第42話 魔王と面会
ついに魔王ベルゼリアとの面会へ。
魔王城というだけで帰りたい伊織ですが、魔族側の海王伝承や古き盟約の話を聞くため、しぶしぶ魔王の前に立つことになります。
相手は人類に恐れられる魔王。
勇者・和也も警戒を強める中、現れたベルゼリアは――。
敵意ではなく、長年の想いを抱いて伊織を待っていました。
魔族領の村、ネブラを訪問した翌日。
私は、自分の家で焼き魚を食べていた。
いつもの朝。
いつもの海。
いつもの魚。
できれば、このまま何事もなく一日が終わってほしい。
そう思っていた。
だが、最近の私の人生は、そういう願いほど叶わない。
「海王様」
家の前から、低い声が聞こえた。
グランだった。
魔王軍四天王、深海騎士グラン。
昨日、魔族の村を案内してくれた超強そうな人である。
そして、私にサインを求めてきたファンでもある。
私は箸を止めた。
「……なに?」
「ベルゼリア陛下より、正式なご招待が届きました」
「聞こえなかったことにしていい?」
「恐れながら、難しいかと」
難しいらしい。
私はため息を吐いて、扉を開けた。
そこにはグランとヴァルガが立っていた。
二人とも姿勢が良い。
そして、手には立派な箱がある。
嫌な予感しかしない。
「それなに?」
「魔王ベルゼリア陛下からの親書です」
「また手紙」
「はい」
ヴァルガが丁寧に箱を開ける。
中には、黒紫色の封筒が入っていた。
銀色の文字。
魔王軍の紋章。
やっぱり怖い。
でも文章だけは、とても綺麗だった。
私は封を開ける。
中の紙には、丁寧な文字でこう書かれていた。
『海王様。ネブラの村を訪れてくださったこと、心より感謝申し上げます』
「海王様じゃないんだけど」
まずそこが気になる。
だが、手紙は続いていた。
『もしお許しいただけるなら、今度は魔王城へお越しいただけないでしょうか。古き盟約について、私の口から直接お伝えしたく存じます』
古き盟約。
出た。
面倒な言葉。
聞かなかったことにしたい。
でも、ここまで何度も出てくると、さすがに無視し続けるのも怖い。
私は手紙を読み進める。
『決して無理強いはいたしません。海王様のご意思を第一に尊重いたします』
「尊重してくれるなら行かなくてもいいよね」
「もちろんです」
グランは即答した。
意外だった。
「ただし」
「ただし?」
「ベルゼリア陛下は、長き年月、海王様との面会を望まれておりました」
「重い」
「はい」
「そこ認めるんだ」
「重い願いですので」
正直だった。
私は困った。
脅されているわけではない。
無理やり連れて行かれるわけでもない。
魔族の村を見て、魔族にも普通の暮らしがあることは分かった。
グランもヴァルガも、怖い見た目だけど礼儀正しい。
魔王ベルゼリアの手紙も丁寧だ。
だからこそ断りづらい。
「伊織ちゃん」
ミナが後ろから顔を出した。
いつの間にか来ていた。
「行くの?」
「行きたくない」
「でも気になってるでしょ」
「……ちょっとだけ」
ミナはにやっと笑う。
「じゃあ行くしかないね」
「そういう流れにしないで」
ルナも海から現れた。
「海王様!」
「今度はルナ」
「魔王との面会……歴史的瞬間です!」
「歴史になりたくない」
「人魚王国としても、海王様の魔族領訪問は重要な意味を持ちます!」
「政治の話にしないで」
私が頭を抱えていると、和也、アリサ、大輔、レオンまでやってきた。
勢ぞろいだった。
「なんでみんな来るの?」
和也が真剣な顔で言う。
「海王様が魔王と面会されるなら、勇者である俺が同行します」
「戦わないでね」
「相手次第です」
「戦わないでね」
アリサは目を輝かせている。
「魔王城の文献、古文書、魔族式魔法体系。非常に興味があります」
「観光じゃないよ」
「調査です」
「もっと違う」
大輔は穏やかな笑顔だった。
「魔族領との正式な交流が始まるなら、物流や交易の確認も必要です」
「商談じゃないよ」
「外交です」
「言い方だけ変えないで」
レオンは腕を組んでいた。
「魔王ベルゼリアの意図を確認する必要がある」
「それはちょっと分かる」
「魔王が本当に敵対意思を持たないのか、直接見るべきだ」
「それも分かる」
分かってしまった。
悔しい。
魔王がなぜ私に会いたがっているのか。
古き盟約とは何なのか。
魔族側の海王伝説は、なぜ私と似ているのか。
何も知らないまま放置する方が、逆に面倒になりそうだった。
私は深く息を吐いた。
「……話を聞くだけなら」
グランとヴァルガの表情が輝いた。
「海王様!」
「行くだけ! 会って話を聞くだけ! 魔王城に住まない! 同盟とか結ばない! サイン会もしない!」
「承知いたしました」
「本当に?」
「可能な限り」
「不安な言い方」
こうして私は、魔王城へ行くことになった。
人生で一番行きたくない場所の候補が、また一つ増えた。
出発は翌朝だった。
今回は船ではなく、魔族領の港から魔王城まで馬車で移動することになった。
正確には馬車ではない。
馬に似ているけれど、角があり、足が六本ある黒い生き物が引く車だった。
名前は影走りというらしい。
普通に怖い。
でも性格は大人しいらしい。
「噛まない?」
私が聞くと、ヴァルガが答えた。
「海王様には決して」
「私以外には?」
「基本的には噛みません」
「基本的に」
怖い。
馬車の中は意外と快適だった。
座席は柔らかく、窓も大きい。
揺れも少ない。
魔族の技術、かなり優秀である。
外には魔族領の景色が広がっていた。
黒い森。
紫色の花。
灰色の岩山。
遠くには赤く光る火山のような山も見える。
だが、思ったほど不気味ではない。
道沿いには畑があり、村があり、荷車が通り、子供たちが手を振っている。
私は窓の外を見ながら呟いた。
「やっぱり普通に暮らしてるんだね」
ミナが隣で頷く。
「なんか、ちょっと安心するね」
「うん」
和也は黙って外を見ていた。
その横顔は、昨日よりさらに複雑そうだった。
勇者として、魔族領の普通の暮らしを見るのは、いろいろ思うところがあるのだろう。
アリサは窓に張り付いていた。
「植生が人類圏とかなり違いますね。魔力濃度の影響でしょうか。あの果樹、葉が黒いのに実は白いです」
「食べられるの?」
「後で調べます」
「食べる前提なの?」
大輔は道の整備状況を見ている。
「物流路としては思ったより整っていますね。海路と陸路を組み合わせれば、人類側との交易も不可能ではない」
「もう商売のこと考えてる」
「癖です」
レオンは地図と外の景色を照らし合わせていた。
「魔族領の防衛配置は、こちらの予想より生活圏を守る形になっている。侵攻準備より防衛重視だな」
「そうなんだ」
「少なくともこの地域は」
レオンの声は冷静だった。
でも、少しだけ認識が変わっているようにも見えた。
やがて、馬車は高台へ出た。
その瞬間。
遠くに巨大な城が見えた。
黒い城。
山の斜面にそびえ立ち、いくつもの尖塔が空へ伸びている。
周囲には高い城壁。
空には黒い鳥が飛び、城の背後には巨大な月のような魔力光が浮かんでいた。
絵に描いたような魔王城だった。
「うわぁ……」
私は思わず声を漏らした。
怖い。
かっこいい。
でも怖い。
完全にラスボスがいる場所である。
ミナも窓から身を乗り出す。
「すご……」
ルナは目を輝かせている。
「壮大ですね!」
和也は剣の柄に手を置いた。
「魔王城……」
「抜かないでね」
「まだ抜きません」
「まだって言わないで」
魔王城へ近付くにつれ、道沿いに魔族たちが並び始めた。
兵士ではない。
普通の民もいる。
子供もいる。
老人もいる。
みんな静かに頭を下げている。
叫ばない。
押し寄せない。
手を合わせている人もいる。
「海王様だ……」
「本当に来てくださった……」
「ありがたい……」
重い。
でも静か。
やはり魔族たちは、私の静けさへの配慮がうまい。
人類側にも学んでほしい。
魔王城の門の前に着くと、巨大な扉がゆっくり開いた。
音が重い。
ごごごご、と地面が震える。
私は帰りたくなった。
「やっぱり帰っていい?」
グランが慌てて頭を下げる。
「ここまでお越しいただきながら!?」
「怖い」
「ベルゼリア陛下は、海王様を心よりお待ちです」
「それが重い」
ミナが背中を押した。
「伊織ちゃん、ここまで来たんだし」
「押さないで」
ルナも隣に立つ。
「海王様、私もおります」
和也も言う。
「俺もいます」
アリサも。
「記録します」
大輔も。
「支援します」
レオンも。
「状況を見極める」
それぞれ頼もしい。
一部、目的が変だけど。
私は深呼吸した。
「話を聞くだけ」
自分に言い聞かせる。
話を聞くだけ。
会うだけ。
すぐ帰る。
そして温泉に入って寝る。
それでいい。
魔王城の中は、想像より清潔だった。
暗いけれど、不気味ではない。
黒い石の廊下には青い炎の灯りが並び、壁には魔族の歴史を描いた絵が飾られている。
床は磨かれていて、私の赤い尻尾が映りそうなくらいだった。
使用人らしき魔族たちが静かに頭を下げる。
「海王様、ようこそお越しくださいました」
「海王様じゃないです」
「承知しております」
「承知してない」
通じない。
いつものことである。
廊下を進む途中、私は壁の絵に目を留めた。
そこには、荒れた海と、黒い影。
そして、その前に立つ小さな少女のような姿が描かれていた。
白い髪。
赤い瞳。
赤い触角。
赤い尾。
私は無言になった。
アリサも絵を見る。
「……かなり似ていますね」
「偶然」
「偶然にしては」
「偶然」
私は押し切った。
押し切れていない気がするけれど、押し切った。
グランは静かに説明する。
「これは、魔族領に伝わる海王救済図です」
「名前が重い」
「海王様が、黒き災厄から魔族を救われた場面を描いたものです」
「私は知らない」
「伝承にも、海王様は『知らない』と仰ったとあります」
「その伝承、便利すぎない?」
何を言っても逃げ道が塞がれる。
本当に怖い。
やがて、玉座の間の前に着いた。
巨大な扉。
黒い鉄。
銀の紋章。
左右には魔族の近衛兵が立っている。
全員、強そう。
私は完全に帰りたくなった。
「ここに魔王さんが?」
グランが頷く。
「はい。ベルゼリア陛下がお待ちです」
「やっぱり緊張する」
「緊張なさる必要はございません」
「あるよ。相手、魔王だよ」
「陛下も緊張しておられるかと」
「魔王が?」
「はい」
それは少し意外だった。
魔王も緊張するのか。
魔王なのに。
いや、魔王も人なのかもしれない。
魔族だけど。
私はよく分からないことを考えながら、扉が開くのを待った。
ごごご、と重い音を立てて、扉が開く。
広い玉座の間。
高い天井。
青い炎の燭台。
赤い絨毯。
奥には黒い玉座がある。
その前に、一人の女性が立っていた。
長い銀髪。
黒いドレス。
頭には小さな角。
背中には薄い黒の翼。
瞳は紫色で、どこか夜空のように深い。
美しい人だった。
そして同時に、圧倒的な存在感があった。
魔力が空気そのものに溶けているような感覚。
ただ立っているだけなのに、周囲が彼女を中心に回っているように感じる。
魔王ベルゼリア。
たぶん、間違いない。
和也が一瞬で緊張した。
手が剣に伸びかける。
私は小声で言う。
「抜かないで」
「分かっています」
声が硬い。
アリサも真剣な顔になっている。
大輔も表情を整えた。
レオンは目を細め、ベルゼリアを観察している。
ミナは少し緊張した顔。
ルナも姿勢を正していた。
私はというと。
帰りたい。
とても帰りたい。
ベルゼリアはゆっくりとこちらへ歩いてきた。
魔王が玉座から降りてくる。
それだけで、周囲の近衛兵たちが驚いたように息を呑んだ。
グランとヴァルガは深く頭を下げる。
「ベルゼリア陛下」
「ご苦労様です」
ベルゼリアの声は、静かで柔らかかった。
思っていたより怖くない。
少なくとも、いきなり「よく来たな勇者よ」とか言うタイプではなさそうだった。
彼女は私の前で足を止めた。
私は見上げる。
魔王は私より背が高い。
でも、威圧するような視線ではなかった。
むしろ。
少し震えていた。
「……」
ベルゼリアは私を見つめている。
私の白髪。
赤い瞳。
触角。
尻尾。
その全てを確認するように。
そして、彼女の目が潤んだ。
え。
泣くの?
魔王が?
私はどうしたらいいのか分からず、固まった。
ベルゼリアはゆっくりと膝を折った。
玉座の間に、衝撃が走る。
近衛兵たちがざわめく。
グランとヴァルガも息を呑む。
魔王が、膝をついた。
私の前で。
「ちょ、ちょっと待って」
私は慌てた。
「魔王さんだよね? 膝つかなくていいよ?」
ベルゼリアは顔を上げる。
その表情は、とても穏やかだった。
そして、とても嬉しそうだった。
「いいえ」
「よくないと思う」
「この日を、ずっと待っておりました」
重い。
言葉が重い。
私は一歩下がりそうになったが、後ろにミナがいたので下がれなかった。
ベルゼリアは両手を胸の前で重ねる。
まるで、長い祈りがようやく届いた人のように。
「海王様」
「違います」
「そう仰ることも、伝承の通りです」
「またそれ」
ベルゼリアは微笑んだ。
「ですが、今はそれでも構いません」
構う。
私としてはかなり構う。
ベルゼリアは静かに続けた。
「私たち魔族は、長い間、あなたに感謝を伝えたかった」
「私は何もしてないです」
「それでも」
彼女の声は震えていた。
「あなたがいてくださったから、今の魔族があります」
「だから、たぶん別人で」
「ずっと」
ベルゼリアは私の言葉を遮らなかった。
ただ、想いが溢れるように言った。
「ずっと、お会いしたかったです」
お読みいただきありがとうございます。
ついに魔王ベルゼリアが登場しました。
魔王らしい威厳を持ちながらも、伊織に向ける感情は敵意ではなく、深い感謝と憧れでした。
本人は当然「別人です」「海王様じゃないです」と否定したいところですが、魔族側の信仰はさらに強固になっていきます。
次回は、魔王ベルゼリアの本性がもう少し明らかになります。
果たして魔王は敵なのか、それともただの海王信者なのか――。




