6話「老師と剣の竜と竜の伝承」
翌朝。
ドラゴンズ・ネストにあるアラステアの執務室にて。
「脱落者ぁいねぇか」
「そもそも人間社会に戻る気の無い人を龍機兵にしましたからね。中には再戦を期して訓練を始めた者までいますよ」
それだけが救いです、と、疲れた顔で笑うアラステアに、丈太郎は苦笑いを返す。
建前の目的でもあるドラゴンズ・ネストの立て直しのため、丈太郎はアラステアの元を訪れていた。
「頼もしぃこった」
「死者がいなかったことが大きいのでしょう」
幸いなことに、と、アラステアは口にするが、手加減されていたという事実を考えると頭を抱えたくなる。
何しろ、ドラゴンズ・ネストが半壊したのは麗佳一人の仕業で、智巳は見ていただけだというのだから。
ドラゴンズ・ネストが半壊しただけだったのも、最初から壊す気がなかっただろうと考えるほうが自然だ。
魔王種としての力を示すことが目的だったとしてもおかしくない。
もしくは、五人の龍機兵を自分のところに呼び出すためであったとも考えられる。
いずれにしても、麗佳が絶大と言えるほどの力を持っているのは確かだ。
そして、それだけではない。
「これで二人、あと何人いるのか……。麗佳さんは血を与えた人の数だけ、己の罪を増やしてしまいます」
そうため息混じりに呟くアラステアに、丈太郎は同意した。
「何としてもお嬢を止めねぇとな。だが、そんなにゃぁいねぇ気がすんだよ」
「何故です?」
「ウッドワードと朝陽だったか。あの二人見てっとお嬢ぁ本当に心を許したヤツにしか『まだ』血をくれてねぇ」
「そうなると、その二名しかいない可能性もあるということでしょうか?」
それならば、まだ間に合う。
手当たり次第に血をばら撒いていたら、それこそ大混乱が起きるが、気を許した相手だけに血を与えているのなら、麗佳には麗佳の基準があることになる。
すなわち、龍機兵を選別するための基準が。
「だが、『まだ』だ。この先のことぁわからねぇ」
「はい」と、アラステアは重々しく肯いた。
言わば側近というべき智巳と凛那は別として、世界を変えることを目的として行動し始めると一気にばら撒く可能性がないわけではない。
ゆえに、何としても見つけ出さねばならないのだ。
無論のこと、それはアラステアがもっともよくわかっている。
麗佳はこのアメリカの地で姿を現したのだ。
自分が守る地にいてくれたことはむしろ嬉しく思う。
だからこそ、これ以上は罪を重ねさせないと決意していた。
「アメリカの居住区ですと東堂財閥もさすがに一つ丸ごとというわけには行かないようです」
「つまり、足跡が残ってんのか?」
「はい。驚くべきことに僅かなのですが」
一つ丸ごとではなくとも、それだけの影響力があるだけで驚愕すべきことだろう。
逆に、そのほうが面倒であるとも言える。
「幾つかの居住区に足跡がありましたが、必ず何処かで途切れているのです。それも居住区内部で」
「……居住区の一角押さえてんだな。複数の居住区でそれをやられてっと、逆に何処探せばいいんかわかんねぇぞ」
「はい。今は少しでも東堂財閥の影響がある居住区を洗い出していますよ」
「虱潰しか」
「地道な努力は実を結ぶものですよ」
そういって笑うアラステアの表情には疲労が見える。
申し訳ないとは思うが、アメリカではこういったことが丈太郎にはできない。
あくまで日本の龍機兵団の責任者だからだ。
ただ。
「財閥にゃぁお嬢に代わって実権握ろうってぇヤツもいる。たぶん、力ぁ貸してくるぞ」
「わかっています。借りたくはありませんがね」
「俺ぁ、お嬢がダチと生きられる道を探してぇ。財閥と切り離してでもな」
「私も同じです。その点ではアーサーが考えているようですから、ドラゴン・ナイツに任せることも考えましょう」
東堂財閥と切り離し、一人の少女として生きていけるようにする。
そこで不満を言うとしても、それは我慢してもらうしかない。
ただ、イギリスの貴族であるアーサーであれば、ある程度は良い環境を与えられるはずだ。
ローベルトや九垓も麗佳の今後の人生を考えてくれている。
今、丈太郎とアラステアがやるべきことは麗佳を止めること。
止めた後のことは、他の仲間に頼ればいい。
だから。
「バン、責任を感じ過ぎないでください。あなただけが咎人ではありません」
そういったアラステアに、丈太郎は苦笑を返すことしかできなかった。
一方、日本。
「カッカッ、なるほどいいところに目をつけたのう、あの小僧」
「王老師は何か聞いていらっしゃるのですか?」
「いんや、何も聞いとらんのう」
モニターの向こうの老人、九垓が楽しそうに笑っている姿を見ながら、誠吾は困った顔をしてしまう。
義隆が内地の政府と会談を行っているため、彼に代わって他の五人の龍機兵に尋ねて回る役目を負うことになってしまったのだ。
こう見えて、わりとバトルジャンキーな誠吾には大変な役目である。
「バンブリッジ卿やクレンコフ教授も同じでした。二人は東堂財閥の研究所に招かれて存在を知ったと」
「実在を知ったのはわしもその時じゃよ。大蛇の若僧は何処で見つけたかは頑なに言わんかったのじゃ」
つまり誰一人として聞いていない可能性がある。
ただ、存在と実在では意味が違う。
九垓の言い方から推測すると、何処かで『竜の血』の話を聞いたことがあるようだと考えた誠吾は鋭く問い質す。
「噂程度じゃがの」
「……まったく知られてないものではなかった、と?」
「叡智を授かる。不老不死を得る。天を統べる力を得る。そんな眉唾物の効果を持つ妙薬の話としてのう」
「なるほど、考え方によっては『竜の血』は薬と言えますね」
「西洋では『賢者の石』とやらが相当しような。わしが聞いた噂話じゃと、紅玉の如く赤く輝く石でありながら、触れると仙草の如く軟らかい。まこと不思議な石と言われておったのう」
仙草とは台湾語でゼリーのことを指す。
石という物体を指す言葉としては、明らかに不思議なものだろう。
賢者の石とは科学の元となったという西洋の錬金術師と呼ばれる者たちが創ろうとしていたとされるものだ。
こちらも石とは名ばかりで、どのような物体なのかすらわからない。
「意外と、賢者の石は元々『竜の血』のことを指していたのかもしれませんね」
「それも有り得るのう。大蛇の若僧曰く液体型の『なのましん』じゃ。科学の産物じゃろう?」
「それは間違いないようです。僕は一度、顕微鏡で見たことがありますが、分子レベルの物体の集合体でしたから」
最も強力な機能は金属を吸収、溶解、精製する能力で、それによって形作られるのが竜となる。
その形がさまざまなのは、元は液体型だからだと言える。
形に制限がほとんどないのだ。
「切り離すことだけができんというがの」
「ただ、実のところ、自分で精製した鱗は微弱な反応を出しているようです。僕たち自身の感度が良ければわかるそうですよ?」
諒兵が自分の鱗の位置がわかるのはその感度がいいためで、たいていの場合はわからないという。
そうなると、わかる理由として考えられるのは一つしかない。
「魔王種じゃから、かの?」
「おそらく。これは推測に過ぎません。蛮場博士もそう言っていました」
魔王種の竜は謎が多い。
そして研究しようにも、サンプルがほとんどない。
諒兵が先に魔王種として知られ、今回麗佳が魔王種であることがわかったが、逆に言えばこの二人のみなのだ。
魔王種とは何か?
『竜の血』が何処にあったのかを知ることができないのなら、せめて自分が聞いてみたいことは聴いてみようと誠吾は考える。
「僕が知っているのは魔王種という竜がいること。そして先の会談で五体いることを知りました。老師たちは研究で知ったのですか?」
「そうじゃな。東堂財閥の研究所である程度まではわかったのじゃよ」
「それは……」
「『竜の血』が様々な伝承を記録しておることは知っとるじゃろ?」
「はい」と、誠吾は答える。
『竜の血』の中には古今東西の様々な竜の伝承が記録されている。
それは同時に伝承竜になるための実行プログラムでもある。
自分に理解できる言葉で記録された伝承であれば、狙って手に入れることもできる。
このことは鈴が証明していた。
そういった記録が『竜の血』一つ一つに存在しているため、どんな竜の血を呑んでも、どの竜に成るのかは自由なのだ。
ただ、まったく別の理由から、どんな竜になれるかは大きな偏りが生まれている。
これは各国の龍機兵が既に照明している。
「普通、成れる竜は土地に、正確には土地に伝わる文字に縛られるから、わしが欧州やアフリカあたりの竜に成ることはできんの」
「聞いてます。その土地の竜の伝承は、その土地の言語で書かれているために、読めないもののほうが多いとか」
知らない国の文字で書かれていれば読めない。
実に簡単な、当たり前の理屈だ。
しかし。
「その中に、五体だけ何故か全員があっさり読めた竜がおった」
「あっさり?」
「そうじゃ。日本語でも中国語でもロシア語でも英語でもない。それ以外のどんな国の文字でもない。なのに、あっさりと読めたのじゃ」
それが最大のポイントだった。
土地に伝わる竜の伝承を、その土地の言葉や文字で記録している以上、必ず読めない者がいるはずなのだ。
それがなかった。
誰でも読めた。
簡単に読めたがゆえに、それが異常だと九垓たちは理解できたのである。
「本当の意味での世界共通語なのかもしれん。じゃから国に縛られん。小僧もお嬢さんも日本人じゃが、憤怒の化身や大地の女神は欧州の伝承だったはずじゃし、狙うにしても血を呑んだ状況を考えれば、相当に混乱していたはずじゃ」
「縁がない上に、意識もしてなかった……」
「そうじゃ。それなのに引き寄せた。じゃからまず考えられるのは『感情』に引き寄せられたということなのじゃよ」
「憤怒や羨望……、僕は日野君の例から、他の魔王種がいるとするなら、七つの大罪を予想していましたが、まったく違うものが出てきて驚いてます」
「じゃが、『羨望』は『嫉妬』よりも普遍的じゃ。「隣の家は美味いもん食うとるから、自分らも食いたい」、そういった感情じゃからの」
人と関わりあうのが生きるということだ。
だが、その生の中で、人を羨まずにいられるものが何人いるだろう。
隣の芝生は青いという言葉がある。
たいていの人は他者を羨み、同じかそれ以上のモノを手に入れようと努力する。
手に入れられなければ。
「悶々と思い悩むのじゃよ」
「覚えはありますね」と、誠吾は苦笑した。
人として当たり前の感情だと確かに理解できるからだ。
自分が他人と違うということを妬む。
自分よりいい思いをしているだろう他人を羨む。
そんな感情を完全に消すことができる人がいるとしたら、それはもう『人間』ではないような気さえしてくる。
「魔王種というのは、ある意味では一番人間臭い龍機兵なのかもしれんのう」
「東堂麗佳もそうだったと?正直に言うと意外というか、わがままな気もしますね。大きな権力と財力を持つ財閥令嬢で、自らは天才と呼ばれるような少女らしいですから」
そう言ったとたん、九垓の目が細まる。
それで怒りに触れたことが理解できた誠吾は、すぐに頭を下げ、謝罪した。
「今回だけじゃぞ。わしでよかったのう。ローベルトなら散々怒鳴った末に通信を切っとる。アーサーなら手袋を投げつけてきたろうの。アラステアならこれから十時間は飲まず食わずで説教じゃ。丈太郎であれば……」
「蛮場博士なら?」
「今ごろ炭の塊じゃ。あやつ弟分に似てかなりの激情家じゃからの」
それだけで、五人が如何に東堂麗佳という少女を大切に想っているか、彼女に罪悪感を抱いているかということが誠吾にはよく理解できた。
九垓は一つため息をつくと、言葉を続ける。
「お嬢さんはむしろ人を羨む気持ちは強くて当たり前じゃ。十歳以上生きられん難病持ちじゃったと大蛇の若僧が言うとったろう?」
「あ……。すみません、短慮でした」
誠吾は再び、深々と頭を下げる。
正直、自分の発言を後悔するどころか、先ほどの自分を斬り捨てたいくらいに恥ずかしくなった。
「普通の人と同じ健康な身体を持ちたい。健康な普通の人が羨ましい。じゃが、そんな羨望をわがままじゃとは言えんわい」
「はい。むしろ、とても慎ましやかな願いだと思います」
普通の人が当たり前に持っているものを自分も持ちたい。
普通の人から見れば、羨まれるような環境で生きていた麗佳だが、それでも麗佳が普通の人を羨ましいと思ったことをわがままとは言えないだろう。
もっと生きたいと、元気でありたいと願う。
そんな願いを否定することは誠吾にはできなかった。
そして同じように思ったのが五人の龍機兵だったということだ。
「じゃから、わしらは普通の人と同じ健康な身体をお嬢さんに与えたかったのじゃ。ほとんどベッドに寝たきりで外に出るのも一苦労。友だちを作ることすらできんのを不憫に感じてのう」
「すみません……」
「堪えたかの?」
「意地が悪いですね」
「それだけ怒ったのじゃよ」
苦笑する誠吾に対し、九垓は飄々としたものだ。
九垓は誠吾の罪悪感をひたすら突いてきていたらしい。
意地が悪いというのは本音だが、それでも甘んじて受けるしかないことは理解していた。
それだけ、この老人を怒らせてしまったということなのだから。
「話を戻すかのう。魔王種とは『竜の血』の中で、誰でも読める言葉で書かれた五匹じゃった。他の者も、引き寄せる感情などのある程度の情報は読み取ったが、詳細はわからんのじゃ」
「出現したときに考えるしかないということですか」
「幸い、小僧は比較的協力的じゃ。お嬢さんにも協力してもらえば、大蛇の若僧の解析は進むじゃろ」
「そうですね……。『竜の血』があった『場所』については、蛮場博士が戻るのを待つしかありませんか」
「大蛇の若僧が死ぬかもしれんと心配しとるんじゃろうが、アラステアもそのくらい見抜けんほど莫迦ではないから安心せい」
「気づいてたんですか?」
「年の功じゃよ」
さすがに最年長の龍機兵だけ合って、丈太郎の覚悟にも気づいていたようだ。
聞けば、アラステアには既に秘密裏に知らせておき、丈太郎が勝手に暴走しないよう監視もさせているらしい。
とりあえずはひと安心だと誠吾は息をつく。
「参りました。そういえば、先ほど東堂麗佳の魔王種の竜を大地の女神と仰っていましたね」
「もともとが神話に女神と語られ、一神教によって魔王となったモノじゃからの。原典に近いお嬢さんのアシュタルテは女神になろうの」
「……日本やアジアは龍は当然として蛇を信仰の対象としているところもありますが、ヨーロッパもそうなんですか?」
「それなりにあったはずじゃぞい?『地母神』というてな。神々や怪物を生み出す母のような神のことじゃ。アシュタルテ、アシュトレトは天の女王の異名も持つが、まあまとめたところでおかしくはなかろうの」
神話に出てくる地母神の存在は様々だが、神々の母や怪物の母という特殊な女神が存在する。
それが『地母神』である。
ギリシャ神話ではガイアやエキドナ。
中国にはジョカ。
メソポタミア神話ではティアマトといった女神がおり、竜であったり蛇体を持つという伝承がある。
地母神とは言うが、意味を考えれば『母なる大地』といったものだろう。
そこから生み出されたのは天の神もいるので、大地に縛られているというより、大地そのものといったほうが良いかもしれない。
ただし、怪物まで生み出しているので、決して優しい女神ではない。
「なるほど。しかし女神というわりにはかなり凶暴そうですね」と、誠吾は苦笑してしまう。
確かにあまり清楚なイメージはない。
女の怪物というイメージのほうが強いのだ。
「神なぞ、ろくなもんおらんわい。ギリシャ神話でも読め。呆れるばかりじゃぞ……」
「そんなものですか」
九垓の呆れたような言葉に再び苦笑を返すが、当の本人は先ほどの言葉を口にしたとたん、固まってしまっていた。
「老師?」
「トルコじゃッ!」
「はいっ?!」
「丈太郎がトルコに行ったかどうか調べるんじゃッ!」
「なっ、何故ですッ?!」
「あの辺りはアジアの自然信仰と欧州の土着信仰が混ざっておるッ!龍と竜の伝承の特殊な中継地点になっとるかもしれんのじゃッ!」
アジアの龍の伝承とヨーロッパの竜の伝承は似て非なる。
特に蛇の身体が特徴の龍と蜥蜴の身体が特徴の竜はまったくの別物といっても差し支えない。
トルコという国は、その両方の伝承の中継地点と言えるような場所にあった。
だとすれば『竜の血』に関する大きなヒントがあってもおかしくない。
「わかりましたッ!」
それに気づいた誠吾はすぐに丈太郎の足跡を調べるべく、動き出したのだった。




