第八話 地獄の地下五階
雹吾たちは、円陣を組み、前後左右の全てを警戒する。
外側は近接戦闘型、内側は遠距離型や治療係の生徒で固められている。
明かりは、みんなの腰に付けられたLEDランタンのみ。
円陣から少し先には、何も見えない暗闇が広がっていた。
唸り声が、そこかしこから聞こえてくる。
雹吾は、和男から貸してもらった棍棒を構えながら、担任の傾国先生に尋ねた。
「先生。この地下五階には、何がいるんですか?」
「前に来た時は、大型の酸性スライムや、オルトロスがうろうろしてたね。
危険すぎて探索ができてないから、地下五階は、まだほとんどが未知の領域だよ」
オルトロスとは、人間よりも大きな体躯の、頭が二つある狼である。
アシッドスライムは、その名の通り、強力な酸で獲物を溶かす、巨大な半液体生物だ。
どちらも、生半可な武器や妖術では、歯が立たない。
雹吾は、再び目の前の暗闇に意識を向ける。
先ほどまでは何もなかったはずの、明かりが届くギリギリの範囲に、大きな獣の足と、狼の頭が見えた。
雹吾は、周囲の生徒たちに警告する。
「来たっ!たぶん、オルトロス!」
その瞬間、その足の主が、雹吾に向かって飛びかかる。
雹吾は、棍棒を横にして、噛み付こうとしてくる狼の口に突っ込んだ。
しかし、狼の巨体は、そのまま雹吾に向かって突進する。
あまりの衝撃にふんばりきれず、背後にいる生徒たちの集団に、身体を押し込まれる雹吾。
生徒たちから悲鳴が上がる。
「うわっ!」
「きゃっ!」
雹吾とは真逆の位置で警戒していた傾国先生が、クラスメイトたちに注意を促す。
「絶対に陣形を崩すんじゃないよ!
まだ周辺には、他の猛獣が山ほどいるんだからねぇ!」
傾国先生は、円陣を迂回し、雹吾の元へと向かう。
雹吾は、渾身の力を込めて、オルトロスと思われる巨大な狼の頭を押し返した。
(オルトロスなら、頭がもうひとつ有るはず!
左右のどちらか!)
雹吾は、棍棒を噛ませた狼の頭の、左右を見る。
すると、左右の両方から、狼の頭が、ぬっと現れた。
その狼は、頭が三つあったのだ。
これは、オルトロスではない。
三つ首の狼、ケルベロスだ。
ケルベロスは、オルトロスが更に年を重ねて、三つ目の頭を得た、非常に危険な野生動物である。
ケルベロスが、左右の首で大口を開けて、雹吾に噛み付こうとする。
すかさず、右の首をルナがアッパーで叩き上げ、左の首をトロルの松村君が斧の一撃を食らわせる。
しかし、ケルベロスの三つの首は、一瞬だけひるんだものの、ほぼ無傷だった。
中央の首が、咥え込んでいた雹吾の棍棒を噛み砕く。
そのまま三つの首が、ルナを見た。
(あ、まずい……!)
雹吾が声を出す間もなく、再び口を開けるケルベロスの三つの首。
狙いはルナ。
ルナに迫りくる、三つの顎。
涙を流しながら、拳を振りかぶる、ルナ。
「ルナちゃん!ダメだ!」
雹吾はルナを突き飛ばし、ケルベロスの正面に身を踊らせる。
ルナが声を上げる。
「……雹ちゃんっ!」
ケルベロスの三つの口が、雹吾の身体に牙を突き立てた。
ケルベロスの口から、溢れ出る雹吾の血液。
あまりの激痛に、気が遠のく。
「うがあああああっ!」
噛み付かれたまま、激しく上下に揺さぶられる雹吾。
そして、雹吾の左腕と両脚、腹部がケルベロスに食いちぎられた。
雹吾の身体は齧られた勢いで回転し、大量の血液がクラスメイトの円陣に降り注ぐ。
「雹ちゃああんっ!」
どさりと地面に転がる、雹吾の身体。
胴体の傷口からは、内臓が飛び出していた。
くちゃくちゃと、雹吾の肉を咀嚼するケルベロス。
全ては一瞬の出来事であった。
傾国清姫は、雹吾を助けるのに間に合わなかった自分の不甲斐なさを呪いながら、ケルベロスの胴体を出刃包丁で突き刺す。
だが、硬い毛皮に阻まれて、肉を少しだけ傷つけるだけに終わった。
「くっ!かたいねぇ!この犬ッコロ!」
その時、円陣の中央から声が上がった。
轆轤首の工藤君だ。
工藤君は、自分の首を限界まで伸ばし、周囲を偵察していたのだ。
「みんな!避難できそうな壁の割れ目がある!
ケルベロスが入ってこれないような、狭い場所!
えっと、今、佐治君がいる方向をまっすぐのとこ!」
夜目も利き、首も伸ばせる轆轤首は、偵察に最適である。
みんなは大急ぎで、サイクロプスの佐治ヒカルの前方の暗闇へと逃走する。
ヒカルはクラスメイトの流れとは逆走し、ケルベロスへと向かった。
ヒカルがルナに声をかける。
「山ン本さん!雹吾君を!」
炎を纏わせた細剣を振るうヒカル。
右美と左美も、回転する唐傘と、提灯から伸びた火炎で応戦する。
涙で頬を濡らしていたルナは、雹吾の元へと駆け寄る。
雹吾の残った右手を取り、身体を抱き上げる。
「雹ちゃん!雹ちゃん!死なないで!せっかくまた会えたのに!」
ケルベロスは、ヒカルたちの攻撃をものともせずに、食いかけの雹吾を持つルナを追いかける。
野生動物は、自分の獲物に執着する習性を持つものも多い。
雹吾を抱きかかえ、壁の割れ目へと駆け抜けるルナ。
ケルベロスの牙が、ルナへと迫る。
そして、中央の首の牙が、ルナの背中に噛り付こうとした時。
生徒たちが避難していた壁の割れ目から、二本の矢が放たれた。
ケルベロスの中央の首の両目に突き刺さる、鋼の鏃の矢。
痛みによる咆哮を上げ、動きが止まるケルベロス。
射たのは、エルフの麻子。
「山ン本さん!佐治君!早くこっちへ!」
ルナは、走る。
大量に出血し、瀕死の雹吾を抱えて。
だが、その背後からは、矢の痛みから立ち直ったケルベロスが、追いかけて来ている。
壁の割れ目に避難していた生徒たちが、ルナを急かす。
ヒカルが炎の剣で斬りつけるも、ケルベロスは全く動じない。
壁の割れ目まで、もうあと少し。
その時、ケルベロスが、大きくジャンプした。
走るルナの頭上を飛び越え、存外に軽い音を立てて目の前に着地する。
ルナたちの前方に回り込むケルベロス。
ルナは、脚をふんばりブレーキをかける。
ゴツゴツとした岩の地面が、荒い音を発した。
逃走経路が塞がれてしまった。
一刻も早く雹吾を治癒部隊に渡さねば、命が危ないというのに。
雹吾が、微かな声を出す。
「ル、ナ、ちゃん。
にげ、て。
俺は、たぶん、もう、だめだから。
お、れ、を囮に……」
唯一残った右手で、ルナの手を握る雹吾。
既に体温が失われ、冷たくなりつつあった。
「ル、ナ、ちゃ……」
ルナは、雹吾の右手を離さなかった。
ルナは、また一粒、涙を流す。
それからは、もう泣くのを止めた。
「雹ちゃんは死なせない」
ルナは、ケルベロスを睨みつける。
「私は魔王の娘。
お前なんかに負けない」
ルナの左右には、右美と左美が舞い戻る。
ルナは、左手で雹吾を抱きかかえなおし、右手で拳を握りしめる。
「お前なんか、ぶっとばしてやる!」
燃える決意の目で、ケルベロスと対峙するルナ。
そしてルナは、ケルベロスへと走り出した。




