10話「白い竜と赤の竜と少女の呪い」
人の姿に戻り、着地したことで初めて諒兵が来たことに気づき、鈴は振り向いた。
「諒兵、葛西に行ってたんじゃ……」
「全部潰してきたんだよ」
そうあっさりと答える諒兵に、義隆も人の姿に戻って声をかける。
「蛟が相手なら余裕か」
「そういうわけじゃねえけどな」
蛟は性質上水に棲む竜だ。
竜はたいてい海から来るのだが、それは日本が島国だからだ。
他国、特に中国やロシア、アメリカなどの場合、山や荒野からも来ることが多い。
砂漠が存在するアフリカでは砂漠から来るという。
日本に近い状況なのはイギリスくらいだろう。
同様に島国だからである。
余談が過ぎた。
いずれにしても、蛟は伝承で語られるとおりの性質を持っており、水に棲む。
それに対して、諒兵は炎を操る竜。
大量の水に対して火は弱いはずなのだが、諒兵の炎は海中で放たれても、海水を蒸発させながら疾走するほどの熱量を誇る。
それほどの火に対して、水に棲む竜が耐えられることはなかった。
もっとも、それは竜としての性質の話であって、諒兵個人の気持ちは、鈴がこの場で飛竜と戦っていたから急いだに過ぎないのだが。
「今ので終わりかよ?」
「そのようだ。大半は鈴川とバンブリッジが落とした」
「……焦ることなかったか」
「ううん、来てくれて嬉しい♪でも、タイミングバッチリ過ぎない?」
素直にそう言った鈴の笑顔を見て、諒兵は顔を背けた。
そんな少年らしい姿を見て義隆は苦笑する。
とはいえ、襲われる寸前で間に合うというのは難しい。
しかも、飛竜は急降下していたところだったのだ。
鈴とライラの位置を正確に把握していなければ、諒兵の攻撃は決まらなかっただろう。
だが、ちゃんと理由があった。
「鈴、お前、俺の鱗持ってんだろ?」
「えっ?うん、持ってるけど」と、そういって諒兵の鱗を取り出した鈴。
それが、仄かに温かいことに気づく。
「どういうわけだか知らねえけど、俺の鱗は身体から引き抜いても位置がわかるんだよ。俺だけにだけどな」
「えぇっ?!」
「迷子になっちまったときのために持たせてたんだけどよ、こんなかたちで役立つとは思わなかったぜ」
つまり諒兵は、自分の鱗の位置を通じて、鈴とライラの位置を把握していたということだ。
何のことはない。
飛竜は鈴の元へと高速飛行していた諒兵の前にいたので潰されただけである。
埃のように払い除けられただけだったのだ。
そんな会話を聞きながら、ライラはまだ呆然としていた。
一瞬でも恐怖に負けたことはショックだった。
だが、それはこれから克服していけばいい。
生き延びたことこそが、戦いにおける真の勝利なのだから。
だが、我慢できないことがあった。
どうしても受け入れられないことがあった。
禍々しくも鮮烈に輝くあの色を、自分が欲してやまなかった色を目の前の男が持つことがどうしても許せない。
妬ましくてたまらない。
だから。
「鈴、副長、離れてろ」
「えっ?」
諒兵の言葉が理解できず、ぽかんとする鈴を、義隆が引き離す。
直後、ギィンッという金属音が響いた。
「ウァアァァアァァアァァアァァアアァッ!」
泣き声のような叫びを上げながら、ライラが諒兵に斬りかかったのである。
ライラは両腕両脚を竜化させ、右手にレイピアを作り出していた。
それだけではなく、額や目の脇といった顔面にも金属の白い鱗が生えてきている。
興奮したり、戦意を高めた龍機兵はたいていは額辺りから金属の鱗が生えてくる。
すなわち、ライラが興奮している証である。
だが、諒兵は右腕のみを竜化させ、ライラのレイピアを爪で受け止めていた。
「研ぎが足んねえよ」
誠吾の刃やバーナードのレイピアのように研ぎ澄まされていれば受け止めることは難しいが、ライラはピストルこそ強力だが、レイピアはそこまで鍛えられていなかった。
一方、諒兵は戦場でその爪と牙を鍛えてきている。
武器としての錬度に差があるのである。
「うるさいッ、うるさいッ、うるさァいッ!」
そう叫ぶライラは、レイピアを振り回して諒兵に迫る。
だが、諒兵は右手の爪でレイピアを弾きながら、バックステップであっさりと攻撃を避けていた。
様子を見る限り、諒兵のほうにかなり余裕があるので、最悪の事態にはならないだろう。
だが、鈴としてはこんな光景は見たくなかった。
「ライラッ、もうやめてッ!」
そう叫び、翼を広げようとする鈴だが、ぽんと肩を叩かれ、思わず振り向く。
そこには丈太郎がいた。
「蛮兄っ、止めてっ!」
「大丈夫だ。諒兵の様子見る限り、そんな酷ぇことにゃぁならねぇ。むしろとことんやらせろ」
「何でよっ?!」
「溜まったもん吐き出させねぇとライラのほうが潰れっちまう」
日本に来たことで、心の奥底に溜めていたものがようやく噴き出したのだ。
イギリスでは絶対に出せなかった感情が。
「出せなかった感情?」
「見てりゃぁわかる。あの娘っ子のコンプレックスを解消してやらねぇと、いずれ肥大化して呑みこんじまうかんな」
だからこそ、丈太郎はライラを日本に来させるようにアーサーに提言したのだ。
アーサーの傍にいては決して出せない気持ちを、ライラはずっと抱え込んでいた。
それを吐き出させるために。
少なくとも今は手を出す気がないし、丈太郎は今暴れることはライラにとって大事なことだという。
仕方なく様子を見守ることにした。
そんな彼女の耳に丈太郎と義隆の会話が入ってくる。
「海馬はどうした蛮場?」
「数ぁ多かったが、全部潰した。しかし、蛟はともかく海馬がここに来るってなっと、何かでけぇのが来そうだな」
もともと地域で言えばヨーロッパの海にいる怪物的な竜だ。
それがわざわざ日本まで来るとなると、この近辺で育ったというより、何かと一緒に移動してきたのではないかという。
無論、外国の伝承竜が日本近くの海では育たないということもないのだが。
「毒竜はどうなったか見てきたのか?」
「俺が終わったころにゃぁ、井波が叩き潰してたぞ。腹ぁ減って仕方ねぇとよ。女将に飯頼んどいた。そろそろ戻ってくんだろ」
「ヤツが先触れだとするなら、かなりの大物が来るな。……井波も大変だ」
そう言って義隆は苦笑する。
戦闘部隊の隊長である以上、誠吾は出ないわけにはいかないので、確かに大変だろう。
次は協力して戦う必要がある。
そのためにも、今はライラがその気持ちを落ち着ける必要がある。
「ここぁ俺が見とっから、先に飯に行っていいぞ」
「放っとくこともできんからな。最後まで見ておくさ」
丈太郎の言葉にそう答えた義隆は、不安そうに見つめる鈴に苦笑いしながら、ライラと諒兵の戦いの様子に目を向けた。
レイピアを振り回しているだけでは埒が明かない。
そもそも諒兵は右腕しか竜化させていないのだ。
ライラは両脚も竜化させている。
それなのに諒兵は脚は人間のままで、レイピアを捌きながら適度に距離を保っているのだ。
両脚を竜化させれば、追いつけない可能性がある。
何よりショックなのは、相手にそう考えられているということだ。
これではまるで城壁で訓練していたときと同じだ。
この状況を打破したい。
そう考えたライラはレイピアを左手に持ち帰ると、右手にはピストルを作りだした。
「おもしれえもん作れんだな」
それを見た諒兵はニッと笑う。本当に面白いと思っているのだろう。
だが、その表情がライラの癇に障った。
「舐めるなァッ!」
「おっと。さすがにコイツは受けらんねえな」
そう言いながら、諒兵は先ほどよりも迅く動いて弾丸を避ける。
両脚を竜化させることで、移動スピードを上げたのだ。
さすがにライラのピストルの弾丸は受け止められないと判断したらしい。
実際、飛竜を一撃で倒せる弾丸は、よく練り上げられた武器だ。
十分以上の威力がある。
「喰らえッ!」
「おっととっと」と、口調は比較的軽めながらも、諒兵は鋭い目で銃口を睨み、しっかりと避ける。
さらに。
「くッ!」
「おっかねえ武器だな。たいしたもんだぜお前」
離れるのは危険だと考えたのか、距離を詰めてきた。
引き金を引く瞬間を狙って銃口を逸らすことで、無駄撃ちを誘う。
ならば、レイピアをメインに戦うしかないが、ライラはバーナードほどレイピアの扱いに長けているわけではない。
ゆえに訓練を続けてきて考えたのが、距離を取るための使い方だった。
「なるほどな」
レイピアで相手を近づかせず、ピストルを構えられる空間を空ける技術を学んできたのである。
ゆえに、レイピアとピストルは流れるようにその動きが連動している。距離が広がった一瞬を狙い、引き金を引く。
「チッ!」
と、さすがに諒兵も舌打ちした。
避けるのがぎりぎりになってしまったからだ。
ライラはピストルをメインの武器としながらも、接近戦型の戦いができるのである。
こうなるとレイピアの長さの分だけライラのほうがリーチが長くなる。
ピストルという中距離以上を制することができる武器を持っている分だけ、ライラのほうが戦闘において優位だ。
さすがに右腕一本だけで捌くのは無理が出てきた。
ゆえに。
「くゥッ?!」
「わりいな。俺はもともと格闘術を使うんだ」
レイピアを右手で捌きつつ、銃口を足で逸らす。
羽田で見せたような豪快なサマーソルトではなく、器用な足技だ。
今まで見たことがなかった攻撃に、ライラは思わず舌打ちしてしまう。
「貴様ッ!」
だが、初見であることはライラも諒兵も同じだ。
今日まで一緒に訓練してきたことがないのだから、お互い次の手札がわからない。
ゆえに条件は互角。
だが、経験が互角ではないことが、ライラにとって不利となる。
諒兵は前線で戦ってきた。
初見で戦わなければならなかった状況など幾度もあった。
そのたびに、勘を働かせ、自分の竜としての身体を使いこなすことで生き延びてきた。
その記憶、その経験が、如何なる状況においても次の手を考える力となっている。
それがライラにはない。
訓練相手はできるだけ様々な経験を積ませてくれているが、それでも限度がある。
そして実は安心感もある。
負けても死ぬことはない。その安心感が、油断につながることがある。
それが諒兵とライラの戦士としての差だ。
負ければ死ぬ。大事なものを失う。
そのことに対する恐怖が、竜に対する恐怖を常に上回る。
決して倒れるわけには行かないのだ、と。
「くゥゥッッ!」
その差を感じてライラはさらに苛立ち、ガガガンッとピストルを諒兵の足元に向けて連射した。
「チッ!」
バックステップでは間に合わないと感じた諒兵はその場で飛び上がる。
そこを狙ってライラはレイピアを繰りだした。
浮かせることで逃げられないようにしたつもりだった。
しかし、突風が巻き起こり、ライラは思わず顔を覆ってしまう。
開いた目に映ったのは、鮮血のように赤い金属の竜の翼を広げて空に浮かぶ諒兵の姿だった。
「今のは驚いたぜ。やるじゃねえか」
そう言ってニッと笑う諒兵を追おうとして、ライラは。
「……お前、飛ばねえのかよ?」
飛べなかった。
翼を広げることができなかった。
両腕両脚くらいなら何とか耐えられるようになった。
でも、翼を広げてしまうと否が応でも見られてしまう。
自分の竜としての色を衆目に晒してしまう。
そんなことにはとても耐えられなかった。
「何で……」
「ん?」
「何でお前は赤い翼を持てたんだッ!」
我慢できず、ただ激情のままにライラは叫ぶ。
「どうしてだッ、どうして私の翼は白くなってしまったんだッ!」
「私にだってッ、赤い竜の血が流れているはずなのにッ!」
「他の何色だって構わないッ、どうして『白』なんだッ、どうしてッ?!」
涙を堪えきれず、ライラはその場に蹲るように崩れ落ちる。
そしてまるで隠そうとするかのように、白い金属の鱗がライラの身体の中に消えていく。
そんなライラの前に、諒兵は身体を人に戻して着地した。
「私は……『白』は嫌いだ……」
貴族や騎士ではなく弱々しい一人の少女になってしまったライラの姿を見て、諒兵は呟く。
「お前、俺が許せないんじゃなくて、自分が許せないんだな……」
それは間違いなく真実だったのだろう。
直後、パァンッという乾いた音が響いた。
青い瞳を涙に濡らしたまま、ライラが諒兵の頬を叩いたのだ。
そのまま、逃げるようにライラは詰所の中へと駆けていくのだった。
そんな光景を見て、鈴が不安そうに尋ねかける。
「蛮兄、これで良かったの?」
「ここからだ。鈴、『グウィバー』って竜を調べてみろ。諒兵のど阿呆にゃぁ言っても勉強しやがらねぇかんな」
「ぐうぃばー?」
「ウェールズの伝承に出てくる竜だな」
義隆が納得したように呟く。
もっとも、鈴は知らなかったらしく、再び丈太郎に尋ねた。
「ウェールズって?」
「そこからか。イギリスん中にある国の一つだ。バンブリッジ家はウェールズに領地を持ってる貴族なんだよ」
飯の後にでも資料庫を漁れといって丈太郎は義隆を誘って食堂に向かう。
かなり厳しい戦闘だったのだ。
鈴も厨房を手伝う必要があるだろう。
しかし今は、ちゃんとアドバイスをくれたことに感謝したい鈴だった。
そして「諒兵っ!」と、鈴は立ち尽くしたままの諒兵に声をかける。
それでようやく気を取り直したらしく、頭をポリポリと掻きながら鈴のほうへと顔を向けてきた。
「女に泣かれんのは、けっこう堪えるんだな。避けらんなかったぜ」
「あそこで避けたらダメでしょ」
ライラの辛い思いを少しでも受け止めたいと思うなら、ベターな行動ではあっただろう。
まあ、あまり仲良しになられても、鈴としては困るのだが。
「それより、蛮兄が『グウィバー』って竜について調べろだって」
「……そういやバンブリッジが来るって聞いた日にそんなこと言ってた気がすんな」
「だと思った。だからご飯の後で一緒に調べるわよ?」
「がんばれよ」
「あんたもやるのっ!そもそも最初に言ってくれればよかったのに今の今まで忘れてたんでしょっ?!」
「俺のせいじゃねえ」
「放り出すなっ、おバカっ!」
つくづく勉強に関してはまったくやる気のない諒兵だった。
そんな諒兵を引きずりながら、鈴も食堂へと向かう。
「あ、そだ」
「どうしたんだよ?」
「ライラにもご飯持ってかなきゃ。あー、でも、私が持ってっても食べないかも……」
「あ?」
「私の翼も赤いんだもん。ライラのこと刺激しちゃう」
確かに鈴の翼は紅色で赤いと言っても差し支えない。
むしろ、ライラは自分の翼の色を見て、複雑な思いを抱いていたに違いないと鈴は思う。
「気になるなら女将にでも頼めよ」
「そうしよっかな。私がボディガードすれば……、うんにゃ、蛮兄に行かせよっと♪」
一見、能天気にも思える鈴だが、どんなときでも前向きに考えられるのは立派な強さだ。
だから、辛い思いを秘め続けていたライラを助けるべく、鈴はいつもどおり元気に歩き出した。




