第四話 えっ?婚約者?
山ン本瑠那は、護衛たちの手に寄り、神野雹吾から引き剥がされていた。
「雹ちゃあん!」
それでもなお、雹吾へと手を伸ばす、ルナ。
雹吾は、ルナの怪力で抱きしめられ、死ぬ一歩手前で、ぴくぴくと身体を痙攣させ、体育館の床に横たわっていた。
ルナは、自分を雹吾から引き剥がす執事とメイドに、涙目で叫ぶ。
「離してっ!婚約者との数年ぶりの再会なんだからっ!」
雹吾は、酸欠でくらくらしている頭で、その声を聞いていた。
(……婚約者?)
たしかに昔、ルナと結婚したいとは言った。
ルナも、承諾した気がする。
でもそれは、幼い頃の、ふたりだけの約束。
子供同士の、他愛もない口約束だったはず。
(……えっ。もしかして、あれ正式に受理されてんの?)
まだふらつく視界で、むくりと起き上がる雹吾。
そこに、ルナの護衛の一人である、ゼンマイのようにくるくる巻かれた口髭の、筋肉質のおじさんが、倒れた雹吾に手を差し伸べた。
「お久しぶりです。雹吾様」
差し出された手を握り、立ち上がる雹吾。
そのくるくるの口髭を見た雹吾の脳裏に、幼い頃の情景がフラッシュバックする。
うっすらと、少しずつ蘇る記憶。
「あっ!くるくるのおじさん!」
「憶えていて下さったのですね。
塗壁の長、塀無樽です」
雹吾は、暴走したルナを全力で抑えている、執事とメイドの双子を見る。
「じゃ、じゃあ、あの二人、カラスの兄ちゃんと姉ちゃん?」
雹吾に向かって笑顔を見せる、執事とメイド。
ヘイムダルが、改めて彼らを紹介した。
「はい。烏天狗の不銀と無忍です」
執事のフギンと、メイドのムニン。
次々と、雹吾の頭に、溢れ出す記憶。
小学生の頃、ヘイムダルの運転するリムジンに乗り、ルナと遊び回ったのだ。
そして雹吾はルナを見る。
記憶の中よりも、随分と大人びた美少女になったルナ。
だけれど、左の目尻の十字の痣と、涙ぐんだ眼差しは、子供の頃から変わっていなかった。
雹吾は散らばったパイプ椅子が足に当たるのも気にせず、ルナへと歩み寄る。
「ルナちゃん。約束、憶えていてくれたんだね」
「忘れないよ!だって、あの時から、雹ちゃんは私の婚約者になったんだから!」
「俺、ルナちゃんは俺のことなんてもう忘れてて、彼氏でも作ってるもんだと、勝手に思ってた」
「雹ちゃんがいるのに、彼氏なんて作んないもん!」
「ルナちゃん……」
ずっと、自分を想ってくれていた、初恋の少女。
雹吾もまた、たびたびルナとの思い出に浸っては、記憶の中のルナに恋をしていた。
それは、もうやってこないと思っていた、ただの夢のはずだった。
だが今、その夢のかけらが、現実へと姿を変えた。
「ルナちゃん。その、すごくかわいくなってて、俺なんかが婚約者でいいのかなって、今でも思ってるんだけど……」
フギンとムニンに身体を羽交い絞めにされているルナに、雹吾は手を差し伸べる。
数年間分の、勇気と恋慕を振り絞って。
「あの、もしまだ本気でそう思ってくれてるなら、改めて、俺の彼女になってくれると、嬉しい」
ルナは、顔を上げ、雹吾を見る。
その目には、涙が滲んでいた。
「なるっ!雹ちゃんの彼女になるっ!他の女の子なんか見たら、許さないから!」
その途端、周囲から大歓声が巻き起こる。
「うおお!初日でカップル誕生かよ!」
「しかもあんな可愛い子!羨まけしからん!」
「キャーっ!ラブよ!ラブっ!」
「私も彼氏ほしいーっ!」
キョロキョロと、周囲を見回す雹吾。
ルナの事をばかり考えていて、今が入学式だということをすっかり忘れていたのだ。
気がつけば、大観衆の面前で、告白劇をしてしまった。
「あ、し、しまった……」
顔が茹で上がったかのように熱くなる雹吾。
にも関わらず、ルナは感動で目を潤ませる。
「……雹ちゃん!私、嬉しいっ!」
ルナは涙を一筋流し、身体を抑えていたフギンとムニンを弾き飛ばし、雹吾に抱き着いた。
みしみしと、雹吾の骨が音を立てる。
「ぐええええ!」
それを見て、護衛のフギンとムニンが、慌ててルナを止める。
「お、お嬢様!雹吾様が死んでしまいます!」
「え?あっ!ご、ごめん、雹ちゃん!」
ルナは、雹吾の胴体から手を解く。
ぐったりとして倒れそうになる雹吾を、ヘイムダルが支える。
ヘイムダルが雹吾に説明する。
「お嬢様は、既に魔王としての能力を開花させつつあります。
その作用のひとつで、ご自分でも制御ができないほどの怪力を持ってしまったのです」
「は、早く言って……」
憔悴しきった雹吾の身体を、ひょいと持ち上げるルナ。
「だいじょうぶ!雹ちゃんには私がついてるから!」
ルナは自信満々の笑顔で、雹吾をパイプ椅子に座らせる。
「えへへ……。今日からは、雹ちゃんは私の彼氏だね!」
雹吾は朦朧とする意識の中、美少女の彼女が出来た喜びと、愛情いっぱいの抱擁の激痛で、頭がいっぱいになっていた。




