第37話 海王様を迎えに来た
魔王軍大艦隊、ついに上陸。
村中が戦争の始まりを覚悟する中、魔族たちが伊織に向けて取った行動は――まさかの土下座。
「海王様をお迎えに参りました」
本人は当然、まったく心当たりがありません。
今回も伊織の否定は、周囲にまったく届きません。
港に、静寂が落ちた。
ついさっきまで魔王軍襲来だと大騒ぎしていた村人たちも、剣を抜いていた冒険者たちも、避難しかけていた観光客たちも、全員が固まっている。
理由は一つ。
魔王軍が、攻撃してこなかったからだ。
それどころか。
目の前で土下座していた。
「海王様をお迎えに参りました」
魔族代表の男は、港の石畳に膝をつき、深々と頭を下げている。
その後ろでは、小舟に乗っていた魔族たちも全員が頭を下げていた。
さらに沖に浮かぶ大艦隊の甲板でも、角のある魔族、翼のある魔族、獣のような魔族、鎧を着た兵士たちが一斉に膝をついている。
黒い帆の大艦隊。
禍々しい紋章。
どう見ても魔王軍。
なのに全員が土下座。
意味が分からない。
私はゆっくり瞬きをした。
「……えっと」
何を言えばいいのか分からなかった。
とりあえず、後ろを振り返る。
ミナがいた。
ルナがいた。
和也がいた。
アリサがいた。
大輔がいた。
レオンもいた。
全員、同じ顔をしていた。
困惑。
それ以外の感情がない。
「伊織ちゃん」
ミナが小声で言う。
「なに?」
「魔王軍って、土下座するものなの?」
「私に聞かないで」
私も初めて見た。
魔王軍土下座。
そんな言葉、前世でも聞いたことがない。
ルナは両手を胸の前で組んで、なぜか感動していた。
「さすが海王様……魔王軍ですら平伏するとは……」
「違うと思う」
「いえ! これはまさしく海王様の威光です!」
違う。
威光とかない。
あるのは触角と尻尾だけである。
和也は剣を構えたまま、魔族代表を睨んでいた。
「油断してはいけません、海王様」
「いや、向こう土下座してるけど」
「土下座からの奇襲かもしれません」
「そんな器用な奇襲ある?」
和也は真剣だった。
勇者としては正しいのかもしれない。
しかし、目の前の魔族たちは本気で頭を下げているように見える。
少なくとも、今すぐ襲ってくる気配はなかった。
アリサは冷静に魔族たちを観察していた。
「敵意は薄いですね」
「分かるの?」
「魔力の流れが攻撃用ではありません。むしろ儀礼用の陣形に近いです」
「儀礼用の土下座……」
そんなジャンルがあるのか。
大輔は商人らしく、少しだけ表情を整えた。
「これは、少なくとも交渉の余地はありそうですね」
レオンも静かに頷く。
「艦隊規模に対して、代表団の人数が少ない。攻撃ではなく接触が目的と見るべきだ」
みんな冷静になり始めている。
私はまだついていけていない。
なぜなら、魔王軍が私を迎えに来たと言っているからだ。
意味が分からない。
本当に意味が分からない。
私は恐る恐る、魔族代表に声をかけた。
「あの」
魔族代表が顔を上げる。
その目が、きらきらしていた。
怖い。
敵意がある怖さではない。
期待されている怖さだった。
「はい、海王様」
「海王様じゃないです」
まずそこからだった。
すると、魔族代表は目を見開いた。
そして、深く頷く。
「なるほど……」
「なるほど?」
「御身分を隠されるおつもりなのですね」
「違う」
「承知いたしました。我々はその御意志を尊重いたします」
「尊重できてない」
もう噛み合っていない。
一言目から噛み合っていない。
嫌な予感しかしない。
私は頭を抱えた。
魔族代表は再び頭を下げる。
「申し遅れました。我が名はヴァルガ。魔王軍外洋艦隊、第一迎海隊の代表を務めております」
「迎海隊?」
聞き慣れない言葉だった。
ヴァルガは誇らしげに答える。
「海王様をお迎えするために編成された、魔王軍直属の儀礼艦隊でございます」
「儀礼艦隊」
つまり。
あの黒い帆の大艦隊。
いかにも攻めてきましたという見た目の船団は。
歓迎用らしい。
見た目が悪すぎる。
もっと白い旗とか花とか使ってほしい。
なぜ黒帆に赤い角の紋章なのか。
完全に襲来である。
和也が一歩前に出た。
「魔王軍が海王様に何の用だ」
声が鋭い。
勇者と魔王軍。
普通なら完全に敵対関係だ。
ヴァルガは和也を見る。
「勇者よ。我々は貴殿と争うために来たのではない」
「なら、なぜ大艦隊で来た」
「礼を尽くすためだ」
「礼?」
「海王様をお迎えするにあたり、小舟一隻では失礼にあたる」
「だから大艦隊?」
私は思わず聞いた。
ヴァルガは真剣に頷いた。
「はい」
「規模感おかしいよ」
歓迎が重い。
非常に重い。
大艦隊で来る歓迎とは何なのか。
村が大混乱した時点で、かなり失敗していると思う。
ミナが小声で笑う。
「伊織ちゃん、歓迎されてるね」
「嬉しくない」
「でも敵じゃなくてよかったじゃん」
「それはそうだけど」
敵ではない。
それは本当に助かった。
でも、別の種類の面倒ごとが来た気がする。
私には分かる。
これは絶対に長引く。
その時、沖の大艦隊から一斉に音が響いた。
どん。
どん。
どん。
太鼓の音だった。
村人たちがびくりとする。
冒険者たちも武器を構える。
和也が剣を握り直す。
私も反射的に肩を震わせた。
「なに!?」
ヴァルガが慌てて頭を下げる。
「申し訳ございません! 歓迎の儀の太鼓でございます!」
「怖い!」
歓迎の音が怖い。
完全に開戦前の合図にしか聞こえなかった。
さらに船団から角笛の音が響く。
ぶおおおおおお。
低く、重く、海全体を揺らすような音だった。
観光客の一人が悲鳴を上げた。
子供が泣き出した。
土産物屋のおじさんが非常用饅頭を落とした。
「それも歓迎?」
私が聞くと、ヴァルガは気まずそうに頷いた。
「はい。魔族式の歓迎角笛でございます」
「やめて」
「ただちに止めさせます!」
ヴァルガが手を上げると、太鼓と角笛はぴたりと止まった。
港に再び静けさが戻る。
いや、ざわめきはある。
村中がざわざわしている。
当然だ。
魔王軍が来たと思ったら、歓迎だと言われたのだから。
村長が杖をつきながら前に出てきた。
「魔族代表殿」
「何でしょう」
「本当に、攻めてきたわけではないのですな?」
「もちろんです」
ヴァルガは胸に手を当てる。
「我々は、海王様に礼を尽くすために参りました」
村長は私を見る。
そして震えながら感動した。
「やはり……海王様の威光は魔王軍にまで……!」
「だから違うって」
村長は聞いていない。
村人たちも聞いていない。
「魔王軍が頭を下げたぞ……」
「海王様すごすぎる……」
「もう世界平和の英雄どころじゃない……」
「海も陸も魔界も従えるお方……」
従えていない。
誰も従えていない。
勝手に来て、勝手に土下座しているだけである。
私は助けを求めて大輔を見た。
大輔は笑顔だった。
商人の顔だった。
嫌な予感。
「大輔」
「はい」
「変なこと考えてない?」
「魔族向け海王ブランド展開の可能性を少し」
「考えないで」
「少しだけです」
「少しも駄目」
商人は本当に油断ならない。
アリサはアリサで、ヴァルガたちを興味深そうに見ていた。
「魔王軍の儀礼文化、かなり興味深いですね。魔族式歓迎太鼓と角笛……記録しておきたいです」
「研究しないで」
「少しだけ」
「少しだけって言う人たち信用できない」
レオンは冷静に状況を分析している。
「敵対ではなく接触。さらに相手は海王信仰のような認識を持っている。利用すれば人魔間の交渉材料になる」
「利用しないで」
「では調整材料」
「言い換えても駄目」
転生者連合、全員が別方向に面倒だった。
勇者は警戒しすぎる。
賢者は研究したがる。
商人は売りたがる。
レオンは利用したがる。
私は帰りたい。
その間も、ヴァルガは港に膝をついたままだった。
後ろの魔族たちも膝をついている。
沖の艦隊でも、魔族たちが全員頭を下げている。
その姿勢があまりにも長い。
だんだん心配になってきた。
「あの」
「はい」
「立っていいよ?」
ヴァルガは目を見開いた。
「よろしいのですか?」
「うん。膝痛くなりそうだし」
その瞬間。
ヴァルガの目に感動が宿った。
「海王様……我ら魔族の膝にまでお気遣いを……」
「そういう重い解釈やめて」
しかし遅かった。
後ろの魔族たちがざわめく。
「なんという慈悲……」
「膝を気遣われたぞ……」
「これが伝説の海王様……」
「ありがたき御言葉……!」
違う。
膝が痛そうだっただけ。
本当にそれだけ。
ヴァルガが立ち上がると、港の魔族たちも立ち上がった。
沖の大艦隊でも、魔族たちが一斉に立ち上がる。
その動きがあまりにも揃っていて、村人たちがまた怯えた。
大人数の統率が取れすぎている。
歓迎なのに威圧感がすごい。
私は小さくため息をついた。
「それで」
「はい」
「なんで私を迎えに来たの?」
ようやく本題だった。
ヴァルガは背筋を伸ばす。
「魔王ベルゼリア陛下が、海王様のご来臨を強く望んでおられます」
「魔王が?」
「はい」
また魔王。
勇者和也の眉がぴくりと動いた。
「魔王ベルゼリア……」
「知ってるの?」
私が聞くと、和也は頷いた。
「魔族領を統べる現魔王です。人類側では、強大な魔力を持つ危険な存在とされています」
「怖いじゃん」
「ですが近年、大規模な侵攻はほとんど行っていません。不可解なほど静かな魔王とも言われています」
静かな魔王。
少しだけ好感度が上がった。
静かなのは良い。
騒がしい人よりずっと良い。
でも会いたいかと言われると別問題だ。
「魔王さんが私に何の用なの?」
ヴァルガは恭しく答えた。
「古き盟約を果たすためでございます」
「古き盟約」
また知らない言葉が出てきた。
この世界、知らない設定が多すぎる。
私本人に関係あるような顔で出てくるのが困る。
アリサがすぐ反応した。
「古き盟約とは?」
「海王様と魔族との間に交わされた、遥か昔の約束です」
「詳細を」
アリサの目が完全に研究者になった。
ヴァルガは少し困った顔をする。
「我々下級の者が語るには、あまりに畏れ多い内容です」
「畏れ多くないので語ってください」
「アリサ、落ち着いて」
私は止めた。
止めないと質問攻めが始まる。
ヴァルガは私に向き直った。
「詳しくは、魔王城にてベルゼリア陛下より直接お聞きください」
「行かない」
即答だった。
ヴァルガが固まる。
和也も固まる。
ルナも固まる。
ミナだけが笑った。
「伊織ちゃんらしい」
行くわけがない。
魔王城。
名前がもう駄目。
絶対に面倒。
しかも魔王が待っている。
危険しかない。
私は首を横に振った。
「無理です」
「なぜでしょうか」
ヴァルガが本気で不思議そうに聞く。
「怖いから」
「我々は海王様に危害を加えるつもりはありません」
「それは分かったけど、魔王城は怖い」
「魔王城は清潔で、客室も整っております」
「そういう問題じゃない」
魔王城の設備情報を聞きたいわけではない。
「温泉もございます」
「え」
少し反応してしまった。
ミナがにやりと笑う。
「伊織ちゃん?」
「いや、別に」
ヴァルガは真剣な顔で続ける。
「魔族領には黒曜石の湯と呼ばれる名湯がございます。ベルゼリア陛下は、海王様にぜひお入りいただきたいと」
「温泉……」
黒曜石の湯。
少し気になる。
いや、かなり気になる。
だが駄目だ。
ここで食いついたら負けだ。
私は自分の頬を軽く叩いた。
「行かない」
「料理もご用意しております」
「料理」
「深海魚の蒸し焼き、魔界茸のスープ、火山塩で焼いた岩魚、黒蜜の菓子など」
「……」
気になる。
とても気になる。
魔界グルメ。
ちょっと興味がある。
でも駄目だ。
私は静かに暮らしたい。
魔王城旅行は、どう考えても静かではない。
「行かない」
なんとか言い切った。
ヴァルガは驚いた様子だったが、すぐに表情を引き締めた。
「そうですか……。やはり、簡単には御足を運ばれないのですね」
「いや、本当に行きたくないだけ」
「海王様ほどのお方が、理由もなく動かれるはずがない」
「理由はあるよ。面倒だから」
「なるほど。魔族側の覚悟を試しておられるのですね」
「試してない」
また噛み合わない。
この人、ルナと同じ系統かもしれない。
全部を深く解釈するタイプ。
とても困る。
ルナは隣で感動していた。
「海王様……魔族に対しても容易にお心を許さぬ姿勢。さすがです」
「ルナまで乗らないで」
「ですが、海王様を敬う魔族の姿勢は本物に見えます」
「そこは私もそう思うけど」
本物だから困る。
敵意がない。
だからこそ断りにくい。
魔族代表ヴァルガは、再び背筋を伸ばした。
そして、港から沖の艦隊へ向けて手を上げる。
何かの合図らしい。
すると。
大艦隊の甲板で、魔族たちが一斉に動き出した。
まさか攻撃かと思って、和也が剣を構える。
だが違った。
甲板の魔族たちは、巨大な布を広げ始めた。
黒い船の上に、白い文字が浮かび上がる。
『祝・海王様御帰還』
「帰還してない!」
私は叫んだ。
さらに別の船にも布が掲げられる。
『魔王軍一同、海王様を歓迎いたします』
『海王様万歳』
『海の守護者よ、魔族領へ』
重い。
歓迎が重すぎる。
港にいた村人たちがどよめく。
「魔王軍が歓迎幕を……」
「海王様、魔族にも人気……」
「すごい……」
観光客の中には、なぜか拍手している人もいた。
商人たちはすでに屋台を出そうとしている。
「魔王軍歓迎記念饅頭、今なら半額!」
やめてほしい。
商魂が強すぎる。
大輔がそれを見て頷いていた。
「やはり需要がありますね」
「そこ分析しないで」
私は疲れていた。
朝から大艦隊。
魔王軍。
土下座。
歓迎太鼓。
歓迎幕。
魔王城への招待。
情報量が多すぎる。
一日分の面倒を完全に超えている。
いや、一年分くらいある。
私は両手を上げた。
「ちょっと待って」
全員が止まる。
「私は状況が分かってない」
正直に言った。
「魔王軍がなんで私を海王様って呼ぶのかも分からないし、古き盟約とか知らないし、魔王さんにも会ったことない」
ヴァルガは真剣に聞いている。
私は続けた。
「だから、今日は一旦帰って」
「帰る……」
ヴァルガが衝撃を受けた顔をした。
少し罪悪感がある。
でも仕方ない。
「いきなり大艦隊で来られると村が混乱するから」
「それは……申し訳ございません」
ヴァルガは深く頭を下げた。
「我々は礼を尽くしたつもりでしたが、人界の流儀を理解しておりませんでした」
「うん。かなり怖かった」
「重ねてお詫び申し上げます」
意外と素直だった。
魔族なのに、かなり礼儀正しい。
少しやりづらい。
「では、小規模な使節団のみ残ることをお許しいただけますか」
「え?」
「海王様のお返事をお待ちするためです」
「待たなくていい」
「いえ。魔王ベルゼリア陛下より、必ず海王様を丁重にお迎えせよと命じられております」
「命令が重い」
また面倒なことになってきた。
和也が低い声で言う。
「海王様。魔族を村に残すのは危険です」
ヴァルガがすぐに答える。
「我々は争いを望まない」
「信じきることはできない」
「それも当然だ」
ヴァルガは和也に向かって頭を下げた。
「勇者よ。我々はこの地の民に危害を加えぬと誓う」
和也は少し戸惑った。
魔王軍に頭を下げられる勇者。
なかなか珍しい光景だ。
アリサが言う。
「監視付きなら、情報収集の機会にもなります」
大輔も続ける。
「小規模なら受け入れ可能です。宿泊費も取れますし」
「大輔」
「冗談です。半分」
「半分」
レオンは冷静だった。
「排除するより、管理下で接触した方がリスクは低い」
「管理って言うとレオンっぽいね」
「事実だ」
私は悩んだ。
正直、断りたい。
でも完全に追い返すと、また大艦隊で来そうだ。
それは困る。
村も混乱する。
それなら、少人数で滞在してもらった方がましかもしれない。
「じゃあ」
私は慎重に言った。
「少人数だけなら」
ヴァルガの顔が輝いた。
「ありがとうございます!」
「ただし、騒がない。太鼓鳴らさない。角笛吹かない。土下座もしすぎない」
「土下座も、ですか?」
「港が詰まるから」
「承知いたしました」
本当に分かっているだろうか。
少し不安だ。
その後、魔王軍の大艦隊は沖へ下がることになった。
村の港には、ヴァルガを含む数名の使節団だけが残る。
大艦隊がゆっくり向きを変えると、村人たちはほっと息をついた。
だが、完全には安心できない。
なぜなら、魔族の使節団が村に滞在することになったからだ。
しかも彼らは、私を見るたびに深々と頭を下げる。
「海王様」
「海王様」
「海王様」
そのたびに周囲がざわめく。
「魔族が伊織ちゃんに頭下げてる……」
「海王様、また肩書き増えたね」
ミナが笑う。
「増やしたくない」
私は本当に疲れていた。
夕方。
ヴァルガたちは宿屋へ案内された。
宿屋の女将さんは最初こそ震えていたが、魔族たちがあまりにも礼儀正しく代金を前払いしたため、すぐに商売人の顔になった。
「魔族様ご一行、三部屋ですね!」
たくましい。
この村の人たちは強い。
ルナはずっと感動していた。
「魔族まで海王様を敬うとは……海王様の伝説は、種族を超えて広がっていたのですね」
「広がらなくていい」
和也はまだ警戒している。
「俺は見張ります」
「休んでね」
「海王様のためなら!」
「休んでね」
アリサは魔族文化について質問したそうにしている。
大輔は魔族領との交易を考えている。
レオンは魔王軍との外交ルートを分析している。
みんな忙しそうだった。
私は家へ帰った。
ようやく静かになった。
と思ったら、家の前に観光客が集まっていた。
「魔王軍に迎えられた海王様の家だ!」
「新しい名所だ!」
「今日は歴史的な日だぞ!」
やめてほしい。
本当にやめてほしい。
私は扉を閉め、布団に倒れ込んだ。
一日が長すぎた。
魔王軍は敵ではなかった。
少なくとも今は。
それは良いことだ。
でも、私を海王様として迎えに来た。
魔王が会いたがっている。
古き盟約という知らない話まで出てきた。
面倒ごとの匂いしかしない。
私は天井を見上げる。
「なんで魔王軍まで来るの……」
答えはない。
その時、窓の外からヴァルガの声がした。
「海王様」
私はびくっと起き上がる。
「なに?」
窓を開けると、ヴァルガが家の前で片膝をついていた。
土下座はしない約束だったので、片膝らしい。
それも十分目立つ。
「本日は突然の訪問、誠に失礼いたしました」
「うん」
「ですが、我らの思いだけはどうかお伝えしたく」
「なに?」
ヴァルガは真剣な目で私を見た。
「魔族は皆、海王様の御帰還を待ち望んでおります」
「帰還してない」
「そして魔王ベルゼリア陛下は、必ずや海王様にお会いしたいと仰せです」
「だから」
私は深く息を吸った。
今日、何度も言おうとしていたこと。
一番大事なこと。
これを言わないと始まらない。
いや、終わらない。
私ははっきりと言った。
「人違いです」
お読みいただきありがとうございます。
魔王軍、まさかの敵対ではなく歓迎でした。
しかも歓迎の規模が重い。
伊織はただ静かに暮らしたいだけなのに、また新しい勢力から「海王様」扱いされてしまいました。
次回は、伊織が全力で本人否定をします。
ただし、否定すればするほど話がややこしくなります。




