4話「緋い少女の願いと一人の男の約束」
ドラゴンズ・ネストが襲われたその日。
アメリカ、某居住区にて。
その居住区の一角には、豪邸というべき屋敷が建っていた。
その中の居間らしき場所で。
「アメコミってつまんないなー、早く日本に帰りたいよ」
豪奢なソファに寝転がり、ポテトチップスをつまみながらマンガを読むメイドの姿があった。
紫がかった黒髪を短めのツインテールにしている。
小柄で幼い顔立ちだが、一部、見事なほどに実った部分がある。
ぶっちゃけ胸である。
格好と相まって世の男どもを虜にしそうな美少女だった。
単に暇なのか、それともやる気がないのか、居間の扉が開いても起き上がる様子がない。
そんな彼女の頭が、ごんッと叩かれた。
「あいったぁーっ!」
「せめてお茶くらい入れなさい。貴女はメイドとして雇ってるのよ?」
「あ、何だ帰ってたん?麗佳、智巳」
麗佳は智巳に肩を借りながら、かなりぐったりとした様子である。
「どいて凛那。麗佳を寝かせるから」
面倒くさがるかと思ったが、凛那と呼ばれたメイドの少女は意外なほど素直に起き上がり、麗佳の様子を見てからソファを空ける。
「へー、やっぱ強いんじゃん。さすがはアメリカの守護神」
「確かに強かった。私だと勝てなかったと思う」
「麗佳は勝てたん?」
「引き分けよ。いえ、アル兄様は完全化身していなかったから、はっきり言えば負けね」
智巳に寝かせてもらいながら、麗佳は凛那の言葉にそう答え、凛那にお茶を入れるよう要求する。
「早くして」
「何にするん?」
「……アッサムのミルク。今日は甘いのが飲みたいわ。あとスコーンも用意して」
「はいはい」と、そう答えながら居間の隅に設えてある給湯所へと向かう凛那だった。
麗佳の傍に控えたままの智巳が気遣わしげに声をかける。
「平気?」
「お腹が空いてるだけよ」
素っ気無く答える麗佳に、智巳はため息をつく。
昔から、気を許した相手にしか弱さを見せないのが麗佳という少女だった。
自分と凛那は随分と長い付き合いになるが、それでも一番弱い部分は見せない。
東堂家の使用人たちも同じだ。
いや、むしろ使用人たちのほうが麗佳の弱い面を見たことは少ないだろう。
彼女が弱さをさらけ出せたのは、六年前に集まった科学者や医学者。
その中のたった五人。
「あの人が『アル兄様』?」
「ええ。自然を愛する穏やかな人。でも、自然のように厳しさもある人よ。今も変わらないようね」
「後は、『アーサー兄様』と『ローおじ様』、『お爺様』、それに……」
「『先生』よ……」
そう答えた麗佳の前に、良い香りをさせるティーカップが置かれる。
「今じゃ有名人ばっかりだねえ。サインでも貰ってきてくんない?」
「さすがに無理ね。私の願いは『先生』たちの意志に反するもの」
麗佳の願い。
それは他の人間たちに竜の力を手に入れてほしいというものだ。
それはかつて十歳以上は生きられないだろうといわれたころ抱いていた「他の人たちと同じになりたい」という願いが龍機兵となって昇華されたものである。
何故自分だけが違うのか。
何故自分だけがただ生きるだけでも苦しまなければならないのか。
そんな、極論すれば『羨望』から生まれた願いだった。
そんなことを考えながら起き上がった麗佳は、ティーカップを手にとって気づく。
そしてくすっと微笑みながら紅茶を一口含むようにして飲んだ。
「ありがとう、凛那」
「甘いんがいんでしょー?」
「お腹も空いてるでしょうし、智巳の分も淹れてあげて」
「はいはい」と、再びそう答えて背中を向ける凛那に、麗佳は再び微笑みかける。
ティーカップの中身はアッサムのロイヤルミルクティー。
わざわざ手間のかかる紅茶を淹れてくるあたり、やる気があるのかないのかわからないメイド少女の凛那である。
軽食を取って一息ついたころに、凛那が尋ねてくる。
「麗佳さー、何で信頼してる人たちにケンカ売るん?」
「私も不思議。まあ、戦うのは楽しいからいいけど」
凛那と智巳の疑問は当然のものだろう。
先ほどの態度から見る限り、さらにはアラステアとの会話を見る限りでも本当に信頼している。
嘘ではないのだ。
ごまかしでもない。
ならば、何故わざわざ敵対するような真似をするのか。
麗佳はスコーンを一つ手に取ると、薄く割った。
すでに自分の皿に取ってあったストロベリージャムを塗ってから一口食べる。
そして。
「死んでほしくないのよ」
「死ぬ?」と凛那。
「私は『先生』たちが間違っていたとは思わないわ。ただ、『竜の血』は人が扱うにはブラックボックスが多すぎただけなのよ」
その結果、竜が生まれ、世界は龍機兵を必要とした。
では世界とは何か?
「力のない人ができるだけ自分に被害が及ばないようにしている。それが今の世界よ」
「当然じゃね?」
「誰だって被害者にはなりたくない」
「でも、世界に生きる大半の人は、龍機兵を自分たちを守る盾としか思っていないわ」
無論のこと、日々必死に生活している人たちまで麗佳は否定しない。
その生活に龍機兵が関わらないとしても、広く見れば世界に必要な存在だ。
だが。
「これだけ世界が変わっても、必死に生きなくて済む人たちがいる。そんな人が竜から世界を守る龍機兵を人間ではなく道具としか見ていない。私はそれが許せないのよ」
今の時代。
龍機兵たちは基本的に基地に棲むだけだ。
その危険性を考えれば仕方がないことだといえる。
下手に一般人の中で暮らすと迫害も起こるだろう。
龍機兵はバケモノを殺すバケモノ。
一部の人間は受け入れてはいるが、それでは全然足らない。
実際のところ、比較的寛容に見えるイギリスも、英雄のように特別視しているという点では受け入れられているわけではない。
日本やアメリカはその点では最悪の部類かもしれない。
自分と違う者を受け入れにくい気質があった。
「だから、龍機兵を増やしたいん?」
「この世界に必要な存在として認知させるために?」
「そうよ。それができる人が私の『友だち』なのよ」
麗佳自身がそうだった。
血を呑んだ直後は混乱していた麗佳だが、徐々に自分のこと、自分の力が理解できるにつれ、人としての自意識を取り戻すことができた。
その期間はわずか一週間ほどだ。麗佳が女であったことが幸いしたといえるだろう。
だが、自分を迎えてくれる者はいなかった。
首元に龍玉ができた以外は元の少女の姿に戻っても、両親ですら近づこうとしなくなった。
アルバムだけを見て、生きている麗佳を見なくなった両親の背中を彼女は見つめ続けたが、いつまで経っても変わらなかった。
そうして彼女は特徴的な赤い髪を隠し、一人で旅を始めた。
幸いなことに金は唸るほどある東堂財閥の一人娘。
何処に行くにも困ることはない。
そして、まだ十歳であっても、龍機兵、それも魔王種の竜の力を得た麗佳を襲える人間などいない。
アメリカのスラムや中東の紛争地帯を麗佳が一人で歩いたとしても、死ぬのは相手のほうだった。
飢餓状態も彼女は一人で知り、空腹にならないように気をつけた。
人を殺してしまったとしても、食べたいとは思わなかったからだ。
その旅の中で出会ったのが智巳や凛那で、力を望んだ二人には血を分けた。
人の中に自分と同じ『人間』はいない。
そう思ったからだ。
そんなとき、丈太郎、アーサー、アラステア、ローベルト、九垓が竜の力を得て、さらに鍛えていることを知った。
嬉しかった。
自分が心から信頼していた人たちが、自分と同じ道を歩いてくれた。
本当ならすぐにでも会いに行きたかった。
だが、竜の大襲撃が起こり、龍機兵たちは普通の人々に便利な道具として扱われるようになった。
しかも、当の本人たちは竜を解き放ったことを罪だと悔い、この世界から竜を滅ぼすことができたなら、自分の命を絶つつもりだ。
人はそれをさも当然のように享受している。
それを理解した麗佳の『羨望』は再び燃え上がった。
人々は当たり前のように生を手に入れ、当たり前のように命を守ってもらえる。
何もしていない人々が。
それが許せない。
そもそも『竜の血』は『発見』されたものだ。
つまり、古の時代からこの世界に存在していたのだ。
竜と戦い、命懸けで生きなければならない今の状況こそが、本来の世界の姿なのだ。
「まー、それも極論だと思うけど?」
「よくわからない」
と、智巳が凛那の言葉に首を傾げると麗佳は補足するように説明する。
「凛那は自然淘汰されて消えたものがあるといいたいのよ。それは間違いではないけど、ならば古のまま何も変わらずに、しかも『残って』いたのは何故かしら?」
「あー、必要だから残ってたって言いたいんだ?」
「いずれ出てくるはずだったということなの?」
「そうよ。見つけた『先生』に罪はないわ。来るべき時が来ただけよ。人間が変わるべき時代が」
でも、変わろうとしない人々がいる。
変わらなくても生きていけると、楽に生きている人々がいる。
麗佳は嫌悪しているのだ。
楽に生きている人々を。
生きることが拷問であった自分から見たら、楽に生きられる人々に対して『羨望』してしまうことをやめることはできない。
だから。
「私の『友だち』以外は、この世界にはいらないわ」
そう告げた麗佳の瞳は火のようでありながら、極限まで冷えていた。
ドラゴンズ・ネストが襲われてから数日後。
日本にある龍機兵団詰所の執務室に、諒兵、鈴、ライラが呼び出された。
「アメリカ?」と、鈴が首を捻る。
「あぁ。アメリカにゃぁドラゴンズ・ネストっつぅ龍機兵の基地がある。そこが伝承竜の襲撃を受けた。ちぃと立て直しに苦労してっから手伝いに行くんだよ」
丈太郎がアメリカに行ってくるという話を聞かされたのだった。
行くのは丈太郎一人らしい。
戦闘部隊は日本の防衛があるし、鈴とライラは修行中だ。
しばらくの間、丈太郎が日本を留守にするという報告を聞いているのだった。
だが、丈太郎の言葉に引っかかるものを覚えたライラが問いかける。
「ドクター、あそこは戦力は世界でもトップ、しかもジェネラル・ラナマンがいるはすだ。その方が立て直しに苦労するほどのダメージを受けたというのか?」
「あぁ」
「それほどの伝承竜が襲ってきていたのかっ?!」
ライラの驚きの声に、丈太郎は一瞬逡巡するような表情を見せる。
だが、ため息をついてから肯いた。
「でかさぁともかく、能力が半端なかったらしぃ。俺も詳しくぁ聞ぃてねぇ」
「それっていつごろ?」
「俺らがデカブツと戦ってるときだ」
自分たちが必死に戦っているのとほぼ同時刻、より強力な伝承竜と戦っている者たちがいると思っていなかった鈴とライラは驚く。
「気負うことぁねぇよ。デカブツと同等の世界の脅威なんざぁ、これからいくらでも出てくる。おめぇらぁしっかり働いてくれたんだ」
「すまない」と、少しばかり気落ちした様子でライラが礼を述べると、丈太郎は苦笑を返した。
「じゃあ、蛮兄はしばらくいないのね?いつごろ帰ってくるの?」
「さすがにわかんねぇなぁ。一年で帰ってこれりゃぁいいんだが」
何分にも、向こうにいる龍機兵の軍隊U・S・ドラグナーの総責任者のアラステアが立て直しに苦労するほどなので、簡単にはいかないらしい。
「その間、日本はどうなるの?」
「戦闘は井波、政治がらみぁ春馬に頼んでる。おめぇらが直接何か言われることぁねぇが、何かあったら相談しろ」
「その点は問題ないが、アメリカまで行くとなると航空機を動かすのか?」
「アメリカが金出してくれるとよ」
さすがに大国は金回りが良くて羨ましいなと丈太郎が笑うと、鈴もライラも少しばかり困ったような顔で笑う。
いずれにしても明日には出発することになるらしい。
急な話だが、今は世界中が手を取り合わなければ竜に対抗できない。
何より、丈太郎にとってアラステアは友であり仲間だ。
友だちを助けに行くのに細かいことなど気にしていられないと丈太郎は再び笑う。
「どうしても話ぃしてぇなら龍玉つなげろ。寝てねぇ限り話しゃぁするが、あんま期待すんなよ」
「は~い」
「了解した」
素直にそう返事した鈴とライラに対し、諒兵は小さく肯くだけだった。
その日の夜。
訓練場で一人、空を見上げていた丈太郎の傍に影が近寄っていく。
「どうせ色気のある展開にゃならねえと思ったけどよ。こんなときくれえ、女将と二人きりにでもなれねえのか?」
「ませてんじゃねぇ。どした諒兵?」
そう尋ねてきた丈太郎に対し、諒兵は驚くほど素直に尋ねかける。
「死にに行く前に俺が聞きてえことに答えてくれ」
いきなりそんな言葉が出てくるとは思わなかったのか、丈太郎は少し驚きつつも、すぐに呆れた表情になる。
「誰が死にに行くか、ど阿呆」
「……何年の付き合いだと思ってんだよ。俺にごまかしが効くわけねえだろ。アメリカを襲ったヤツは俺の同類なんじゃねえのか?」
そう聞いてきた諒兵を見て、さすがに驚いたのか丈太郎は目を見張った。
その様子を見て、ため息まじりに諒兵は続ける。
「最近、変な夢見るんだよ。真っ赤な蛇が鎌首もたげて俺に襲いかかってきやがる。たいていは返り討ちにしてやってるけどな」
「やめてくれッ、お嬢ぁバケモンじゃねぇッ!」
「同類どころか知り合いかよ……」
さすがにそこまでとは考えていなかった諒兵としては、丈太郎の言葉に驚く他ない。
諒兵は自分と同じ魔王種が出現したのだろうと思ったのだが、それがまさか丈太郎の知り合いだったとは思わなかった。
とはいえ、今の反応で丈太郎が決死の覚悟でアメリカに行くことは十分に理解できる。
「話せよ」
「いつの間にか、しっかりしてきやがったなぁ、おめぇ……」
そういってため息をつくと、丈太郎は自分の罪を語った。
その内容は既に別のところで語っているが、ただ一つ付け加えるならば。
「約束してたんだよ。元気になったら一緒に遊ぼうってな」
「……最期にそれだけは果たそうってか?」
遊ぶというわけではなく、会わなければならないのなら自分から行かなければ、麗佳との約束を果たせない。
丈太郎はそう考えていた。
「俺ぁやっぱてめぇの幸せなんざぁ追えねぇ。倒せるかぁわかんねぇが、刺し違えてでもお嬢を止める」
「生き残っても、生き続ける気はねえってことか……」
丈太郎は罪を一人で背負って果てるつもりなのである。
他の四人も、巻き込むつもりはないのだ。
アメリカに出現した魔王種の竜『淫果の蛇』アシュタルテこと東堂麗佳。
彼女の命を奪うことになるのなら、自分の命は此処に捨てていくつもりなのだ。
「冬子にゃぁこう言っといてくれ。「おめぇの気持ちを弄んだだけだ」ってな」
その様を見て楽しんでただけだと、自分はただのクズだと伝えろと言って丈太郎はラボへと戻っていく。
その背中を見ながら諒兵は呟く。
「そんな嘘を見抜けねえ女が、本気で惚れるわけねえだろ」
それでも、丈太郎を止めることはできない。
罪を悔いる一人の男が、その罪を購うため命を賭して戦いに行くのだ。
その死を悲しむ者がいるとわかっていても、止めることなど許されない。
同じ男だから、それがわかる。
だが、わかるからこそ、悲しい。
「俺にゃ何もできねえのか……」
見上げた夜空に瞬く星が、酷く綺麗に見えて、諒兵はため息をついていた。




