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第38話 本人否定

魔王軍から「海王様」として迎えられてしまった伊織。


もちろん本人は、まったく納得していません。


今回は、伊織による全力の本人否定回です。


「私は海王様ではありません」

「ただの転生者です」

「働きたくないです」


しかし、魔族たちはその言葉すら深く受け止めてしまい――。


否定すればするほど、海王様扱いが強まっていきます。

「人違いです」

私は、はっきりと言った。

これ以上ないくらい、はっきりと。

窓の外で片膝をついていた魔族代表ヴァルガは、私の言葉を聞いて固まった。

よし。

伝わった。

これで分かってくれたはずだ。

私は海王様ではない。

ただの海老崎伊織。

前世では普通の人間で、今はなぜか触角と尻尾が生えた少女。

できれば海辺で静かに暮らしたいだけの存在である。

ヴァルガはしばらく沈黙した。

そして。

深く頭を下げた。

「なんという……」

「うん?」

「なんという謙虚なお言葉……!」

「違う」

伝わっていなかった。

まったく伝わっていなかった。

ヴァルガの目は感動で潤んでいる。

怖い。

魔族の強そうな男性が、私の一言で感極まっている。

状況が怖い。

「偉大なる海王様でありながら、自らを人違いと仰せになるとは……」

「だから本当に人違い」

「我らが過度に崇めぬよう、あえて身を低くなさっているのですね」

「違うってば」

「承知いたしました。このヴァルガ、海王様の深き御心、しかと受け止めました」

「受け止めないで」

受け止め方が間違っている。

私は窓を閉めたくなった。

だが、ここで閉めるとさらに変な解釈をされそうな気がする。

海王様が沈黙を選ばれた。

海王様が謎を残された。

海王様が試練を与えられた。

絶対そうなる。

私はため息を吐いた。

「ちょっと待って」

「はい」

「明日、ちゃんと説明するから」

「海王様自ら、我らにお言葉を……!」

「説明するだけ」

「ありがたき幸せ!」

「だから重い」

ヴァルガは再び深く頭を下げた。

片膝のまま。

土下座はしない約束だから、たぶんこれで我慢しているのだろう。

それでも十分目立つ。

家の前を通りかかった観光客たちが、すでにこちらを見ていた。

「魔族がまた頭下げてるぞ」

「海王様すごい……」

「新しい観光名物かな?」

名物にしないでほしい。

私は窓を閉めた。

今度はゆっくりと。

そして布団に倒れ込む。

「疲れた……」

魔王軍は敵ではなかった。

それは良いことだ。

本当に良いことだ。

だが、敵ではない代わりに、信者だった。

厄介さの種類が違う。

敵なら勇者が何とかしてくれるかもしれない。

信者はどうすればいいのか。

倒すわけにもいかない。

追い返すのも難しい。

しかも礼儀正しい。

一番困る。

私は天井を見ながら呟いた。

「明日、ちゃんと否定しよう」

そうすれば大丈夫。

きっと大丈夫。

たぶん。

少し不安だった。

翌朝。

私は広場にいた。

なぜか。

本当になぜか。

私の本人否定説明会が開かれることになっていた。

名前からしておかしい。

説明会なんて開きたくなかった。

だが、ヴァルガたち魔族使節団にきちんと説明するため、私が一度ちゃんと話す必要があるとミナに言われた。

ミナに言われると、少し弱い。

村に迷惑がかかるのも嫌だった。

だから仕方なく来た。

だが。

広場には人が多すぎた。

村人。

観光客。

商人。

冒険者。

人魚兵。

転生者連合の面々。

そして魔族使節団。

全員が私を見ている。

「なんでこんなにいるの?」

私はミナに小声で聞いた。

ミナは苦笑した。

「伊織ちゃんが魔族相手に何を言うのか、みんな気になってるんだって」

「帰ってほしい」

「もう無理かな」

無理だった。

広場の中央には、簡単な台が作られていた。

昨日までなかった。

この村は本当に何かを建てる速度がおかしい。

私は台に上がる。

下を見る。

視線が集まる。

帰りたい。

ものすごく帰りたい。

ルナが両手を胸の前で組んでいる。

「海王様、頑張ってください!」

「頑張りたくない」

「魔族の皆様にも、海王様の真実が伝わるはずです!」

「そうだね。海王じゃないって真実を伝える」

「深いです!」

「浅いよ」

和也は剣を腰に下げ、魔族たちを警戒している。

アリサは記録用の魔導具を構えている。

大輔はなぜか紙と筆を持っている。

レオンは腕を組んでこちらを観察している。

私は嫌な予感がした。

「大輔、それ何?」

「記録です」

「売らないよね?」

「内容によります」

「やめて」

商人は油断ならない。

私は咳払いした。

広場が静まる。

魔族たちは一斉に背筋を伸ばした。

ヴァルガは最前列で片膝をついている。

「立ってていいよ?」

「いえ、海王様のお言葉を賜る身ですので」

「膝」

「鍛えております」

そういう問題ではない。

私は諦めた。

そして、できるだけ分かりやすく話すことにした。

「えっと」

全員が耳を澄ませる。

「まず、大事なことを言います」

広場の空気が張り詰めた。

やめてほしい。

そんな大事なことではない。

でも大事ではある。

「私は、海王様ではありません」

言った。

はっきり言った。

これなら分かるだろう。

さすがに分かるだろう。

しかし。

魔族たちの表情が一斉に変わった。

感動。

尊敬。

なぜ。

ヴァルガが震える声で言った。

「やはり……」

「やはり?」

「海王様は、我らに肩書きではなく本質を見よと仰せなのですね」

「違う」

「名ではなく、在り方こそが重要であると……」

「違うってば」

後ろの魔族たちもざわめく。

「なんという謙虚さ」

「自ら海王と名乗られぬとは」

「だからこそ真の海王様なのだ」

「我らは試されている」

試してない。

本当に試してない。

私は慌てて両手を振った。

「違う違う。本当に違うの」

ヴァルガは深く頷いた。

「はい。海王様がそう仰ることも含め、承知いたしました」

「承知できてない!」

まずい。

否定が効かない。

いや、効かないどころか逆効果になっている。

私は作戦を変えることにした。

言葉だけでは駄目だ。

証拠を出そう。

「私はただの転生者です」

するとアリサがぴくりと反応した。

魔族たちもざわめく。

ヴァルガが静かに聞いた。

「転生者……」

「そう。前世は普通の人間。日本っていうところにいて、こっちに来たらこうなってただけ」

私は自分の触角を指差す。

「この触角も、よく分からないし」

次に尻尾を見る。

「尻尾も勝手に生えてるだけ」

これならどうだ。

自分でよく分かっていないと説明した。

偉大な存在なら、自分のことくらい分かっているはずだ。

普通はそうだ。

だが、ヴァルガは目を見開いた。

「記憶の封印……」

「違う」

「自らの偉大なる力すら隠されているとは……」

「隠してない」

「やはり、古き盟約に記された通り」

「盟約に何書いてあるの」

今度は私が聞きたかった。

ヴァルガは胸に手を当てる。

「我らに伝わる古文書には、こうあります」

「うん」

「海より来たる王、己を王と知らず」

私は固まった。

嫌な予感。

ものすごく嫌な予感。

ヴァルガは続ける。

「赤き瞳を持ち」

「……」

「海老の角を掲げ」

「触角ね」

「紅き尾を従え」

「尻尾ね」

「自らを人と称する」

「……」

それ。

私では。

いや、違う。

たまたま。

たまたま似ているだけだ。

私は慌てて首を横に振った。

「偶然だよ」

「偶然すら御身に味方するとは」

「味方してない」

駄目だ。

古文書が強い。

どうしてそんなピンポイントな文があるのか。

この世界の伏線、本人の知らないところで張られすぎである。

アリサが興奮していた。

「非常に興味深いですね。魔族側の古文書にも、海老人族らしき記述が存在する……」

「アリサ、今は研究しないで」

「ですが」

「しないで」

アリサは不満そうに黙った。

大輔は何かを書いている。

「大輔?」

「いえ、魔族圏向け宣伝文句に使えそうだと」

「使わないで」

「赤き瞳、海老の角、紅き尾。語感が良いですね」

「使わないで」

商人は本当に油断ならない。

私は深呼吸した。

落ち着こう。

焦ると負ける。

もっと単純にいこう。

「私は強くないです」

広場が静かになる。

「戦えないし、魔法も使えないし、剣も使えない。逃げるのは得意だけど、それだけ」

これは本当だ。

私は戦いたくない。

戦う力があっても使いたくない。

というか、自分の能力もよく分かっていない。

なのにヴァルガは、また感動した顔になった。

「力を誇らぬ強者……」

「違う」

「真に強き者ほど、自らの力を語らぬもの」

「だから強くない」

和也が横で頷いている。

「海王様の真の強さは、剣では測れません」

「和也、ややこしくしないで」

「失礼しました!」

ルナも続く。

「海王様は存在そのものが尊いのです!」

「ルナも乗らないで」

ミナが笑いをこらえている。

「伊織ちゃん、何言っても褒められてるね」

「助けて」

「無理かな」

無理らしい。

私は台の上で頭を抱えた。

どう否定しても、別の方向へ解釈される。

ならば。

もっと情けないことを言えばいいのではないか。

偉大な海王様なら、さすがにこれはないだろうということを。

私は顔を上げた。

「私は面倒ごとが嫌いです」

ヴァルガが頷く。

「俗世の争いを厭われるのですね」

「違う」

「私は昼寝が好きです」

「静寂を愛されるのですね」

「違う」

「働きたくないです」

「労働に縛られぬ自由の象徴……」

「違う!」

全部良い感じに変換される。

どういう頭の中をしているのか。

私は泣きそうだった。

「魚釣りと温泉と昼寝だけして暮らしたいの!」

ヴァルガが目を閉じた。

「海、湯、眠り……生命の循環を重んじる深き御言葉」

「そんな壮大じゃない!」

本当に違う。

ただの欲望だ。

低い欲望だ。

でもヴァルガたち魔族には深く見えるらしい。

魔族の感性が分からない。

いや、たぶん魔族だけではない。

周囲の村人たちも感動している。

「海王様、やっぱり深い」

「働きすぎる転生者たちを休ませたお方だもんな」

「昼寝にも意味があるんだ」

ない。

昼寝は昼寝だ。

気持ちいいからするだけだ。

私は最後の手段に出ることにした。

紙を用意する。

大きな紙。

大輔が持っていたものを奪う。

「借りるね」

「どうぞ」

私はそこに大きく書いた。

『私は海王様ではありません』

そして広場に見せた。

「これでどう?」

文字なら誤解しにくいはずだ。

口で言うから深読みされる。

書けばそのまま伝わる。

そう思った。

だが、魔族たちは紙を見た瞬間、一斉に膝をついた。

「なんで!?」

ヴァルガは震えていた。

「これは……海王様直筆の御言葉……!」

「ただの否定文!」

「家宝にいたします」

「しないで!」

大輔が目を輝かせた。

「直筆否定文、商品価値がありますね」

「売らない!」

「限定複製なら」

「駄目!」

アリサも興味深そうに紙を見る。

「筆跡資料として保存したいです」

「保存しない!」

レオンが冷静に言う。

「否定文が信仰対象化している。極めて興味深い現象だ」

「興味深がらないで!」

和也は真剣な顔で頷いた。

「海王様が否定されればされるほど、周囲はその奥にある意図を読み取ろうとする」

「読み取らなくていい!」

ルナは感涙していた。

「自ら偉大さを否定し続ける海王様……なんと尊い……」

「尊くない!」

私は紙を抱えてしゃがみ込んだ。

負けた。

完全に負けた。

否定すればするほど、海王様らしさが増すらしい。

どういう仕組みなのか。

理不尽すぎる。

その後も、私は何度か説明を試みた。

「私は普通です」

「普通であることを選ばれる偉大さ」

「海王様じゃないです」

「名乗らぬ気高さ」

「魔族とは関係ないです」

「種族を超えた超越性」

「魔王さんとも知り合いじゃないです」

「初対面の形を取られる深謀」

「帰りたいです」

「帰るべき場所を持つ者の強さ」

何を言っても駄目だった。

すべて変換される。

全部、良い感じになる。

私はついに黙った。

何も言わないことにした。

すると、ヴァルガが深く頷いた。

「沈黙……」

「……」

「これこそ、真なる肯定」

「喋っても黙っても駄目なの!?」

私は叫んだ。

広場がどっと沸いた。

なぜ笑う。

こっちは真剣なのに。

ミナはお腹を抱えて笑っている。

「伊織ちゃん、もう無理だよ!」

「無理って言わないで」

「だって何言っても海王様になるじゃん」

「なりたくない」

「でもなってる」

「なってない!」

私は必死に否定した。

だが、その叫びさえも、魔族たちは感動して聞いていた。

終わっている。

完全に終わっている。

説明会は失敗した。

大失敗だった。

むしろ、始まる前より悪化した。

魔族たちは私の否定を謙虚さと受け取り、村人たちはそれを見てさらに海王様信仰を強め、観光客は新しい伝説を目撃したと喜んだ。

大輔は「海王様否定饅頭」という案を出した。

却下した。

アリサは魔族古文書の調査を始めた。

止められなかった。

和也は私の謙虚さを見習うと言い出した。

やめてほしい。

レオンは「信仰の自己強化構造」とか言っていた。

難しくしないでほしい。

夕方。

私は家の前でぐったりしていた。

疲れた。

本当に疲れた。

一日中、私は自分が海王様ではないと説明し続けた。

その結果。

海王様としての格が上がった。

理不尽だった。

ルナが隣に座る。

「海王様、お疲れ様でした」

「その呼び方をやめてほしい」

「それはできません」

「即答」

ルナはにこにこしている。

「ですが、今日の海王様は本当に素晴らしかったです」

「失敗しただけだよ」

「己を飾らず、驕らず、ただ静かに否定され続けるお姿……皆様の心に深く響いていました」

「響かなくていい」

ミナもやってきた。

「伊織ちゃん、もう諦めたら?」

「嫌」

「でもさ、魔族たち悪い人じゃなさそうだよ」

「それはそう」

そこは私も感じていた。

ヴァルガたちは怖い見た目をしているけれど、礼儀正しい。

村で暴れることもない。

むしろ道を譲り、荷物運びを手伝い、迷子の子供を親元へ届けていた。

魔王軍という名前に反して、かなり真面目だった。

だからこそ余計に困る。

敵なら追い返せる。

良い人たちは追い返しにくい。

「魔王さんも、あんな感じなのかな」

私が呟くと、ルナが首を傾げた。

「魔王ベルゼリア様ですか?」

「うん」

「人魚王国にも詳しい情報は多くありません。ただ、近年は人類への侵攻を抑えている魔王と聞きます」

「静かな魔王」

「はい」

静かな魔王。

やはり少し気になる。

いや、会いたいわけではない。

魔王城へ行きたいわけでもない。

ただ、魔王軍がなぜ私をここまで海王様扱いするのか。

それは少し気になっていた。

古き盟約。

魔族側の古文書。

海より来たる王。

赤い瞳。

海老の角。

紅き尾。

自らを人と称する。

偶然にしては、少し気持ち悪いくらい一致している。

私は自分の触角を指でつついた。

「なんなの、これ……」

触角はぴくりと動いた。

答えはない。

その時。

港の方からどよめきが起こった。

また何か。

嫌な予感しかしない。

私は立ち上がる。

ミナも海を見る。

ルナも表情を引き締めた。

港には、ヴァルガがいた。

彼の前に、魔王軍の小舟が新たに到着している。

乗っているのは一人。

巨大な鎧をまとった魔族だった。

全身を深い青の甲冑で覆い、背中には大剣。

兜には鋭い角。

見るからに強そう。

そして、その魔族が港へ降り立つと、ヴァルガが深く頭を下げた。

「グラン様」

私は嫌な予感で固まった。

ミナが小声で聞く。

「誰?」

ヴァルガの声が港に響いた。

「魔王軍四天王が一人、深海騎士グラン様である!」

広場がざわめく。

和也が剣に手をかける。

アリサの目が光る。

大輔が何かを計算し始める。

レオンが警戒する。

そして私は。

全力で帰りたくなった。

深海騎士グランは、重い足音を響かせながらこちらへ歩いてくる。

強そう。

怖そう。

絶対に面倒そう。

彼は私の前で止まった。

そして。

鎧の隙間から、一枚の紙を取り出した。

「……え?」

グランは緊張した声で言った。

「海王様」

「はい?」

「サインをいただけますか」

私は空を見上げた。

何を言っても。

何をしても。

全部、逆効果だった。


お読みいただきありがとうございます。


伊織、全力で否定しました。

しかし、魔族側の海王信仰が強すぎて、何を言っても全部いい方向に解釈されてしまいました。


ついには「海王様ではありません」という直筆まで家宝扱いに。


本人にとっては地獄ですが、周囲にとってはありがたい御言葉です。


次回は、魔王軍四天王が登場します。

強そうな相手ですが、もちろんこの作品なので、まともな戦闘になるとは限りません。

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