8話「岩の遺跡と『竜の血』の地母神」
旧トルコ共和国、カッパドキアの岩石遺跡群にて。
奇声を上げる不気味な無数の影を見て、彼はため息をついた。
「こういった場所は、もはや竜の棲み処にしかならんな」
彼、アーサー・ウェルシュ・バンブリッジ、すなわちウェルシュ・ドラゴン。
アーサーは無数の奇岩の陰から出てくる古竜たちを見て、再びため息をつき、右腕のみ竜化させてレイピアを構える。
「来るがいい。一匹残らず葬ってくれよう」
その言葉は、わずか数分のうちに果たされることとなった。
バーナード直伝の剣術。
アーサーはライラのはるか上を行く剣士なのである。
昨日、日本の龍機兵団の『青竜』こと誠吾から、丈太郎はカッパドキアで『竜の血』を見つけたのではないかという推測を聞いた。
その理由を聞いてみたが、確かに納得できる。
丈太郎が『竜の血』を見つけたのではなく、仮死状態の竜が丈太郎を呼び寄せた。
『竜の血』を研究させ、いずれは自分を復活させるために。
その話を聞いたのはアーサーばかりではない。九垓やローベルトも一緒だ。
ただ、地理的に、そして兵力的にも九垓やローベルトは勝手に行動されると困る。
そこでアーサーが単独でカッパドキアまで飛んできたのだ。
飛行速度において、ウェルシュ・ドラゴンのアーサーに勝るとすれば妹であるグウィバーのライラくらいだ。
行って帰ってくるだけでもけっこうな距離があるため、ドラゴン・ナイツはバーナードに任せ、アーサーが一人で来ることになったのである。
ここで、丈太郎が見たはずの竜の痕跡を探し出すために。
しかし、アーサーは誠吾の報告を聞いたことで、さらに気づいたことがあった。
「……セイゴ・イナミの言葉どおりならば、『竜の血』を作った者は自ら竜になったということになる。だとしたら、何のために?」
古竜ですら、一般人にはほとんど勝ち目がない。
素手ではほとんど勝負にならないだろう。
万に一つ勝てる可能性があるくらいである。
もっとも、日本にはその万に一つの可能性を引き当てた者がいるが。
それはともかく、絶大な戦闘力を持つ竜になる理由とは何か?
世界征服でも考えていたというのか。
どうにも、其処がしっくりこない気がするアーサーである。
いずれにしても、此処に何かがあることは間違いない。
幸い、探す場所の目星はつけてある。
地下都市の最奥だ。
観光客が見やすい場所にあるなら、誰でも気づいてしまう。
丈太郎が導かれたと考えられる場所は、おそらくは誰も近寄ったことがないはずだ。
其処を探せばいい。
少なくとも、此処に強力な伝承竜の気配はない。
古竜が群れをなしたところで、アーサーに勝てるはずもない。
行くべき場所を再確認したアーサーは一歩を踏み出した。
それから五時間後。
「バンッ、あの場所に『居た』のはいったい何だッ?!」
「んがッ?!」
アーサーはドラゴンズ・ネストの宿舎で眠っていた丈太郎の頭に直接怒鳴り込んできた。
さすがに、文字通り頭に響くような大声で叫ばれては、気持ちよく寝ていた丈太郎としても怒鳴り返したくなる。
「うるせぇなッ、連絡してぇならもちっと気ぃ遣えッ!」
「気遣うような状況ではないッ、緊急事態だッ!」
「いってぇ何でぇッ?!」
「もぬけの殻だったのだッ!」
「だから何のこったッ?!」
眠っていたところを叩き起こされ、さらにアーサーは言いたいことだけ一方的に怒鳴っているのだから、話が見えるはずがない。
丈太郎の疑問は当然のことだったが、アーサーの一言で目が覚めた。
「お前が『竜の血』を発見した場所は、もぬけの殻だったのだッ!」
アーサーがその場所を知るはずがない。
丈太郎は其処については誰にも教えていないのだから。
しかし、アーサーは『竜の血』を発見した場所だと断言している。
しかも、そこがもぬけの殻だったと。
「アーサー、まず答えてくれ。何処行ってきた?」
努めて冷静に言葉を発したのが良かったのか、アーサーも冷静さを取り戻して答えてくる。
「トルコのカッパドキア。その地下都市のさらに地下にあった大空洞だ」
「どうやって知った?」
「……お前の弟分が最初に疑問に感じたそうだ。その後、セイゴ・イナミが私たちやお前の過去を知る者に聞いて回って場所を特定した」
「んで、確認すっために其処に行ってきたんだな?」
「うむ。だが、その場所には何もなかった。正確に言えば『何』かが其処から抜け出たような痕跡があったがな」
そこまで聞いて、丈太郎はアーサーが緊急事態だといった理由が理解できた。
そして、たぶんアーサー以上に丈太郎には緊急事態だと理解できた。
其処に居た者。
その姿を覚えている丈太郎は、龍機兵となった今だからこそ、緊急事態だと理解できる。
「アーサー、ジジイとローベルトを呼んでくれ。俺ぁアラステアを起こす」
「わかった。もはやごまかしは効かんぞ、バン」
「さすがに俺も腹ぁ括った。全部話してやらぁな」
丈太郎がそうと答えると、アーサーはいったん龍玉による通信を切る。
九垓とローベルトを呼び出すためだろう。
それを確認した丈太郎は深いため息をついた。
五人がモニターに揃ったところで、丈太郎は話し始める。
現在、丈太郎はアメリカに居るので、アラステアだけは対面するように座っているが。
まず、口を開いたのはローベルト。
「それじゃあ、アーサーの言うとおり、お前が『竜の血』を見つけたのはカッパドキアか」
「あぁ。アーサーが行ってきた地下都市の最奥からさらに地下にあった大空洞だ」
「お前はどうやって行った?」
「落ちた」
「なぬッ?!」
さすがにこんな答えは予想してなかったのか、ローベルトは素直に驚いていた。
「アーサー、地下都市の最奥に穴ぼっこあったろ?」
「うむ。私が最奥のさらに地下に行ったのがその穴だ」
「あそこぁ一応塞がってたんだが、岩盤が脆かったんか、踏んだとたんに抜けた。そのまま滑り台みてぇに落ちてった」
真っ逆さまだと大ケガをするところだったが、何故か滑り台のようになっていて、そのまま滑っていったと丈太郎は説明する。
その終点が大空洞であったということだ。
「おぬし、どうやって戻ってきたのじゃ?」
「あそこぁ滑り台の反対側に階段があんだよ。其処を歩いてくとカッパドキアの端に出る」
おそらく、本来の通り道はそちらの階段だったのだろうと丈太郎は説明する。
実際、滑り台が通り道では戻るのが大変どころの話ではない。
今のアーサーは飛べるために元の滑り台を戻ったが、当時の丈太郎は生身の人間だ。
飛べるはずがなかった。
「俺も最初ぁどうしようかと思ったけどな」
「お前、よく生きてたなあ」
「しぶといのぁ生まれつきなんだろうよ」
「素直に神に感謝してはどうです?」
と、アラステアは苦笑する。
地下深くまで落ちてから、その日のうちに生還できたのは幸運以外の何物でもない。
神がいるとするならば、助けてくれたということなのだろうが、その神の目的が自身の復活だったとしたら生還するのは当たり前だ。
「俺が戻んなきゃぁ、目的が果たせねぇかんな」
「それについては今はいい。それよりも、お前があそこで何を見たのかだ」
そう言ってアーサーが話を戻す。
実際、どうやって行ったかについては議論をしても仕方がないのだ。
丈太郎が見たモノが、今は其処にないとアーサーは言う。
誰かが運び去ったということは有り得ない。
そう、アーサーは断言した。
「何故だ?」
「……其処まで大きいというわけではない。だが、何かが抜け出た後は楽に三十メートルはあった。小分けにできれば運び出せないわけではないが、それでもかなりの大事業になるだろう」
そうなれば、ニュースにならないはずがない。
世界中の人々が知るということはなくとも、それなりに知られた存在となる。
だが、其処に何がいたかなど、丈太郎以外は誰も知らないのだ。
だが、意外な言葉が丈太郎の口から発せられる。
「いや、でけぇんだよアーサー。今考えりゃぁ破格のでかさだ」
三十メートルとなると、これまで来た伝承竜ではファフニールやゲオルギウスの毒竜が相当する。
確かに十分以上に脅威ではあったが……。
「確かに強力な伝承竜クラスの大きさですが、破格というほど大きいほうではないでしょう?」
アラステアの言葉どおりである。
そもそも、かのクラーケンは百メートル近くあった。
そんな怪物と戦った丈太郎たち龍機兵団の龍機兵にとってはそこまで巨大な存在とは感じられないだろう。
強いかどうかはともかく、破格の大きさという程ではない。
そもそも龍機兵としての丈太郎は最大で五百メートルの八岐大蛇。
むしろ、可愛いものだろう。
「でけぇんだよ。想像したくねぇくれぇに」
だが、丈太郎は言ったことを改めようとしない。
いったい、何を以って大きいというのか、その場にいた中で気づいたのはただ一人だった。
「……そういうことかの。確かにおぬしが行ったのはトルコ共和国。考えられぬことではないのう」
「老師、どうしましたか?」と、アラステアが尋ねると、九垓はため息をついた。
「まず、丈太郎が見たのは竜であるのは間違いないじゃろう。それも伝承竜じゃ」
「そうだろうな。それしか考えられねえ」
「仮死状態の伝承竜から血を持ち出した。そういうことだな、バン」
「あぁ。持ち出したっつぅよりは、其処から欠け落ちた凝結した『竜の血』を拾ったんだよ」
丈太郎は観念したような態度でそう答えた。
つまり、丈太郎は実験動物であった最初の一匹とはまったく関係のない、古代から存在していただろう仮死状態の伝承竜に出会ったのだ。
すなわち、本当の意味での古代兵器である竜に。
それを受けて九垓は説明を続ける。
「そして、トルコという国に伝わる神話や伝承にはある偏りがあるのじゃよ」
偏りという言葉に、アーサー、ローベルト、そしてアラステアも首を捻る。
ローベルトやアラステアはともかく、アーサーも其処までトルコという国の伝承に詳しいわけではない。
ゆえに、九垓は説明を続ける。
「女神が多いのじゃ」
「おう、今度は俺が行くぞアーサー」
「戯け」と、ローベルトに突っ込むアーサーだった。
ローベルトはフェミニストではあるのだが、女好きでもあったりする。
話が逸れればそれでよかったのかもしれない。
だが、ローベルトにしてもアーサーにしても、わかっていてふざけたに過ぎない。
それがわかるアラステアが口を開く。
「……女性体の伝承竜だったんですね、バン?」
「俺ぁ最初見たときゃぁ銅像かなんかだと思ったがなぁ。おめぇの言うとおりだ。そいつぁ性別があるとすりゃぁ女だった」
だからこそ、大きいのである。
現在、五人の龍機兵たちの手元にある女性の龍機兵である鈴とライラ。
彼女たちは既に真竜体に成れる。
真竜体とは本来伝承に語られる姿だ。
つまり伝承竜の姿ということができる。
しかし、彼女たちの大きさはせいぜい二メートル前後。
翼など大きな部分はあるし、尻尾まで入れれば三メートルに届くかもしれないが、そうだとしても男の龍機兵に比べて大きくはない。
五人の龍機兵は言うに及ばず、誠吾でも十メートルになるし、他の者でも真竜体で十メートルくらいは軽いものだ。
対して、鈴とライラは二メートル前後。
つまり、基本的に女性の龍機兵は小さいということができるのだ。
それが今までの常識である中で、三十メートルの女性体の伝承竜がいたとなれば間違いなく破格の大きさだろう。
「認めたくねえが、仮死状態で残ってたことを考えても相当なバケモノクラスだぞ」
そういってローベルトもマジメな顔になってため息をつく。
「それが今、動けるようになっているのだ。我々が束になっても勝てん可能性がある」
緊急事態だと言ったものの、予想以上の存在が其処にいたことにアーサーは少なからず驚愕していた。
だが、だからこそ対策を立てる必要がある。
この世界を壊してしまった罪を、自分たちは購わなければならない。
何の罪もない人々を竜の脅威から守らなければならない。
だからこそ、自分たちは龍機兵となったのだから。
「そのために必要なのは情報じゃ。丈太郎、おぬしできるだけ見た目を詳しく説明せい」
「そうだな……、一言で言やぁほとんど蛇に成り掛けてた女だった」
丈太郎曰く。
首から上は、バケモノどころか、むしろ美しいと言えるほどの美女だったという。
鈴やライラに見られる面当てに近いものはあったが。
だが、腕は肩から先が大きな翼になっており、胸から腹にかけては人間のままだったが、下半身は蛇そのものであったという。
「ラミアーやメドゥーサみてえだな?」
「いや、ありゃぁどっちかってぇと……」
ローベルトが例として述べたのはどちらも女体に蛇の下半身を持つという怪物のことだ。
ギリシャ神話がもっともよく知られているだろう。
もっともラミアーは下半身のみだが、メドゥーサは頭髪までもが蛇となっており、ラミアーに比べてだいぶ怪物染みているが。
それはともかく例えを探して悩む丈太郎に、九垓が助け舟を出してきた。
「エキドナじゃ」
「……老師、それは?」とアラステア。
「ギリシャ神話で数多の怪物を生み出した女神のことじゃよ。伝承ではもう少し人間に近い姿じゃが、今の特徴に一番合うのはそれしかおるまい」
九垓は誠吾との問答でこの名を出している。
まさか、そのものを丈太郎が見ていたとは思っていなかったようだが。
『エキドナ』
九垓の言葉どおり、ギリシャ神話において数多の怪物を生み出したとされる女神である。
その姿は上半身は美しい女性で背に翼を負い、下半身はとぐろを巻く蛇の姿だという。
見た目は怪物だが、多産であり豊穣を司るという点では正しく地母神の性質を持つ女神と言える。
そう語る九垓の言葉に、全員が納得してしまった。
だが、だからこそ恐ろしいということが理解できる。
「丈太郎、おぬしの記憶が確かなら、動き出しておるのは間違いなくわしらの敵じゃ」
「老師、何故そこまで断言できる?」と、アーサー。
「数多の怪物を生み出したという伝承が、数多の竜を生み出す『竜の血』を生み出したということであれば、そやつこそ『竜の血』を作り出した張本人じゃぞ」
「あっ……」と、驚きの声を漏らしたのは誰だっただろう。
しかし、それは全員の気持ちを代弁していた。
エキドナはただの伝承竜ではない。
『竜の血』を作り出した始祖たる竜、いわば創造神ということができる。
「まずいぜこりゃあ。俺たちが知らねえ間に嬢ちゃんと接触してる可能性もあるんじゃねえのか?」
「それが一番恐ろしいのじゃ。お嬢さんの行動はエキドナにとって一番理想的じゃ。竜を増やすことが目的じゃとするならばのう」
敵が魔王種の麗佳ではなく、竜の創造神とも言えるエキドナだったとしたら、戦いは免れない。
利害の一致によって、エキドナが麗佳に手を差し伸べていたとするなら、敵はもはや最強をはるかに通り越した存在ということができる。
「じゃからじゃ丈太郎、アラステア。何としてもお嬢さんを止めるのじゃ。魔王種であるお嬢さんがエキドナ側についてしまったら、今までのようには人を守れぬぞ」
九垓の言葉はあまりにも重い。
竜を解き放ったことで、人は普通の生活を手放さざるを得なくなった。
しかも、この先は竜にならなければ生きていけないかもしれないという、まさに修羅の世界になる可能性を秘めている。
最低限、竜と戦えなければ、死あるのみとなってしまうのだ。
「私たちにとって、これほどの罰はありませんね……」
苦渋に満ちた表情でアラステアは呻く。
本当にそんな世界になってしまったら、もう何処にも救いはないと思えるからだ。
だからこそ。
「わかった。お嬢ぁ何としても俺が止める。ジジイ、エキドナを探してくれ。頼む」
丈太郎の心からの願いに、仲間たちは肯く。
過去を変えられないのなら、せめて未来を良い方向に導くために。
命に代えてもその重責だけは果たしてみせると誓うのだった。




