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第30話 スローライフ崩壊

いつもお読みいただきありがとうございます!


前回、海辺の小さな漁村は大きく発展しました。


温泉街。

市場。

宿屋。

観光客。


発展そのものは良いことです。


実際、多くの人が豊かになり、笑顔も増えました。


ただ一つ問題があります。


その中心にいる伊織本人が、静かに暮らしたいだけだったことです。


そして今回。


ついに海王様人気が暴走します。


第30話「スローライフ崩壊」、どうぞお楽しみください!

私の朝は静かだった。

昔は。

波の音で目が覚めて。

海を眺めて。

魚を釣って。

昼寝する。

そんな生活だった。

だが今は違う。

「海王様ぁぁぁ!」

朝六時。

外から叫び声が聞こえた。

私は布団の中で目を閉じる。

聞こえない。

何も聞こえない。

「海王様おはようございます!」

「今日も元気です!」

「海王様ー!」

うるさい。

非常にうるさい。

私は枕を頭に押し付けた。

しかし無駄だった。

外が騒がしすぎる。

観念して起き上がる。

そして。

窓を開けた。

固まった。

「……」

人。

人。

人。

人。

人。

ものすごい人数だった。

私の家の前に。

行列ができていた。

しかも長い。

温泉街の入口まで続いている。

意味が分からない。

私は呆然と立ち尽くした。

その時。

ミナが手を振った。

「おはよー!」

「なにこれ」

「行列」

見れば分かる。

聞きたいのはそこじゃない。

「なんで」

ミナは笑った。

「海王様見学ツアー」

「やめて」

即答だった。

だが。

もう遅かった。

完全に手遅れだった。

私は外へ出る。

すると。

歓声が上がった。

「本物だ!」

「海王様だ!」

「触角動いた!」

「かわいい!」

帰りたい。

家の前なのに帰りたかった。

その時。

和也が走ってきた。

「海王様!」

「なに」

「大変です!」

十分大変だった。

しかし和也は続ける。

「サインを求められています!」

「なにそれ」

意味が分からない。

本当に意味が分からない。

和也は紙を見せた。

そこには。

海王様サイン会開催予定

と書いてあった。

「誰が決めた」

「観光協会です!」

観光協会。

いつできた。

私は知らない。

知りたくもない。

だが。

その時。

大輔が現れた。

嫌な予感。

「おはようございます」

爽やかな笑顔だった。

危険だった。

「大輔」

「はい」

「説明して」

大輔は少しだけ目を逸らした。

怪しい。

非常に怪しい。

「地域振興です」

「帰れ」

「経済効果があります」

「帰れ」

「観光収入が」

「帰れ」

まったく効かなかった。

その後。

私は半ば強制的に広場へ連行された。

そこには机が置かれていた。

椅子も置かれていた。

看板もあった。

『第一回 海王様サイン会』

私は現実逃避した。

空を見上げる。

青かった。

現実だけが青くなかった。

「海王様!」

ルナが嬉しそうだった。

「大人気です!」

「嬉しくない」

本音だった。

すると。

最初の客がやってきた。

少年だった。

目が輝いている。

「海王様!」

「なに」

「サインください!」

私は紙を見る。

普通の紙だった。

断ろうと思った。

だが。

少年があまりにも期待した顔をしている。

うっ。

弱い。

私はこういうのに弱い。

仕方なく。

さらさら。

名前を書く。

海老崎伊織。

それだけ。

少年は感動していた。

「家宝にします!」

「やめて」

次。

少女。

「海王様!」

「なに」

「触角描いてください!」

なんで。

私は適当に描く。

喜ばれた。

次。

老人。

「海王様!」

「なに」

「長生きの秘訣を!」

「昼寝」

老人が感動した。

なぜ。

そして。

どんどん人が来る。

サイン。

サイン。

サイン。

サイン。

私は疲れていた。

昼には完全に疲弊していた。

その頃。

和也は警備をしていた。

「列を乱さないでください!」

完全に弟子だった。

アリサは。

「興味深い」

観察していた。

研究対象らしい。

大輔は。

「大成功ですね」

笑顔だった。

犯人だった。

午後。

さらに事件が起きた。

土産物屋へ入った時だった。

私は見つけてしまった。

新商品。

『海王様直筆サイン入り干物』

「なんで」

「限定品です」

店員が答えた。

私は膝をついた。

終わった。

完全に終わった。

その後も。

『海王様クッキー』

『海王様まんじゅう』

『海王様湯のみ』

『海王様抱き枕』

「抱き枕!?」

私は叫んだ。

店主が笑顔だった。

「大人気です!」

やめてほしい。

本当にやめてほしい。

夕方。

私は海辺へ逃げた。

ようやく静かだった。

波の音が聞こえる。

落ち着く。

最高だ。

私は岩場へ座った。

そして呟く。

「終わった……」

すると。

ルナが隣へ座った。

「海王様」

「なに」

「皆さん幸せそうでしたね」

私は黙った。

確かに。

村は豊かになった。

人も増えた。

活気もある。

悪いことばかりではない。

だが。

「私はね」

「はい」

私は空を見上げた。

夕日が綺麗だった。

昔と変わらない。

海だけは。

本当に変わらない。

「静かに暮らしたかったの」

ルナは少し考えた。

そして。

にっこり笑った。

「無理そうですね!」

「だよねぇぇぇぇ!!」

私の叫びが海へ響く。

カモメが飛び立つ。

波が揺れる。

遠くでは。

『海王様サイン会大成功!』

という花火まで上がっていた。

誰が許可した。

本当に誰が許可した。

こうして。

私のスローライフは。

完全に。

完全に崩壊したのだった。

そして翌朝。

家の前には。

『第二回 海王様サイン会整理券配布中』

の看板が立っていた。

私は本気で引っ越しを考え始めた。


第30話をお読みいただきありがとうございました!


第三部前半の締めくくりとなるお話でした。


第1話の頃の伊織は、


「海辺で静かに暮らしたい」


という、とてもささやかな目標しか持っていませんでした。


しかし気付けば、


・海王様

・伝説の存在

・観光名所

・ブランドの顔

・サイン会の主役


になっています。


本人の意思はほとんど反映されていません。


ある意味、この作品最大の被害者は伊織本人かもしれません。


今回のサイン会も、周囲は大成功でした。


村は潤い、人々は喜び、観光客も満足しています。


ただし伊織だけは疲れ切っています。


そしてラスト。


「静かに暮らしたかった」


という叫びは、この作品の根幹にあるテーマでもあります。


周囲から見れば英雄。


本人から見れば平穏を奪う原因。


その温度差こそが『転生したら伊勢海老だった件』らしさかもしれません。


また、第30話をもって第三部前半の一区切りとなります。


勇者。

賢者。

商人。


主要転生者たちも出揃い、ここから物語はさらに大きく動き始めます。


次回、第31話「新たな転生者」。


王都で海王ブランドを見た人物が、ついに海辺へやって来ます。


新たな転生者の登場をお楽しみに!


引き続きよろしくお願いいたします!

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