない」
そう答えつつも、麗佳の許可が出たことが嬉しかったのか、智巳はいそいそと出かける仕度を始めた。
ほとんど遊びに行く子どものようである。
基本的に常識的な智巳だが、戦闘が絡むと思考が極端になってしまうのだ。
「ちゃんとおやつ持って行きなさいね。お腹が空いたら大変よ?」
「お弁当作ってもらってるから大丈夫」
「端っから行く気だったんじゃん♪」
「凛那もついていってあげて」
「えー?」
「私と一緒に書類仕事してくれるのね?」
「行ってきまーすっ!」
麗佳がにっこりと微笑みながらそういうと、凛那は元気良く立ち上がる。
書類仕事に比べれば、戦闘補助のほうが余程楽しいようだ。
そんな二人を見送っていた麗佳だが、二人が屋敷を出て行くとため息をつく。
そして思いだす、とある人との会話。
「其処ぁおもしれぇトコでな。いつかお嬢も行けたらいいな」
「元気になったら行けますか?」
「あぁ行けるさ。良けりゃ俺が連れてってやらぁな」
「嬉しいですっ、せんせいっ!」
「だから生きることを諦めんな。俺らも頑張っからな」
「はいっ!」
そのときの約束は果たされていない。
ただ、麗佳は一人で其処に赴いたことがあった。
そこで知った己の竜の力と『竜の血』の真実。
そのことはまだ、誰にも明かしていない。
「アーサー兄様、あの場所に行かれたのですね。先生は何処までエキドナのことを理解しているのかしら……?」
そう呟いた麗佳の瞳は、どこか遠くを見つめていた。
アメリカ合衆国、ドラゴンズ・ネスト。
立て直しに奔走するアラステアと共に、丈太郎は様々な事務仕事をこなしていた。
竜と戦っていたほうが気が楽だと誰が言ったか。
机に向かって書類と格闘するほうがはるかに面倒だと丈太郎は思う。
麗佳の件も早く進めなければならないし、エキドナの件もあるのだが、如何せんそれらの情報がまだ入ってこないのだ。
「終わったぜ。次ぁどれだ?」
「助かります。次は基地の修復にかかる予算の計算をお願い致します」
龍機兵なのだから寝床があればいいだろうと嫌味を言われていて辟易しているとアラステアは苦笑する。
「人を何だと思ってやがる」と、丈太郎は呆れ顔だ。
「どこも金銭面では苦労していますよ。如何せん、私たちは大食らいですから」
こればっかりは竜の力を使う宿命なのでどうしようもない。
食べずに済めばいいというわけではないが。
「……お嬢の話ぁしたっけか」
「……私たちを助けてくださっていることは本当に感謝しています」
麗佳が牛耳る東堂財閥は、影響力が強いところでは龍機兵の軍隊を支援している。
日本はもちろんとして、アメリカでも同じだ。
いろいろと手を回して他の国でも支援しているのだから、丈太郎やアラステアが麗佳を止めるのは恩知らずの極地かもしれない。
「ですが、だからこそこれ以上は罪を重ねてほしくありません」
「今のうちに止めりゃぁ混乱も少ねぇ。早ぇとこ見っけねぇと」
「はい」
決意を新たにする丈太郎とアラステアである。
今は情報が集まってくるのを待つしかないため、基地の立て直しに集中するしかないのだが。
実際、同じ龍機兵の軍隊の総責任者である丈太郎が協力してくれることは、アラステアにとってはありがたいのだ。
その分、立て直しも早く進むのだから。
「感謝していますよ、バン」
「気にすんな。お互い様だ」
そう言いながら、丈太郎は計算機を叩き、書類に書き込んでいく。
少しでも早く立て直せば、その分、アメリカの防衛力は回復する。
竜を解き放った者としては、何もできない人々に危害が及ばないように精一杯やるしかなかった。
「そういえば……」
「んぁ?」
「貴方は結婚しないのですか、バン?」
ズリッと思わず書き損ないそうになり、焦る丈太郎だったが、何とか気持ちを立て直す。
「噂になっていますよ。詰所に妙齢の美女を妾として囲っているとか。貴方も独身なのですから、キチンとケジメをつけるべきでしょう」
立て直した直後に、マジメな顔で指摘してこられては、どうしようもない。
丈太郎は机にガンッと頭を打ち付けてしまった。
「誰だっ、んなこと言ってやがんのぁッ?!」
「老師やアーサー、ローベルトさんも言っていましたね。いつになったらくっつくのやら、と」
「冬子ぁッ、んなんじゃねぇよッ!」
あくまで食堂の女将として雇っているのであって、自分の妾にする気などないと丈太郎はかなり必死に説明する。
実際、立場上は食堂部門の責任者なので間違いではない。
当人たちの感情はともかくとして。
「手を出しているわけではないと?」
「あたんめぇだッ!」
「なるほど、よくわかりました」
そうアラステアが答えてくれたことで、丈太郎は深い安堵の息をつく。
「他の連中にも言っといてくれ。あいつら人ん家の内情覗き見した上に勝手に誤解しやがって」
「本当にその女性を大切に想っているのですね、バン」
「待てコラ」
「龍機兵である自分の苦労に巻き込みたくないほど愛しく思うからこそ、壁を作っているのでしょう?」
アラステアの鋭い指摘に、丈太郎は何も言えなくなってしまう。
自分が、もう人としては生きられない身であることを理解している以上、冬子と所帯を持つなど丈太郎には考えられない。
否、考えてはいけない。
それは丈太郎だけの考えではないのだ。
「ならば、私は無理に結婚しろとは言いません。私たちは救われるために龍機兵になったわけではないのですから」
「そうだな……、俺たちゃぁ罰を受ける立場だ。救われてぇとぁ思わねぇ」
「せめて、後の世が良いものであるように努力することが、唯一の贖罪です。麗佳さんのことも含めて」
「あぁ、お嬢もな……」
その考えが正しいとは思わない。
しかし、もはやそういう生き方しか自分たちにはできない。
それがわかっているだけに、彼らはそれ以上は何も話さずに仕事を続けていた。
ドラゴンズ・ネスト、訓練場跡地。
基地を襲撃した麗佳だが、実は破壊されたのは大半が訓練場などの施設で、龍機兵の生活に関わる施設は破壊されていなかった。
これだけでも十分に手加減されていたことがわかる。
だが、その手加減こそ、男の沽券に関わるとウィルフレッドは感じ、その跡地での基地再建作業で懸命に汗を流していた。
「随分とまじめに働くな、ウィルフレッド」
「お前か、ロッド」
声をかけてきたのは、U・S・ドラグナーでウィルフレッドと共に隊長職にある青年だ。
南米系の容姿でアスリート体型をしている空戦隊隊長の彼の名はロッドことロドニー・ジョンソン。
『風の精霊』とも呼ばれる竜、中央アメリカの伝承に出てくるカンヘル竜と呼ばれる竜の一体『セルピヌス』の力を手に入れていた青年である。
ウィルフレッドより早く伝承竜の力を手に入れていたこともあり、一時期はウィルフレッドのほうが突っかかっていたが、今はそんなことはない。
むしろ、恥ずかしいと思っているくらいだ。
そのため、同じ龍機兵の隊長職にありながら、その関係は疎遠になっていた。
そもそもロドニーはあまり他人に関わりたがらない。
仕事を淡々とこなすようなかなり冷めた男だとウィルフレッドは感じている。
そんな彼がどうして声をかけてきたのか、不思議でならない。
「いや、君はどちらかというと遊んでいるか、訓練をしている姿しか見なかったから珍しいと思っただけだ」
「そうか。いや悔しいのさ」
「悔しい?」
「年端も行かないレディに俺は手も足も出なかった。それが悔しいから、早くネストを直してやるのさ」
そう答えると、ロドニーは意外そうな表情を見せる。
だが、そんなにおかしなことを言っただろうかとウィルフレッドのほうが意外だった。
「相手は魔王種。ジェネラルでようやく互角だった。君が気に病むのは無駄だろう」
「無駄じゃないさ。もっと強くなろうってモチベーションになるぜ?」
「魔王種の相手は我々の仕事にはならないだろう。適材適所だ。自分の仕事をこなせばいい」
「No!だったら俺はその適材になりたいね。強くなることを諦めちまったら俺の拳が泣く。そう思い続けて俺は強くなったんだからな」
「……『抱く者』の力か。ボクサーの君には理想的な伝承竜だし、言いたいことはわかるが」
ロドニーの言うとおり、ウィルフレッドが得た伝承竜の力とは、かつて日本で倒された『抱く者』ファフニールだ。
ウィルフレッドはそのままもどうかと考え、『ファフナー』と呼んでいるが。
「まあ、先に風の精霊の力を手に入れたお前に突っかかってたことは改めて謝る」
「気にしていない。セルピヌスの力を手にしたのは運もある。なら、それに見合った働きをするだけだ」
「It’s Cool!そういうところが気に入らなかったんだよなあ」
「そうか。謝罪しておこう」
「止めてくれ。虚しくなってくる」
呆れた様子で作業を再開したウィルフレッド。
その様子を見ていたロドニーが「手伝いを呼んでこよう」と言ってその場を去ろうとすると、別の声が聞こえてきた。
「楽しそうだねん、お兄さんたち♪」
「ちょっとお願いがあるの」
一人はともかく一人は聞き覚えがある。
ウィルフレッドは即座に振り向き、その姿を確認した。
青みがかった黒いショートヘアで背が高く見事なスタイルの少女。何故か手にはバスケットを持っている。
もう一人は紫がかった黒髪をエンジェル・ウィングと呼ばれる、いわゆるツインテールにしている少女。
こちらは背が低い分、余計に目のやり場に困ってしまうようなグラマラスっぷりだ。
幼く見える、否、実際に幼いのかもしれないが、とてもじゃないがスラムを歩ける容姿ではない。
「ウィルフレッド」
「片方は戦ったことがある。トモミ、だったか。もう片方は知らないが……」
「伝承竜の力を持っているのは間違いない。私にも感じ取れる」
そういって少女たちに向き直るウィルフレッドとロドニー。
そんな彼らに少女たち、すなわち智巳と凛那は丁寧に自己紹介してきた。
「名乗ってなくてゴメンなさい。私は智巳・ウッドワード」
「私は朝陽凛那。こっちふうに言うとリンナ・アサヒ。よろしくねん♪」
「Thanks、俺はウィルフレッド・リーヴィス。こっちのCool Guyはロドニー・ジョンソン。俺たちはここで隊長をやってる」
「まじめに答えるのか……」
ロドニーは呆れた様子だが、名乗られた以上は名乗り返すのが礼儀だとウィルフレッドは考えていた。
何より、少しでも意識を戦闘状態に持っていかなければならない。
気を抜けばやられる相手と知っているからだ。
「今日は赤い髪のレディはどうしたんだい?」
「今日はお家で書類仕事してるよ。根がマジメだからねん♪」
「私がわがまま言って此処に来たの。この間まで私たち以外の龍機兵に会ったことがなかったから。凛那は付き添い。気が乗ったら戦うかもしれないけど」
「遊びに来るには、この辺りは物騒だぜプリティガールズ♪」
実際、智巳と凛那の容姿は女優になっても通用するレベルの可愛らしさなので、ウィルフレッドの軽口はわりと本音だったりする。
また、ドラゴンズ・ネストには竜が襲撃に来るのだから物騒どころの話ではない。
だが、かつて見た智巳の実力なら古竜は敵ではないだろうし、凛那も感じる威圧は相当なものだ。
古竜や小型の伝承竜では何匹来ようが相手にならないだろう。
魔王種である麗佳ほどではないのが唯一の救いだった。
「デートなら俺のほうから迎えに行くから、今度は前もって連絡してくれ」
「お兄さん、見る目あるねっ♪」
「私、そういうの嫌いって言ったはずだけど?」
「すまない。ウィルフレッドはこういう性格だ。悪気はないので許してやってほしい」
ようやく話に参加してきたと思ったらとウィルフレッドは軽く落ち込みそうになった。
せめて合わせてくれても、と、愚痴をこぼしたくなってしまう。
気を取り直して智巳と凛那に尋ねかける。
「それで、此処まで遊びに来てくれた理由は何だい?」
「強くなりたい。だからたくさんの龍機兵と手合わせしたいの」
「私はさっき智巳が言ったけど見物してるね。私の能力はシャレになんないからねん♪」
かつて、丈太郎が『ラプシオヤウ』と看破した凛那の竜の力は、本当に戦闘で使うと洒落にならない。
生きるか死ぬかになってしまうのだ。
「All right!この間は途中で終わったからな。俺からでいいかいクールガール?」
「OK、今度は倒してあげる」
ウィルフレッドの言葉にそう答えた智巳は、持っていたバスケットを凛那に預けると、両腕両脚を竜化させて地を蹴ったのだった。




