12話「巨竜と少女と赤の竜」
旧東京都北区池袋居住区。
居住区は、場所にもよるが平均して約十キロ四方の円形であり、高さはだいたい五十メートルほどだ。
そんな中に三十メートルの巨大な物体が入ってくれば、存在感は半端ではない。
存在する建築物のほとんどが、ファフニールより小さく、大きくても同じくらいだった。
余談だが、先ほどファフニールは強化ガラスのドームの上に乗った状態で、腕力だけで割ってみせたのである。
それだけでもどれほどの膂力があるのかわかろうものだった。
そんなファフニールは、居住区に侵入してきた後、ゆっくりとした動きで中を物色するように移動し始めた。
「何やってんだろ?」
「餌を探してんだね」
餌とはいうが、それは実際には居住区の住人、つまり人だ。
正確には生物だが、今の時代、のん気にペットを飼っている人間はほとんどいない。
ゆえに、皮肉なことに居住区で竜の餌になり得るのは人だけであった。
だが、ファフニールの動きを見ていると、逆に幸運だったと思える。
「アレだけ遅いと逃げやすいかもしれないね」
「ですね。一匹で来てくれてるなら……」
「イヤ、違うか」
「えっ?」
「上を見てみな」
冬子の言葉に従い、空を見上げると、上空百メートルほどのところを何かの影が飛び回っている。
その形を見て、鈴はピンと来た。
「確か、ワイバーン……」
「ああ。飛竜だ。そうか、あいつは仲間の分の餌も探してんのか」
それが正解だったらしく、ファフニールはゆっくりと動いているのは、人がいそうなところをじっくりと探しているためだった。
『ワイバーン』
一般的に西洋のドラゴンというと、四本の脚と翼を持つ蜥蜴というイメージだ。
それに対して、ワイバーンは二本の脚に翼を持つ。
どちらかといえば鳥類に近い形状をしており、この時代、一応はドラゴン型の一種とされているが、地を歩くよりも空を飛んでいることのほうが多い。
古くはイギリスに紋章に使われていた図柄であり、実際にイギリスでは今でもワイバーンを紋章の図柄として用いているところもある。
ファフニールがその巨体を除けば、翼を持つ巨大な蜥蜴といったドラゴンらしい形状をしており、今はゆっくりと地を歩いているので、ある意味好対照の組み合わせといえるだろう。
「目的はあっちの餌探し?」
「自分の分もだろうさ」
「でも、そうすると、あのおっきいのよりワイバーンのほうが危険ですよね?」
「あいつら、かなり速いからね」
ファフニールが本気で走っていないため、遅いかどうかは判然としない。
だが、空を飛ぶワイバーンのスピードはマッハを超えるということが発表されている。
例えば、音速機が地面スレスレを飛んだらどうなるか。
すべて吹き飛ばされるか、薙ぎ倒されるだけだ。
もっとも餌まで吹き飛ばしては意味がないので、音速飛行はしないだろうが。
ただ、そのスピードは、仮にゆっくり飛んだとしても確実に自分たちが走るより速い。
「……建物づたいに移動しましょう」
「それしかないみたいだね」
ゆっくり餌を探しているファフニールよりも、上空から襲ってくるだろうワイバーンを避けるため、鈴と冬子は建物づたいに逃げることを選択した。
居住区のシェルターは中央に位置している。
これはどの居住区でも変わらない。単純に、四方からもっとも近い距離だということだ。
居住区が基本的には円形をしているのはそのためである。
当初、入り口は複数設置し、通路を移動するタイプであった。
だが、大渋滞を起こした結果、多くの住民が犠牲になったため通路無しが基本となった。
シェルターまでの移動は住民自身に任せるほうが、各個人のペースで行動できるため生存率が高いということだ。
かといって、例えば走る速度が速い者が生き残れるとは限らない。
無論、生き残る可能性は高い。
だが、身体能力に劣る者は、その分、普段の生活で避難を意識しつつ行動するなど、単純に身体能力だけが生き残る方法ではないということが、今は明らかになっている。
「まだ、飛竜は襲ってこないね。逃げ遅れた人は他にもいるけど」
「あのおっきいのが見つけるのを待ってるんですかね?」
「だろうね。後は、あいつならシェルターも破壊できるかもしれない。それを待ってる可能性があるね」
ならば、シェルターに逃げるのは悪手か。
実はそうとばかりは言えない。
龍機兵はこういうときのためにいる。
仮にシェルターが壊されるとしても、先ほどのドームの強化ガラスのように、ある程度は時間を稼ぐことができる。
シェルターは居住区の住民全員を収容できるギリギリの大きさまで小さくすることで、とにかく頑強に作ってある。
ならば、すぐに壊されるということもないだろう。
当然、時間がかかる。
その時間で龍機兵が移動できるということだ。
生身で竜の傍をうろつくよりは、はるかに安心できるだろう。
「シェルターの入り口が見えたら走ります?」
「それしかないだろ?」
幸いなことに鈴も冬子も身体能力は低くない。
あのゆっくりした動きを続ける限り、ファフニールに追いつかれることはないだろう。
ゆえに、気をつけるべきはワイバーンとなる。
空から強襲されたらひとたまりもないからだ。
そのため、できるだけ入り口に近いところまで建物の影を進んでいた。
一方。
「諒兵ッ翼だけにしとけッ!腹ぁ空いてもたねぇぞッ!」
『わかってらあッ!』
ジョウタロウの言葉に従い、諒兵は翼だけを残して、全身の竜化を解いた。
血のように赤い翼と、普段の姿へと変わる。
その隣を緑色の金属の翼を生やした丈太郎が一緒に飛んでいた。
「何だって女将は鈴川と一緒に出かけたんだッ!」
「鈴川が思い詰めてるみてぇだっていってな。気を利かせたらしぃ」
「それで竜に襲われてりゃ世話ねえぞッ!」
「あいつのせいじゃぁねぇッ!」
語気を荒げる丈太郎に、諒兵は少なからず驚く。
ただ、その態度で丈太郎がどう思っているかに気づいた。
「何だよ、やけに肩持つな」
「あいつとの付き合いぁ長ぇかんな。それだけだ」
本当にそれだけだったなら、あんな叫びは出ないだろう。
でも、それだけにしておくしかないのだと一番理解しているのが丈太郎なのだ。
その点は、諒兵も変わらない。
鈴を死なせる気はない。
でも、だからといって、それ以上近づく必要はない。
自分は、自分たち龍機兵は、バケモノなのだから。
「池袋にゃけっこう人がいるんだっけか?」
「この辺じゃ一番でけぇ」
「もう少し急ぐぜ。着いたらすぐに殺し合いだろ」
「あぁ」
その答えを聞き、諒兵は両腕を竜化させ、戦闘準備をしつつ飛ぶスピードを上げるのだった。
ようやく入り口が見えるところまで来た鈴と冬子は、周囲に視線を走らせた。
「……向こうにも何人かいますね」
「タイミングを合わせてる余裕はないから、向こうが走りだしたらすぐに走るよ」
「はい」
「……もう一度言っとくけど、アタシはあんたを見捨てるからね」
「……私も、ちゃんと見捨てます……」
冬子としてはそこが一番気になるらしい。
情の深い人間は感情に突き動かされて自分の命を捨ててしまう可能性がある。
それでも、まだ少女といえる鈴を死なせたくない。
ただ、それは鈴も同じだった。
「行くよッ!」
「はいッ!」
心のどこかに迷いを抱いたまま、鈴は走りだす。
大切な人たちを守れる力。
もし、それが自分にもあったなら大切な人を守って戦えるのに。
何より、諒兵を一人で戦わせたりしないのに。
そう思わずにはいられなかった。
そんな思いを振り切るように必死に走るが、まず一つ目の予測が外れた。
「速いッ!」
ファフニールは人の姿を目にしたとたん、走りだしたのだ。
巨体にもかかわらずそのスピードは速い。
しかも、周囲の建物を壊しながら走ってくるため、瓦礫が飛んでくる。
「冬子さんッ上からもッ!」
さらにはワイバーンも人の姿を見つけるなり、急降下してきた。ここで二つ目の予測が外れた。
瓦礫が人の足を止めることをファフニールの姿から学んだのか、わざと高い建物に激突して瓦礫を落としてくる。
これならまだ、普通に飛んでくるほうがありがたいくらいだ。
だが、走りだしてしまった以上、止まることは死を意味する。
シェルターの入り口まで駆け抜けるしかない。
周りの全てを見捨てて、自分だけでも助かる。
それが今の鈴にできる生き残るための方法だ。
そのルールが正しいと理解しているからこそ、降り注ぐ瓦礫を避けきれない冬子の姿を見て、身体は勝手に動いてしまった。
「鈴ッ!」
ドンッと思いっきり冬子を突き飛ばし、落ちてくる瓦礫を避けながら、頭を抱えて蹲った。
そんな鈴を埋めてしまうかのように、無情にも瓦礫が降り注ぐ。
そのまま鈴は意識を失った。
突き飛ばされた冬子は予想される中で最悪の行動を取った鈴に憤ってしまう。
「どうしてあんたって子はッ!」
そう毒づくも、身体は動かない。動けない。
口でどんなに見捨てるといっても、人を見捨てられるような割り切り方なんて冬子にはできない。
だから、鈴にだけは言い聞かせたというのに。
それでも、やはり鈴も見捨てられなかった。
結局、人は感情で動いてしまうのだ。
正しいルールをキチンと守るよりも、自分の心のままに動いてしまうのだ。
だから、冬子は動けなかった。
そこに、数十匹のワイバーンが襲いかかってくる。
「あーもう、あの世に行ったら叱ってやるからね、鈴」
せめて楽に死なせてほしいと目を閉じた冬子の耳に飛び込んできたのは知っている男の声。
「冬子ぉッ!」
そして、唐突に抱き上げられてしまう。
「れっ?」
「ざけてんじゃぁねぇぞ」
静かな声だった。
だが、その表情はまるで鬼のようだった。
所々生えだしている緑色の金属の鱗のせいで、本当に鬼の顔のように見えてくる。
「てめぇらにゃぁ、誰も喰わせねぇ」
そう静かに呟くと、その男は緑色の金属でできた七つの蛇の頭を操り、空を舞うワイバーンに光の矢を撃ち放つ。
すぐに何匹かのワイバーンが爆散した。
冬子が振り向くと、ファフニールの前には、赤い金属の翼を生やし、両腕両脚が竜の手足と化した一人の少年がいる。
だがおかしい。
少年の身体からは血のように赤い金属の鱗が生え始め、さらにその隙間から炎が噴き出している。
「とっととその汚え足をどけやがれッ!」
ファフニールは鈴が埋まった瓦礫の上に足をかけ、まるで宝物のように抱いていたが、炎を纏った少年の一撃で驚くことに横倒しになった。
一体どれほどの威力があったのだろうと不思議に思う。
そして、自分を抱き上げる男の名を呼んだ。
「丈兄……」
「懐かしぃ呼び方ぁ止めてくれ。俺もお前ももういい年だ」
苦笑いする丈太郎に、冬子も苦笑を返す。
だが、すぐに気づいた。
「そうだっ、鈴がッ!」
「わかってるッ!兄貴ッ鈴川は俺が掘り起こすッ!」
「急げ諒兵ッ!俺ぁ飛竜どもを墜とすッ!けどそれ以上『燃えんな』ッ!」
「わかってらあッ!」
諒兵の答えを聞くなり、丈太郎は冬子を抱き上げたままシェルターへと走りだす。
「俺の近くから離れんな。俺ぁシェルターも守らにゃぁなんねぇ」
「わかってるよ。あんたは人を見捨てちゃダメだからね」
「厳しぃなぁおめぇは」
「姉さんみたいに優しくないからね」
そんな会話を楽しんでいる自分がいることに冬子は気づく。
自分は向こう側にはいけない。
でも、決して離れない。
それで丈太郎が苦しむのなら、竜を解き放った罰としてちょうどいいかもしれない。
だから。
「アタシがあんたの傍で見張ってるから、あんたは誰も死なせるな」
「あぁ」
そう答えたときの丈太郎の優しい目に、喜んでいる自分がいる。でも、それを否定する気はなかった。
ただ。
「鈴は……もう手遅れだろうね……」
「まだ死んだかどうかわかってねぇぞ」
「そうじゃないよ……」
似たような想いを抱いているために、鈴の未来を冬子は予見していた。
諒兵は、鈴が瓦礫に埋まっていく様子を見ていた。
急いだが間に合わなかった。
だから、鈴を埋めている瓦礫に八つ当たりするように破壊していく。
「生きてろよッ!」
ほとんど希望がないとしか思えないような量の瓦礫の山を諒兵は必死に破壊していく。
そんな瓦礫の中で、鈴は目を覚ました。
「あれ、私、生きてるの……?」
上から凄まじい破壊音がしているが、まだ隙間から光が差す程度で、ほとんど真っ暗だ。
とにかく動こうとすると、左脇腹と右脚にとんでもない痛みが走った。
「あくッ!」
恐る恐る手を伸ばして確認すると、右脇腹には剣のような細い瓦礫が刺さっている。
右脚はかなり大きな瓦礫で潰れていた。
「これ、私の血……?」
血がどくどくと流れていることにようやく気づいた。
足は確実に切断。
脇腹も下手をすれば内臓まで傷ついている可能性がある。
「あは、何コレ……?」
助かる可能性が低い上に、助かったとしても右脚は確実に元通りにはならないだろう。
ましてや今は瓦礫の下だ。
掘り起こされるとしても、それまでに失血死する可能性が高い。
急いで掘り起こしてくれるならいいが、それが人だとは限らない。
竜の餌になる可能性のほうが高い。
「ダメじゃん……私……」
ここが、自分の死に場所だと鈴は悟る。
あまりに事態が酷すぎて、却って冷静になってしまっているのが皮肉だった。
ならば、せめて冬子には助かっててほしい。
自分が勝手に助けてしまったから、きっと怒ってるだろう。
「あの世で叱られるのは勘弁してほしいし」
気持ちが落ち着くまでこっちにいてくれと思ってしまう。
助かったかどうか、確認する手段がないのが口惜しいが、せめて死ぬまでは冬子の無事を願っていよう。
ただ、できるなら。
「もう一度、会いたいな、諒兵……」
そんなことを呟いた鈴の頭上で、破壊音がさらに大きくなる。
そして。
「生きてるかッ?!」
光を遮っていた瓦礫が吹き飛び、そこに血のように赤い金属の鱗を生やして炎を纏った少年が現れた。
「生きてるか鈴川ッ!」
その声に、鈴はただ呆然としてしまう。
何を言えばいいのか、というよりも、何を考えればいいのかすらわからない。
ただ、欲を言えばもう一度会いたいと思っていた少年の姿がそこにあったことが、嬉しかった。
「おいッ!返事しろ『鈴』ッ!」
「あっ……あっくぅッ!」
「待ってろッ!今全部吹き飛ばしてやるッ!」
そう叫んで右手を振り上げた諒兵は、鈴を埋めていた全ての瓦礫を吹き飛ばす。
だが、今の鈴はとても動ける状態ではない。
その様子を見て、諒兵の形相はまさに『憤怒』といっていいほどの凄まじい怒りを表していた。
「わりい、止血とかできねえからシェルターまで運ぶ」
「うん。最期に会えてよかった……」
「諦めてんじゃねえッ、まだ生きれんだろうがッ!」
「ごっ、ゴメンっ!」
思わず頭を下げた鈴。だが、すぐに諒兵の後ろに鈴の目は釘付けになった。
「諒兵後ろッ!」
「チィッ!」
ファフニールが右の前足を振り上げ、凄まじい勢いで横薙ぎに振るってくる姿が目に入ったからだ。
「クソッタレがァッ!」
諒兵はその一撃を身体全体を使って受け止めたのだった。




